「あきづき」での体験航海に参加させていただいたとき、佐世保を出てすぐ
「あきづき」の周りを2隻のミサイル艇が周回し、そのスピードを見せてくれました。
ミサイル艇というのはそれにしても速いものだと驚かされたわけですが、
その名前の由来はミサイルを装備しているからで、決して
ミサイルのように速いから(わたしはそう思っていました)ではないのです。
このミサイル艇は、第二次世界大戦中に各国で使用されていた
高速魚雷艇をベースとし、魚雷の代わりに艦対艦ミサイルを搭載しています。
開発国はソ連。
日本では「はやぶさ」型ミサイル艇が平成11年から導入され、6隻ずつが
佐世保、舞鶴、大湊各地方隊(つまり対外的な最前線?)に配備されています。
ミサイル艇の構想の元となった、魚雷艇(モーター・トルピード・ボート)というのは
名の通り魚雷を搭載しており、日本では水雷艇と魚雷艇は別物とされていました。
水雷というのは魚雷も含む爆雷、機雷などの総称なので、日本では分けていたようですが、
その境目が曖昧になっている国もあるようです。
さて、本日ご紹介するのはPTボート、すなわち哨戒魚雷艇です。
PTのPはパトロールのP、TはトルピードのT。
高速の魚雷艇をアメリカ海軍では哨戒艇として運用していました。
戦艦「マサチューセッツ」、駆逐艦「ジョセフ・P・ケネディJr.」、
潜水艦「ライオンフィッシュ」、コルベット艦「ヒデンゼー」と、
マサチューセッツはフォールリバーにある「バトルシップコーブ」の
展示艦についてとりあえず全部お話ししてきましたが、まだ
バトルシップコーブには小艦艇を展示している一角がありまして、
そこで見ることができるのが、このPTボートなのです。
格納庫の中に足台を作り、内部と下部を全周囲から見学することができる仕組み。
周囲にはいくつかのPTボートの戦歴がパネルになって飾ってあります。
「アコンティウス」AGP-12
「オレステス」AGP−10
「ジェームズタウン」AGP-3
「オイスター・ベイ」AGP-6
「ポーツヌス」AGP-4
などですが、どれも戦果をあげ、バトルスターを獲得した「エリート艇」ばかり。
例えばこの「オレステス」ですが、特攻の攻撃によりダメージを受けるも
生き残ったということが特に強調されています。
1944年の4月25日の特攻とは、下に並んだ戦闘参加区域でいうと、
フィリピンのレイテやミンドロでのことだったでしょうか。
ここに展示してあるPTボートはPT−796。
ほぼ完全な状態で残され、ここバトルシップコーブにおいても
室内で保存されているため、最上のコンディションを維持しています。
展示に当たって、あえて艇内に人を立ち入らせず、
外から中の様子がわかるように側面をくり抜くなどして、
後世に、できるだけかつてのままの姿で残すことを意図しているそうです。
「速い船があれば如何なる状況も切り抜けられる」
とは海軍の父であるジョン・ポール・ジョーンズの言葉ですが、
まさに最大戦速時速70キロの魚雷艇がそれでした。
高速魚雷艇はヨーロッパで生まれ、第一次世界大戦では
その真価を認められていましたが、アメリカの場合は海といっても広すぎ、
どこで使うの?ということで、最初は導入には熱心ではありませんでした。
アメリカ海軍が高速艇に目を向けるようになったきっかけは、日本です。
1931年、日本が満州に進出してから、アメリカはフィリピン諸島周辺を中心とする
太平洋での湾岸の防備の必要性を考慮しだし、1914年ごろから存在していた
魚雷艇をさらに高速にしたものをエルコ社とヒギンズ社に製作させました。
ここにあるPT-796はヒギンズ社製です。
船体は厚さ25mmのマホガニーの2枚の板でできていて、
その間には接着剤を含浸させた層を挟んでいました。
三つの層を組み立てるためには何千もの青銅のネジと銅リベットが必要でしたが、
