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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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「マリリン 七日間の恋」〜砂糖菓子に恋した青年

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最近軍事ネタばかり続いたので、今日は少し趣を変えてお送りします。

高校生のとき、「砂糖菓子が壊れるとき」という小説を学校の図書室で借りました。
舞台を日本の映画界に、お菓子のように甘く、傷つきやすい無垢な女優「京子」が、
スターとして輝き、時代を風靡してある日突然「砂糖菓子が壊れるように」消えてしまう。
たった一人、ベッドに横たわり、受話器を握りしめたままで。

マリリン・モンローをモデルとした、曾野綾子の意欲作でした。

本を返却したとき司書のお姉さんが 「砂糖菓子はどんな風に壊れたの?」
と悪戯っぽく訪ねてきたのが、昨日のことのように思い出されます。

この映画は、「モデル上がりの躰だけの女優」として売り出し、有名になり、
演技派を目指していたころのマリリンが、撮影のため訪れたイギリスで、
「サード」と呼ばれる撮影所の雑用係の青年、コリンと一週間だけの恋をする話。



コリン・クラークは実在で、ドキュメンタリー映像の分野で成功した人物ですが、
これは彼が二四歳のとき、実際に撮影所で雑用係をしていたときにあった実話です。

このときマリリンは三〇歳。

名門イートン校出のお坊ちゃまが映画の世界にあこがれ、
何とか潜り込んだ雑用のバイトで間近に見たあの大スター、マリリン・モンロー。
彼は一目で実際のマリリンに恋をします。

この映画のテーマは、実はこの青年の「初恋」なのですが、
このコリン役(エディ・レッドメイン)が、非常によろしい。
何がいいと言って、スクリーンのマリリンを見つめる彼の顔です。
銀幕上のスターをうっとりと眺めるその表情は、
恋をしたことのある人ならわかる 内側から光り輝くような喜びにあふれ、
それを見るものを思わず微笑ませます。

そして、この映画にさらに深みを与えている、脇役二人の演技。
サー・ローレンス・オリヴィエを演じるケネス・ブラナー。
大女優デイム・シビル・ソーンダイクを演じる、ジュディ・デンチ。



自己評価の低さに苦しみ、いつも皆から疎まれている、
という強迫観念に苛まれていたというその実像を余すところなく表現しながらも、
実は周りの人間は、彼女を扱い兼ねながらも何らかの形で見守っていた、 という解釈で、
この映画は非常に「後味のいい」マリリン・モンロー像を描くことに成功しています。

もうこういった役にはこの人しかいない、
と思われるジュディ・デンチ演じる大女優が、
マリリンを母のようなまなざしで見つめ、彼女の「味方」をしたり、
演技に対する理念の違いから、対立しているかに見えるローレンス・オリヴィエですら、
彼女の魅力に実は惹かれ、何より最終的には天性の才能を認めていた、
というストーリー運びは、 女優マリリンモンローに対する監督サイモン・カーティスの愛情であり、
若くして逝った、彼女へのはなむけであるかのように思われます。
というわけで、映画そのものは「大変よくできました」と言ってもよいのではないでしょうか。


だがしかし。(笑)


決定的に、どうしようもなく、わたしが受け入れられない点があります。
マリリンの造形です。

マリリンを演じるミシェル・ウィリアムズが、全然似ていません。

映画で演じる俳優が、造形的に酷似していなくても、
それなりの説得力を持つ例はいくらでもあります。

たとえば東条英機を演じた津川雅彦、ヒトラーを演じたブルーノ・ガンツ。
リヒトホーフェンを演じたマティアス・シュバイクヘーファーは、
実在の撃墜王をさらに魅力的に演じたし、
「キャッチミー・イフ・ユーキャン」のフランク・アバグネイルも、
レオナルド・ディカプリオが演じることで光があたったようなものです。

しかしながら、マリリン・モンローだけは、だめです。


わたしは「マリリン・モンローの顔」とはすなわち
「神様の生した傑作の一つ」であると思っています。
造作の整っていることは当たり前としても、この顔には美以上の何かがあるのです。
無垢な無邪気さ、大胆さと、清廉さ、高貴さが、絶妙のバランスで同居している顔です。

「世紀のセックス・シンボル」として讃えられ、実際も三度の結婚のほか、
無名時代、スターになってからも幾多の恋―おそらくワンナイト・スタンドも含め―
を渡り歩いてきたにもかかわらず、マリリンはどこまでいっても、
まるでダイアモンドであるかのように傷つかない清純さに守られているのです。

後世、口と目を半開きにし、ポーズをとる「マリリンの真似」をする女優もモデルも、
マリリンの二番煎じの「セクシーアイドル」も、
そこに性的な演出を感じこそすれ、例外なく皆下品でした。

マリリンは、マリリンにしか演じることはできないのです。


ミシェル・ウィリアムスは確かに美人でないことはありませんが、
彼女が演技で巧みにマリリンを演じれば演じようとするほど、
観ているものは 、

「ああ、この台詞をこの状況でもし『あの』マリリンが言ったとしたら、
コリンもこんな風に感じるのだろうな」

といった風に、いつの間にか彼女を「マリリン」に
翻訳しながら観ていることに気づくでしょう。

(これは断言してもいいですが、わたしだけではないと思います)

特に、わたしは、実はこのミッシェルのアップをみるたびに、
知り合いの 「フセさん」という女性を思い出してしまって・・・・・。

(フセさんという女性が全くフツーの、ちょい太めの日本人女性であるところがミソ)


彼女とスタッフの「マリリン作り」にかける努力と熱意は十分評価できますが、
フセさんにバスタブから振り向いてニッコリ笑われてもなあ、 って感じで、
全くこのマリリンに感情移入できないのですよ。

それがトレードマークの、投げやりな、物憂いものの言い方も
「フセさんのくせにでれでれしゃべるんじゃない!」
ってつい突っ込んでしまいましたし。

今後、いかにマリリンそっくりといわれる顔の女優さんが出てくることがあっても、
あの天使のような天真爛漫な、なにより可愛らしさは、
絶対に演技でどうにかなる問題ではないと、わたしはここで断言いたします。


ただ、アップでなければ、ときおり彼女は成功していました。
マリリンが台詞のない、ダンスのような動きだけを撮影するシーン、
ローレンス・オリヴィエがかわいくて仕方がない、といった表情で見守るのですが、
この遠景でのシーンは、純粋にミシェルはかわいかったです。
オリヴィエの好々爺のような相好を崩した様子がまたかわいくて(笑)


イギリスでの一週間は終わり、同時にマリリンとコリンの恋も終わりました。
コリンのように、マリリンを愛し、そのときにマリリンが必要としたが故に愛された男性は、
たとえマリリンが自分のことなどすぐに忘れてしまっても、
この砂糖菓子のような女性との甘くてはかない恋を、
心の隅にしまったまま、一生大切にし続けたのに違いありません。

たとえ、アーサー・ミラーや、ジョー・ディマジオのように、
いったん彼女を手に入れて、その後自分から離れていくことを選んだのであっても。


それから、この映画は挿入曲としてシナトラの「枯葉」などが使われるなど、
音楽がとても効果的です。
ラストシーンでマリリンが歌う 「That's Old Black Magic」
そして、最後に挿入されているピアノ曲が美しくて、ほろりとさせられました。






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