模型展「世界の巡洋艦」のご紹介もついに最終日になりました。
英、独、露、ソ連、スペイン、そしてアルゼンチン海軍の
歴史的な巡洋艦をご紹介してきましたが、この国がまだ残っていました。
オランダ海軍 軽巡「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」
「 デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」 というのは「7つの州」を意味し、オランダの美称です。 日本のことを「秋津洲」とか「大八洲国」というようなものですね。「敷島」「秋津洲」「大和」「扶桑」
これらの美称を軍艦の名前にする慣習のある日本国民としては
このオランダのネーミングに親しみを持つところです。 オランダ海軍は、1600年代から近代に至るまでに、 戦列艦、海防戦艦、巡洋艦、フリゲート艦と、合計8隻の
「 デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」を持っています。 軽巡の「デ・ゼーヴェン」は「デ・ロイテル」級の2番艦で、
当時の植民地保護のために建造される予定でした。
ところが建造中に世界大戦が始まってオランダはドイツに侵攻されてしまい、
ドックごと接収されて、2隻ともドイツ海軍の練習艦にされることになってしまいます。 オランダにとって幸い、占領下で建造のスペースが遅かったのもあって、
連合軍による解放と同時にまた元のオランダに所有が移り、
じっくりペースで結局1953年に完成に至ったという経緯があります。 その後「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」はヘリコプター巡洋艦に改装され、
ペルー海軍に譲渡されて、1999年まで現役で活動していました。 同じくオランダ海軍の、左から 軽巡洋艦「デ・ロイテル」 軽巡洋艦「ジャワ」 軽巡洋艦「トロンプ」 「デ・ロイテル」は1939年に就役し、植民地保護のために東南アジアに投入されましたが、
まず1942年2月4日、アメリカの重巡洋艦「ヒューストン」軽巡洋艦「マーブルヘッド」
ここにある軽巡洋艦「トロンプ」駆逐艦7隻と共にスラバヤから日本艦隊攻撃に向かう途中、
マカッサル海峡で日本軍機の攻撃を受け、至近弾により小破(ジャワ沖海戦)。
1942年2月27・28日、軽巡洋艦「ジャワ」はアメリカの重巡洋艦「ヒューストン」
英国の重巡洋艦「エクセター」、オーストラリアの軽巡洋艦「パース」
駆逐艦9隻と共に日本軍と交戦(スラバヤ沖海戦)し、日本の重巡洋艦
「那智」「羽黒」の発射した酸素魚雷2本が命中し、撃沈されました。
「ジャワ」もスラバヤ沖海戦で「那智」の雷撃に撃沈され、翌日哨戒中の第五戦隊
「那智」「足柄」および駆逐艦「山風」「江風」は漂流するジャワの生存者を発見、
「江風」は37名の「ジャワ」乗組員を救助しています。
小破した「トロンプ」はその後も船団護衛などに従事し、何度か被弾もしましたが、
結局生き残って1968年に除籍処分となりました。
さて、いよいよアメリカ海軍の巡洋艦です。
アメリカ海軍のフリゲートといえば、何と言ってもこれ、「ナショナル・シップ」であり、現在でも現役艦であるフリゲート、
「コンスティチューション」(USS Constitution)を置いてありません。 「コンスティチューション」については、当ブログで実際に見学し、
歴史についてもかなり掘り下げてここでお話ししてきたので、
もし興味がある方は「軍艦」カテゴリで検索してみてください。 まさに帆に風をはらんで帆走している「コンスティチューション」の姿。
模型の帆船は布をプラスチックに貼り付けて帆を制作するそうですが、
ちょっと調べたところ、わざわざ紅茶で布を染めて「汚す」そうですね。 「コンスティチューション」に限らず、帆船をいくつかアメリカで見ましたが、
帆はむしろ真っ白なものだという印象があるので、この模型を始め、
