前回、ウェストポイントの学年を
1年 プリーブ
2年 イヤーリング
3年 カウ
4年 ファースティ
と呼ぶことを説明しましたが、次のコーナーでは、プリーブから
ファースティになり学校を巣立つまでの47ヶ月の間でも、
特に印象的なイベントが紹介されていました。
白の欄がプリーブ、右の紺色の部分がイヤーリングです。
プリーブは左上の「レセプション・デイ」(入学式)に始まり、
基礎的な候補生教育と学問の合間に彼らは自分の専攻を決定します。
ウェストポイントに到着した日から、新候補生たちは
体力的にも精神的にもチャレンジが始まります。
すぐさま、彼らは「軍隊生活」の中に放り込まれ、敬礼の仕方や
行進の仕方、命令を遵守することやライフルの使い方、そして
バラックでの生活についてを一から叩き込まれることになります。
海軍兵学校では「娑婆っ気を抜く」と称して、最初にバスを使い、
今まで着ていた服を故郷に送り返す、という儀式がありましたが、
ウェストポイントでは、ある意味アメリカ人には最も強烈な儀式があります。
列を作っている男性の頭を見てください。
全員坊主刈りどころかほとんどツルツルにされていますね。
なんとウェストポイント、入学当日に髪の毛を剃ってしまうのです。
これには驚きです。
防衛大学だって今時こんなことやりませんよね?
防大でもしこんなことをやったら、頭剃られるなら受けねえ、
みたいな人もいて、受験の人数が減ってしまうかもしれません。
でも、ここではやるのです。
流石に入学式の時だけで、最初のダンスパーティの時には
十分毛は生え揃っているので問題はないと思いますが。
敬礼の仕方を教えられるのは初日から。
「セカンドネイチャー」として素早くできるまで繰り返し練習。
彼らは「カデット・オナー・コード」(規則)と「カデット・クレド」を
通じて、陸軍士官学校の慣習と伝統を学んでいきます。
これは皆の髪の毛の生え方に個人差はあるけれど、だいたい入学してから
2〜3ヶ月といった感じでしょうか。
アメリカの士官学校ではいずれも学業を非常に重視します。
そもそも高校の成績がトップクラスでないと願書を受け付けてもくれませんし、
身元を証明するために、国会議員などの推薦人が必要になります。
「クリティカル・シンキングとクリエイティビティ」
批判的思考と創造性、これが士官候補生にとって必須のキーワードです。
学問を通して論理的思考をすること、引いては統率の際に必要な
判断力を培っていくことを目標としています。
歴史はもちろん、文化芸術、例えばシェイクスピアを演じたり(右上丸中)
社会科学などを深く学ぶことによって、人間というものを多角的に考察し、
高度でプロフェッショナルな意思決定ができるようになることも
指揮官としての必須条件です。
士官学校の達成目標は全て「軍の統率」に帰結するといっても過言ではありません。
だからこそ彼らはSTEM(科学、技術、工学、数学)の基礎を叩き込まれます。
特にこれらの知識と解決のための思考は、高度な問題解決を可能とするからです。
しかし、学問は任官したらそこで終わり、というわけではありません。
ウエストポイントの厳しいアカデミックプログラムは、
卒業生が変化する世界の不確実性を効果的に予測し、
それに対応していくことができるように準備されています。
候補生たちは、数学、科学、英語、歴史、心理学、哲学など、
幅広い教育を受けることができ、知識とスキルの幅広い統合によって、
問題を理解し、分析し、解決し、効果的に対応することができます。
ウェストポイントの卒業生は理学の学士号を取得することができ、
今日の陸軍指揮官に必要な教養を満たすための完璧な準備ができます。
ちなみにスカラシップは、よく知られたフルブライトの他に、
などが、学業成績やリーダーシップの秀でた学生に与えられます。
ところで、余談ですが、先日読者の方に我が自衛隊をこのように
誹謗中傷しているタイトルの記事を教えていただきました。
これ、読んだ方は首をかしげると思うのですが、この筆者は「幹部」、
その中には士、曹を経て任官した人と士官学校に当たる防衛大学校、
一般大を卒業して幹部となった人たちがいることを意図的に混同してますよね。
もっともらしく本当のことを書いているように見せかけてはいますが。
自衛隊というシステムに、その成立と憲法的な存在意義上、
組織として不備がないとはわたしは決して思いませんが、それはともかく、
海外と比べて、というなら、アメリカでも志願入隊してくる軍人は
中学、高校を卒業してこの人の言うところの「低学歴」のまま昇進し、
士官に任官してくるというのが常道です。
ゆえにアメリカ軍は低学歴集団ではない、というこの人の持論は間違っています。
ところで「低学歴」などという言葉で自衛隊を侮辱しているこの人は何者?
