バトルシップコーブの『クォンセット』というかまぼこ型ドームに掲示されている、
第二次世界大戦中の哨戒魚雷艇、PTボートについてもう少しご紹介していていきます。
高速で哨戒を行い、敵を見つけるや魚雷や重武装で戦闘を行ったPTボート。
小さい木造の船なのに自己完結していて、もうこれだけでおk?
みたいなワンマンネイビーぶりに加え、あのJFKが乗っていたこともあって
本国では結構コアなファンがいたりするのではないかという気がします。
しかしまた、それだけに犠牲も多かったようです。
ここにはPTボートに乗っていて戦死した「PTボーター」の名前が掲げられています。
建造された531隻のPTボートのうち、喪失したのは99隻。
その理由別に数字を挙げておきますと、
事故、フレンドリーファイア、海の状態 - 32
自沈 - 27
敵の襲撃 - 8
特攻機のヒット - 2
触雷 - 9
沿岸からの砲撃 - 6
機銃掃射による - 8
砲撃 - 7
フレンドリーファイア(味方からの攻撃)が気になりますね。
これによると3分の2が純粋な戦没ということになります。
戦没者名簿の横の絵に描かれているのは帆船、戦艦、潜水艦、そしてPTボートの霊?
「老いた水兵は最後の哨戒を終え、
雲の上を永遠に航行し続ける」
というセンチメンタルな言葉とともに。
全米と南方、そしてなぜか日本にもあったというPTボート基地のマーク。
真珠湾攻撃の行われた1941年12月、アメリカ海軍は29隻のPTボートを持っていましたが、
「ベニヤ板の驚異」「レジャーヨット部隊」と言われ馬鹿にされていました。
実際に海軍上層部はPTボートを補給艇程度にしか考えていなかったのですが、
フィリピン防衛の指揮官であったマッカーサーがフィリピンから脱出する際
同隊のPTボートを使用したことでその有用性を認められたという面もあります。
また日本軍がソロモン諸島・ニューギニア・レイテ島などの各方面で行った、
「蟻輸送」と呼ばれる大発動艇などの舟艇を利用した物資輸送にとって、
PTボートは天敵とも言える存在であり、「夜の悪魔」と呼んで恐れたということです。
日本軍も武装した大発動艇や装甲艇などで対抗を図りましたが、機動性、
パワフルすぎる武装を持つPTボートにはかないませんでした。
77'エルコ 78’ヒギンズ
などとあるのは、いずれもエルコ社製かヒギンズ製かという意味です。
'77などは型番で、エルコには他に70、80、ヒギンズは78だけです。
哨戒艇といいながらも重武装だったPTボート。
「モスキート・フリート」を任じていた彼らは、13隻もの日本船を沈めたことを
誇らしげにマークに描き込んでいます。
地中海、ソロモン、そしてニューギニア。
マークに挙動不審のうさぎさんを使用した部隊もあります(笑)
狼や鷲など、強い動物をシンボルにすることが多いPT部隊ですが、
第33部隊は「33」を使った魚雷運搬中の水兵さんがシンボル。
かつてPTボートに乗っていたベテランのジェームス・”ボート”・ニューベリー。
彼は戦後PTボートインクを設立。
同社はPTボート乗りの同窓会のような組織で、7,500人いるという
元PTボーターの足跡を残し、顕彰を行い、絆を堅くするための活動を行なっています。
時速70キロで海面を爆走するPTボートの勇姿。
航走中は、11人から17人のクルーは中にいなければなりません。
艇長らしい士官がコクピットから頭を出しているのがみえます。
さて、ここには2隻のPTボートの現物が展示されています。
その一つが前回お話ししたPT796「テールエンダー」。
もう一つがこのPT719「ドラゴン・レディ」です。
彼女はずっと耐水性のある建物の内部にあったため保存状態は大変よく、
その修復のクォリティは大変高いものとなっています。
フロリダにあった彼女を買い、ここに持ってきたのが、
先ほどご紹介したジェームス”ボート”ニューベリーさんでした。
彼は1984年から5年かけて100万ドルを投入して「レディ」を修復し、
