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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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舟盛りと機雷と自衛艦旗降下〜掃海母艦「うらが」艦上レセプション

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今日、5月27日は旧海軍記念日に当たります。

わたしは最近買い変えた車のナンバーをこの527にしている人ですが、
こういう変わったことをする人間は世間には稀で、ほとんどの人にとって
この日は、何の意味もない普通の日に違いありません。

しかしかつては、この日、海軍部隊の都内大行進が行われ、
軍楽隊の勇壮な調べにのって、キリリと白い脚絆をつけたネイビーたちが
一糸乱れぬ更新を行う様子は、海軍を志す青少年や、海軍軍人に憧れる乙女、
そして軍楽隊志望の音楽少年を多数産出したものだそうです。

終戦後、かつての海軍記念日は何の記念日でもない普通の日になりましたが、
戦後、その海軍組織から生まれた掃海隊員の殉職者を顕彰することになったとき、
慰霊祭は旧海軍記念日の5月27日に行のうことが定められていました。

つまり今日は、本来なら「慰霊祭」が行われていたはずなのです。

ここでわずかに心安らぐ事実は、最終土曜日が追悼式、その前日の立て付け前に
慰霊祭を行うと決まっている所為で、何年に一度かは、本来の5月27日に
その日が巡ってくるということでしょう。

 

さて、その5月最終週金曜日に行われた、掃海母艦「うらが」艦上での
レセプションについてお話しします。

約8年前の自衛隊の報告によると、艦上レセプションは年々広報的色彩を濃くしており、
追悼式に比べ規模も拡大しているとのことですが、平成から令和になった今年も
その傾向は変わっていないといっても差し支えないでしょう。

掃海殉職者の追悼を第一義に行われている行事ですが、
同じ頃の報告でこんな数字があります。

艦上レセプション参加者約160名中、100名は艦上レセプションのみ参加

主催者側海自を除く追悼式参加者約120名中、60名は追悼式のみ参加

つまり、艦上レセプション参加者の6割は追悼式には出ていない、ということです。

追悼式会場となる慰霊碑前の広場のキャパシティを考えると、
艦上レセプション参加者が全員出席することはおそらく不可能なので、
海自側は、レセプションにのみ参加する層に対し、広義の広報と、
狭義の募集協力活動につながる効果を期待していると見られます。

ちなみに、追悼式および艦上レセプションの案内は、呉地方総監部から
日頃海上自衛隊が世話になっている関係省庁、協力団体、造船会社、
国会議員、報道関係者などを含む広い範囲を対象に送られています。

受付に近づくと、呉地方総監部の総務課でもうすっかり顔なじみとなり、
顔を合わせると女子的お手振り挨拶をするまでになったウェーブさんが
名簿照合のための官姓名報告をする前に名札を持ってきてくれました。

彼女のおかげですっかり甘やかされたスポイルドチャイルドのわたしは、
最近呉監の行事では大船に乗った気になって(海上自衛隊だけに)、
ひどいときには招待状の封筒すら持っていかなかったりします。

他所の行事では通用しないし、万が一彼女が転勤でもしたらたちまち困るのですが。

開会時間と同時に乗艦したので、すでに甲板は客でいっぱいでした。
早速知り合いを見つけては抉りこむように歓談を行います。

こうしてみるとあまり人が多いように見えませんが、もうすぐ挨拶が始まるので
ほとんどの参加者はテントの下(というかテーブルの周り)に集中しているのです。

時間通りにレセプションが始まり、呉地方総監杉本海将がご挨拶。
呉総監になって初めての追悼行事の執行者を務められることになります。

市長や政治家の挨拶の後、海幕副長の出口海将が紹介されました。
奥に見えているひときわ背の高い自衛官がその人です。

このとき、司会の自衛官がうっかり名前を「出川海将」とアナウンスしてしまい、
ちょうどその直前に名刺交換をしたばかりのわたしはあっと思ったのですが、
間髪入れず当のご本人が、

