「ミッドウェイ」博物艦の見学、CIC、戦闘指揮所を見終わったところから続きです。
ジュニアオフィサー、日本だと初級士官のクォーターにやって来ました。
初級とはいえ、士官ともなると待遇は下士官兵とは全く違って来ます。
まず、ベッドが2段。
目覚めた時にベッドの上で体を起こすことができる空間。
これが軍艦という極限の狭い空間ではどれほど贅沢なことであるか。
quartersというのは軍隊用語で「兵舎」を指しますが、海軍では
船の中の「区画」というような理解でいいのかと思われます。
ベッド下には収納引き出しが三つもついていて、下士官兵の
「棺桶ロッカー」とはえらい違いです。
しかも士官にはハンガーで洋服をかけるクローゼットも用意されていました。
ブルードレス、ホワイトドレス、そしてカーキと一年の制服が全て収納可。
クローゼット内に帽子をかけることもできました。
ところでアメリカ海軍でもアイロンがけは自分で行うのでしょうか。
あまりそういうイメージがないのですが、どなたかご存知ですか?
初級士官のJ・アサートンさんは、まだ新婚ホヤホヤ。
デスクの上扉には愛妻の写真が。
写真立てには結婚式で仲間の作るサーベルのトンネルを潜る新郎新婦。
まさに愛妻に手紙を書いている途中です。
アサートン氏の左手薬指にリングがあればもっとリアリティが出たのに残念。
士官用のデスクは中段が天板式で、私物はベッド下とこのデスクの上下の引き出し、
そしてクローゼットに収納します。
シャワーを浴び終わって体を拭きながら出てくる士官が!
アメリカ人は湯船に浸かるということに全く執着しないので、
船の中で場所を取る浴槽はまず見たことがありません。
が、日本人は肩までお湯に浸からなければお風呂に入った気がしない、
という文化なので、どんな小さな船にも浴槽が設置されていますし、
艦長の部屋に至っては専用のバスタブ付き。
もっとも「あきづき」の艦長はゆっくり湯船に浸かることなどない、
とおっしゃっていましたが、アメリカの海軍軍人が護衛艦のお風呂を見たら、
「軍艦にバスタブがあるのか!」
って結構なカルチャーショックを感じると思うんですよね。
さてまた次の展示まで移動です。
廊下を走っているコードの束がすごすぎ。
これが「ミッドウェイ」のフライトデッキ、甲板階。
艦首部分から「ゾーン1」「ゾーン2」と区画分けされています。
ちなみにこの甲板の形は「ミッドウェイ」の最終形で、
1945年に就役した当時は一番左のような形をしていました。
これだと艦橋が一体どこにあるのかってくらい小さいですね。
そして真ん中が1955年から57年にかけて行われた改装による変化。
この頃から斜めのアングルドデッキが設けられたので左に形が膨らみ、
さらに右舷に艦載機用のエレベーターが増設されました。
カタパルトも蒸気式に変換されています。
このときはピージェットサウンド海軍工廠でオーバーホールがおこなれたあと、
大々的な近代化改装が施されました。
1957年改装後の「ミッドウェイ」。
ここはSDO (Squadron Duty Officer)の
コミニュケーション・コンソールという部署です。
つまり部隊勤務士官が待機したり命令を受けたりするところ。
奥にはいかにもパイロットな士官がフル装備で出番を待っているようです。
ここにSDOの義務というものについて箇条書きがあったので翻訳しておきます。
ー整備員がプリフライト・チェックを完了し、航空機をパイロットに割り当てる
ー「準備室」は飛行任務、トレーニング、ミーティングなどの一般任務を統括する
ー他の飛行部隊や船の他の部署とのコンタクトの中心となる
ー艦内の通信に必要な機器の操作を行う 航空機とは直接連絡はしない
ここに関係する隊員たちのネームプレートは、飛行機の形の台紙に刻まれていました。
後ろのホワイトボードには
「CRUSADEE'S 」
とあることから、飛行部隊の使用機はクルセイダーであったことがわかります。
ボード左側は「金曜日のフライトスケジュール」として、
”レッド”アイザックとか”パイレート”ニコルスさんなどのメンバーが、
右側には「フライオフ」として家に帰ってしまったメンバーの名前があります。
あれ、ちょっとちょっとみなさん!
