航空自衛隊入間基地、今年の航空祭は晴天です。
実は朝(といっても3時半)起きたとき、外は雨でした。
「あ〜・・・」(失望)
わたしは一瞬少し前の航空観閲式のことを思い出し、いくのをやめようかな、
と思ったのですが、気を取り直してSiriさん(男性)にお伺いしてみると、
今日の入間は良いお天気でしょう、という返事だったので彼を信じることにしました。
以前も朝方雨だったときがありましたが、日が昇ると流石の「晴れ日」、
朝方到着したときには雨で濡れていたスタンド席の床も、すぐに乾き、
気温はぐんぐん上昇を始め、9時の航空祭開始の時刻にはすでに日差しは強烈に。
帽子を被ってこなかった人たちは慌てて「ブルーインパルス」と書かれた
キャップを買いに行っていたくらいです。
プログラムの最初、チヌークの散水デモンストレーションが終わり、
続いてはT−4のフライトです。
エプロンでは早くからT−4のチェックが行われています。
こちら側の観客席、オレンジのテープのこちらは招待席、向こうは一般のゾーンですが、
向こうはほぼ全員がたったまま。
確認したところ、女性の姿はほとんどありません。(カップルできている片割れだけ)
会場に何回もアナウンスされていたようにレジャーシートや椅子の持ち込みは禁止、
かといって地面に座るとなにも見えなくなるので、
自分の肩幅しか余裕のないようなところでずっと立っていなくてはなりません。
確か、ここで入間基地司令の挨拶などが行われたと記憶します。
そして、恒例入間基地ミス航空祭の出場者が一言ずつスピーチを行い、
その後オープンカーに乗ってパレードが行われました。
「ミス航空祭」は入間基地司令の挨拶によると
「入間基地にとって『とても』大切なイベント」
だということです。
まだ入間に行ったことがないTOにミス航空祭のことをいうと、
「なんか軽いな〜」
「空ですから」
とはいえ、この種の企画は世界的に見ても珍しいのではないかという気がします。
アメリカ空軍でこんなことをやったら、内外からバッシングされるでしょうし、
(主にフェミニズムの観点で)三自衛隊の中でこういうことが行われるとしたら
空自、しかも「祭」を謳った入間航空祭を於いてない、と思わざるを得ません。
関連企業の子女だったり、あるいは両親のどちらかが自衛官である
地元のお嬢さん(今年はご両親が自衛官というミスがいた)がミス航空祭となり、
綺麗な着物でパレードを行い文字通り航空祭に花を添えます。
また彼女らに贈られる賞品は空自協力企業などから提供されることになっています。
つまり自衛隊と地域、そして関係各社を結ぶ友好的かつ有効な広報活動であり、
これも立派なイメージアップのための作戦といえましょう。
しかも「ミスコン」ではないので、その中から誰かが選ばれ、他の皆は涙を飲む、
いうようなコンペティティブなものではなく、エントリーさえされれば
全員がミスという、平和的なお祭りにふさわしいイベントなのです。
ミス航空祭の歴史は古く、第二回航空祭の1963年から行われている伝統行事です。
初代ミス航空祭は戦中生まれで、現在はもう70歳台になっているはず。
「おばあちゃんがミス航空祭だった」
というミスが今後出てきたら話題になりそうですね。
さて、チヌークの散水の後に展示を行う練習機T-4がタキシングを始めました。
T-4は1985年から空自の中等練習機として使用されている機体です。
前後に操縦席があるタンデム型で、訓練生が前席、教官が後席に搭乗します。
ところでこの画像は従来のNikon1の望遠レンズで撮影した写真です。
この日デビューさせたD810の同じような写真と比べてみます。
こうして見るとNikon1、決して悪くないですよね。
ただし解像度が違うので、やはりデジイチの細部再現力には敵いません。
招待席から見て右手のエプロンにはT-4が展示されていました。
空を飛んでいるのと同じ機体を間近でご覧ください、という配慮です。
この時には9時に航空祭が始まって40分が経過していましたが、
招待席はまだ一部を除いてガラガラの状態です。
そういえばわたしも最初に入間に来た時には、電車の中から
T−4の飛行を見たというくらいのんびりしていたものです。
開始時間を1時間過ぎてから来るなんて、今にして思えば何を考えていたのか・・。
(ということを偉そうに言うような自分になってしまったことについては反省なし)
そしてテイクオフ。
どのポイントで離陸するかと言うのは厳密に決まっていないらしく、
この機体は離陸するのが遅めですが・・・、
この機体は土手の見える部分でもうこの高さです。
入間基地に配備されているT−4は中部航空方面隊司令部支援飛行隊所属ですが、
基地祭のとき(つまりこの時ですね)に限り、通常仕様機による曲技飛行隊
『シルバーインパルス』
が編成されます。
同じ機体である「ブルーインパルス」の向こうを張ってのネーミング、
練習機塗装がグレイより明るいシルバーであるから、という理由もありますが、
実は、搭乗員が全員「シルバー世代」だからなのです。
メンバーの平均年齢50歳。(52歳という噂も)
今時の50歳なんて地上ではまだまだシルバーと呼ばれる年齢ではありませんが、
定年の早い自衛隊ではすっかり老人扱いです。
ふと今思ったのですが、シルバーインパルスの隊員の中には
かつてブルーインパルスのメンバーだった人がいるんでしょうね。
2機で同時に離陸することを「タック・デパーチャー」というそうですが、
その様子を撮影した写真の中にこんな瞬間が写っていました。
706の機体の前席パイロットが、674に向かって手信号で合図を送り、
674の二人はそれを見ています。
拡大してみたら・・・うおおー一眼レフすげー!
