というわけで(どういうわけだ)空母ホーネットを見てまいりました!
読者のM24さんから「サンディエゴのミッドウェーを見てきてはどうか」
というご提案を受けたわけですが、残念ながらここスタンフォードからは
サンディエゴまで行くには片道車で7時間かかってしまうことが同時に判明。
地図で見ると大した距離ではありませんが、カリフォルニアって日本全部より面積広いですから。
サンディエゴは、もうほとんどメキシコ国境近いんですよ。
それであきらめざるを得なかったのですが、よく考えたらここはアメリカ、
そのような展示物がきっとこのあたりにもあるはず。
そう思って探したら、ありました。
先日航空博物館を見に訪れたオークランドを少し南に下った「アラメダ」、
ここに昔海軍基地があったのですが、その名残りのように、ここにあの
USS HORNET
が係留されて博物館になっているということがわかったのです。
赤の部分ですね。
因みにサンフランシスコは左下の真っ直ぐな能登半島みたいな部分の先。
今住んでいるところは、その半島の右付け根部分です。
ところで、本日タイトルを見るなり、
「またまた〜〜エリス中尉ったら口から出まかせ言っちゃ困るなー。
空母ホーネットは海軍航空部隊の攻撃を受け、秋雲と巻雲が見守る中、
1942年の10月サンタクルーズ諸島沖に轟沈してしまったんだから〜」
と思った方、あなたは正しい。
というかね。
不思議だったのですよ。わたくしとしては。
どうしてここにホーネットがあるのかが(爆)
それについておいおいお話ししていくとして、とにかくそういうものがあるとわかれば
万難を排しても行って、見て、撮って、書かねばならぬ。
これはもう「ネイビーブルーに恋をして」などという、いまにして思えば
よくぞこんなこっぱずかしいタイトルを付けたものだとしか言いようのないブログを
やっている者の使命とであり、義務である。
とまあそこまで考えたわけではありませんが、とにかくすぐさまハンドルを握って
アラメダに車を向けたのでございます。
アラメダ寂しいよアラメダ。
昔この港湾部分に海軍がいたのですが、撤退して以降、
全ての地域がこのように放置されゴーストタウン化しているように人気がありません。
日本のドラマだったら、10回に8回くらいはラストシーンのアクションは
ここでロケを行うのではないかと思われます。
夜になったらヤクの売人とかがここで毎晩ブツの受け渡しをしている、
と言われてもちっとも驚きません。
実はここにはネイビーミュージアムもあるのです。
本当はここに先に行くつもりだったんですよ。
しかしナビの指示通りに現地に行ってみるとここも全く森閑として人気が無い。
不思議に思って車から降り、看板を見ると「開館は土日だけ」。
月月火水木金金と休みを取っている海軍博物館でした。
この・・・・・えーと、コルセアIIですか?が妙にちゃんとしているだけに
不思議でした。
昔、海軍基地があったときにはともかく、いまとなっては見学客があまりこないんでしょうね。
「軍事博物館にお客が来ないのはディズニーランドのように集客のための努力をしないからだ」
関係者がこのように政府の人間に言われたりすることは
さすがに民主党政府時代の日本じゃないので(←嫌味)無いのだとは思いますが、
なぜここまで閑古鳥が鳴いているのか、つまり民主党的にどう「努力が足りない」のかは
ぜひこの滞在中に確かめたいと思います。
昼間でも全く人の気配のないこの地域に、一部だけなぜか何台かの車が停まって、
(といても数台ですが)人が降りて見物していたのがこれ。
ルイ・ヴィトンカップに出場する、スゥエーデンチームのヨット。
いやー、初めて見ましたけど、競技ヨットって大きいんですね。
20メートルはありそうでしたよ。
このルイ・ヴィトン・カップは、アメリカズ・カップの出場を決めるものですが、
今年の5月9日、サンフランシスコ湾でアメリカズ・カップに向けたトレーニング中、
オリンピックにも出たヨット選手が死亡するという事故が起きています。
それがこのアンドリュー・”バート”・シンプソン選手。
転覆したカタマランの下から脱出することができず溺死してしまったとか。
合掌。
Andrew 'Bart' Simpson
海軍博物館がダメだったので、次の予定だったホーネットに向かいます。
この寒々しい廃墟をご覧ください・・。
ホッパーあたりが好んで描きそうな風景じゃないですか?