まるで羊皮紙のような色をしているのはちょっと不思議でなりません。 この辺りの船も「巡洋艦」にしてしまうの?という気もしますが。 いわゆる「黒船」のコーナーです。 蒸気フリゲート「サスケハナ」「ミシシッピ」 帆走スループ「プリマス」「サラトガ」 は、1853年7月8日、東京湾行口の浦賀沖に姿を現した
4隻のアメリカ軍艦で、そのうち2隻は日本人が初めて見る蒸気船でした。 「たつた四杯で夜も眠れず」 と当時の狂歌に詠まれた「上喜撰(じょうきせん)」は
蒸気船と掛けた素晴らしく気の利いたシャレだったわけです。
そもそも幕府は、アメリカ軍艦が開国を求めて日本に来航するつもりである、
ということをオランダからの情報ですでに知っていました。 ただし、蒸気を動力とし、煙突から黒煙と火の粉を撒き散らし、
風の力を借りず自在に動くことのできる「黒船」はそれこそ
「夜も寝られない」ほどのカルチャーショックを与えたのです。
模型制作者によると、この展示を3m離れて見ると、
「浦賀沖約2キロに投錨した4隻の黒船を、海岸から
人々が眺めていたのと同じ光景を体験することができる」 ということです。
そしてアメリカの巡洋艦群。
手前、軽巡洋艦「マーブルヘッド」。 冒頭にお話ししたオランダ巡洋艦の「デ・ロイテル」と共に、
ジャワ沖海戦に参加した巡洋艦です。 マーブルヘッドというのは、ボストンから海岸沿いに上がっていった
突き出した半島を持つ街で、住んでいた時に遊びに行ったことがありますが、
一軒一軒がとんでもない豪邸ばかりで、しかもその数の多さに思わず
日本人としては落ち込むくらいのショックを受けたものです。 ローガン空港から飛び立ってすぐ、マーブルヘッドの沿岸に
ヨットが数え切れないほど係留されているのを写真に撮って、
ここでお見せしたこともありますが、歴史あるヨットクラブを擁し、
とにかくアメリカでも大金持ちが住んでいることで有名な街です。 ジャワ海戦で「マーブルヘッド」は一式陸攻の攻撃によって
艦首と艦橋、艦尾を損傷しましたが、応急処置でなんとか離脱しました。
その間「高雄」と「愛宕」が駆逐艦「ピルスバリー」を撃沈しましたが、
日本側は自分たちが撃沈したのは「マーブルヘッド」だと思っていたということです。
同じ4本煙突だったというのが間違えた理由だそうですが、
「マーブルヘッド」は「ピルスバリー」の1.5倍は艦体が大きいですし、
いくらなんでも駆逐艦と巡洋艦を間違えるだろうか、という気もします。
きっとわたしみたいな人が勘違いしたんだろうな。
画面左上は軽巡「サバンナ」(Savannah) 練習艦隊とは少し違う、士官候補生訓練艦隊の旗艦として、
アナポリスから候補生を400人乗せて出航し訓練を行っていました。 当時のアメリカ海軍の士官教育はこのように行なっていたんですね。 画面右、重巡洋艦「ルイヴィル」(Louisville) 「ノーザンプトン」級重巡の3番艦で、最初は軽巡でしたが、
ロンドン軍縮会議の結果重巡に艦首変更した船でした。 真珠湾に向かう途中で真珠湾攻撃を知り、そのまま西海岸に向かっています。
「キスカ」「アッツ」への砲撃に参加し、クェゼリンの戦いでは僚艦である
「インディアナポリス」にフレンドリーファイアーを受け損傷するも、
トラック、マリアナ、パラオ、テニアン、グアム、パラオ(ペリリュー)
そしてレイテ沖海戦、ルソン島の戦いと、激戦コース一択でした。 ルソンでも沖縄でも次から次へと日本軍の特攻機に突入され、
大きな損害を受けたという点でも、当時のアメリカ海軍の船として
フルコースの洗礼を受けたといってもいいでしょう。 彼女は第二次世界大戦の間だけで13個の従軍星章を受けています。 画面右上、重巡洋艦「ポートランド」 「ルイヴィル」と同じく激戦コース組で、レイテ沖海戦、スリガオ沖海戦に参加、
スリガオ沖では日本艦隊に丁字戦法を用いて打撃を与える側でした。 沖縄戦の支援も行い、24回特攻の攻撃を受けていますが損傷はなかったようです。 大型巡洋艦「アラスカ」。 模型も立派ですが、重巡でも軽巡でもなく「大型巡洋艦」とは?
