阪神基地隊というのは決して広い基地ではありません。
今回来阪した「ちはや」「さざなみ」、掃海艇の「なおしま」が繋留されて
それだけでフルになる岸壁を二面、あとは芝生とヘリ発着のサークル、駐車場。
建物以外はそんなもので、つまり来場者が見て歩くような施設はないのです。
それだけに、一般解放のイベントには人々を惹きつける工夫が必要となってきます。
アイドルを呼んでのパネルディスカッションという試みもその一つですが、
なかなか画期的なイベントだと思ったのが、プールでの潜水模型実演でした。
プールはパネルディスカッションが行われた体育館の階下にあります。
阪神大震災の時、プールの底には亀裂が入り、水が抜けたそうです。
あの時、関西地区に所在する自衛隊基地は等しく被害に遭いましたが、
その中でも一番酷かったのがこの阪神基地隊でした。
地盤が埋立地であるため、液状化現象による地盤沈下がおこり、また、
護岸及び道路の一部が1~2m沈下するという壊滅的な状態だったそうです。
そのプールに到着すると、模型の潜水艦が水面に浮遊していました。
・・・・・なんだこの妙なシェイプの潜水艦は!?
と思ったらダイバーでした(笑)
といっても、「ちはや」に所属しているようなガチンコな人たちではなく、
シュノーケルと水中眼鏡をつけて時々水中にも潜るだけの、
つまりこの模型クラブのメンバーだと思われます。
潜水艦をプールで航行・潜航させたりするうちに、どうしても
水の中に潜らなくてはいけない事態になるということなのでしょう。
ちょうどこのとき、プールサイドの人が潜水艦を引き揚げていて、
水中の人はそれを支援していました。
引き揚げられた潜水艦が、ドイチュ国軍の旗の上のラックに置かれました。
ドイツということは、当然Uボートです。
この潜水艦模型を実際に水に浮かべているのは一体どんな団体なのでしょうか。
日本模型潜水艦協会、JMSSというのがこの団体の名称です。
この直前、わたしは飛行機のソリッドモデル展を見たばかりだったのですが、
同じ模型でもどうやら全く趣向が違いそうです。
まず、このクラブにおける「模型」とは「ラジコン模型」のことです。
地元六甲アイランドにその前身の発祥を持つこのクラブは、
アイランドシティーにある深さ50センチmの人工の川(透明度が高い)
今でも毎週日曜日の午前中、定期潜航会を行なっているそうです。
つまりソリッドモデルのように艦体そのものを作り上げることではなく、
操縦することがメインのクラブだったわけです。
いやー、一口に趣味の模型といっても奥が深いわ。
見たところ、現場のラジコン模型は、ソリッドモデルの作品のような
マイナーな機種より、Uボートや伊号潜水艦といった
「潜水艦の王道」が中心であるようにお見受けします。
立派な金属のプラークを埋め込んだ名札には、
U-Boat VII-C 1940
と刻まれています。
当方、Uボートに関してはまだ全然調べが足りておらず、
今のところUボートとは
「ウンターゼー・ボート(海の下の船)」
という意味であることくらいしか知らんのですが、
たった今調べた付け焼き刃知識によると、第二次世界大戦が始まってから
ドイツは「I」からU-boatの建造を重ねていっており、この「VII」は
その7番目で、名実ともにドイツ海軍潜水艦の主流となったタイプです。
この模型では船殻の外側に膨らみが確認できますが、
これはバラストタンクで、 VII型の大きな特徴です。
ところで、ソリッドモデル展の時に逆卍のハーケンクロイツは
物議をかもすので使わない、という話をしましたが、
このU-boat(ちなみに発音は”ウーボート”でビッテシェーン)も、
バリバリナチスドイツ海軍の潜水艦なのに鉤十字はありません。
どうも鉤十字自粛は模型界の鉄則となっているようですね。
プールで航行&潜航させていい潜水艦は基本一隻、せいぜい二隻のようです。
野次馬としては、伊号とU-boatの同盟国競演なんてのを見てみたいですが、
これだけ広いプールでも(競技用50m)コリジョンの可能性があるのかな。
これは遠目でよくわかりませんが(近くてもわからないという説も)、
アメリカの潜水艦ではないかという気がします。
なんかこんな甲殻類いたよねー。
なんだっけ。カブトガニ?三葉虫?
引き揚げられたのを確認したらノーチラス号でした。
ノーチラス号はジュール・ベルヌの冒険空想小説「海底二万哩」に登場する
架空の潜水艦で、「ノーチラス」という言葉にはオウム貝という意味があります。
アメリカが世界最初の原子力潜水艦にこの名前をつけたのはご存知の通り。
自衛艦旗の上は一番左が「そうりゅう型」、二つ向こうは「うんりゅう」、
その向こうは「ゆうしお型」のような気がしますが、確信はありません。
左から二番目、この丸いノーズはUボートかな?