この構造のおかげで、PTボートが最前線で損傷を受けるようなことがあっても、
乗員の手による容易な修復が可能とされました。
妙な画角ですが、PTボートの外壁を取り払った状態で中を覗き込んでいます。
水平帽が転がった兵員用のベッドは外壁に接していて、
楕円の窓から向こうが居室だと考えてください。
居室の向こう壁にも楕円の窓があり、向こう壁に接してベッドがあります。
デスクの横には甲板?に上がる梯子段がありますが、どうも木製のようです。
スピードのために軽量化を図った結果、素材を木にしたのでしょうか。
そういえば佐世保でみたアメリカ軍の哨戒艇にもこんな銃が供えてありましたっけ。
ブローニングM2重機関銃だと思われます。
魚雷艇というくらいで、やっぱり魚雷を乗せているのだった。
Mk.13 魚雷は基本的に航空魚雷として雷撃機が搭載していた対艦攻撃用で、
PTボートではこれを落射機とのセットで搭載していました。
魚雷がラックのように乗っかっているのが落射機で、海に向かって投擲します。
導入当時PTボートはMk.8、Mk.18を搭載していましたが、
1943年ごろ、Mk.13に替えられました。
PTボートが特に効果をあげたのが通商破壊作戦で、
日本側は高速で魚雷を放つPTボートの集団を
「モスキート・フリート」(蚊艦隊)
「悪魔の船」
と呼んで恐れた、とアメリカ側の記述にはあります。
(日本側の記述にはありませんが、まあこれもありがちってことで)
中に人を入れず、あくまでも外から覗き込む形の見学なので、
いまいちどうなっているのかわからないのも事実であります。
この、構造物のV越しに見えるものは何かしら。
潜水艦や戦艦などの扉に比べると水密性はほぼゼロという感じです。
そもそも、木製なので水密もへったくれもないという見方もできますが。
「LAZARETTE」。
レイザレットと読むのでしょうが、ボートの操縦席の後ろ部分にあり、
デッキの周りに使用するギアや機器にを収納するための保管ロッカーです。
これは通常、船尾の天候デッキ(屋外にある)の下にあり、スペアライン、セイル、
セイル修理、ラインとケーブル修理機器、フェンダー、ボースンチェア、
スペアのブロック、工具、およびその他の機器の収納を行います。
この名前は聖書に出てくるラザロ(LAZARO)話に由来しています。
ラザロというのは死んで4日目にイエス・キリストの力で復活した、
というエピソードから、「ラザロ・エフェクト」などのように
復活と蘇生に関連する用語によくその名前が用いられるのですが、
船についてはこういう少しぞっとしない起源があるのです。
かつて、帆船では、舳先の部分に長距離航海中に死亡した重要な乗客、
または幹部乗組員の遺体を保管する大きな収納場所が設けられていました。
(そうでない客や普通の船員は死んだら海に投棄されるのが通例でした)
舳先の部分にあったわけは、遺体の腐敗する匂いがデッキを横断せず、
吹き飛ばされることからだったそうですが、これって停泊中は((((;゚Д゚))))
要するに、遺体入れと称するよりは「ラザロの復活場所」みたいな方が、
言霊的にも差し障りがないということでこうなったのでしょう。
近代の船舶では、ラザレットは船舶用ステアリングギヤ装置の置き場所です。
操舵室の後ろ側というのは、悪天候でも浸水などの問題がない場所とされます。
いたるところにあるバッテン型の素材や、丸く孔を穿ってあるのは、
速度を確保するための艇の軽量化だと思われます。
PTボートは最速全長20m、排水量50t程度の木製の船体に
航空機用エンジンをデチューンして搭載し、最大で40ノット(約74km/h)以上、
海上自衛隊所有の「はやぶさ」型ミサイル艇(81km/h)と比べても
当時としては尋常でない高速を誇っていました。
ところで、ここの展示方法は、確かにPTボートがどんな船かはわかるのですが、
