「クアウテモク」を見学した後、ホストシップとして彼女をお迎えした
我が海上自衛隊の「おおなみ」も見てきました。
珍しい帆船を見にきた人も多かったでしょうが、実はお目当はこちら、
という人も結構いたかもしれません。
わたしの近くにいた高校生二人は、「クアウテモク」から出てきて
「さあ、メインの”おおなみ”行こうぜおおなみ!」
と言っていました。(これ本当です)
「おおなみ」が繋留してあるのはちょうど駐車場の前の岸壁になります。
わたしが到着したのは12時少し前だったのですが、人の流れから
おそらくお昼は一般公開を一旦打ち切るために「追い出し」を行なっているのだろうと思い、
しばらく車の中で時間をつぶしました。
見ていると、メキシコ海軍の水兵さんたちの姿があります。
水兵さんたちも「おおなみ」の見学をしていたようですね。
1時になってから「クアウテモク」を見学し、続いて「おおなみ」です。
「おおなみ」は横須賀地方隊所属で、「たかなみ」型の2番艦。
今回初めて知りましたが、愛称は「オーシャンタイガー」だそうです。
艦尾の右舷側にあるラッパの朝顔のような二つのものはデコイ発射用のランチャーです。
デコイとは敵のホーミング魚雷に対する欺瞞用の囮のことです。
自衛艦の公開などでは「常勝」とか「必勝」とかいう文句を被せた
艦名のバナーがしばしば一緒に飾ってあります。
艦対抗でスポーツの試合をするときには活躍するのでしょう。
HOS-302、Mk32短魚雷発射管は外から見た方が全貌がはっきりわかります。
というわけで、説明の看板を岸壁に。
見学者サービスで外側に筒を向けて展示してあります。
階段を登る人々がせき止められ、一瞬ですが長蛇の列ができました。
何だろうと思って確認すると、少々足許のおぼつかない年配の方が
登り切るまで前後をガードして、慎重にエスコートしていたためだと判明しました。
こちらも応援バナーでしょう。
Z旗の上で咆哮しているトラ、すなわち愛称の「オーシャンタイガー」です。
甲板に上がると、左回りに甲板を舷側に沿って歩いて行く順路となっていました。
主砲のオトーメララの下では、砲弾が公開されていました。
「どうぞ、触っちゃって大丈夫ですよ」
隊員さんの勧めでそこにいたお子様が座り込んで砲弾を持ち上げようとしています。
ここから撃ったらどこまで砲弾が届くか、という地図がありました。
横浜市、習志野市、川越市はすっぽり入ってしまう感じです。
昼からの公開が始まって30分くらいは経っており、甲板は見学者でいっぱい。
甲板の装備については必ずパネルで説明が行われます。
真ん中のパネルはバーチカルラウンチングシステム、VLS、
垂直発射装置のもので、この柵の向こう側にセルがあります。
艦首部分には一般公開でも観艦式でもあまり一般人には立ち入らせません。
横須賀に繋留している艦で艦首部分を公開しているのを何度か見たことがありますが。
船首から望む向こう側にはレインボーブリッジが見えます。
オトーメララ越しに見る「おおなみ」艦橋。
応援バナーはマスト両舷に同じものがはためいています。
艦橋の写真を撮っていて、ウィングで帽振れをする人影を発見しました。
近くの隊員に艦長ですか?と聞いてみましたが、違うとのこと。
写真を拡大して少尉さんであることが判明しました。
どうやら、行き交う船に「ファンサービス」で帽子を振ってあげているようです。
見ていると、もう一人出てきてこちらは艦内帽を振り出しました。
港湾めぐりなどで自衛官が手を振ってくれると嬉しいものなんですよね。
だから、船の人たちもこれには大喜び。
この屋形船には女性も乗っていて、彼女が手を振りながら大きな声で、
「きゃあ〜〜」
「あたし、あの人(手を振ってくれている自衛官)と結婚する〜〜!」
と叫んだので、周りでそれを聞いていた人たちが皆笑いました。
そのとき海面に怪しい船発見。
なんかわかりませんがやたら走行性の良さそうな車みたいなシェイプです。
クルーズディナー船でしょうか。
そういえば昔一度だけ東京湾でこんなクルーズ船に乗ったことがあります。
バブルの名残のような男性が、ロシア人の女性と、当時流行っていた
「タイタニックごっこ」をきゃっきゃとはしゃぎながら船首でやっていましたっけ。
ファランクスCIWS (クローズ・イン・ウェポン・システム)の
動的展示など、体験搭乗や観艦式などで行われるようなデモは本日はありません。
前甲板からは左舷を通って後ろに進むことになります。
マクラメ編みの防眩物が実に芸術的な縛り方で固定されています。
左舷を歩いて行くと、先ほどと反対のところに水上発射管が現れるのが必定。
説明のために自衛官が一人配置されていました。
このシステムはソーナー探知により敵潜水艦の方向に発射された
短魚雷が、着水後ジャイロ航走により目標を捜索し、相手を見つけたら
そのとき速度を上げて接近し、命中するという仕組みのものです。
