神戸における練習艦隊プレゼンツ「かしま」レセプション、
日没時刻になり自衛艦旗降下が終了しました。
神戸港が薄暮から夕闇に沈んでいく瞬間、電飾の灯る「やまゆき」の向こうに
「KOBE」という文字が山麓に灯っているのが見えます。
この山麓電飾は20分おきに文字と帆掛船の形に変わるというもので、
この左側には昔ながらの神戸市章と錨のマークがあります。
映画「火垂るの墓」でもこの山麓電飾が描かれていましたが、これは
昭和8年から始まり、終戦前後の数年間を除きずっと神戸のシンボルとなっています。
このがっつりと内容の充実したトレイは・・・・!
骨つき肉からデザートまでちゃんと盛り付けてあります。
わたしはなんとなく「かしま」と「いなづま」の間を行ったり来たり。
「いなづま」の刺身舟盛りは早くも全滅。
帰ってきたら「かしま」も見事に刺身のつまを残して消え失せていました。
サシミ・イズ・ゴーン。
どうでもいいけど、刺身のつまってみんな食べないんですね。
夕闇が濃くなってきました。
新幹部たちも招待客も、双方の艦を行き来して交流を楽しんでいます。
ちなみに去年は幹部たちもレセプション会場で食事をしていましたが、
今年は誰も食べ物に手をつけず接客に努めています。
幹部の一人に聴いてみると、食事は前もって済ませているということでした。
確かに幹部が艦上で食事をするとどうしても一般人と話すこともなくなり、
仲間内だけで固まってしまう傾向があったので、練習艦隊としても配慮したのでしょう。
ちなみに自衛隊のほとんどのレセプションでは、ご挨拶の列ができるような
偉い人たちは、事前に食事をしてから臨むことになっているようです。
まったり美味しい「かしま」カレーの屋台には長い列ができていましたが、
自衛隊パーティでのカレーは決して品切れにならないので、(断言)
行列が解消してから取りに行くと並ばずにすみます(提案)
この日「かしま」先任海曹とお話ししていたら頂いてしまいました。
知人の方がこれを貰っているところに居合わせ、
「あ、(・∀・)イイなあ」
と呟くと、もう一つ持っておられてさっとポケットから出して来られたのです。
裏面は
「Japan trainig squadoron」 (日本国練習艦隊)
と日本列島がと書かれた北斎の「神奈川沖浪裏」が。
これはあれですね、遠洋航海で外国に行ったときに、日本国練習艦隊として
こういうのをプレゼントすると喜ばれるということで用意されたんですね。
ならばそのようなものをわたくしごときが貰って良いものかどうか、
何だか申し訳ない気持ちになってしまったのですが、
頂いたからにはせいぜい人前で見せびらかして宣伝に努めます。
ちなみに、この扇子、退出時に練習艦隊司令のまえを
ひらひらと打ち振って司令に見せながら退出してみました。
司令「あっ」
わたし「先任伍長にいただきました〜!」
同じ先任伍長には、こちらも時間差で頂きました。
あらためて「かしま」のマークは
「鹿の角」「錨」「刀」
で構成されていることに気づきました。
錨の一部分、ポケットの上ふたのようになっているのは
何か練習艦隊を表しているのでしょうか。
荷物を預かるクロークルームになっていた上甲板階の艦室には、
歴代「かしま」の写真や絵が額に入れて飾ってありました。
こちらが初代の戦艦「鹿島」。
英国アームストロング社製。
遣欧艦隊で皇太子陛下のお召艦になったこともあります。
「鹿島立ち」という名前をもった「鹿島」は
そのような役目を負うことを使命として造られたのかもしれません。
「鹿島」という名前を引き継いだ船としては2隻目ですが、海軍ではこちらを
「初代鹿島」としているそうです。
練習艦として海軍最後の内地巡航練習航海を昭和15年に務め、
その後は第4艦隊に編入されて南方戦線に赴きました。
終戦の年の10月、海軍籍を抹消されて民間船となった「鹿島」は
その名前のまま1ヶ月半だけ復員船としてシンガポールからの復員輸送を行い、
翌年解体されました。
その後にできた三代目「かしま」が現在のこの練習艦です。
三代の「かしま」の間には17年、50年のブランク(鹿島が存在しなかった時期)があるんですね。
同じ部屋に掲げられた各司令官の指導方針。
海幕長の指導方針は海幕長ごとに変わりますし、艦長のそれも
艦長が変わるたびに書き換えられますが、「自衛官の心構え」と
練習艦隊としての指導方針が変更されることはありません。
ちなみに現艦長の指導方針は
「負けじ魂」
これは、
「スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」
海軍時代から変わらず受け継がれている伝統的標語の一部です。
艦内の時計は、宴会終了時刻の0730を指しています。
舷門に向かうと、立っている自衛官が必ず、一人一人に挨拶をしてくれます。
舷門では敬礼も。
「かしま」の階段は他の自衛艦の階段より木製で立派なものですが、
たくさんの人が同時に降りると大変揺れます。
階段を降りたところでは、足許の危ない人に必要とあらば
手を差し伸べるために自衛官が必ず一人配置されています。
岸壁には気をつけの姿勢で立ち続ける乗員の姿あり。
神戸空港に向かうほとんどの人々とは逆の電車に乗り込みました。
車内から、赤い鉄橋を渡る一瞬だけ、「かしま」と「いなづま」が見えます。
先ほど「KOBE」だった山麓電飾が帆掛船に変わっているのに注意。
この部分の電飾は20分ごとに3デザイン変わって点灯します。
練習艦隊はこの翌日、近くの阪神基地隊に寄港、その後
中城(沖縄)ー佐世保ー大湊ー舞鶴
と日本列島を大きく一周廻った後、点検補修のため呉に戻ってきます。
ある艦長にお聞きしたところ、ゴールデンウィークの10連休、
練習艦隊の皆さんは呉で過ごすのだそうです。
そして連休明けに横須賀入港と。
幹部になって最初の大型連休をどうやって過ごすか、
新幹部の皆さんはきっと今から楽しみにしているんでしょうね。
練習艦隊シリーズ、たぶん続く。