横須賀地方隊で行われた令和初の練習艦隊出国行事は、なんの因果か
おそらく海上自衛隊にとっても歴史的な豪雨の中の出港となりました。
わたしの周りの招待者のほとんどは欠席していましたが、関係者や来賓、
何より実習幹部と乗員の家族はほぼ全員が間違いなく現地に来ていたのですから、
うちのTOのように、電車が止まって仕事に戻れなくなるかもしれないと考え、
安全策を取った人以外は、はっきり言って「サボり」です。
特にもし万が一、出席を朝になって取りやめた理由が
「予定していたお帽子やドレスが着られなくなっちゃう〜」
というふざけたものだったら、この日、上下雨合羽で来場し、
また体育館の隅でそれらを身につけて雨の中で艦隊を見送っておられた
何代か前の海幕長の爪の垢でも煎じて飲め、と言ってやりたいです。
さて、前回体育館の観覧席から撮った写真をアップしましたが、
横須賀地方隊の体育館の二階に今回初めて上がりました。
一部はジムになっています。
鍛えよ筋力!! 磨けよ気力!!均整のとれた心と技と体
「鍛えよ」と韻を踏んで「磨けよ」としたんですね。
さて、窓の下に見える「いなづま」の乗員が帽振れをしているところから続きです。
はっきりと画面にも写っている土砂降りのせいで、大変そうですが、
そんな中でも姿勢のいい幹部はいるもので。
この一番左の幹部は、どの写真を見てもいつも顔をしゃんと掲げ、
まるで帽振れのお手本のように行なっていて目を惹きました。
同じく「いなづま」の幹部たち。
艦首部分の乗員たちもその場で帽を振ります。
旗竿に向かって立っている二人とインカムをつけた人は帽振れを行いません。
メガホンの乗員は士官で、メガホンで何か指示をしながら帽子を振っています。
悪天候下での出港はおそらくなんども経験しているであろう海曹のみなさんですが、
よく見ると何人かは目をつぶったまま帽振れしています。
目に水が流れ込んでも顔を拭うわけにいきませんから。
雨の中、行進曲軍艦は意外なくらいはっきりと聴こえてきました。
どこで演奏しているのだろうと不思議だったのですが、もしかしたら
体育館に入る屋根付きの駐車スペースだったかもしれません。
多少の雨なら音楽隊は楽器に雨具を装着して演奏しますが、
この雨では全ての楽器がダメになってしまうでしょう。
おそらく、連合艦隊で山本大将が最初のスープのスプーンを取り上げた瞬間、
それをリレーで甲板に待機している音楽隊に伝え、ほとんど間髪入れず
演奏を始めたように、出港の瞬間、音楽が始まったに違いありません。
離岸時の帽振れが終わりました。
「帽戻せ」で帽子をかぶった幹部たちを横から撮影しています。
カメラマンではないようですが、きっといい写真が撮れただろうな。
それから一番左の人の惚れ惚れするほどの姿勢の良さに注目。
出航を見るために多くの家族が体育館の観覧席に上がっていきましたが、
しばらくするとほとんどの人たちが体育館を出ていきました。
「皆さんどうして出ていってるんですか?」
立っている自衛官に聞くと、
「さあ、どうしてかわかりませんが・・・」
そこに行ってみてわかったのですが、アナウンスに促されて上がってみたものの、
窓が小さく、「かしま」はほとんどそこから見えないということがわかったので、
豪雨にも関わらず多くの家族が岸壁に出て行ったものでしょう。
さすがは海上自衛隊、これらの人たちを規則で足留めすることはしなかったのです。
この日参加した人の報告を聞いた知人が、
「練艦隊の見送りでは、みなさんずぶ濡れになったと聞きました。」
とメールを下さったのですが、現地でのアナウンスでは
岸壁での見送りは行わない、とされていましたし、原田副大臣や海幕長は
体育館のフロアから出たバルコニーから見送りをしたので、
ずぶ濡れになったのは招待客や来賓ではなく、
この時に岸壁まで出て行った人たちだけだったと思われます。
乗員から見えるように自衛艦旗を振っている人の姿も見えますね。
体育館の窓は小さく、窓ガラスを開けたところからわたしはカメラを突き出すようにして
なんとか写真を撮っていたわけですが、ふと気がつくと、
係留してある「きりしま」など、他の護衛艦の甲板に人が立っていました。
桟橋に完全防備で写真を撮っているのはカメラマンだと思われます。
ある意味、いつもと違ったドラマチックな出港シーンが撮れたのではないかと思いますが、
来年の自衛隊カレンダーにこの日のどんな写真が載るか見るのが楽しみです。
