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「出雲」追悼式と「名取」殉難碑参拝〜大正13年 帝国海軍練習艦隊遠洋航海

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さて、大正13年度帝国海軍練習艦隊の遠洋航海はついに横須賀に寄港、
無事に帰国してきたわけですが、最終回として航海中に二回行われた
慰霊式典についてお話ししておきます。

寄港地に我が同胞が命を落とした場所、あるいは現地の殉国者の墓などがあれば、
慰霊に赴き花を手向けるのも昔からの遠洋艦隊の大事な行事です。

例えば平成29年度の海上自衛隊練習艦隊においては、

パールハーバー:アリゾナメモリアル

サンディエゴ:海軍墓地

チアパス:日本人移民墓地

ニューポート:ペリー提督慰霊

バンクーバー:日系人慰霊碑

アンカレッジ:アッツ島日本人戦没者

ウラジオストク:太平洋艦隊の戦闘名誉慰霊碑 
      日本人死亡者慰霊碑

ピョンテク:ソウル顕忠院

と、ほとんどの寄港地で慰霊を行ってきました。
調べたところによると、海上自衛隊の遠洋航海は、バンクーバーでは
エスカイモルトに立ち寄ることもあるということですが、
もし次回同じ機会があれば、練習艦隊途上客死した海軍士官候補生
草野春馬の墓参を行なってあげてはいただけないだろうか、と提案しておきます。


大正13年度遠洋練習艦隊も、いくつかの慰霊を行なったわけですが、
そのうち一つが、「出雲」殉難者のために行われたという慰霊です。

■ 出雲殉難者追悼会

異郷の海のバンクーバーの水底深く不慮の最後を遂げた
可惜十一勇士追悼会はホノルル在泊中出雲艦上でしめやかに行われた

説明にはこうあり、アルバムの一ページ全て使って写真が掲載されています。

「出雲」の殉難者ということで、「出雲」艦長が参拝している写真です。

ところが「出雲十一人の殉難」というのが全く検索にかかりません。

 

そこで第一次世界大戦時にそんなことがあったのかどうか調べてみました。
あまり知られていませんが、帝国海軍は日英同盟を盾に?
イギリスから出征を要請されて、臨時的に

「特務艦隊」

を結成し、船団護衛部隊を出しています。

「出雲」はその第二船団の旗艦としてメキシコ、その後地中海のマルタに派出され、
ドイツ海軍の潜水艦と戦ったという経歴を持ちます。
ちなみに同戦隊中の駆逐艦「榊」からは多数の戦死者を出しており、マルタには
戦没者の慰霊碑が建てられているのです。

そして「出雲」は第一次世界大戦が勃発してすぐ、遣米支援隊の旗艦として
この練習艦隊にも同行している装甲巡洋艦「浅間」、戦艦「肥前」とともに
アメリカ西海岸を防衛する任務に当たったことがわかりました。

もしバンクーバー付近で「出雲」が殉職者を出すとしたら、この時か?

と思ったのですが、もしその時殉職者があれば、それは戦死扱いとなり、
少なくとも歴史に残っていなければ変です。

またしても謎にぶち当たり、首をひねりながら写真を見ていてあることに気がつきました。

写真を見ると、わざわざ神官による祈りが捧げられ、
立派な祭壇に十一命の名前が祀られているのがわかります。

で、その後ろにあるの、これ、骨箱じゃないですか?11柱の。

しかも、そのあと仏教会の人々による読経も挙げられ、
殉職者の宗教に配慮している様子まであります。

「各団体よりの香り花の数々」もあまりに豪華なものですし、
特務艦隊の護衛の時の殉職者慰霊にしては盛大すぎやしないでしょうか。

つまり、考えられるのは、当練習艦隊がバンクーバー付近を航行時、
何らかの事故が起こり、11人が「水底に沈んで死亡」したため、
ご遺体をホノルルまで運び、現地の方の協力を仰いで荼毘に付し、
艦上で追悼式を行なったという可能性です。

それらしい「出雲」の事故の記事はどこを探しても出てこないので、おそらくは
あまり対外的には問題にならない範疇の事故だったのではと想像されます。

 

 練習艦隊はサイパンにほんの少しだけ寄港していますが、
その時にも慰霊を行なっています。

サイパン寄港のメインの目的はこれだったのではないでしょうか。
「名取」殉難者の碑参拝。

軽巡洋艦「名取」は大正11年三菱長崎造船所で竣工された
「長良」型の2番艦です。

この練習艦隊の3年前の大正11年3月、演習中にボイラーが爆発し、
一戸機関中尉以下11名の殉職者を出したということが伝えられますが、
この「演習」は南方、つまりサイパン付近であったということでしょう。

名取殉難者の記念碑に詣で、そぞろ2年前の勇士の
壮烈な最後が偲ばれて思わず暗涙にむせんだ。

 

