陸軍士官学校・ウェストポイント紹介ミュージアム編、最終回です。
「ゴー、アーミー、ビートネイビー!」のコーナーの次には
学生生活が次々tに映し出すカラースクリーンがありました。
これは2016年生徒、すなわち2012年入学した新候補生たちが
剃られたばかりの頭も涼しげに行進している様子です。
詳細は説明されていませんが、巷に出回っている情報から察するに、
彼らは入学が決まり新学期から候補生になる身分。
士官学校ちうのは陸海問わず、新学期が始まるまでに
その精神を叩き直す?というか身につけさせる準備期間を設けるわけです。
聞けば我が防衛大学校でも入校式より前に「着校」し、
基本以前の準備(敬礼とか、制服の着方とか)を学ぶそうですが、
なんと入校式を待たずしてこの時期に辞めてしまう者も出るとか。
この写真は昨日まで高校生だった彼らが、
頭の毛とともにこれまでの甘えを一切断ち切って
士官候補生になる準備段階です。
アナポリスとウェストポイント、どちらが厳しいか知りませんが、
少なくともウェストポイントでは卒業式までには
入学した生徒の3分の2しか残っていないということです。
えーと、これは「アーミー・ネイビーゲーム」のシーンかな?
前回因縁の陸海軍士官学校対抗戦について一項を割きましたが、
これをまとめるためにいろんな資料を見ていて一つ発見がありました。
昔の海軍兵学校のように、ウェストポイントでも卒業時の成績は
冷徹にナンバーが付けられてそれが一生付いて回ります。
有名になれば死んだ後も。
成績トップは普通の高校大学と同じく表彰されますが(後述)
なんと、最下位の生徒も特別に名前が呼ばれてしまうのです。
最下位者の発表はある意味優等生よりも盛り上がるのが普通で、
彼あるいは彼女は全員のスタンディングオベーションでその栄誉を讃えられ、
あろうことか同級生から一人1ドルずつの「お祝い」ももらえるのです。
一人1ドルと言っても侮るなかれ、ウェストポイントの毎年の卒業生は
千人いるんですから、合計で113,692円(今日現在)にはなるわけ。
で、この名誉を担う成績最下位者のことを、なんと呼ぶか。
ゴート(ヤギ)
なんですよ。
なぜヤギか?ってもちろんあれだよね。
海軍士官学校のアナポリスのマスコット、ビル・ザ・ゴート。
最初は落ちてもイテテですむ高さでやる訓練も、
色々とクリアしてきたらだんだん超人レベルになってきます。
比較するものがないからわからないけど、これ多分
結構高いところにあるバーを渡ってますよね。
防具は付けてるけど、高所から落ちると人は本能的に
手を突こうとして手首を骨折したりするものです。
(と、馬から落ちて手首を骨折したわたしが言ってみる)
やっぱり下にマットとか敷いてやるのかな・・・。
ここから先には「ファースティ・イヤー」、最上級生の
最後の一年についてが紹介されています。
4年間耐え難きを耐え忍び難きを忍んでここに至った彼らは、
士官として部下を率いるための訓練に最後の追い込みをかけるのです。
そこでさらなる指揮官としての訓練を受け、士官として
必要な資質についても戦略的な環境の中で身につけていきます。
その中で特に選ばれた30人のカデットたちは「旅団長」あるいは
部隊の「ファースト・キャプテン」として、いろんなレベルの部隊、
「プラトーン」(小隊)
「カンパニー」(中隊)
「バタリオン」 (大隊)
「レジメント」(連隊)
などの統率指揮を経験することになります。
それらの指揮官配置でファースティたちは、軍事倫理と軍人精神を
実証することによるロールモデルとしての役割を果たし、
また「優れた行動」の基準を設定し、それを推し進めることで
他の者に影響を与えることになります。
ウェストポイントでの最後の夏、ファースティはリーダーシップ訓練を通じ、
激しいストレスに晒されながら戦術的な問題を解決する中で、
これまで学んだことを統合する機会を与えられるのです。
ウェストポイントのアカデミック・イヤー(9月から6月までの一学年)
は専攻科目の学習のとともに自己反映のための時間です。
ファースティになり陸軍将校になる役割と責任を引き受ける準備が整うと、
士官の意義と指揮官の資質とは何であるかに焦点が当てられるのです。
東洋系女性のファースティ。
彼女は「プロジェクトデイ」で、学術的、軍事的知識とスキルを
教授たちにプレゼンテーションし、そのプレゼンテーション能力も含めて
評価され成績をつけられます。
先ほども書きましたが、何名かの強力なリーダーシップ能力を発揮する
優秀なファースティは、学生隊の指揮官として旅団を率います。
ウェストポイントから出土した古代の遺跡か?
