この映画が潜水艦映画の名作であるという評価は決して大げさではありません。
要らない要素を一切廃して、ただ復讐に燃える男とそれに共鳴する男が
潜水艦という極限の兵器での限界に挑むその姿を、リアリティに裏打ちされた
戦闘描写で骨太に描いている「本気の戦争映画」だとわたしも思います。
そして、さらにその映画に深みを与えているのが、宿敵である「アキカゼ」や
「ナーカ」と戦う日本の潜水艦の緊張までを丁寧に描写していることです。
というわけで、最終日の冒頭イラストには、この潜水艦の艦長を描きました。
日本人役の俳優は誰もクレジットされていないのですが、調べまくったところ、
この俳優が
TERU SHIMADA(島田テル)
という名前であることを突き止めました。
「007は二度死ぬ」にも出演していた人ですね。
セリフを聞く限り、この人は日本語が母語であったらしいことがわかります。
「アキカゼ」の艦長役も日本語で育った人だと思いますが、こちらは
とうとう名前すらわかりませんでした。
てか、ちらっとしか出てこないアメリカ人は全員クレジットされていて、
日本人の名前が全くないってどういうことよ(怒)
その時、潜航中の「ナーカ」にまた再びあの音が聞こえてきました。
沈没を装って「アキカゼ」から逃れた直後に聞こえてきた、通信音です。
それを聞くなり、瀕死のはずのリチャードソンはベッドから起き上がり、
急速潜行を命じるのですが、その時・・・・、
近くで「ナーカ」を狙っていた帝国海軍の潜水艦がありました。
艦長「××××」
通信員「フタフタマル」
艦長「射程」
通信員「距離イチゴーマルマル」
この映画の評価できる点は、敵の潜水艦や駆逐艦を描くのにも、
余計な印象操作をせず、むしろリスペクトを感じさせる描き方を
して見せてくれるところだと思います。
この潜水艦内のカットなんか、日本の潜水艦映画もお手本にして欲しいくらい。
そう、この人口密集度ですよ。
日本の潜水艦映画って、時々だだっ広いところにポツンと
潜望鏡があるみたいなセットだったりするのよね。
この点、わたしが評価するのは「人間魚雷出撃す」だったりします。
ただしこの艦長、「撃てーい」と実に普通というかお気楽モードで号令し、
係は復唱もせず、これまた至極あっさりと魚雷レバーを引きます。
おそらくこれが正しいかと言われると多分違うと思うのですがどうでしょうか。
で、この艦長がかっこいいんです。
最後にちょっと出てくるだけなのに、思わず冒頭画像に描いちゃったよ。
謎のピーピー音を聴いたリチャードソンは寝床から起き上がり、日本の潜水艦がいることを告げます。
艦の指揮を取られて寝てるだけではわしのプライドが許さん!というか、
ベテランの知恵袋ってやつを披露したかったのだと思われます。
ということはこのピー音、伊潜のピンガーかなんか?(適当)
いきなり伊潜が平常心のまま放った魚雷は、危ういところで「ナーカ」の艦体を逸れ、
両者は互いに無音潜航しながら異常接近し、ギリギリをこのようにすれ違います。
これ、大きい方が「ナーカ」でしょうか。
「聞こえました」
「うん、機関停止」
しかし、よく見ると通信員の帽子も艦長の階級章も全く違う。
特に帽子に錨のマークには肝心の桜がありません。
この頃はインターネットもないし、正確な資料に基づいて
軍服をちゃんと検証して作るということが難しかったのだと思われます。
そしてまたもや潜水艦映画おなじみの行き詰まる心理戦が始まりました。
両者ともに機関停止して、無音での「にらめっこ」です。
ちなみに冒頭画像はその時の一シーンなのですが、艦内の深度計が
「ナーカ」の深度計と同じ118を指しています。
しかし、当時は(今もそうですが)日本の計器はメートル法表記だったはずなので、
日米が同じところを指しているというのはおかしいと思います。
「ナーカ」で使っているアメリカ製の深度計に、
「塩水」「深さ」と日本語で書きたしただけに見えますが、どうでしょうか。
しかしいくら潜水艦でも、機関停止したまま深度を維持するのは無理です(よね)。
いずれは必ず動かさないといけませんが、このように睨み合いになってしまったら
先に動いた方が負けなのでは・・・・・
ナーカでもこんなセリフが密かに囁かれます。
「彼らが先に動いてくれることを期待しましょう」
かたや伊潜では・・・
「早くエンジンをかけなれば潜航てわかてきます」
ちょっと意味わかんないんですけど、それに答えて艦長が
「敵潜航艇の方が早くエンジンを発動するのを祈る方がなんとか」
あのね、どうでもいいけどこれだけ聞き取るのに何回聞き直したと思う?