ナビの指定により、3分ほどで港に到着。
ここに・・・・・
USS ホーネットが。
大きい。さすがは空母、大きい。
ホーネットそのものは、実はこの間乗った護衛艦「ひゅうが」より排水量少し多め、
(1万9千に対して1万9千800トン)というスペックなのですが、ここでもう一度、
これって本当にホーネットなの?
そこで、USS HORNET MUSEUMのHPを見てみました。
「ホーネットCV-8の歴史」
(前略)
(中略)
Hornet slipped beneath the waves at 1:35am on October 27.
(ホーネットは10月27日午前1時35分波間に没した)
うーん。ここでもやっぱり沈んでいる。あたりまえか。
じゃ、ここにあるホーネットって、何?
日本語で調べても、この博物館に訪れた人のブログくらいしか出てきません。
しかも、どのブログも、
「第二次大戦を戦ったアメリカの空母に乗ってきた」
みたいなことしか書いていなくて、そんなはずないだろ、ともう少しHPを探索すると、
USS HORNET (CV-12) The eighth ship to bear the name.
ホーネット(CV-12)は名前を引き継いだ8番目のフネである。
なんと。
13 Jan 1943 - USS HORNET (CV-8) officially stricken from Navy record.
21 Jan 1943 - USS KEARSARGE, hull #395, renamed USS HORNET (CV- 12).
ホーネットが沈められた時、ルーズベルトはしばらくそれを公表せず隠していたそうですが、
そのせいなのか。
アメリカ海軍は元の「ホーネット」が除籍になるやいなや、(わずか8日後!!)
CV-12のキアサージを「ホーネット」と改名してしまいました。
やっぱり、日本に空母を沈められたということを隠していたってのは本当なのね。
こういうのを本来の意味の「姑息」(その場しのぎ、というのが正しい語法なのよ、みなさん)
というのではあるまいか。姑息なりアメリカ軍。
この「キアサージ」という空母について調べると、1944年起工、とあります。
つまり、それまで「キアサージ」だったフネを「ホーネット」にし、次の年に新しく作った
空母にあらたに「キアサージ」と言う名前を回した、と言うことのようですね。
うーむ、やっぱり姑息なりアメリカ海軍。
米海軍がこういうわけのわからないロンダリングをするので、日本のインターネットサイトでは
キアサージというフネを検索しても、この一隻しか出てきません。
おかげで調べるのにいらん時間を使ってしまったぜっ。(怒)
とはいえ、英語で検索するとさすがにCV-12のキアサージ、つまりここにあるホーネット
についての記述が出てきます。
それを読んで、初めて理解したという次第です。
そもそも初代のホーネットというのは、1775年就役の、アメリカ独立戦争時のもの。
アメリカ海軍では名前を受け継いでいく慣習があるんですね。
7代目のホーネットが沈んだとたん、(というか日本に沈められてしまったとたん)、
時期も時期だし、公にしたくないしで、あわててほかの艦に8代目ホーネットを命名にしたんでしょうね。
沈んだ7代目ホーネットはヨークタウン級空母でしたが、8代目はエセックス級。
満載時排水量は4万3千トンとなります。
下から見ながら歩いていくと、甲板に航空機も展示してある模様。
期待が募ります。
柵があるということは、ここを人が行き来したと・・。
高所恐怖症には決して務まらない世界。
高いところが苦手だからといって空軍をあきらめて海軍にしたひとは涙目だなあ。
ドック反対側に停泊していたフェリー。
ケープなんとか、と言う名前でした(忘れました)。
ウェルカム看板。
レトロな感じがよろしいですね。
たくさん突き出たこの釣り竿状のものはなんでしょうか。
一番右は直角に屹立しています。
もしかしたら、猫の髭のように、艦体が障害物に当るのを防ぐためのセンサーみたいなもの?