どうしても船殻ぞいから写真を撮ることになり、その結果
皆様には隔靴掻痒の画像ばかりになってしまいます。
そこでwikiから引っ張ってきた再現PTボートPT−658の勇姿をご覧ください。
現存する艇長78フィート(24 m)のヒギンズ社製で、復元され操作可能な
米海軍PTボートの2隻のうちの一つです。
1995年から2005年まで行われた船体修復後、ボランティアによって稼働維持されているとか。
この船尾側船上にある武器を後ろから見ると・・・・・・、
こんなです。
ここにあるのはボフォース40mm機関砲。
ボフォース社はスェーデンの兵器メーカーで、この40ミリ砲や
37mm対戦車砲など、世界的にヒットとなった武器を送り出しています。
当社は1800年代末期に鐵工所としてスタートしたのですが、
これを買収し、兵器製造業に方向転換させたのは、あのアルフレッド・ノーベルです。
超余談ですが、武器製作で身を立てたノーベルが、ノーベル平和賞を設立したのは、
彼が生涯二番目にプロポーズした女性が徹底した平和主義であったからだそうです。
その女性とは、自身がマルチリンガルだったノーベルが、
五カ国語で女性秘書を募集する広告を出し、それに五ヶ国語で応募してきた才媛でした。
内心秘書探しついでに結婚相手もゲットお!という下心満々だった彼は
上から目線で(見たわけではありませんがおそらく)
「君のような知的な女性こそ天才の私にふさわしい!」
と(多分)求婚したのですが、彼女には婚約者がいて相手にされませんでした。
嫁には仕損なったものの、よっぽど影響力のある女性だったと見えて、
その思想に影響を受けたのが「平和賞」の設立につながったようです。
まあ、これも金や政治のまつわる今日となってはなんの権威もなく、
存在自体に意味があるのかどうかという微妙な賞になってしまいましたが。
ついでに書いておくと、彼は最初の恋人にはこっぴどくふられており、
二番目のまともそうな女性にはそもそも恋人にもしてもらえませんでした。
そして三番目の恋人とは、彼女が20歳の時から18年も付き合っておきながら、
結局彼女が他の男の子供を妊娠したことで破局を迎えています。
今2ちゃんねるで、
(悲報)18年付き合った彼女が他の男の子を妊娠したんだがwww
というスレッドをもし彼が立てたら、
「20歳から18年も付き合って結婚もしないお前がカス」
「こんなクズ男から逃げられてよかったね彼女さん」
と「報告者がキチ」カテゴリでかつフルボッコ間違いなしのパターンです。
結局彼はそんなこんなで生涯独身を通す羽目になりました。
しかも踏んだり蹴ったりというのか、三番目の恋人はノーベルの死後、
ノーベル財団にこの経緯が記された手紙を売り、巨万の富を得るというオチ。
まーこれは他の男の子供を産むという方法でこっぴどい仕返しをしても
まだ相手に対する怒りが治らないという、世間によくある女の恨みが
欲得と合致したってことなんでしょうが、これによってアルフレッド・ノーベルは
恋愛弱者の烙印を押されたばかりでなく、
(悲報)本人がクズ
カテゴリに後世で分類されることになったわけです。
合掌(-人-)
PT-796の愛称は「テールエンダー」といいました。
戦争が終わった後、彼女は実験の目的でマイアミのキーウェストで使用されていましたが、
1950年に退役し、大事に保存されていました。
彼女は、若い頃PTボートの艇長だったジョン・F・ケネディが大統領になった時、
艇番号をJFKの乗っていた「109」に塗り直し、PT−109の数人の生存者を乗せて
水上での就任パレードに参加するという栄誉を得たということです。
現在彼女は、ここバトルシップコーブのクォンセット・ハット型(かまぼこ型)
の建物に、天候から遮断された保存に最適の環境で静かに余生を送っています。
続く。