このテーブルの出品者の作品は伊号と呂号です。
伊潜は366号、回天を搭載しています。
わたしが来たときには、製作者が若い男性に「伊」「呂」の説明をしているところでした。
「回天戦は実際にやってるんですか」
と聞いてみると、どこかわからないが南方で、との返事です。
ウィキで調べると伊366がパラオで回天3基を出撃させたのは
昭和20年の8月11日、終戦の4日前のことでした。
伊366は終戦まで生き残り、五島列島で米軍により海中投棄されましたが、
かつて戦艦三笠内の会議室で行われたラ・プロンジェ深海工学会による
でその姿が確認されているそうです。
そして手前は呂号第35潜水艦。こちらも三菱重工の生まれです。
1943年の8月25日、サンタクルーズ諸島沖で、米駆逐艦パターソン(DD-392)
に発見され、爆雷攻撃を受けて戦没しました。
艦橋がリアルに表現されていて泣けます。
手前の人は艦内と通信を行っているのでしょうか。
しかし、呂号35が戦没したのは就役してわずか1年半後ですが、
それにしては艦体が古くなりすぎてやしませんか。
ところでわたしはこの時点でまだ、この模型を作ったのも出品者である、
と思い込んでいたのですが、実は彼らの「仕事」は、装置を仕込み、
それを操縦することだと一連の会話でようやく知りました。
しかし全員がそうであるということでもなく、中には
自分で模型から作る人もいるということです。
伊号54の艦橋も人体を配して再現されています。
伊54は昭和19年に就役し、捷号作戦に出撃して消息を絶ちました。
米軍の記録によると、撃沈したのはアメリカ海軍の
駆逐艦「グリッドレイ」DD380
駆逐艦「ヘルム」DD388
であったということです。
話を聞いていると、上の部分をぱかっと外して見せてくれました。
当たり前ですが、中身が本物通りに再現されているはずもなく、そこには
水中を航行潜航するためのラジコン装置が内蔵されていました。
なぜこの人たちがラジコン潜水艦に夢中になるかというと、それはひとえに
「操縦の複雑さ」
が人を飽きさせないことにあるのだとか。
同じラジコンでも、水上をただ平面的に動かすのと、三次元的に
水中を自由に動き回るまでに習熟するのとでは文字通り次元が違います。
そういえば、呉にある「てつのくじら」を併設した自衛隊資料館で
潜水艦について説明する
「Knou Your Boat!」
のコーナーに
「海面を二次航行するだけの水上艦と比べ、
三次元の海中を航行する潜水艦の操作が難しいのは当然である」
と上から目線で?書いてあったのを思い出しました。
難しいからこそやりがいをそこに見出し、幾つになっても、
何年やっても飽きることがない、というのがこのラジコン潜水艦に
夢中になる人たちの「萌えポイント」のようです。
これを見てもわかるように、ラジコンで動かすのが目的なので、
その「ガワ」は既製品でもいいわけです。
この、まるでエイのような潜水艦は、テレビドラマ
「原子力潜水艦シービュー号」Voyage to the bottom of the sea
に登場する架空の潜水艦、
だそうです。
当クラブによると、「SFクラス」として会員の所有しているモデルには
ノーチラス号
があるそうで・・・・。
謎の円盤UFOって、エリス中尉のあれですよね。
それから、轟天号!
このブログでは散々「海底軍艦」で盛り上がったもんですよ。
まさか空は飛びませんよね?
六甲アイランドの人口川でなら問題はないと思うのですが、
潜水艦ラジコン操縦を野池で行うのは大変なスリルと緊張です。
一つ間違えば非常に長い製作時間を費やした作品を失う危険と隣り合わせ。
そもそも、ラジコン潜水艦の水密(可動部分、スクリューを回す軸の防水、
水圧対策)及び潜行・浮上は技術的に大変難しく、そのハードルを
クリアーするのは簡単なことではありません。
だからこそ、その達成感は何ものにも代えがたい喜びとなるのでしょう。
目の前で潜水してくれないと写真に撮ることができず、
結局潜水中の写真は唯一このシーンだけです。
ひとしきり見学が終わって、外に出てみました。
会場では野外ステージでこの日「防衛パネルディスカッション」をした
メンバーの属するアイドルグループのパフォーマンスが行われていました。
ちなみに、このグループは芸能事務所に所属するれっきとしたタレントですが、
阪神基地隊の催しには他の出演者(近隣大学のブラバンやアカペラグループなど)
と同じくボランティアで出演しているのだそうです。
この炎天下、日陰もないアスファルトの上で皆さんご苦労様なことです。
前列どころか、見物しているのが全員男性(平均年齢35くらい)です。
しかもその最前列の席には海上自衛隊の制服姿が!
うーむ、このお姿は先ほどパネルディスカッションを行なったばかりの(略)
最前列の椅子の背中には「指定席」という貼り紙(笑)
ちなみにアイドルの出番が終わり、ファンがすっかりいなくなった後も、
同じ席でずっと後続のパフォーマンスに拍手を送っておられました。
続く。