昨年の憲法記念日に安倍首相が加憲案を打ち出してからしばらくして、
当時の統合幕僚長だった河野克俊海将が、外国特派員クラブでの質問に答える形で
「自衛隊の存在を明記してくれれば我々にとってはありがたい」
と発言したことはまだ記憶に新しいところです。
河野統幕長の発言は一部メディアと野党がそれを非難し、ある議員などは
「統幕長を辞任するべきだ」
などと騒いだものの、それは大した問題にもならず収束しました。
その後河野統幕長は史上もっとも長い4年間の任期を無事に終えられ、
平成31年3月末で勇退し民間人となられました。
先日、その河野氏が、ネット番組、「真相深入り 虎ノ門ニュース」の
レギュラーコメンテーター、ジャーナリストの有本香氏の招きで、
当番組に出演されたのをご覧になった方は多いのではないでしょうか。
わたしもこの回を大変楽しみにしており、車で移動中の時間を利用して、
リアルタイムで片言隻句聞き漏らすまいと視聴していたのですが、番組の後半、
この時の「ありがたい」発言についての真意をお話しになっていたので、
当ブログでは、その部分だけを書き出してみることにしました。
なお、独自の判断で、口語だと意味のわかりにくい部分、重複している部分など、
省略したり、読みやすく編集していることをお断りしておきます。
● 顔の見える自衛隊になったきっかけ
有本 河野さんのキーワード『顔の見える自衛隊』これはどういう意味でしょうか。
河野 つまり「国民に顔の見える自衛隊」です。
防衛庁自衛隊ができたのが昭和29年、わたしも昭和29年生まれなので、
ともに今年で65年目を迎えます。
憲法9条の問題、つまり自衛隊は違憲であるという問題はは自衛隊創設以来あって、
それで自衛隊に対する国民の目が大変厳しい時代がずっと続きました。
わたしが防大に入ったのは昭和48年ですけれでも、この頃PKOの任務を担って
自衛隊が(海外派遣に)いくなど想像もしておりませんでした。
「存在する自衛隊」ではあったんですけど「動ける自衛隊」ではなかったんです。
平成2年に湾岸危機が起こり、サダム・フセインがイランに侵攻しました。
それに対して時のアメリカ大統領、パパブッシュが、
「これを見過ごしたら今後世界は混乱する」
と多国籍軍を編成して、皆で協力しておし返そうじゃないかという話になりました。
その時、「日本は何をしてくれるんですか」という話になったんですよ。
それまでの日本はお金を出すが人は出さないというやり方だったんですが、
やっぱりそうではなく人的貢献、つまり汗をかいてくれという話になったんです。
どうするかについて日本中が大議論になりました。
民間人に行ってもらえば憲法上問題はないんですが、
そんな状況ではない、自衛隊でないとそんな任務は担えないのです。
それで自衛隊を出す出さないという話になったのですが、
その時わたしも末端班員として関わってたものですから、(海上幕僚監部防衛班)
「家政婦は見た!」じゃないですけど、上層部の動きをずっと見とったんです(笑)
その時よく自衛隊海外派遣に対する反対論として出てきたのが、
「いつかきた道」、それから「蟻の一穴」
(自衛官を一人海外に行かせるとそこから派兵につながる)
「軍靴の足音が聞こえる」。
自衛官は決して特別な人間じゃありません。
わたしだって別に純粋培養されて自衛官になったんじゃありません。
よく考えてください。学校ではみなさんの横に座っていたんですよ。
自衛官って普通の日本人なんです、などと説明しなければならないような状況だったんです。
つまり自衛官海外派遣の反対論を突き詰めると
「自衛官不信論」に行き着くのではないかと痛感したんです。
しかし自衛官のどこが不信なのかと聞いてもわからない、漠然たる不信感。
それがどこからきているかというと、
「戦前の軍隊って悪かったじゃないですか、
自衛隊だって軍隊なんだから何やるかわからないじゃないですか」
そこにさっきの三つのキャッチフレーズ(いつかきた道、蟻の一穴、軍靴の足音)
をかぶせると、不信が倍加されていく。
その時絶望感に苛まれまして。いくら言っても信じてもらえないな、と。
自衛隊がそんな組織でない、ということは行動で示さなければダメなんですが、
そもそもその行動の機会も与えてもらえない。
創設以来自衛隊は訓練もやり、アメリカとの関係もしっかりやってきたんですが、
不幸にして国民からは顔が見えなかったんです。
顔が見えないと不気味ですよね。
ところが急転直下、湾岸戦争が終わった平成3年に掃海部隊の派遣が行われました。
自衛隊が任務を帯びて海外に派遣された先駆けでした。
これで機雷掃海を見事に成し遂げて、地域の方々からも大変な評価を受けて帰ってきたんです。
それでも相当な反対運動がありましたが、向こうでの活動などについて