ここに展示するという偉業を成し遂げたのです。
まあ、銅像の一つぐらい建ててもらっても当然かもしれません。
「ドラゴンレディ」の展示も、側面をくり抜き中を見せるために
船の周囲に足場を作るという方法であるため、甲板のものは見にくくなります。
甲板に搭載されていた魚雷は、このように地面に展示します。
Packard 4M-2500、スーパーチャージドV-12ガソリンマリンエンジン。
本来内部で見学するエンジンも、外して外で見られるようになっていますが、
このエンジンもピカピカで、現在稼働していると言われても信じてしまいそう。
船の外郭のカーブに沿って木のデッキを作り付け。
いかにこの展示にお金と気合が入っているかがこの写真からわかります。
デッキからみるPTボート甲板。
手前が艦首で、こちらを向いているのは20ミリ銃。
ここには40ミリがマウントされることもありました。
護衛艦のインマルサットアンテナのドームみたいなのはレーダーです。
ついでにクォンセットと呼ばれるこの建物の天井をみてください。
屋根をあえて互い違いに組むことによって自然光を取り入れるデザインです。
艦尾の後部に設置されている左右3つづつの長いものは何でしょうか。
ここからは、デッキから内部を見ていきます。
もう一つのヒギンズ型よりは内部に余裕があるように見えます。
こちらのベッドにはセーラー服が見えるように展示してあります。
兵員用ベッドは船体の両舷寄りに設けられていました。
ベッドから転落しないためのベッドガードが向こうにも見えます。
キッチンですね。
わが自衛隊の掃海隊「カルガモ艦隊」にはキッチンはありませんでしたが、
「蚊艦隊」にはちゃんと料理を作る一角が設けられていました。
こちらに向けて「スパム」が飾ってあります。
一度だけ怖いもの見たさで買ってみたことがありますが、
あくまでも代用食とか非常食のイメージでしたね。
士官用食堂もちゃんと兵用とは別にされていました。
何人かで囲むテーブルの上にはPT617のマニュアルが。
全兵員12人に対し、士官の数は艦長を入れて2人でした。
魚雷発射管には展示用に
Mk VII TORPEDO TUBE
と書かれています。
横長の窓はオリジナルで、窓越しにピンナップが見えます。
四角と丸のプラーク(銘板)には、この船が歴史的艦船であることを
協会から認定されたことが記されています。
エンジンルーム。
向こう側舷側に人影発見。
ヘルメットにカポック、戦闘態勢です。
何がどうなっているのか全くわかりませんが、階段が大幅に傾いています。
さりげなくカポックがかけてある甲板の戦闘ゾーン。
弾薬置き場の両端には伝声管。
木目がわかりやすいように詳細度を上げてみました。
PTボートの船体は、マホガニーの集成材でできています。
JFKが艇長をしていたPT−109は駆逐艦「天霧」と衝突し、
船体が真っ二つになってもかなりの間沈まず浮いていたと言いますが、
それもこの船体が木材であったからこそでした。
先ほど後ろから見たPTボート乗員を下から見上げることに。
ファッションマネキン出身らしく、かなりのイケメンです。
ところで冒頭写真ですが、南方(おそらくフィリピン)で活動していた
PTボートのいる風景をジオラマにしたものです。
藁葺きの日よけの右隣には、小型のクォンセットが見えます。
モスキート・フリートが今帰還してきた様子でしょうか。
前甲板で記念写真を撮る3人組、甲板に指揮椅子を出してくつろぐ士官、
陸上では両手を上げて無事の帰還を喜ぶ地乗員などが表現されています。
PTボートの前線での基地の様子がよくわかりますね。
先日ロバート・モンゴメリーの映画「コレヒドール戦記」を見ましたが、
まさにこういう感じでした。
モンゴメリーはこの戦争で実際にPTボートに乗っていたことから
この映画に抜擢された俳優です。
「ドラゴン・レディ」の船首部分下にあったのはPT103の模型でした。
喪失したPTを偲んで、その姿を残したいと望んだ元クルーの作品かもしれません。
続く。