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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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「フリート・エンジェル(艦隊の天使)」ヘリ部隊〜空母「ミッドウェイ」博物館

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空母「ミッドウェイ」フライトデッキ上の艦載機、
前半に引き続きヘリコプターをご紹介しています。

CH-46 シーナイト(Sea Knight) ボーイング・バートル

この辺になってくると、現行のCH-47にそっくりになってきます。
解説には Vertical Replenishment Helicopterとありますが、
これを直訳した「垂直補給」とは、ヘリからロープで荷物を牽引し、
そのままそれを他の艦船などに積むような補給法のことで、

VERTREP(ヴァートレップ)

と簡単に呼ばれているそうです。
ヘリなら当たり前のこの方法ですが、ヘリコプターが登場した後、
この補給方法は船と船を接舷しなくてもできる画期的なものだったのです。

コロンブスの卵というのでしょうか、この当たり前だが画期的な方法を
最初に試みたのはUSS「サクラメント」で、1964年のことでした。

この時「サクラメント」は2台のCH-46 シーナイトを導入し、
燃料や弾薬を「サクラメント」から最大100マイル離れた他の船に
配達することが可能となりました。

ヘリコプター戦闘支援艦隊8号機の「ドラゴン・ホエール」搭載の
MH-60Sナイトホーク・ヘリコプターが、USS 「ハリー・S・トルーマン」と
弾薬船USNS 「マウント・ベイカー」の間を飛行し、VERTREPをしているところ。

誤解のないように断っておきますと、ヘリがたくさんいるのではなく、
これは分解写真で一機のヘリの動きを表しています。
海上の様子を見るとどちらもが航行中であることがわかりますね。

 

VERTREPによる補給は従来の方法と比較して、操縦の自由度が高く、
吊り下げのためのラインを補強しさえすれば、時間の損失は最小限ですみます。

冷戦時に行われたあるVERTREPによる補給作業は、受け取る側の駆逐艦が
ソビエト潜水艦との接触を維持している間に達成されたということです。

このCH-46シーナイトはVERTREP用に開発されたので、
わざわざこんな名前がつけられているのだと思われます。

エンジンは、重量のある積荷を航行中の船舶に
補給するのにパワーアップしたものが2基搭載されました。

中を公開しており、内部に入って座ることもできます。
折しもちびっこの団体が搭乗中だったので遠慮しておきました。

シーナイトは人員輸送のための「フリークェント・ビジター」として
頻繁に空母に着艦を行いました。

クルーは3人、17名までの乗客を運ぶことができます。
シートの赤は元々の色でしょうか。

時間があったら中に乗って、コクピットの写真を撮ったのですが。
次に訪問することがあったらぜひその時には・・・。

後ろのハッチだけでなくコクピット側の入り口も階段がつけられ、
入っていくことができるようになっていました。

日本では川崎重工業が1965年(昭和40年)からライセンス生産し、
各自衛隊でKV-107として採用された他、警視庁や民間向けに販売し、
政府による武器輸出三原則が発表されるまで海外への輸出も行っていました。

自衛隊向けの機体は「しらさぎ」との愛称が付与されていましたが、
ほとんど「バートル」と呼ばれていたようです。

陸上自衛隊で導入したバートルは日本航空123便墜落事故にも出動し、
生き残った乗客を救出する姿が報道され、有名になりました。

この後継機が現行のCH-47J/JAです。

航空自衛隊は最も最近まで「バートル」を運用してきました。
UH-60Jに置き換えられることになり、2009年、平成21年11月3日、
浜松救難隊の最後の一機が入間基地の航空祭でラストフライトを行ない退役。

ちなみに2008年公開の映画「空へ-救いの翼 RESCUE WINGS-」では
この機体が飛行・離着陸を行なっているシーンが見られます。

海自も9機だけ、機雷掃海ヘリコプターとして導入しています。
MH-53E シードラゴンに置き換えられ1990年(平成2年)全機除籍されました。

父ちゃんが子供にヨタ教授(たぶん)をしているの図。
よくしたもので、たとえ間違っていても子供は片っ端から忘れてくれます。

ところで、この機体もうすっかり既視感があるんですけど。
陸自のUH-1ヒューイそっくりではないの。

と思ったらそれもそのはず、UH-1ヒューイそのものでした(笑)
説明の看板には

UH-1 ヒューイ ガンシップ 攻撃ヘリコプター

とあり、HA(L)-3、「シーウルヴス」(海の狼たち)
というヒューイ部隊のマーク(よく見ると青い狼)がノーズに描かれています。

このマークは、著作権の関係でここには載せられませんが、ドイツのビール
レーベンブロイのライオンを参考にして作られました。
レーベンブロイとは向きが違いますが、ちょっとだけ似ています。
ちょっとプジョーのマークにも似ていますかね。
青い狼が携えているのは海軍を表す「トライデント」(もり)です。

 

ところでちょっと待って、ヒューイってアメリカ軍はアメリカ軍でも
陸軍のヘリだよね?
なんでここにあって、海軍の部隊が運用しているの?
と思った方、あなたは鋭い。

 