タイトルは慶應大学の教授ですが、ご自身の出身大学は成蹊ね。ふむふむ。
この教授とやらはおそらく何かの理由でとんでもない学歴至上主義なんでしょう。
いや、それよりも、とにかく自衛隊を貶めることが目的で、
後付けの不可思議な理論をこねくってこのような記事を書いたのだと思われます。
何よりタイトルのつけ方に悪意が感じられ、あまりにも品がなさすぎて、
これを書いた人の人格や教養すら疑われます。
こんな理論的思考のできない人は、もし何かの間違いで自衛隊に入ったとしても
絶対に幹部になどなれないと、ここでわたしが勝手に断言しておきます。
さて、プリーブの一年が無事に終わる時、彼らに取って遠い存在だった
ファースティの4年が卒業し任官していきます。
「レコグニション・デイ」では、上級生が彼らを激励し、
1年間の健闘を讃える儀式が行われます。
左側のでかい上級生は、まるで
「これがあと3年続くんだぞ」
と言いたそうな顔をしてますね。
2年、イヤーリングは野戦実習やランバックと呼ばれるマラソン大会、
もちろん学問も自分の専攻を追求していきます。
でも21ヶ月目には、イヤーリングは初めてフォーマルな軍服に身を包み、
正式なダンスパーティを開いてもらえます。
もちろんこの時にはダンスの相手に彼氏彼女を呼んだりするわけですが、
士官候補生の恋人たちに取ってもこれは晴れがましいひと時でしょう。
候補生同士でお付き合いしている場合は軍服同士で踊るのかな。
また、イヤーリングの年の最後には、皆で
ウェストポイント・セメタリー(West point cemetery)
での慰霊を行います。
なんとウェストポイント、学内に陸軍軍人の墓があるのです。
墓地に葬られているいくつかの名前を上げておくと、
ジョージ・アームストロング・カスター将軍
シルバヌス・セイヤー(陸軍士官学校の父)
ジョージ・ワシントン・ゲーソルズ(パナマ運河建築総監督)
エドワード・ホワイト(宇宙飛行士、アポロ1号の事故で殉職)
マギー・ディクソン(陸軍士官学校バスケットボールコーチ)
エミリー・ペレス(イラク戦争で戦死、戦死した史上初の黒人女性士官)
基本的にこの墓地は陸軍の高官のためのものですが、28歳の若さで
心臓病で急死した民間人のエミリー・ディクソンと、
少尉で戦死したマギー・ペレスは特別措置によるものだと思われます。
カウはしかしどうしてこう記すべきイベントが少ないのか。
海軍兵学校でも「むっつり2号」とかいわれて、つまりあまり
存在感がなかったという記憶があります。
「カウ・サマー」(”牛の夏”って牧歌ですか?)、夏休みには
一般の大学生が自分の専攻に関係する職業体験をすることができるといわれる
「インターンシップ」で、陸士のカウたちは陸戦訓練をすることになります。
まあ、それが将来の職業になるわけですから当然ですが。
学問も大事ですが、陸軍士官としてはやっぱりこちらがメインですよ。
学生が実習で使う装備一式を全部紹介してくれています。
写真の右上、入学の日に頭をバリカンで剃られている人がいますね。
実は、彼らが銃を持たされるのは入学して二、三日以内なのだそうです。
坊主刈りとともに、精神をたたき込むという儀式的な意味もあるのかもしれません。
陸軍毛布には「U.S.」とだけマーク入り。
寝袋からマスクから、これら一式は入学した学生にすぐに全部支給されます。
フットパウダー、日焼け止め、虫除けスプレー、非常食のバー。
こんなものもちゃんと配ってもらえます。
日焼け止めは3段階くらいで日差しの強さに対応するという気配り。
さて、「カウ」は新学期が始まればすぐにaffirm、意思表明の宣誓を行い、
「500th ナイト」といって、ウェストポイントの500日を乗り切ったお祝いに
これまた正装のダンスパーティを開いてもらえます。
右側の「ファースティ」、4年生はイベントが盛りだくさんですね。
まず特筆すべきは「リング・ウィークエンド」でしょうか。
ウェストポイントでは1835年から行われている儀式で、
「インディア・ホワイトユニフォーム」(白い軍服のことをアメリカではこういう)
に身を包んだ彼らは、陸軍士官学校のリングを贈られます。
アメリカの特に私学大学はオリジナルの「カレッジリング」を毎年作りますが、
TOはアメリカの大学卒業時オーダーしなかったそうです。
その理由は、
「指輪なんて生涯すると思わなかったから」
いや、そういうもんじゃないでしょうよ。そういうもんじゃ。
これは士官候補生にとって何よりもエキサイティングな夜、
「ブランチ・ナイト」。
なぜ夜にするのかはわかりませんが、とにかく、
歩兵か?情報部隊か?それとも軍医か?
自分が最初の実習先が発表される晩です。
ちなみに、アメリカには「医学大学」というのはなく、
4年間メディカルコースに必要な単位を履修して、そのあと
メディカルスクールに進学して医者の勉強をするのです。
ですから防衛医大に当たるものもなく、軍医になりたい者は、
陸士を卒業してから陸軍のメディカルスクールで初めて医学を学びます。
そして3週間後の44週目、
「ポスト・ナイト」(これも夜か・・)
で、全員の正式な配置先が決まることになります。
全員が志望通りに行かないであろうことは、陸海ともに同じ。
悲喜こもごもの夜になるというわけです。
そして卒業まであと100日、という夜にまたまた正式な夜会が開かれます。
この「卒業まで100日ダンスパーティ」は、大変歴史のあるもので、
1871年から今日まで毎年行われている慣習です。
これはこのパーティの出し物のポスターですが、面白いですね。
おそらく演劇部のお芝居だと思われますが、題を見てください。
先日、元帥が二人出たクラスのことを
「星が降りかかったクラス」(The class the stars fell on)
という、という話をしたばかりですが、このお芝居はそれに
「・・literally」(文字通り)
をつけて、本当に星が降りかかって、というより人を直撃してます。
そして47ヶ月目。
帽子を投げるセレモニーで有名な卒業式が終わると、卒業生は
セカンド・ルテナント、少尉に任官し、ウェストポイントを旅立っていきます。
続く。