知り合いならわかりそうなくらいはっきり写ってます。
ハンドサインで意思疎通やっちゃうんですね。
まるで無線のついていなかった頃の零戦みたい。
インテイク下部のライトは常時点灯?
ピタリと翼の角度を合わせての見事なデュオです。
専門的には何というのかわかりませんが、一列の編隊で飛んできて、
先頭から一機ずつ垂直下降していく展示。
ひらり、またひらりと機体を翻していくさまは、まるで飛燕のようです。
いくつかのフォーメーションのうち一つ、ダイヤモンド隊形。
各機のコクピットを拡大してみると、全員が先頭の718をみているのがわかります。
あくまでも目で見て、先頭機との距離を確かめ、調整しつつ飛んでいるようです。
彼らメンバーののほとんどが、30年間倦まず弛まず繰り返して来た熟練の技。
おそらく全員が目をつぶってでも飛ぶことができるくらい習熟しているでしょうが、
ウィングマークを取ったときとおそらく全く変わらず同じ緊張を保ちながら、
その錬成の結実として見事なフォーメーションをこうやって見せてくれます。
4機で行うフォーメーション、アローヘッド隊形。
全機で「矢印」になって飛んでいくフォーメーション。
参加機数はその年によって違うようですが、今年は7機です。
単機でテイクオフしたのは661番。
一機でのソロでアクロバット的飛行を行います。
翼を振って挨拶したりこうして飛行機裏?を見せてくれたり、周りの人たちは
その度に歓声を上げていましたが、パイロットが50歳前後の壮年だということを
ここであらためてアナウンスすれば、もっと驚きは深まったかもしれません。
T-4シルバーインパルスのフライトが終わり、帰還してきました。
何年か前は、赤と白に機体を塗装した
「レッド・ドルフィン」
が参加して、彼らとの共演を見せてくれたものですが、今年はなし。
レッド・ドルフィンはもともと芦屋基地第13飛行教育団の機体ですが、
一部が浜松に移管され、浜松では従来のグレイとレッドが共存しています。
この年にやって来たのは浜松からのレッド・ドルフィンでした。
「シルバーインパルス」というは基地祭の時にだけ結成されます。
おそらく毎年誰かやりたい人が手をあげるんではないかと思うのですが、
その辺はよくわかりません。
そして飛行を終えたTー4たちは元の駐機場所に戻り、
飛行後の点検を受けます。
プリフライトチェックでは機体の前後に整備員が立ち、
ハンドサインを駆使して各部に異常がないか入念に点検しますが、
終わってからはそれほど項目があるわけではなさそうです。
滑走路ではYSー11のタキシングが始まっているので、
観客は誰もそちらに注目しておりません。
なるほど、この頭を掻きながら歩いている人がシルバーインパルスか・・。
右の機体の翼のところにも「シルバー」(ブルーインパルスをブルーというので
こちらもシルバーと呼ばれて・・・ないかな( ̄▽ ̄))がいますが、
なるほど、拡大してみると確かにベテランの風格漂う搭乗員でらっしゃいます。
パイロットは機体の翼の下に牽引した爆弾から増槽(どちら?)を
台にして、なにやら紙に書き込んでいるようです。
航空祭だろうが普通の日だろうが、いつものルーティーンをいつも通りやる、
人が見ていても見ていなくても、彼らの日常には何の変化もありません。
ところで、この写真の右、滑走路の向こう側と思しきところに、
白いシャツにブルーのパンツの男性の姿が見えるんですが、
この人、どう見ても自衛官に見えません。
果たしてこんなところに一般人が入り込めるものなんだろうか。
と思って、他の写真をチェックすると、何とここは柵の外。
男性は基地外、じゃなくてそこが基地の外で、禁止されないのをいいことに、
柵より高い脚立の上に乗って写真かビデオを撮っているらしいのです。
それにしてもこの熱意、「自衛隊イベント過酷度コンテスト(略)」
入賞間違いなしと謳われかねないわたしも、これにはびっくりです。
続く。