ここで、「ガンシップ」なるものについて説明をしておきます。

ところで「ガンシップ」というとどんなヘリを想像します?
やっぱりAH-1コブラの名前が筆頭に上がるのではないでしょうか。

陸上自衛隊でもヒューイは多用途ヘリとして認識されており、
決してガンシップと呼ばれるものではないことはご存知の通り。

もともとガンシップとは読んで字のごとく、「砲艦」を意味する海軍用語です。
現在海軍では大型河川などに配備される喫水の浅い軍艦を指しますが、
どちらかというと攻撃用ヘリという意味でよく使われているようです。

攻撃用ヘリ=ガンシップの定義は、

「輸送機の機体を流用して開発した局地制圧用攻撃機」

ということになり、ベトナム戦争がきっかけで生まれた概念です。
朝鮮戦争で本格的に導入され始めたヘリコプターですが、あくまでも輸送が目的で、
ベトナム戦争初期もその役割は輸送と偵察の他、

VERTREP(ヴァーティカル・リプレニッシュメント、垂直補給)

SAR(サーチアンドレスキュー、救難)

MEDEVAC (メディカル・エヴァキュレーション、負傷者搬送)

などに止まっていました。
程なく海軍は対潜戦にヘリコプターを導入すると同時に
魚雷の搭載を始めますが、対地攻撃に対しては固定翼機にお任せの状態でした。

1965年ごろ、戦線が激化したためメコン川などの作戦に参加することになった
アメリカ海軍は、

「ブラウンウォーターネイビー(河川などで戦う海軍)」

となることを(行きがかり上)余儀なくされます。

最初、ブラウンウォーターネイビーとなったアメリカ海軍は、
ガンシップヘリを所有する陸軍第145大隊の支援を受けていました。

この陸海共同軍は「ジャック・ステイ作戦」で、メコン川流域の
南ベトナム解放民族戦線のゲリラ討伐を一応成功させはしました。

しかしながら終わってみれば、やはり餅は餅屋っていうんでしょうか、
たとえば昼夜を問わず艦船に離着艦を行うような場面では、
陸軍のパイロットとエアクルーにはそれちょっとキツイ、
みたいなことが多々あったらしいんですね。

それは陸軍のパイロットとクルーが艦船を使ってのミッションの専門的な訓練を
全く行っていなかったことからくる問題だったようです。

そこで生まれたのが、ヘリコプターガンシップを運用する海軍航空隊、
ヘリ戦闘支援第一部隊(HC-1)、通称「フリート・エンジェル」でした。

使用したのは2機の陸軍のUH-1Bヒューイ、もちろんガンシップ仕様です。

「ミッドウェイ」フライトデッキ上の「艦隊天使」は、当時の武器を搭載した
ガンシップ仕様のUH-1がそのままに展示されています。

これらガンシップはブラウン・ウォーター・ネイビーを近接航空支援し、
迅速なる敵地攻撃を効果的に行いました。

需要が飛躍的に増えたガンシップ部隊を海軍は増強し、当初のHC-1部隊は
4つの部隊に分割され、

ヘリコプター戦闘支援部隊3(垂直補給)

ヘリコプター戦闘支援部隊5&7(救助)

そして

ヘリコプター攻撃部隊 (Light) 3

つまりHAL-(3)、シーウルブスとなったというわけです。
シーウルブス結成にあたり、海軍は海軍内にパイロットの志望を募りました。
志望者の中から80名が選ばれ、ベトナムに1年後から配置されています。

シーウルブスのデビュー戦?は1966年10月31日、
まだ部隊が分割される前のことで、ベトコン兵士を搭載した
80隻以上のボートに遭遇した2隻の海軍艦船の指揮官が要求した
緊急航空支援(CAS)にこたえた時です。

シーウルブスはスクランブル発進して約15分以内に現場に到着すると、
たちどころに16隻のボートを沈没または破壊したとされています。

HA(L)-3はその後も偵察、医療避難(MEDEVAC)、あるいは
ネイビーシールズの輸送と撤収というミッションをこなしました。

1972年3月16日に解隊となるまでの間、ベトナムとカンボジアでの
シーウルブスの飛行任務は実に12万回に及びました。

これらの戦闘を通して200人以上のシーウルブス隊員が負傷し、
そのうち44人が戦死しています。

コクピットドアに書かれた LT JG MARTIN COYNE、コイン中尉は、
ラインオフィサー(実務に関わる士官)たるパイロットとしてHAL-3、
おそらくMEDIVACを行なっていたシーウルブスののパイロットだったのです。

海軍の物故者名簿には、彼が2006年に64歳で亡くなったこと、
「Other Comments:」として、2007年1月、彼の妻は
カリフォルニアのサンディエゴに繋留してある「ミッドウェイ」の
シーウルフUH-1Bの機体に夫の名前を記した、と書かれています。

 

ところで、最初に海軍が運用しだしたヘリ部隊の名前、「艦隊の天使」
=「フリート・エンジェル」は、やっぱりヘリのローターを
「天使の輪」に見立てたネーミングなんでしょうね。

 

続く。

 


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