よ、よく見ると帰宅組の一番上に
「マリオン・カール」がいるんですが。
とっとと家に帰ってんじゃねーよマリオン・カール。
って問題はそこじゃない?
F-8クルセイダーの勇姿色々。
左上には、
「F-8を降りるとき、それは戦闘機を降りるときだ」
(When you're out of F-8's you're out of fighters)
=俺はFー8にしか乗らない
というおなじみ?F-8部隊の標語があります。
写真右一番上は、クルセイダーがカタパルトから発進する瞬間。
その下はカタパルトにフックアップされたところで、いずれも1962年の写真です。
当時のパイロットが使っていたヘルメット、手袋、帽子、
「ミッドウェイ」艦上での航空関係マニュアル各種。
飛行機の形をプリントしたトランプがありますが、ミッションまでの待ち時間に活躍したのでしょう。
「スコードロン・レディ・ルーム」という搭乗員の待機室にあった椅子。
テーブルや吸い殻入れもあって、ふた昔前の飛行機の機内みたいです。
(日航機事故以前は機内でタバコが吸えたんですね・・今では信じられませんが)
待機室は通常35から45くらいのシートがあって、
フライトクルーなどが優先的に使用しました。
なぜかお花の素人っぽい刺繍とともに
「戦闘機パイロットはそれを手紙にする」
とありますが、このバナーはクルセイダー乗員控え室に寄付されたものです。
1970年に「ミッドウェイ」と USS「ハンコック」のクルセイディーは
10ヶ月半に及ぶ共同の任務を行いました。
二つの部隊搭乗員の妻たち、アン・ゲインズとベティ・アルバスは、
控え室のパイロット達の慰めにとレッドチェッカーを刺繍して彼らに贈りました。
このバナーは「ハンコック」がトンキン湾に1970年から1972年まで
勤務している間、ずっと艦内に飾られていたものです。
クルセイダーの搭載していた20ミリ機銃の銃口と周辺の機器。
1966年ごろ、ベトナム戦争でMiG17と戦っていた機が搭載していたものです。
この機を使用していたヴァンパテッラ中尉はその後別のF-8でMiGを撃墜しています。
キューバ危機からベトナムへ。Fー8クルセイダーの全盛期はまさにこの頃でした。
上段真ん中のイラストは、ヴォート・エアクラフト社の広告。
クルセイダーのバックに描かれた「十字軍の戦士」(クルセイダー)がかっこいいっす。
そして下二つの写真、左は1959〜1960に「ミッドウェイ」勤務だった
クルセイダーの搭乗員たち。
全員耐圧スーツを身につけています。
左は同時期の第24飛行隊(VF24)全員の記念写真です。
「ミッドウェイの CAGたち」。
CAGってなんなんでしょうか。
CAGとは、「航空部隊指揮官」、Commander Air Group
の頭文字をとったもので、
1938年に最初の空母航空群ができた時から使われてきた言葉です。
ベテランの部隊指揮官が航空部隊に帰ってきた時には、
彼らは「CAG」としてアサインされ、空母の戦闘機、爆撃機、
トルピード機の攻撃についての統括を任されることになります。
1950年代にはCAGは部隊には配属されなくなりました。
航空部隊は報告をCAGにあげ、CAGはそれを艦長に伝える役目です。
(中間管理職みたいになったと考えればいいのでしょうか)
1983年、CAGは大尉にランクが上がりました。(海兵隊は少佐の配置となる)
つまり、軍艦の艦長と同格のレベル、という位置付けになったのです。
今日、CAGは戦闘指揮官フラッグオフィサーの「アドミラル」として、
攻撃部隊の空母航空隊を率いる士官を指します。
上の写真は、「ミッドウェイ」における歴代「アドミラル」であるというわけですね。
続く。