さて、サンフランシスコ海事博物館のメイン展示といってもいい、
「バルクルーサ」についてお話することにします。
バルクルーサは1860年台にイギリスで建造された貨物船です。
イギリスの旗を揚げて航行している期間、サンフランシスコには
5回、石炭と貨物をヨーロッパから運んでやってきて、帰りには
カリフォルニア産の麦を積んで戻っていったという経歴があります。
1903年から1930年までの間は、鮭缶を作る工場のために
サンフランシスコとアラスカを往復し続けました。
「バルクルーサ」は3本マスト、船殻は鋼鉄、スクエア・リグの船です。
彼女の複雑な装備と25枚の帆を海上で船を扱うには約26人の乗組員が必要でした。
さて、それでは岸壁から非常に緩やかな傾斜になるように斜めに渡された
舷梯を登って、まずは甲板と上部構造物を見ていくとしましょう。
「バルクルーサ」に乗船するための舷梯は、このように
甲板までは楽に上り下りできるようなスロープです。
帆船の気の遠くなるような数のリグを結ぶためには、
このビレイピンという独特のペグを使用します。
さすがはサンフランシスコ海事博物館の展示だけあって、今まで見てきた
展示船、展示艦の中でも説明などが大変凝っているという気がします。
手書き風のレタリングも麗しいこういった説明のボードがいたるところにあります。
で、この「ザ・カーペンターズ・シップ」というタイトルの説明ボードには。
「通常船大工は北部出身者であった」
と赤字で書いてあります。
スコットランド、フィンランド、スェーデン、ノルウェー、
ノバスコーシア(カナダ)の出身者は得てして優れた造船職人であり、
船で必要な様々な仕事において大変重用されたということです。
未完成の状態の帆柱に登って船を仕上げるような危険な仕事は
木材の伐採に関わってきた職人の得意とするところだったんですね。
ボストンで見学した「ティーパーティー」参加船のレプリカでもそうでしたが、
船の修繕を行うカーペンターズショップは甲板にありました。
甲板の上の構造物はこういう「平屋」となっていて、ここにいくつかの施設があります。
例えばその一つ、キッチン。
この写真だけ見ると、一般家庭の台所みたいです。
天井には明り採りが設けられ、明るくて何よりも風通しのいい環境。
床のタイルもオシャレですが、これは多分改装されたものでしょう。
もっとも、この船がアラスカにいるときには風通しの良さが辛いことに。
「船のコック」についての説明ボードの展示も、なんともいい感じ。
時化の船上でてんやわんやのキッチンの一コマが描かれています。
昔の船のコックはそれは大変だった。
私はその中の一人、老いたネズミのようにタフな一人を忘れられない。
彼は航海中、決して靴を履かず、ギャレーとキャビンの間を裸足で往復していた。
どんな極寒の気候であっても。
海が時化たとき、靴を履いていると転倒してしまうからというのだ。
彼は自分の鍋やフライパンなどに名前をつけて呼んでいた。
大抵は12使徒から取ったもので、ヤコブとかヨハネとか。
そして時化の時にお皿が飛んだりすると、彼らの名を罵っていた。
おそらく使徒たちもこれにはびっくりだっただろう。
1894年に書かれたある船長の回想です。
何に”ユダ”という名前をつけていたのか気になるところですね(笑)
昔の船は家畜、鶏や豚を積んで航海を行いました。
卵は船長や上級船員たちの口には入らない貴重な食材です。
生きたまま”食材”を連れて行くことを「ライブストック」と言いました。
ところで、1920年ごろの「バルクルーサ」にはこんな記録が残っています。
ここに入れていた豚さんが逃げ出して、乗員総出で「メリーチェイス」
(愉快な捕物)を行なったというのです。
船内報が早速出されました。
「バルクルーサのブタ”ソウクルーサ” Sowcluthaが今日檻から逃げました。
誰か彼女を見ませんでしたか?」
"sow" にはメスの豚という意味があります。
さしずめ日本なら「ブタクルーサ」「トンクルーサ」「ピッグルーサ」ってとこでしょうか。
このころのボートはこんな状態で搭載していたようです。
雨水や海水が溜まらないので方法としては頷けますが、
一体どうやって積み下ろしを行なったのか・・・・。
船内に通じる伝声管。
向こうからの声は聴こえてきたのでしょうか。
しかしこの形状、海水入ってこなかったのかな。
アラスカではこんな状態になることもよくあったようですから。
アラスカでのサケ漁に帆船が使われていた、という話を
サンディエゴの「パール・オブ・インディア」の見学で知ったとき、
なんて無謀なことをするのだと内心驚嘆したものですが、
実際にも「帆を使っての海とのバトル」は凄絶なものだったと書かれています。
激しい風雨に見舞われたとき、全ての見張り員はメイン、あるいは
前檣の帆を畳む、あるいは収納するために上に配置されました。
現場に貼られた、ぐらぐら揺れる足ロープの上に立ち、不規則に揺れる
半エーカーのカンバスを引っ掻いて指からは血が滲ませながら
彼らはガスケットが風を受けないように格闘しました。
その具体例。
「あなたが立っているところの頭上にその帆柱を見ていただくことができます」
はい。
帆柱の根元。
「コイリング・ダウン」Coiling downは「巻きおろす」作業のこと。
ここで行われていたハリヤードやクルーラインなど巻き下ろしをする作業が
絵にも描かれています。
形状と配置場所がまんまVLS(笑)。
上部構造物のさらに上にデッキがあります。
この階段を登っていって上を見てみましょう。
船のトップデッキに出ました。
立入禁止区域はなく、全部をくまなく見て歩くことができます。
まずはここからの眺めを楽しみましょう。
向こう側に見えているのは左が蒸気タグボート「ヘラクレス」、
右側は蒸気フェリー船「ユーリカ」です。
「ユーリカ」も今回中を見学してきましたので、またここで取り上げます。
バウスプリット越しに望むサンフランシスコの街。
タグボート「エプルトンホール」の向こうにあるのは
「CA セイヤー」というスクーナーですが、今回は公開していませんでした。
バウスプリットの上も普通に歩いていかなければならないのが船乗り。
この海に突き出た角材のことを「キャット・ヘッド」と言います。
船が入港するアプローチポイントに来ると、船の錨は
キャットヘッドから「リング・ストッパー」と呼ばれる鎖で吊るされます。
錨の反対側のチェーンはキャットヘッドにくっついていて、
「レリゴー!」・・・・じゃなく「レットゴー!」の号令が下ると、
ちょっとしたピタゴラ装置のおかげで(いいかげん)投錨が行われるのです。
キャットヘッドを全部入れるために変な角度で写しましたがお許しください。
要は錨を吊るす釣り竿みたいなものなので、両舷に突き出していて、
それが猫のひげみたいに見えるからこのネーミングだそうです。
キャットヘッド、外側から見たところ。
下部に滑車らしきものがあるようにも見えます。
上甲板から船尾側を写しました。
手前のが前檣、その後ろがメイン、一番後ろが後檣です。
「バルクルーサ」と名前の入った時鐘は長年の使用により青サビが浮いて・・・。
おそらくこれは間違いなく1886年建造時から変わらないものと思われます。
続く。