その後「名取」は昭和19年8月18日、敵潜水艦「ハードヘッド」の雷撃を受け、
レイテ島東方海面において沈没しています。

この時に総員退艦で海に逃れた乗員のうち、当時27歳だった航海長は、
先任将校として、カッター三隻に分乗した生存者195名の命を預かることになり、
水も食料もない中、船を漕いでフィリピンに向かうことを決断しました。

この計画を無茶だと思う生存者が救助艦を待つようにと提言しましたが、
若い先任将校は頑として所信を変えることはしませんでした。

そのため、航海中はこの計画を懸念する乗員によって航海長暗殺も計画されます。
しかし、結局13日目、短艇隊はついにスリガオにたどり着き全員が助かりました。

航海長が決断を素早く行い時間のロスがなかったこと、その後の不安な局面でも
部下から進言されても計画を翻さなかったこと、そして何より断行と決定するや
全員が命をかけて漕ぎつづけたからこその生還であったといわれています。


ところで、このアルバムの主、つまりこの遠洋航海に参加した海軍軍人とは
誰だったのでしょうか。

最後の個人写真用のページに貼り付けられた二枚の写真がありました。
これがアルバムの持ち主であったことは間違いないと思われます。

この通常礼装と帽子から士官であることはわかります。
なんとなく感じとして特務少尉みたいな雰囲気もないではありませんが、
勲章が多いのでそれは多分違うでしょう。

参加した人が別個にもらう個人写真も最後の方に貼ってありました。
この中にこの人がいるはずなんですが、そもそもこれはどういう写真でしょうか。
軍楽隊の人たちがメインにおり、士官が両はしにいるように見えます。

もしこれが「練習艦隊司令部付附き」だとしたら士官と
の軍楽隊、主計兵曹、兵たちが全員写る可能性はあります。

それにしてもこの人はどこにいるのか、全くわかりません。
そもそもこの人らしきヒゲの人があまりにも多すぎて・・・(笑)

野球部に関わっていたらしいこともこの写真からわかりました。

そこでもう一回出してくる幕僚の写真。
この後列中央の人、その左の人もこの人に見えなくもありません。
だとしたら司令部八雲乗り組みの山際忠三郎中尉である可能性があります。

実は名簿の山際忠三郎の名前の横に赤線が引いてあったので、
もしや?と思ったのですが、本人がわざわざ引くとも限らないし・・。

野球の写真を検索していて、この人じゃないかな、と思った人(右側ひげ)の
隣の人の膝に艦隊キャットがいたのでサービスとして拡大しておきます。

やっぱりねずみ対策で軍曹猫を乗せてたんでしょうか。

 

最後に。

この練習艦隊参加の有名人の中には、「出雲」の分隊長兼衛兵司令、
有馬正文大尉、そして軍楽隊長の内藤清五軍楽特務少尉がいました。

有馬大尉は第1分隊長を務め、その分隊には源田実候補生がいましたが、
源田はのちに有馬のことを

「誠心誠意であると共に、非常な気魄に充ちた人であった」

「海軍で私が範とした一人」

と回想しています。
遠洋航海終了時、分隊長として候補生たちに向けたはなむけの言葉は

「他人のために酒を呑むな」

だったということで、源田はこの言葉に強烈な印象を受けたそうです。

有馬正文は少将になってから自発的に特攻を選んだ軍人です。

「日本海軍航空隊の攻撃精神がいかに強烈であっても、
もはや通常の手段で勝利を収めるのは不可能である。
特攻を採用するのはパイロットたちの士気が高い今である」

として1944年10月15日に、参謀や副官が止めるのも聞かず
司令自ら一式陸攻に搭乗し特攻に出撃してしまいました。

出撃時に軍服から少将の襟章を取り外し、双眼鏡に刻印されていた
「司令官」という文字を削り取っての出撃でした。

そして前にも一度あげたこの写真ですが、右側の指揮者が内藤少尉(当時)です。

「軍艦」作曲者の瀬戸口藤吉に指揮を習い、日本で最も有名な
軍楽隊長として、内藤は最終的には少佐まで昇進しました。
戦後は東京都消防庁音楽隊長を務めていたそうですが、
最後まで武人のような厳しさでタクトを振っていたという話があります。



さて、アルバムを一冊具(つぶさ)に読み込み、現代の練習艦隊と比べて
変わっていないところ、その精神をいまだに受け継いでいる部分をあまりにもたくさん発見し、
ネイビースピリッツを養成する鍛錬の形というのは、時代が変わっても
そうやすやすとうつろうものではないということを改めて知ったような気がします。

 

また今年も、江田島を巣立っていく若き士官たちが、船と航路は違えども
太平洋に漕ぎ出し、この頃と全く変わらぬ厳しさと、そして希望を持って
遠洋練習航海に参加していきます。

彼らの若々しい顔にこの時代の若者の面影を重ね合わせるとき、海の武人に
求められるものは永遠に普遍かつ不変であることをまた思わずにいられません。

 

大正13年遠洋航海シリーズ  終わり。


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