ここにあるのは2・4・6の管なので、状況から察するに右舷には1・3・5があるはずです。
先ほどのは潜水艦で、こちらは対艦ミサイルとなります。
90式艦対艦誘導弾 SM-1B。
水中を敵のところまで進んで、近くになったら海から飛び出し、
海面すれすれを飛んで相手に当たる、なんて誰が考えたの。
あっという間に後甲板に出てきてしまいました。
日中、航行していないときに揚げる自衛艦旗越しに、
ゲストシップである「クアウテモク」が見えています。
帰りにわたしの前を歩いていたカップルの男性の方が、旭日旗を指差しながら
「ほら、あの旗さ、なんて言ったっけ」
女性の方がそんなことも知らないの、というような調子で言下に
「日章旗!」
「・・・そうだっけ。ほら、他になんかなかった?」
「だから日章旗だって!」
ここで一言余計なことを言えば、女性に恨まれかねなかったので、
わたしは黙って後ろを歩いていました。
後甲板にあるヘリ拘束装置。
ヘリから出したプローブを引っ掛けて格納庫から出し入れします。
これをRAST、
(リカバリー・アシスト・セキュリング・アンド・トラヴァーシング・システム)
といいますが、AをUと決して間違えないように。
横で隊員さんの説明を聞いていると、
「この上にヘリが降りて降着装置を出して引っ掛けるんです」
みたいな感じでした。
そう言えば、「いせ」の飛行長が、
「これくらいのスペース(そこにあったテーブル)に、真っ暗だろうが
どんなに揺れていようが、間違いなく降りなくてはいけないんですからね」
とその難しさを熱く語っていたことを思い出します。
これどう見ても一辺1m以下ですよね・・。
格納庫も人で賑わってるぞ。
格納庫内ではロープの結び方教室実施中。
隊員さんは全員プロレスラーのマスク着用で任務に臨んでいました。
しかし、この「本日のおすすめ」を見る限り、マスクは
「おおなみタイガー」
つまり
「俺たち基本的にオーシャンタイガー→タイガーマスク!」
みたいな意味も兼ねているようでした。
こんなマスクどこで手に入れてきたんだろう・・・・。
横須賀メルキュールのあるビルのダイソーかな。(地方ネタ)
本日のメニューは「アゲマキ結び」と「宇宙結び」のようです。
その名の由来が知りたい。
こちらのテーブルではアゲマキ結び伝授中。
ここで一回やったくらいじゃ多分覚えられないんですけどね。
お子さん三人の五人家族、乗艦記念写真撮影中。
お兄ちゃん二人がヘリ、女の子は護衛艦勤務です。
自衛官の生活、みたいな感じの紹介写真。
左下、これ女性自衛官ですよね。すごいパワフル!
ヘリパイのお仕事風景の写真もありました。
甲板ではなんと!ヘリ管制ブースの中に入れるという大サービス中!
一人の自衛官が説明と見張りのために立っていて、この人の誘導で
代わり番こに中に入って写真を撮ったりできるのです。
日頃並ぶのが大嫌いで、大抵のことはスルーするわたしも、今回は
並んで(と言っても数人の列だったけど)みることにしました。
離着艦するヘリと交信したり、RASTの操作などをここから行うわけだな。
色々詳しく見たいけど、後の人がいるので写真を撮るだけ。
これが左側、つまり右舷側。
ヘッドフォンは一つだけ。
聞き忘れましたが、一人で任務を行うのでしょうか。
モニターと艦内と話す電話もあります。
やっぱりというか、ちゃんとあった、安全祈願のお札。
日本の船ですねえ。
一字かけていますが、香取大神宮のお札でしょうか。
だとしたら、香取神宮は千葉県にある神社ということになるのですが。
もしかしてこのハッチは下の階に繋がっている・・・?
メインのスイッチは、誘導灯など、ヘリの離着艦の目印となる灯りのものです。
管制ブースの中からみた甲板風景。
もちろんいつもはこのパネルはありません。
中はひんやりしていて、クーラーが効いているのがわかりました。
どこから冷気が入ってくるのか確認したのですが、どうやら床のようです。
もう一息、格納庫側の天井を撮ってみました。
偏光ガラスがはまっていて日除けにもなっているらしいのが色でわかります。
というところで公開されている主なポイントを見終わりました。
あとは右舷側を通って外に出るだけです。
この壁面を利用して、隊員さんの写真作品展が行われていました。
今では行われなくなった観艦式での潜水艦のドルフィン運動に、補給艦の給油。
ネームシップの101「むらさめ」から109の「ありあけ」までが勢揃いした瞬間。
そして超広角カメラで撮った、接舷するLCAC。
この「写真展」、ほとんどすべての人が立ち止まって熱心に眺めていました。
カメラを持っている人たちにとっても、大変興味深い作品ばかりです。
というところで見学を終え、岸壁に降りてきました。
「おおなみ」はこの翌日、「クアウテモク」の出港と前後して晴海を発ち、
母港の横須賀に帰ったそうです。
終わり。