テレビ放映でも取り上げるようになり、その頃から国民にようやく
「自衛隊の顔が見え出した」
のではないかと思います。
有本 報道の仕方がたとえ逆風ではあっても、とりあえず
自衛官の生の姿がテレビに映るというのが大きかったんですね。
我々と同じ普通の日本国民が、普通の青年が頑張ってる姿が見えたと。
河野 その後、相当の反対論もあるなかPKO法案が通りましたが、
これも掃海部隊の活動がなければ通らなかったと思います。
これで国際緊急救助隊という海外への災害派遣に自衛隊が参加できるようになりました。
今では、国際緊急支援には自衛隊が真っ先に出て行きますが、
このような人助けさえダメだった時代があったんです。
阪神淡路大震災では、都道府県知事の要請がなければ動けず、出遅れたので、
その反省から自衛隊が必要と判断すれば独自に動けるようになりました。
それがオウム真理教のサリン事件、インド洋オペレーションにつながり、
それが陸上自衛隊のイラク派遣につながって行きました。
そして東日本大震災が起きました。
自衛隊の活動が高く評価され、自衛隊への信頼が上がったと言われます。
ペルシャ湾からの一歩一歩の積み重ねが東日本大震災に至り、
日本人の9割の方が自衛隊を信頼しているという結果につながったと思います。
「顔の見える自衛隊」の時代になったので、それに応じて信頼感がたかまってきた。
この姿勢を貫いて行くべきだと思います。
有本「切ないのは、公的機関の中で信頼度がナンバーワンで、信頼度が高い。
これは自衛隊の人たちが自分たちで勝ち得てきた信頼以外の何物でもないと。
本来であれば政治が大変な仕事をしてくれている自衛隊に対する信頼を
持てるようにしなくてはいけないのに、その役割を果たしてこれなかった、
と安倍総理もおっしゃっています。
自衛隊の人たちの自発的な努力に余りに多くを負い過ぎているのは、
国民の一人としては申し訳ないというか間違っていないかと思うのです。
河野 隔世の感があるのが、最近は
「こういう法案で自衛隊を出すな!自衛官がかわいそうじゃないか」
という反対論が出ていることです。昔は
「自衛隊なんて何をするかわからないから制約をかけろ」
だったのに(笑)
それから
「自衛隊を海外に出したら軍国主義につながる」
だったのが、実際に出してみたらそうじゃなかった。
海外に出て任務が終わったら皆家族の元に帰っていく。
我々自衛隊はそういうことを身を以て示したつもりでした。
ところが安保法制の時にまた同じような議論になりました。
有本 統合幕僚長に就任されて2年目、中谷防衛大臣の時ですね。
河野 そんなに多くはなかったですけれど、同じようなキャッチフレーズがまた聞こえ始めた。
「明日から徴兵制」とか。
有本 安保法案の中身に不備があるとかではなく、いきなり「いつかきた道」以下略、
徴兵制という荒唐無稽なレッテルを貼っての反対論は国民として虚しかったですね。
こういうのは湾岸危機から始まったんですね。
河野 間違いなくそうです。わたしたちは身を以て体験しましたので。
有本 海外では軍人が軍服で歩いているのは普通の光景ですが、日本では
自衛官がユニフォームを着て外にでちゃいけないみたいな・・。
河野 いけないってことはないないですけどね。
有本 いけなくはないですか。
日本では自衛隊に対する敬意が少ない気がします。
他の国では軍人は尊敬されますし、感謝の気持ちを向けますし。
例えば、ニューヨークで一年に何回かかどうかわかりませんが、海軍の船が着くと、
あんなリベラルなところなのにニューヨーカーたちが
「今日は海軍の若い人たちが街に繰り出してるよ」
と歓迎するんです。
「今夜は羽目外してどんどん遊んでもらわないと」
みたいな感じで。こんな雰囲気は日本にはないですね。
河野 いろんな見方があると思いますが、
わたしは、根本を質せば「憲法」だと思います。
● 連立方程式を解いた結果
有本「なるほど。
今までお立場上憲法について話すことはなかなかなかったと思いますが、
いろんな制約が憲法によってかけられているということですね。
河野 2017年に外国特派員クラブで講演を行いました。
憲法記念日に安倍総理が憲法明記論を出された直後だったんです。
有本 いわゆる9条三項加憲論というものですね。自衛隊を明記する、と。
これに対してあの時河野さんがおっしゃったことが非難されました。
河野 あの時はそんなタイミングなので聞かれるだろうと思っていました。
事前の打ち合わせでも『聞きたい』と言われていました。
それに対して「答えられません」でしたら何の問題もなかったのですが、
ただ、9条の問題というのは根本で、その当事者は誰かというと自衛隊なんですよ。
わたしはその時曲がりなりにも制服組のトップでしたから、