艦番号153「ゆうぎり」とその向こうの「おおなみ」にも
練習艦隊を見送るために登舷礼が行われています。
「きりしま」の右舷側はくまなく登舷礼の人の列で埋め尽くされていました。
ここからは見えませんが、おそらく艦首側の舷側にも人が立っているのでしょう。
作業服である海上迷彩の上にレインコートを着用しています。
練習艦隊が体育館から出て行ってから「いなづま」、続いて
「かしま」が横須賀湾から出て行くまでの間、彼らはずっと立ち続けていました。
岸壁を離れた「いなづま」の艦体は、回頭が可能なところまでタグに引っ張られていきます。
「向こうにいるのはアメリカの船かね」
近くで見ていた爺様が若い人に聞いていました。
「そうでしょうね。向こう岸は米軍基地なんですよ」
艦番号63は駆逐艦「ステザム」です。
ここから見ても艦体のサビがはっきり確認できるという米軍仕様。
回頭が終わり、「いなづま」がもう一度帽振れを行いました。
練習艦隊はこの後、東京湾を出る時に観音崎沖を通過しますが、
登舷礼は観音崎で見送る防衛大学校のヨットに挨拶をするまでずっと行われます。
ふと気がついたら、体育館の中の自衛艦が帽振れを行なっていました。
海幕長などは外のテラスに出ているのだと思われます。
ちなみに、帽振れしている人の後ろにいるのは2年前の練習艦隊司令官です。
「いなづま」の艦体が完全に湾口に向き、タグボートが離れていきました。
しばらくしてようやく、出航した「かしま」が視界に入ってきました。
わたしのいた体育館の窓からは、角度的に「かしま」出航は見えず、
回頭して初めてカメラのフレームに収まるようになったのです。
「かしま」の実習幹部たちの帽振れをようやく見ることができました。
「帽戻せ」。
「かしま」の頭から尻尾まで、見事に並んだ実習幹部の登舷礼。
例年、練習艦隊を観音崎から遠目に見ると、登舷礼の白い列が大変美しいのですが、
今日はこんな天気なので黒い列となり、視覚的に少し残念な出航となりました。
今年もし晴れていたら、わたしも去年のように車で観音崎まで駆けつけ、
通り過ぎる「かしま」と「いなづま」を三脚を立てて撮ろうと思っていたのですが、
全くそんなことのできる状況ではなかったため、諦めました。
ところで、こんな雨の日にも防大のヨットは観音崎での見送りを行なったのでしょうか。
回頭が終了して、二度目の、そして最後の帽振れです。
こんな遠くからでも黄色いストラップの練習艦隊司令官はよく見えます。
岸壁でずっと演奏されていた「軍艦」はこの時の彼らに聴こえていたのでしょうか。
後甲板にいるのは女子実習幹部たち。
下の階で帽振れできた人はラッキーです。
そして「かしま」も登舷礼の列を見せたまま横須賀軍港から出ていきました。
終了のアナウンスが行われ、まず副大臣が退場、海幕など関係者が出ていきました。
先ほどまで人が立っていた「ゆうぎり」「おおなみ」の甲板からは
人がかき消すようにいなくなっていました。
大変な天気でしたが、わたし自身のことを言えば、車で体育館の近くまで来れて、
しかも雨装備は万全、自衛官ではないので傘もさせて、こんなので
大変などといってははっきりいってバチが当たるくらいです。
お昼にはちょっと早い時間でしたが、そのままメルキュールホテルの
ブルゴーニュで、一人のランチコースをいただきました。
サラダや前菜、パスタがバッフェで食べられ、それに魚か肉のメインが選べて
デザートまで付いてくるという超お得なランチで、横須賀に来ると
(他に店を知らないせいもありますが)いつもここに来てしまいます。
ここからは我が潜水艦基地がよく見えます。
この日もしお型潜水艦が蓄電の水煙をあげている様子を眺めながら、
観音崎まで実習幹部が登舷礼でたち続けていたのか、もしそうなら
彼らの新しい第一種夏服はいきなり雨の洗礼に遭ってしまったなあ、などと考えました。
「雨降って地固まる」などという陳腐な言葉を使うのも何ですが、
海上自衛隊練習艦隊の歴史で、こんなドラマチックな出航も滅多にないでしょう。
江田島での「錨を上げて」事故もさることながら、今年の練習艦は、
もうすでに起こるべき波乱をかなり”消化した”という言い方もできます。
(練習艦隊の遭遇する”困難”が一定量であると無茶な仮定をしての話)
強引すぎる結論ですが、だから、きっとこれから始まる航海は順風満帆なものになるはずです。
半年後、皆さんが精強なる初級士官となって無事に帰国する日をお待ちしています。