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「潜水艦H-3 効果」〜メア・アイランド海軍博物館

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 メア・アイランド海軍工廠跡にある博物館の展示についてご紹介しています。

今日は一枚の潜水艦の写真から。

海軍工廠が保存していた潜水艦H-3、旧名「ガーフィッシュ」の写真です。

H-3は就役して2年目の1916年12月、サンフランシスコ北部にある
ユーレカ付近の沿岸で霧のため座礁しました。

乗組員は、ここでもご紹介した沿岸警備隊の救命ブイで全員救出されましたが、
艦体が波に押されて完璧に砂州に乗り上げてしまいます。

干潮時には海面から23m、満潮時に艦体は海面から76mの高さに
押し上げられてしまい、復帰は困難を極めました。

まず、海軍は

タグボート USS 「イロコイ」 AT-46と「シャイアン」BM-10

をメア・アイランドから出動させ、牽引による救出を試みました。
しかし、失敗。

海軍は此の期に及んで、救出する業者を入札によって選定し、
その結果作業を請け負ったのは民間のサルベージ業者でした。

この写真の艦腹に、サルベージ会社は「マーサー・フレイザーCo.」
とデカデカと看板を出してます。

請け負った業者は、木材運搬を専門としていて、船を救出するのは初めて。
どうしてこの会社が名乗りを上げたかというと、彼らには
この状態を打開する秘策があり、当時の5千ドルという破格な成功報酬を
ゲットすることができると踏んだのでした。

その秘策とは。

みなさん、写真をご覧ください。
小高い砂浜に乗り上げてしまったH-3の艦底に、丸太が取り付けてあります。
つまり業者のアイデアとは、丸太をソリがわりにして艦体を
海に滑り落とすという画期的なものだったのです。

滑りを良くするために丸太の下には木材の「レール」を敷くなど
工夫が凝らされました。

しかし、当初、業者のこのアイデアは、あまりに実験的だったため、
海軍の関係者はこんな方法とんでもないと猛反対し、後にして思えば
最悪の選択をしてしまうことになります。

「そんなの、巨大艦に潜水艦を牽引させればいいことじゃないか!」

そう考えた海軍は、防護巡洋艦「ミルウォーキー」に、百万ドル相当の
丈夫な舫とサルベージギアを装着して牽引作業を行わせました。

しかし、「ミルウォーキー」は、牽引作業中、H-3の近くにあった
砂州に乗り上げて、座礁してしまったのでした(T_T)

ほれみたことか、と業者は自分たちのアイデアを実行に移し、
ついにH-3を丸太で海に戻すことに成功したのです。

ちなみにあれこれ試行錯誤したこともあって、座礁から復帰まで1ヶ月かかり、
この期間に海軍からは一度除籍扱いになっています。

 

え?

それでは座礁した「ミルウォーキー」はどうなったのか、って?

500トンのH-3を引っ張れなかった9,700トンの「ミルウォーキー」は
それでは誰が引っ張るのか?タグか?それとも・・・?

海軍は、この時点で完璧に戦意を喪失し、自分たちでなんとかする気を失います。
そこでおそるおそる?くだんの業者に、

「あのう、ミルウォーキーも同じ方法で復帰できますかね?」

とお伺いを立ててみたところ、業者、踏ん反り返って(多分)

「あんなでかいフネを滑らせるだけの丸太となると、
そうさなー、7百万ドル(現在の二千億円)は要るかもなー」

2千億円って・・・
そんだけお金があったら新しい原子力潜水艦造れるし!

と当時の海軍はもちろんそんなことは言いませんでしたが、引き揚げは中止。
かわいそうに救出の可能性がなくなった「ミルウォーキー」は見捨てられ、
そのまま除籍されて、放置され、頃合いを見て解体されました。

 

海軍はその後除籍となっていたH-3をもう一度就役させています。
この潜水艦を救うために巡洋艦を一隻失うことになったのですから、
せめて潜水艦だけでも復帰させないことにはやりきれなかったのでしょう。

最初から大人しく業者のいうことを聞いていたらよかったのにね。

これって、あまり重要でないものを切り捨てて、大切な物を得る、
ということわざの逆をいった感じじゃないですかね。
つまり、

一、小の虫を助けて大の虫を殺す

一、小を専らとして大を失う

一、小事に拘わりて大事を忘る 

を地で行くことになってしまったと・・・。


ちなみにこのサルベージ会社の作業中の写真は海軍工廠の所蔵です。
きっと海軍は、この後、この写真を大事にして時々は眺め、
事あるごとに大を失うことのないように自らを戒めていたに違いありません。

「コンコルド効果」という現象がありますが、こちらは

「H-3効果」

と名付けても良さそうな事案です。

さて、この博物館は展示されているものの種類が雑多で、
悪く言えばあまり整理ができていないのかなという印象ですが、
その分、こんなものまでと思われる歴史的遺産がその辺に転がっています。

懐かしの?砲が集まっていたコーナーのこれは、

Breech Loading-Krupp Gun(クルップ銃)