島田テルさんだけは比較的日本語を日本語として聞こえるような発音をしてるんですが、
それでもヒソヒソ声になると何言ってるか全くわかんないのよ。
はい、ここで緊張に耐える両潜水艦の様子を並べてどうぞ。
うっかり咳をした人を皆ものすごい勢いで睨んだりしてもう最高です。
この間、しょうもないBGMは全くなく、本当に無音なのも
映画の手法として高く評価できます。
と こ ろ が (笑)
ここでいきなりリチャードソンが、
「相手潜水艦の最後の方位がわかっているなら、浮上させて海面で戦う」
そしてまだ海上にいるはずのさっきの日本の船団をそこで2隻ほど沈めろ、
と言い出します。
いきなりエンジン始動した「ナーカ」の気配に気づいた伊潜の艦内では、
艦長「フゴー!」
乗員「フゴー!」
だからフゴーってなんだよフゴーって。
それをいうなら浮上だよ。(怒る気力なし)
ここでついに島田テルさんですら日本語でおkな人だったとバレてしまったのでした。
ほかのアメリカ映画と同様、日本人から見るとこの映画、この点が画竜点睛を欠き、
作品そのものに対する評価がだいぶ低くなってしまうんですよね。
大変残念なことですが。
それはよろしい。よくないけど。
「ナーカ」はあっさりと浮上し、都合よく現場海域に浮かんでいた輸送船に魚雷発射!
なぜか先般護衛艦がやられたのに1ミリも動かずそこにじっとしていた輸送船団は、
あっさりと魚雷の餌食になってしまいました。
そこに「ナーカ」を追いかけて浮上してきた件の潜水艦。
「あそこにいるぞ!」
この時英語では
「There he is.」
と潜水艦を男性の代名詞で呼んでいます。
船は女性扱いというのが常識ですが、潜水艦ってもしかして男性形だったの?
その『彼』の艦橋では・・・
「あそこにおる! 全速力!」
「ゼンソクロク!」
・・・だから『あそこにおる』はないでしょうってば。
もう少しそれらしい何時何分に潜水艦発見、とかなんとか、
かっこいい台詞をお願いしますよ・・・ほんとにもう。
潜水艦は「ナーカ」を追いかけてフゴーじゃなくて浮上してきて、
海面の船団を守るのかと思ったら、前半で艦長が「船底の浅いデコイ船」と言っていた
船の後ろに隠れようとします。(あのセリフは伏線だったのか)
日本の潜水艦ともあろうものが自国の船を盾にして隠れたりするかね、
という微かな不快感が日本人の感覚としては沸き起こるのを正直否めません。
普通に撃てば船の下を魚雷が通過して、後ろに隠れている潜水艦に当たるよね?
ってことで、ブレッドソーは誰が命令してもヒット確実の魚雷発射の命令を
ふらふらのリチャードソンにやらせ、最後に華を持たせてあげることにしました。
いいやつだなあ。
「5番魚雷発射!」(Fire five.)
「6番魚雷発射!」( Fire Six.)
船の下を通過して向かってくる魚雷を発見した艦橋では
艦長「取舵一杯、緊急最大速力!」
乗員「取舵一杯、緊急最大ソロク!」(りょ、って外人には難しいのね)
しかし時すでにお寿司。
潜水艦は魚雷を回避することはできず、「アキカゼ」轟沈です。
そして、リチャードソンが最後の命令を下します。
「クリア・ザ・デッキ・・・・・・」(潜航)
これが艦長としてだけでなく彼の人生最後の言葉にもなりました。
魚雷発射室で転んで頭を打ったのが原因で、お亡くなりになったのです。
危険海域を脱し、真珠湾に帰投する「ナーカ」の甲板で
P .J. リチャードソン艦長の海軍葬が行われることになりました。
「亡き戦友の魂を万能の神に その肉体を海に委ねます。
願わくば永遠の命に生まれ変わらんことを。
海がその死者を次の世に送り出されんことを」
∠( ̄^ ̄) ∠( ̄^ ̄) ∠( ̄^ ̄)
リチャードソン艦長のこの映画における描かれ方については、
最後の最後まで正直海軍軍人としてどーよ、と言わざるを得ません。
潜水艦艦長として指揮を執りながら壮絶に死ぬというラストシーンは、
それまでの失態を文字通り水に流すためなのかとすら思えます。
ただし、この映画が彼を英雄的軍人としてではなく、怨讐に突き動かされる
弱い一人の人間として描くことを最初から意図していたのなら、
これは単なる戦争映画ではなく、複雑な陰影を持つ人間ドラマでもある、
ということになり、また評価も変わってくるのかもしれません。
それならば、そういう人間を演じることもまた俳優としての本懐であるはずですが、
クラーク・ゲーブルという人はおそらく戦争映画というカテゴライズにおける、
「良い軍人、ダメな軍人」の二択で言う所の後者としかリチャードソンを捉えられず、
スタアとしての彼の美意識がどうしてもその軍人像を受け入れなかったのでしょう。
説得されて結局現場に戻った彼が、どこまで自分の美学と折り合いをつけたのか。
ゲーブルが59歳という若さで亡くなったのは本作品出演の僅か3年後のことでした。
終わり