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「ラングレー」と「ジェラルド・フォード」〜空母「ミッドウェイ」博物館

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しばらくお話しして来た「ミッドウェイ」シリーズ2016年編も最終回です。

こちらはハンガーデッキにあった全面アクリルで半透明の「ミッドウェイ」模型。
全て半透明で艦内の各部が可視化できる大変な労作です。(模型的に)

2017年は一人で見学できたのですが、この時には推定年齢67歳のジョアンナはじめ
連れがいたので、あまり細かく写真を撮ることができませんでした。

次に行くことがあったら、もう少し詳しくご紹介できればと思います。

ハンガーデッキの最後尾に「ファンテイル」という名前のカフェがあります。
スタンドで買った飲食物を持ち込んでサンディエゴの海を見ながら過ごすことができます。

最終的に「ミッドウェイ」は甲板拡張に伴い艦載機用のエレベーターを
合計3基備えていましたが、ここはなんと!左舷後方のエレベーターのスペースです。
上にフライトデッキの階が見えてますね。

海に張り出すような屋根のない部分がお休み処にぴったり。

ここでは A-4「スカイホーク」を見ながらお茶を飲めます。

しかしこういう光景を見るといつも思うのですが、皆自撮りが好きですね。
艦載機であろうが展示物であろうが、自分を入れて撮りまくっているのを見ると、

「一体なんのために・・・・」

と思ってしまうわたしは少数派ですか。


さて、ダグラスの「スカイホーク」は艦上攻撃機として開発されました。
「ファントムII」や「クルセイダーズ」より小型なので、小型艦船に搭載され、
「ミッドウェイ」級空母にも「コルセアII」の登場まで就役していました。

アクロバット航空隊「ブルーエンジェルス」の使用機にもなっています。

ちなみにこのA-4 の大きさですが、

艦載機の話題の時、モデラーさんに送ってもらった貴重な画像。
左からA-4、F-4、F-14です。
こんなに大きさに違いがあるとは改めて驚きますね。

A-4、ほとんど F-14の半分くらいしかないじゃないの。


さて本題。
この模型を見て途端ににっこりしてしまったあなたは、相当アメリカの軍艦に詳しい。

左はアメリカ海軍の次世代空母「ジェラルド・フォード」ですが、右側、
これはアメリカに最初に導入された航空母艦、

「ラングレー」CV−1

なのです。
昔、「タスクフォース」(邦題”機動部隊”)という映画について書きましたが、
主人公はこのアメリカ海軍初の空母艦載機のパイロットという設定でした。


「ラングレー」がデビューしたのは1922年。

給炭艦「ジュピター」を改装したもので、1922年10月17日に初発艦、9日後、
最初の着艦、11月18日にカタパルトで初めて発艦が行われています。

そういう「初めて」だらけの空母ですが、「ミッドウェイ」と比べると
これほど小さいんだよということがよくわかる模型展示です。

もちろん両者は同じ時期に存在していませんのであくまでも「夢の(中の)共演」です。

ところで、あまりアメリカでは大きく報じられない(報じたくない?)ことかもしれませんが、
「ラングレー」を沈没させたのは、我が帝国海軍の飛行隊であることがわかっています。


1941年12月7日の真珠湾攻撃発生時、「ラングレー」はフィリピンにおり、
その後日本軍に対抗してオランダ領東インドに配属されました。

その頃の南方作戦での日本軍の進撃は留まる事を知らず、
やがてジャワ島に対しても空襲が行われるようになりました。
連合軍は「ホーカー ハリケーン」や「ブリュスター バッファロー」で対抗しますが、
はっきり言ってこの頃イケイケだった日本軍の敵ではありません。