といって、19世紀以降世界で使用されたドイツ製銃です。

一番最近では第一次世界大戦まで使われましたが、世界といっても
アメリカ合衆国が使っていた訳ではありません。

1871年に USS「ベニシア」のキンバリー司令という人が
朝鮮半島で獲得したもの、となっていますが、この年には
第一次世界大戦はもちろん、フィリピン革命も米西戦争もまだですので、
戦闘で鹵獲したものではなく、単に拾って来た可能性が高いです。

 Dahlgren Boat Howitzer (ダールグレン・ボート・ハウザー)

ダールグレンというのは、アメリカ海軍の火砲開発部にいた人で、
ダールグレン銃などを発明しています。
これは筒の根元が丸いダールグレン銃と違い、
車輪の上にシンプルな筒が乗った艦載用ということです。

スカラー安全協会というニューヨークの団体が開発した、
舫を飛ばすための銃。

いわば「人を殺す銃」ではなく「人を助けるための銃」です。

Korean Cannon (朝鮮大砲)

こんなものがあったのか、とちょっと驚きました。
Culverin gun(カルベリン砲)とも呼ばれている、とかで、
先ほどの「ベニシア」がメア・アイランドに朝鮮半島から持ち帰ったそうです。

こちらもコリアン・キャノン。

ところで、この朝鮮大砲のウィキペディアに、さりげなく
「日本の朝鮮侵略」と書いてあるので、何かと思ったら
文禄・慶長の役のことでした。

17世紀にイタリアで鋳造された青銅の銃。

1905年に軽巡USS「 Raleigh」(ローリー)に外科医として乗り組んでいた
軍医が、ボルネオのサンダカンで見つけて持ち帰り、彼はその後
メア・アイランドにあった海軍病院のコマンダー(つまり病院長)
として赴任した時に、ここに寄付したということです。

USS「イントレピッド」の時鐘。

もちろんニューヨークに展示されているCV-11ではありません。
3隻目の「イントレピッド」は、1904年にここメア・アイランドで進水し、
1907年にコミッション、つまり就役しました。

ではこの1905はなんなんだ、と思われた方、すみませんわかりません。

「イントレピッド」(三代目)練習艦となったり、メア・アイランドで
潜水艦乗員の宿舎となっていたこともあったそうです。

メア・アイランドで製造された鐘ですが、特に何かの船のためにではなく、
構内にディスプレイされていたそうです。

 AS-12 「Sperry」(スペリー)

はフルトン級の潜水母艦でここメア・アイランド生まれです。
就役して10日目に真珠湾攻撃がありました。

生まれた時期にふさわしく、ソロモン諸島、ニューカレドニア、
ミッドウェイ、グアム、マリアナ諸島と、激戦地に赴き
潜水艦の修理などに携わって来た「スペリー」は、戦後、
朝鮮戦争に従事し、さらにはその後大々的な改装を受けて、
アップデートされ、なんと1985年まで現役で活躍しています。

サンディエゴにて、手前が「スペリー」。
向こう側の「プロテウス」「ディクソン」共に潜水母艦です。

NAVY YARD M.I CAL.1877

と書かれた巨大な鐘。
メア・アイランドで製造されたものかどうかは確かではないそうです。

USS「インディペンデンス」にあったものという説があり、
「インディペンデンス」がドック入りしている時にここに付けられて
始業と終業を知らせていたと言われているそうです。

第二次世界大戦が始まった時、鐘は日本軍のガス攻撃の場合を想定して(!)
船から工廠の一隅に移されていましたが、そんなことは起こらないので、
国債を売ったりする時に賑やかに鳴らされたりするようになりました。

工廠でお仕事をしていたエイミー・ウェストさんが、
当時この鐘が設置されていたメア・アイランド工廠483ビルの屋上で
同僚のアンジーさん(左)エドナさんと年明けに鐘を撞いています。

なんとアメリカでも、年の変わる時に除夜の(どう見ても昼間だけど)鐘を撞く、
ということが行われていたとは。

 

余談ですが、時鐘にも聞く人が聴けば音程があります。
アメリカ海軍の時鐘は一般的に’Aナチュラル’(ラの音)で造られるのですが、
ここにある「スペリー」の鐘、そして「イントレピッド」の鐘は
どちらもなぜか’Bナチュラル’(シ)、つまり一音高いのです。

これは、両艦の鐘製作者が適当に作ったから・・ではないと思いますが、
あえて高い音になるようにしたという可能性もあります。

メリーランドにある有名な聖ペテロ教会(St. Peter's Chapel)は
1989年に創建した際、メア・アイランドに鐘の製造を依頼しましたが、
この鐘の音は’Dナチュラル’(レ)だそうです。

同じ工廠製なのに音程が違うとなるとおそらくこちらは故意でしょう。

軍艦の時鐘より、教会の鐘を低く鳴るように作ったわけですが、
なんとなくその理由はわかるような気がしませんか。

 

 

続く。



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