今年のアメリカ滞在中には、国内移動を二回行いました。
まずボストンからサンフランシスコ、東海岸から西への移動です。
上空から見ると、街の様子が都市によって全く違います。
広大な土地を持つ土地を持つアメリカならではで、その点日本はどこに行っても
上から見ても下から見ても良くも悪くも同じ景色ばかりです。
まあ、日本全体がカリフォルニア州にすっぽり入るわけですから
それも当然かもしれませんが。
というわけでこれはボストンの西部、わたしがいつも滞在している地域ですが、
一軒家と緑が連なっていると上からこう見えます。
ちなみにこれは離陸直後にトイカメラモードで撮った写真です。
これはサンフランシスコからロスに向かう飛行機に乗った時。
窓から外を見ていたら、荷物の積み込みが窓の下で始まりました。
飛行機が小さいのでこんなシーンも間近に見ることができます。
「あ、うちの荷物積み込んでる!」
ちゃんと機械でプライオリティタグのチェックをしている模様。
カウンターで預けた自分の荷物が積み込まれているのを初めて見ました。
アメリカの荷物の扱いは荒っぽいものと思い込んでいましたが、
この時見ていた限りでは大変丁寧でした。
一つ一つ番号をスキャンしてチェックしていました。
ロスアンジェルス空港に降りるために高度を下げています。
さすがはロス、全体的に緑が少なく殺伐とした感じです。
そこでもう一度ボストン空港上空。
左側に空港ホテルのヒルトンが見えています。
やっぱりわたしはボストンが好きです。
サンフランシスコ空港で「タイプライター展」をやっていました。
移動のための広大なスペースを利用して、空港ではよくこのような
ニッチなジャンルのミニ・ミュージアムが企画されており、以前にも
ここで日本の民芸品展覧会を目撃しご紹介したことがあります。
これはアメリカのタイプライター会社が会社の資料を空港で展示していたようです。
「ザ・シカゴ」とあるのが1905年製、赤いのが1927年製。
一番左はもっとも古く、1875年の製品です。
世界で初めて特許をとったタイプライターは1800年初頭には世に出ていたそうです。
こちらは1890年の製品。
タイプライターは誰か一人が発明したというものではなく、原型から
様々な人が改良を重ねて形にして行ったものなのですが、とりあえず
「タイプライター」
という名称を最初につけたのはアメリカ人で、1873年に、ミシン会社だった
E・レミントン・アンド・サンズ社が作った機械、
という商品名にその名称が組み込まれました。
これらも全て1890年製。
この頃にはイタリアのオリベッティ社もタイプライター生産を行なっていました。
資料を置くのかタイピングする紙を置くのかわかりませんが、
その部分がとても装飾的に作られたタイプライター。
1989年に発売された、最初のダブルキーボード(上が大文字)だそうです。
わたしがこの展示に立ち止まり、写真を撮ったのはこれがあったからでした。
なんと、日本で発売された日本語タイプライターです。
とても古いように見えますが、戦後の1951年製。
マツダタイプライターという商品名だそうです。
販売元は
Tokyo Shibaura Kabusshiki kaisya (TOSHIBA)
とあります。
電気製品でもないのに、東芝が生産していたんですね。
日本語のタイプライターなので、漢字が含まれることになり、
ご覧のように膨大なキーが必要となるので、習熟も難しく、
プロのタイピストが使うくらいで一般には普及しませんでした。
和文タイプライターは1915年に日本では杉本京太によって発明されました。
邦文タイプライターのマニュアルは本一冊文だったようです。
タイプの活字は漢字を含み、ひらかな、カタカナで最低でも1000、
小型汎用機種でも大抵は2000を越える漢字を含む活字の中から、
適切な文字を探して一文字ずつ打ち込んで行くため、かなりの技能が必要で、
英文ライターのようにブラインドで打ち込んでいくことなどまず不可能でした。
このロール式のタイプが日本で使用されている様子。
世にワードプロセッサーというものが登場するまで、和文タイプライターは
日本の官公庁における書類の作成や印刷業界の版下制作を支えていました。
特に書類作成では、学校などの公共機関、企業が内外の関係者に配布する書類、
そして連絡文章の作成に威力を発揮し、1970年代まで手書きによる謄写版と並行して、
普通に活用されていたのです。
もちろん自衛隊でも使われていたそうですが、和文タイプライターの活字配列は、
検定に使用する場合も含め、一般的に五十音順なのに、どういうわけか
自衛隊ではいろは順の並びの機種を採用していたのだそうです。
当時の婦人自衛官には和文タイピストという職務があったということになりますが、
自衛隊が「いろは順タイプ」を採用していたため、入隊して隊内の検定で得た
タイピストの資格が、退職後全く役に立たないという弊害が生まれたそうです。
一般の和文タイプの検定試験は商工会議所など、いくつかの団体が行なっていました。
日本語でこうなんだから中国語はどうなる?って話ですが、
例えばこの「shuangge」製のタイプライターのキイは
2450個あるということです。
配列を覚えるだけで何年もかかりそう。
しかし毛沢東先生のために大躍進しながらタイプする中国人(適当)。
有名人が実際に使用していたタイプライターが展示されていました。
インペリアルのタイプライターはジョン・レノンの所有していたもので、
彼がというより、彼が住んでいた叔母のミミのうちにあったものです。
ポール・マッカートニーは
「ジョンのうちに行くと彼はタイプの前に座っていたけど、
リバプールにはタイプライターがあるうちなんてなかったし、
友達のうち誰もそもそもタイプライターが何かさえ知らなかったよ。
誰もそんなもの持ってなかったからね」
と言っています。
レイ・ブラッドベリとその愛用のタイプライター。
『R is for Rocket 』ウは宇宙船のウ、『The Octorer Country 』
十月はたそがれの国、また『Fahrenhei451』華氏451などの小説を
読んだことがなくとも、彼が何作かを手がけた「トワイライトゾーン」
を観たことがあるという人もいるかもしれません。
初期の作品、「華氏451」は、図書館にあるコイン式の
タイプライターで執筆されたということがわかっているそうです。
テネシー・ウィリアムス。
「焼けたトタン屋根の上の猫」「欲望という名の電車」「ガラスの動物園」
などを遺した偉大な劇作家です。
彼は執筆するときいつもタイプを打ちながらセリフを大声で朗読するのが常でした。
アーネスト・ヘミングウェイと「ローヤル」というメーカーのタイプライター。
オーソン・ウェルズのタイプライター。
ケースには名前と住居にしていたと思われるパリのホテル、
オテル・ドゥ・ラ・トレモワイユの名前が刻まれています。
手直ししまくった原稿らしきものの実物も見ることができました。
下半分ほとんどボツになってますね(´・ω・`)
うちにもオリベッティのタイプライターがあった記憶がありますが、
おもちゃにするだけでちゃんと使うことなくいつのまにかなくなっていました。
もちろん和文タイプライターなどというものがあったのも、そしてそれが
当時文書製作の主流となっていたことも初めて知ったわけですが、
一番気になったのは、
なぜ自衛隊だけが普及型ではないいろは順のタイプを導入したのか、
そこに何があったのか
ということです。
今更ですし、そもそも何があったとしてももうとっくに時効なんですがね。
ちなみに冒頭画像はいろは順のタイプライターの文字列です。
ちょっと見ただけでもう無理ゲーな漢字、いや感じ(笑)