巡洋戦艦と呼んでも差し支えなさそうな巡洋艦です。 アメリカがこの大きな巡洋艦を作った背景には、まずドイツが
「砲力重巡以上、速力は戦艦以上」(逆じゃないのこれ)と宣伝していた
「ドイッチュラント級装甲艦」の存在と、同じ頃、アメリカ情報部が
どこで仕入れてきたのか、日本海軍が
基準排水量15000t、12インチ砲6門搭載を搭載した「秩父型大型巡洋艦」
もしくは「カデクル型大型巡洋艦」
なる艦を秘かに建造しているという誤情報を掴んだことにありました。 そこでアメリカ海軍はこれらの艦に対抗するため、 ドイツの装甲艦や日本の大型巡洋艦を火力・防御・速度で上回り、
通商保護が行える長大な航続力を持った艦を検討し始めたのです。 これがアラスカ級大型巡洋艦でした。(以下略) しかし「かでくる」って・・・。
日本人ならこの時点ででもう大嘘だってわかるんですが(笑) 重巡洋艦「ミネアポリス」 真珠湾攻撃の時、たまたま砲撃訓練に出ていたという「ミネアポリス」。 日本側が「鼠輸送」と呼ぶ「トーキョーエクスプレス」を阻止するため、
ガダルカナルに進出してすぐ、ルンガ沖海戦を経験します。 ルンガ沖では「ミネアポリス」は「高波」を攻撃し、爆発炎上させますが、
その間に向かってきた二水戦の酸素魚雷が命中、艦橋から先がもぎ取られました。 あかん、これは酷すぎる。 「ミネアポリス」が凄かったのはここからで、応急措置で沈没を防ぎ、
さらにこの船を操艦してツラギ島に後退したということでしょう。 ただこの時のアメリカの巡洋艦隊はこの他にも「ノーザンプトン」沈没、
「ニューオーリンズ」大破という大敗を、駆逐艦隊相手に喫しました。
重巡洋艦「タスカルーサ」(Tuscaloosa) アラバマ州にはこういう街があるそうです。(駄洒落禁止)
「ニューオーリンズ」級の4番艦で、主にヨーロッパ戦線で戦いました。 あまりにもたくさんありすぎて、全部ご紹介できないアメリカの巡洋艦ですが、
これだけはしっかり上げておきます。 重巡洋艦「ニューポートニューズ」(左) 重巡洋艦「セーラム」(中央) その理由は、このブログの読者の皆様ならご存知かと思いますが、わたしが
フォールリバーに展示されている「セーラム」を実際に見学し、
ここで詳しくお話ししたからです。 もしご興味がありましたら、「軍艦」カテゴリで検索してみてください。 右は重巡洋艦「キャンベラ」 「ボルチモア」級の3番艦です。
アメリカの船なのにどうしてこの名前?と思った方、あなたは鋭い。
当初3番艦は「ピッツバーグ」になる予定だったのですが、
1942年8月8日、9日の第一次ソロモン海戦で日本軍の攻撃により喪われた
オーストラリアの重巡洋艦「キャンベラ 」(HMAS Canberra, D33)
に因んでこのような命名を受けました。 「キャンベラ」も「セーラム」と同じフォールリバーで建造されています。 「セーラム」と「フォールリバー」部分。 「セーラム」はここで紹介されていた「ラ・プラタ沖海戦」を描いた
「戦艦シュペーの最後」で、「アドミラル・グラーフ・シュペー」を演じました。 一切改装なしで、しかも艦番号すら「セーラム」のままドイツ軍艦を演じるのは
かなり無理があったと思うのですが、それについては劇中、 「アメリカ軍の艦に偽装するため塗装を変更した」
と登場人物に説明させているそうです。
そんなわけあるかーい(笑) 右重巡洋艦「メイコン」 左重巡洋艦「フォールリバー」 「フォールリバー」はその名のフォールリバーにあるバトルシップコーブで
艦首の先だけ実際に見たことがあります。
これについても説明しておりますのでご興味があれば(以下略) というわけで、やっとの事で「世界の巡洋艦」をテーマにした模型展、
ご紹介し終わりました。
テーマに沿ってこの模型製作会の皆さんが精魂込めて作った作品を
一堂に見る機会を得て思うことは、
「模型から見えてくるものはあまりにも多い」
ということです。
サイズを小さくして視覚化することで「神の視線」を得ることすら
場合によっては可能なのですから、特にわたしのように一つの船を
そのもののみならず、その歴史的意味や時にはまつわる物語まで、
多角的に知りたいと思う者にとっては、模型展の行われている小さな部屋は
まるで宇宙のごとき無限の広がりを持っているとも言えるのです。
「制作には全く興味はない模型ファン」として、これからも
機会があればまた模型展に訪れてみたいと思っております。
終わり