(たぶん違うと思います)
実際に見ると、その大きさに圧倒されます。
護衛艦「ひゅうが」でもわたしには結構なカルチャーショックですが、このエセックス級、
戦艦「大和」より少しだけ(7メートル)長いくらいです。
こちらは空母ですから、排水量だけで言うと「大和」の6割の規模くらいですが。
しかし、この大きさがほとんど「大和」級、と知って見ると、
いかに大和が大きなフネだったかということをあらためて感慨深く思います。
そうか・・・・・・大和ってこんなに大きかったのか・・・・。
空母ですので、砲座が甲板の外側に外付けされています。
この時に甲板にも上がったのですが、上からこの砲座の写真を撮るのを忘れました。
料金表や、もし車椅子で見学するなら入口はこちら、と言った案内が。
ちょ・・・・・・右側・・・・・・・・(笑)。
「醜行に生きたあの日」or
「不名誉に生きたあの日」
なんと、8月17日1時に、
パールハーバーの生き残りが体験を語る会
をここでなさるそうで・・・・・・・。
そういうこと、やっぱりこちらでもやってるんですね。
アメリカに住んでいると、本当に本当に稀なことですが、明らかに日本人に対して
あからさまな憎しみを向けるアメリカ人に会うことがあります。
わたしは一度、ボストン時代、楽譜を買いに行った小さな楽器屋で、店主の中年婦人に
いわれもない悪意を向けられて困惑したことがあるのですが、そういうことがあると
日本人であるわたしとしては、
「もしかしたら身内がパールハーバーで死んだんだろうか」
なんてことを、今ほど軍事や歴史に興味のない頃でもちらっと考えたものです。
まあ、その想像がその通りだったかどうかはともかく。
戦争を日本が始めた理由はどうあれ、そして真珠湾犠牲者の何万倍もの日本人が、
しかも民間人ががアメリカに殺されているという事実はどうあれ、
こういう人にとって日本という存在は決して許せないものなのだろうというのはわかります。
しかし、実際にパールハーバーにいた軍人たちというのはどうなんでしょうねえ。
日本人らしき人間を見ると、あのときの怒りがこみあげて
血圧が上がってしまうような人もいたりするんでしょうか。
17日の1時にホーネットを訪ねれば、もしかしたらそれがわかるかもしれません。
とてもわたしにはその勇気はありませんが・・・。
有名な「We need you」のポスターを、ホーネットの「各種人材募集」に使っています。
まず、ここのスタッフ募集。
そして、どういうわけか「車を寄付してください」
読まなかったのでなんで車が必要なのかわかりませんでした。
バックパック持ち込み禁止。
何しろ、入ってみると分かりますがこのホーネット、禁止区域があまりなく、
比較的どこにも出入りできます。
しかも広大なので、まったく一人っきりになる機会も多数。
ということは、そのへんの「マニア垂涎の何か」を取って、持って帰る不埒者もいる、
こういうことがあるのでバックパックのような大きなものの入るものは禁止されているのです。
実際に、知らずにバックパックで入っていくと「車に置いて来てください」と追い返されるそうです。
こうして見るとその巨大さがわかる、艦橋の一部。
それではいよいよ艦内に入っていきます。
夜にはこのとびらを閉めますが、外を伝って艦内に忍び込まないように
厳重に針金をめぐらしてあります。
この下は海ですから、まずそんなことをする人がいるとは思えませんが。
というか、この中に夜中入り込むのって、たいそう勇気のいることだと思います。
なぜなら。
出るんですよ。あれが。
この話はまたいずれ。
一歩踏み込んだ、これがホーネット内部。
ホーネットの「時鐘」が真正面に現れます。
彼女が「キアサージ」だったのは1940年の起工から3年間だったようです。
「改名」されただけなのに、「ドライドック」なんて言ったりするんですね。
八代目のホーネットであるということと、
ホーネットの名を受け継いでから戦争が終わるまでの任務が列記されています。
マリアナ沖での「七面鳥撃ち」に参加したということですね。
わたしの見たブログで「二次大戦に参加した空母」とありましたが、間違いではありませんでした。
因みに、ホームページの「戦果」の一番最後には
1 assist on super battle ship YAMATO
とありますが、わたくしこのときの戦闘でホーネットが何をしたのかわかりません。
なんですかね。
7代目のホーネットが沈められたから、8代目が大和を討ってその仇を取った、という構図?
ちょろっとアシストしたくらいでちゃっかり大和まで戦果にしてんじゃねーよ、と毒づいてみる。
このキャプテン・セイバーリッチと言う人は、
戦艦ミズーリに乗っていて日本軍の捕虜になっていたのですが、戦後、
このホーネットがアポロ11号が帰還してきたときに
宇宙飛行士の揚収を行う「花道」を経て引退した「最後の艦長」です。
この上に艦長室があるのですが、階段を上ることはできません。
ときどきはこういった部分も公開しているようです。
と言うわけで、ホーネットの見学シリーズ、これから順を追ってお話ししていきます。