Quantcast
Channel: ネイビーブルーに恋をして
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2815

オークランド航空博物館〜ドゥーリトル・ルーム「我が敵ドイツ」

$
0
0

オークランド航空博物館の「ドゥーリトル・ルーム」について、続きです。

せっかくですからドゥーリトル空襲について少し補足しておきますと、
空母ホーネットから

横須賀・・・・・・7機、
東京・・・・・・・・3機
横浜・・・・・・・・3機 
名古屋・・・・・・2機
神戸・・・・・・・・1機

 計16機が爆撃に飛来しました。
このうち1機を除く15機が曲がりなりにも空襲に成功。
その1機は、陸軍の要撃機に多数取り囲まれ、爆弾を捨てて離脱しました。

この時の日本の被害はというと。

死者87名、重軽傷者466名、家屋消失262戸。

ドゥーリトル隊長機は陸軍造兵廠を目標にするも、攻撃場所を間違えて一般人を2名死亡させ、
学校屋上に設置されていた防空監視櫓を見て軍事施設と誤認し、
日本機だと勘違いして手を振った小学生に掃射を加えたり、あるいは
陸軍施設を狙ったつもりが隣の?病院に爆撃してしまった機もあります。

このことから日本側はこの攻撃を「悪逆非道の振る舞い」とし、中国大陸に逃げたものの
間違えて日本軍基地に降下してしまった機の搭乗員のうち三名は
「国際法違反」として処刑し、残りのメンバーは捕虜として収監しますが、彼らは獄死します。


しかし彼らを庇うわけではありませんが、民間人とわかって意図的に攻撃した機は16機のうち
16番機の一機だけであったようです。

生まれて初めて戦闘行動で上空を飛ぶ異国の、どれが軍事施設でどれが学校なのか、
はっきりいってテンパっている彼らにはわかりかねたのかもしれません。

このときに間違えて日本軍基地に降下し、捕虜になった爆撃手ジェイコブ・ディシェイザーは
1945年8月20日に解放されたあとキリスト教の伝道者となり、来日して布教活動を行っています。

真珠湾攻撃の飛行隊総隊長を務めた淵田美津雄中佐が、戦後キリスト教伝道者となったのは、
ディシェイザーの冊子を読んで、キリスト教に興味を持ったからだと淵田本人がその著書で述べています。




 ここに展示してあるので「む、これで東京空襲を行ったのか?」
と思ったのですが、惜しいところで違いました。

これはB‐24、コンソリデーテッドのリベレーター。
後ろにあるのはパイロット用の無線マニュアルです。

光ってしまってちゃんと写っていませんが、左上はP‐51搭載の
マーリン・エンジンのなぜかバルブだけ。

で。それが何か、って感じの展示ですね。



すっかり退役軍人の趣味のプラモ発表の場となっているここドゥーリトル・ルームです。
飛行機が傾いているじゃないか!と思ったら、これは

「P‐47がクラッシュ・ランディングしたの図」

ほう、それで地面がえぐれてプロペラがねじ曲がっていると。
力作ですな。



このB‐17フライングフォートレスもクラッシュランディングして翼が曲がったんですねわかります。
・・・・・え?塗装の途中だって?

向こうにあるのは、ラッパの先です。(嘘)



P‐38ライトニング。

日本軍の搭乗員からは「ぺロハチ」とか「メザシ」とか呼ばれていました。
ぺロハチは、「3」を「ろ」と読んで、また最初のころは海軍航空隊にとって
「ペロッと食える」というところからつけられたようです。

 

B‐26マローダーによる1944年3月3日のローマ空襲の様子。

この爆撃について調べましたがインターネットでは何もわかりませんでした。
しかし、この空襲でもたくさんのローマに住む民間人が亡くなり、たくさんの民間家屋が 
爆撃によって焼失倒壊したんですねわかります。

つまりここはドゥーリトルに限らず、アメリカが行った空爆の功績を称えるコーナーであると。

この一連の展示からそのように理解しました。



左上から

「ミッション・ブリーフィング」
「爆弾投棄用地」
「爆弾の積み込み」
「B‐24のターゲットに向けたフォーメーション」

左下から

「軍医とフライトメディックが負傷者救護のために待機」
「負傷した搭乗員が搬送される」
「敵機の20ミリ砲による被害」
「赤十字の看護婦が負傷者の手当てをする」

む、この、「20ミリ」とはまさしく零式戦闘機の弾痕?
ちょっとこの写真だけアップにしてみましょうか。



弾痕ではなく、破裂している感じですね。
20ミリは破孔が大きいので、いったん当たるとこのようになってしまうのです。

機体の下方にも弾痕があることから(こちらは小さい)、この機は
空中戦で零戦と会敵してこれだけ銃弾を受けたものと思われますが、
はたして搭乗員は無事だったのでしょうか。

ところで、前回エントリでも少し言ってみましたが、全体的にここはドイツ軍については
やたら細かくいろいろと資料を用意して説明するくせに、当初結構な脅威であったはずの
日本機については全く触れようとしないんですよ。
全く、ここの展示だけ見ていたら、あんたらいったいどこと戦争してたの?
と思わず聞きたくなるくらい見事に「スルー」なんですよ。

この弾痕の残る機体もどこにやられたとか全く書いていないんですが、
このスルーっぷりを見る限り、もしかしたらこれはフォッケウルフにやられた痕だったのかも。


まあ、戦争ですから相手のことまで言い出したら展示にもきりがないとは思いますが、
少なくともドイツ空軍くらいの扱いはあってもいいんじゃなーい?