連合軍は零戦に対抗するため「カーチス P-40」を採用することにし、
貨物船と「ラングレー」に機体の輸送を命じます。

その前後、すでにバリ島に進出していた高雄航空隊の一式陸攻が「ラングレー」と
一緒に航行していた「ホイップル」「エドサル」の3隻に襲いかかりました。
3隻は爆撃を受けると同時に各方向に分離して回避運動を行いますが、
攻撃隊の陸上用爆弾6発が命中、ラングレーは大破し、操舵が困難となります。

不運なことに艦上に輸送のため搭載していたP-40の燃料に火がつき
次々炎上し、折からの強風で消火が困難となりました。
さらには機関室も浸水し、ついに総員退艦が命じられるに至ります。

そして「ラングレー」は「ホイップル」が処分のために放った魚雷によって沈没。

「ラングレー」の乗組員は救出され、給油艦「ペコス」に移乗しましたが、
その後すぐ3月1日に「ペコス」も南雲忠一中将率いる機動部隊の空襲により
撃沈されたため、そのほとんどが助かることはなかったということです。


一方、ラングレーを攻撃した高雄航空隊では不思議なことが起きています。

上層部はこの大戦果を「空母一隻撃破」としか評価しなかったというのです。
直接「ラングレー」を葬ったのは確かに味方の「ホイップル」なのは間違いありませんが、
攻撃隊指揮官がそれを見届け、撃沈報告をしているのにもかかわらず・・・・。

このカラクリはこうでした。

その少し前に大本営が”伊25潜水艦が「ラングレー」を撃沈した”と
発表してしまっていたのです。
その後になって「ラングレー」を沈めたのが高雄航空隊だったのが
電文によってわかったのですが、大本営発表が出てしまった後なので、
航空隊上層部は上に忖度して

「高雄航空隊は”特設空母”を撃破」

とかなんとかうやむやな報告をあげたらしいことがわかっています。

おいおいおいおい。
さすが忖度体質の縦割り国家日本、軍隊まで、いや軍隊だからこその忖度。

これは航空隊現場の士気だだ下がり間違いなしの事案ですが、
残念ながら忖度「された方」はずっと気づかないままなんだよな・・。

 

というわけで、ハンガーデッキから退出口に出てきました。
右舷の後方に出口があり、前方の入り口の外付け階段が見えています。

この立派なお髭のお爺ちゃん、よく見たら歩行器付きですが、
自分の「ミッドウェイ」での体験を語り継ぐため、
こうして体の動く限り毎週ここに足を運んできているのでしょう。

「お元気で」

と心の中で声をかけながら通り過ぎましたが、今年(2017年)は
まだ元気でおられたかなあ・・。

外側の作業に使うらしい真っ赤なボートが牽引されていました。

そもそもこれは現役なのか、それともただの展示なのか。

階段を下りながら後方の艦載機エレベーターを臨む。

下にエレクトリックハウスらしきものが見えます。
このエレベーターは物資をここから上げ下ろししているに違いありません。

青いプラスチックのものはリサイクルのゴミ箱です。
「ミッドウェイ」では一般見学時間を終えて閉館したあと、ディナーパーティを行ったり、
お泊まりイベントを開催したりするので、それだけゴミも大量に出ることになります。

「アメリカの生ける自由のシンボル」

とバナーには書いてあります。

岸壁に降りて、艦尾を見ながら歩いて行きました。
写り込んでしまった手前の親子孫(東南アジア系)がシュール。

こうして下から眺めると、空母とは誠に巨大な構造物であると圧倒されます。

艦尾の旗竿はなぜか4本あって、現役時代はいろんな旗を揚げたのでしょうが、
今揚げていいのは星条旗だけ。

画面右のハンガーデッキ階ウィングに人影が見えますが、ここは立ち入り禁止。
この時は気づかなかったのですが、今年の訪問で二体の人形であることがわかりました。

・・・・え?もう一人、デッキのドア部分に人影が見えるって?

そ、そんなはずは・・・・・・・((((;゚Д゚)))))))

 

2017年編に続く。

 

 

 

 


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