とか思ってしまいますが、よくみてください。
素材はコンクリートでUSMAの文字が入っているよ。
ウェストポイントの工学専攻学生は、毎年
「アニュアル・コンペティション」
という共同制作コンペを行うことになっているのです。
そのお題には二つあって、一つは模型の鉄橋を作ること、
そしてもう一つがコンクリートのカヌーを作ることなのです。
アナポリスで一番難しい科目は艦艇設計と聞いたことがありますが、
それとは多分違う話だと思います。
とにかくこのお題の無茶なことは、このカヌーは実際に
ハドソン川に放流して浮かなくてはいけないということでしょう。
まあ普通の艦船は鉄の塊なので、コンクリートでも頭を使えば
浮くはず、ということでこの無理めなチャレンジになったと思われます。
制作は候補生たちが手作りで行い、そこで評価対象になるのは
チームワークとリーダーシップだったりします。
成形はまず芯を作ることから始まり、それにレイヤーしていって、
コンクリートをいかに滑らかに、うっすーくコーティングするかが勝利の決め手。
展示してあるカヌーはそのレイヤーを分解展示してありますが、
内側から
成形クロス(ワイヤーカッターで成形したもの)
離型剤を塗りサンドペーパーで仕上げた部分
コンクリートのインナーレイヤー部分
補強グリッド
外側コンクリート、塗っただけ
外側コンクリート、紙やすり仕上げ後
外側コンクリート、シーラント仕上げ
などと説明があります。
模型の鉄橋についてはその完成度について強度、デザイン、機能、
そして安全性と耐久性、経済性まで全てを競い合うそうです。
さあ、そしていよいよ卒業後に任官となるのですが、
彼らの配置先はこんなにありますよと。
歩兵、サイバー、経理、警衛(MPですね)、防空、
野戦特科、化学部隊、エンジニア部隊。
補給、輸送、総務、通信、火砲、医療、航空、情報そして需品。
これらの部隊全て、ウェストポイントで学んだ士官が指揮を行うのです。
そしてウェストポイントをめでたく卒業したあと、本物の士官になるために、
彼らは「コミッショニング」、宣誓式を行います。
冒頭の写真は、ミュージアムにあった実物大の模型ですが、
この宣誓の際にはこのように両親が近くに立つんですね。
(両親の模型を作るお金は節約した模様)
この説明によると、親しい友人や恩師に立ち会ってもらってもいいそうです。
婚約者とかガールフレンドなんてのはどうなんだろう。ダメなんだろうな。
「彼らの選んだ特別な場所で」とありますが、どこでもいいのかな。
自分ちの庭とか。
「ザ・ラストシップ」などや映画でもよく見る宣誓(oath)を行うと、
彼らは陸軍少尉の階級章を与えられます。
この瞬間がウェストポイントでの最高潮であり、また、
アメリカ合衆国の陸軍士官として国防の任を担うという
崇高なキャリアの始まりを意味するのです。
私服の彼らが制服を着た姿に変化していくスクリーン。
この「ビフォアアフター」、なかなか楽しいです。
世界におけるウェストポイント出身者の任務地。
丸が大きいほど基地(陸軍だから違う?)の規模が大きくなるわけですが、
これを見ると日本に展開している陸軍って結構大規模だとわかります。
そこでなぜか初心に戻って(?)初めて着校した日の写真が。
君たちファースティもたった4年前まではこんなだったんだよ。
「ウェストポイントに入るというのは変身の過程です。
若い普通の男女が候補生として肉体精神的な挑戦を行うのです。
47ヶ月の課程を通して、彼らはアカデミーの求める学術、軍事、
身体的、性格的な鍛錬を遂行することになります。
卒業までに彼らは陸軍少尉となり、部隊指揮を行うことが目標です」
しかしその47ヶ月は、アメリカ合衆国のリーダーを作り上げるのです。
卒業生は戦場における指揮官としての統率のみならず、政治や
民間団体に広くその活躍の場を持っています。
軍の任務を終えた後、彼らは学校長や大学の学長、
政府のアドバイザーや議員などにもなっています。
その活動が国内でも国際的でも、彼らは陸軍士官学校の伝統である
栄誉と栄光のもとに国を守るという精神を受け継ぐのです。
というわけでウェストポイント出身の政治家などの写真ですが、
わたしには日系アメリカ人で閣僚にまでなったエリック・シンセキ陸軍大将
(上段右から三番目)しかわからないや(笑)
出口にはこれも実物大のカデットが
「義務」「名誉」「祖国」
という彼らの守るべきものに向かって歩いていく模型が。
怖いよ君たち怖いよ。
最後に、「ロング・グレイ・ライン」メダル・オブ・オナー受賞者、
つまり特に優秀だった卒業生の名前が華々しく掲げてありました。
どれどれ、知っている名前はあるかな?
アロンゾ・H・カッシング(1861クラス)
ダグラス・マッカーサー(1903クラス)
うーん、この二人しか知らんかった。
成績優秀者が有名な軍人になるとは限らないのね。
むしろ「ゴート」の方が有名になる人が多かったりして・・・。
ちうかわたしが陸軍のことを知らないだけかな。
さて、この後わたしたちはバスに乗っていよいよ
ウェストポイント学内ツァーに出発しました。
続く。