ドゥーリトル中将からブロンズ・スター・メダルを受ける、
メアリー・ディクソン中佐。

この名前を検索してみましたが全く見つかりませんでした。
ブロンズスターとはアメリカの戦功章で、

「英雄的あるいは価値のある功績をあげたもの」

に対して与えられる勲章です。 




メアリー・ディクソン中佐、すべての写真に登場しています。
真中はエリザベス女王をアテンドしているのがディクソン中佐。
どんな戦功を立てたのかはわかりませんが、たまたまそれが美人だったので
当時は陸軍の「顔」としてもてはやされていたようですね。

しかし、今日ではアメリカのインターネットサイトでも全く名前が上がらないという・・・。



アイゼンハワー・ジャケット、というやつですね。
陸軍戦闘服で、アイゼンハワーが着用したことからこの名が付きました。

しかし、これを日本語で画像検索すると、比較的、というかかなりもっさりした、
着こなしと着る人によっては。平日の昼間に馬券売り場にいるよな人種に見えてしまう、
非常に危険なデザインのジャケットが出てきました。

いわゆる「アイゼンハワージャケット」と、日本でそういわれているところの「ジャンパー」
にはずいぶんデザイン的に違いがあるような気がするのですが・・・。



P-38 設計図。

関係ないですが、わたしが所蔵している戦艦大和の設計図もこのように黒地に白抜きです。
もともと白地だったのを、印刷の時に逆にしていただいたのです。

この大和設計図、額装して部屋に飾るつもりだったのですが、あまりにも巨大で、
しかも俯瞰と側面の二枚があり、それを飾ろうと思ったら廊下の壁をくりぬかないといけない、
というくらいなので、いつかこれを飾る豪邸を建てたときのために大事に保存してあります。



双眼鏡は第二次大戦と朝鮮戦争でも使われたものだそうです。
奥にあるのが六分儀。
手前の帽子は、航空兵のキャップ。



BOMBS AWAYとあります。
といえば「爆弾投下」だと思うのですが・・・・。
この黒い部分には

「希釈型酸素調節器」

と書いてあります。
これが何をするものかはこれだけではわかりませんでした。



増槽ですが、グラファイト(黒鉛)がしみこませてあるので塗装しないように、
と表面に書いてあります。

グラファイトは燃料パッキンに使われるくらいですから、もしかしたら
引火性を抑えた仕様なのかもしれません。



 右は無線のダイヤルセッティングの数値表。



ダイアルと周波数の早見表のようです。



ノルデン爆撃照準器。

 映画「メンフィス・ベル」で、雲間から見える軍需工場をこれで覗きながら
「That's it! That's it!」(あれだ!あれだ!)
とヴァルという名の爆撃手がつぶやくシーンがありました。 

これは陸軍航空隊(USAAF)にて採用されていた当時の最高機密で、
爆撃機のの搭乗員が正確に爆弾を投下するために補助する照準器です。

本土を空襲したB‐29や広島、長崎に原子爆弾をを投下した「エノラ・ゲイ」「ボックスカー」には
もれなくこれが取り付けられていました。

爆撃照準器が無いそれ以前の高高度爆撃の目標物の破壊率はとても低く、
簡易爆撃照準器もまた同じだったのですが、問題のドゥーリトル隊の機には、
当初つける予定だったのが直前にはずされて簡易照準器に変えられてしまったそうです。

そうか・・・・それで、目標を外しまくったのか・・・・あいつらは。(嫌味)


それはともかくその理由とは、万が一同隊の飛行機が撃墜されたときに
この照準器が敵の手に渡ることを懸念したから、だったそうで・・・・・

うーん・・・。


これってさ。

つまり、わたしがかねがね言っているように、ドゥーリトル隊ってやっぱり、

あまり生還の見込みはないと見られていた

ってことでOK?

やっぱり「スケープゴート」だったのよね。
まあ、成果はともかく生きて帰ってきて一躍ヒーロー扱い、ご本人たちも
アメリカのために命を賭して任務を果たし自分を誇りに思ってるわけで、
誰もこの構図に疑問を感じていなかったからには、今更何をか言わんやですが。
 


それはともかく、このノルデン照準器。
機密を守るために、隊員は必ず秘密の守秘を宣誓させられ、さらには
いざという時に破壊するための特別の武器を持たされていましたし、
これを持って移動するときには、ご丁寧にもカギ付きの箱に入れ銃を携帯したそうです。


君ら、誰を相手に戦ってると思ってる?

この厳重な警戒にも関わらず、しっかり日本軍はB-25から現物回収し、同じものを作っていました。
全く同じ試作品も、昭和19年の2月には完成していたといいます。
さすがはコピーと改良にかけては世界一の国民、日本人。

だがしかし、技術はあってもお金がない、この悲しい事情のため、
量産できず、そうこうするうちに戦争は終わってしまいました。

とほほほ。




火を噴くMe262のコクピットからは搭乗員が脱出しようとしています。
横に貼られた絵の解説の写真を撮り忘れたので、詳細はわかりませんが、
有名な空戦だったのでしょうか。

そして、今回はどうしてもこのような考えに至ってしまうのですが、この脱出したドイツ人に対し、
この米軍機は機銃掃射などは加えなかったのではないだろうか、と、
何の根拠もなく思ってしまいました。


広島と長崎に二種類の原子爆弾を落とすことをためらわなかったアメリカが、
同じ対戦相手のドイツとイタリアにそれをすることを全く考えなかった、その同じ理由から。







Viewing all articles
Browse latest Browse all 2815

Trending Articles