メディアからの質問を国民と我々をつなぐものとすれば、
国民が自衛隊に感想を求めていたということでもあったのです。
そこでわたしが答えないというのはそれこそ「顔の見える自衛隊」であると言えない。
今までならそういうことには踏み込まないのが「安全策」だったと思いますが、
わたしは一歩踏み出したのです。あれはだから「確信犯」です。
この問題についての当事者であるわたしは何らかの言葉を発する必要があると。
ただし、政治的な制約がかかっていますから、
わたしとしてはこの「連立方程式」を解いたわけです。
有本 ご存知ない方のために説明しておくと、憲法記念日に安倍首相が9条3項加憲論、
つまり自衛隊を明記するという案に言及したのに対して、河野統幕長が外国特派員協会で、
どう思われますかという質問に対し、「ありがたいと思う」と言葉を発したわけです。
一部メディアは「統幕長がありがたいとは何事か」と批判を行いました。
河野 わたしが自衛隊を憲法上明記して欲しいとか明記してくれとか、
してもらいたいとかはできないんです。
でもわたしが解いた連立方程式の回答は、
「憲法に自衛隊の根拠になるような条文が盛り込まれることになれば
それはありがたい」
国会が発議をし、国民が過半数で認めた状態になれば、わたしの気持ちとしては嬉しい。
自衛隊の厳しい時代を経験していますので、先輩などのことを考えると、
ありがたいというギリギリの言葉を述べたわけです。
わたしは今でもこれが政治的発言とは全く思っていません。
自衛隊が違憲というのは自衛隊ができた頃は有力な考え方だったんです。
保守と呼ばれる方だって自衛隊は憲法違反だというわけですよ。
社会党などは、
「自衛隊は違憲なので解散し、非武装中立で日本は軍隊を持たず
米ソどちら側にも属さず中立でいるべきである」
わたしはこれに賛成はしませんがこの論理はわかります。
しかし、
「自衛隊は違憲だが現状自衛隊は受け入れられているので、
国民が自衛隊をいらないというようになるまで
そのままの状態で仕事をしろ」
というのは到底納得できません。
有本 最高法規で認められていないどころかそれに反する存在なのに、
あろうことか一番大変なことをやらせようとしている。
河野 今自衛隊が憲法違反という方も、それが
国民に受け入れられているという事実は認めているんです。
ならば!ここははっきりと結論を出していただきたいと思うんです。
実力組織である自衛隊が憲法違反かもしれないという問題を抱えたまま
国家が進むのはもう限界だと思います。
違憲論も無理があるので決着をつけていただきたいんです。
あの発言が報道されたとき、統合幕僚長ともあろう方が「うっかり」
そんな失言をするとは思えなかったので、わたしはそこに必ず、
河野氏ご自身の強い意思があるはずだと確信していたのですが、
このときに氏がおっしゃった「連立方程式の答え」を聞いて、
まさにわたし自身の答え合わせも終了したように腑に落ちました。
ところで、自衛隊がその行動規範をポジティブリスト、やっていいことだけを決められ、
つまりリストにないことには手を出せないという状態なのはご存知かと思います。
今回、unknownさんがこの件でご意見をくださったのでご紹介しますと、
自衛隊が武力行使を始め、全てに抑制的なのは、もちろん憲法9条の
「戦争放棄」に起因するものですが、それだけでなく、このとき河野氏が番組でおっしゃった、
「自衛隊が共産革命等の内乱に備えるための警察予備隊から発展した」
ということも大きな要素ではないかというのです。
恥ずかしながら浅学ゆえ知らなかった部分なのですが、自衛隊法の第87条以降、
「自衛隊の権限」には、
「警察官職務執行法を準用する」
という箇所が「何度も何度も」出てくるのだそうです。
少なくとも、今のポジティブリストを、ネガティブリスト方式
(やってはいけないことを決められている)に変えないことには、
自衛隊は「シームレスな危機」に対応できないのは確かです。
「警察職務執行法からの呪縛」から解放されるとき、
自衛隊は「使える軍隊」になることができるのではないか、
というのがunknownさんのご意見です。
加憲論については、テクニカルな点でも主に憲法学者からの反対が多く、
そちらについては前途多難が予想されます。
しかし、とにかく現実離れした9条を改憲するには、
まず憲法改正のための96条の改正をまず実現させていただきたい。
いずれにせよ、河野氏が統幕長として発した
「(自衛隊の存在を明記していただければ)ありがたい」
この言葉を
「同じ日本人である自衛官たちの総意であり悲願」
と受け止め、その意欲のある総理大臣が首長であるうちに、
自衛隊の存在が憲法で認められる日が一日も早く訪れてほしいと切に願います。