「出川ではありません。出口です。出川は芸人です!」

とツッコミを入れたのです。
この写真は、皆がそれにどっとウケて拍手しながら笑っているところです。

さらに名刺交換の前に、わたしは或る元海将から、出川海将の噂、
とにかくベタ褒めといっていいほどの高い評価を伺ったばかりだったのですが、
この、打てば響くような、部下の失敗を責めず笑いに変えてしまう
お手本のごときネイビーのユーモアを目の当たりにし、なるほどと納得しました。

名刺交換させていただいたとき、出川海将のウィングマークを見て、

「パイロットでいらしたんですか」

と伺うと、

「それは正しいようでそうでもないです」

と思わず引き込まれるような返事が返ってきました。
つまり、海将はTACO(戦術航空士)だった、ということなのですが、
P-3Cの場合、機長よりTACOが先任だった場合にはこちらが機長を務めます。

「淵田美津雄ですね」

それを聞いてわたしは思わずマニアックなことを口にしてしまいました。

もちろん海将はその意味をご存知だったので良かったです。

言い訳するわけではありませんがこの写真、焦点がボケているのではなく、
舟盛りの向こうの機雷に当たっています。

機雷ですよ。機雷。

ここ何年か連続して掃海母艦の艦上レセプションに出ていますが、
舟盛りと機雷、これほどシュールな組み合わせは初めて見ます。

これを掃討しないと舟盛りが触雷する!あぶなーい!というシチュエーション?
・・・いや、それとも機雷が海上に浮かび上がっているということは、
もう係維は切断されていて、あとは舟盛りの上からバルカン砲で掃討するだけの状態か?

この日、開会までてーブルにはメインの舟盛り以外は何も料理がありませんでした。

出川じゃなくて出口海将と皆が笑っている写真を見ていただければわかりますが、
ほとんどのお料理は挨拶をしている間、せっせとテーブルに運び込まれてきて、
終わるまでには全てが出揃っているといった具合です。

これは関西で練習艦隊が行なった「オペレーション・ラップ」と同じく、
開会前に料理が食べられないようにする作戦であることに気が付いたのは、
次の日人と話していて、

「関西から西はどこにいっても料理がなくなるのが異常に早い」

というテーマになったときでした。

「下関なんかもすごいんですよ。皆始まる前に食べ始めてしまう」

大阪ではラップをして乾杯と同時に外すという方法でそれを防ぎましたが、
ここでは挨拶の間に運び込むという戦法。
さすがに挨拶の時に料理に手をつける人はいませんから。

「というか東京や横須賀が特殊なんですかね。
下手すると最後まで食べ物がいっぱい残ってたりしますよね」

「東京は特に、食べ物にがっつくのはかっこ悪いという風潮があるんですよ。
パーティはグラス片手に談笑するもので、ものを食べる場ではないという」

そういえばわたしもごく身近な人間から

「社会人たるものパーティでものを食べているようではダメ」

と聞いたことがあります。
パーティとは新たな人脈を得る場であり交流をする機会であって、
刺身を食べている時間があるなら少しでも多くの人と名刺交換すべし、
と考える人種がが関東一円に多く集まっているということなんでしょう。

本日の調理を担当した給養の責任者が皆に紹介されました。
長いエプロンとワイシャツに白い蝶タイというシェフのいでたちです。

そして、追悼式に伴うレセプションということで乾杯も献杯もなし。
挨拶が終わり、どうぞご歓談くださいという言葉と同時に消え失せる刺身群。
向こうの舟盛りの刺身を取っている人たちは、なぜか皆自分の箸を使っています。
確か横にトングが置いてあったと記憶するのですが。

しかしそんなことより、かぼちゃを使ったこの不思議なオブジェを見てください。

これはなんですか?(真剣)

かぼちゃに「たかまつ」「うらが」はわかるとして、縄が縛られた
かぼちゃの中からは蛸の足とエビが顔を出しているのですが、
・・・・・蛸壺かな?

それならなぜ、エビがいる?
それとも掃海部隊の人ならああ、あれか、とわかるような種類のものなのかしら。

ちなみに、このエビは宴会終わりころにはいなくなっていたそうです。

高松港での艦上レセプションの大きな見所があるとすれば、それは日没です。

薄暮のなかに浮かびながら、次第にその色を紫に変える瀬戸内の島々の向こうに、
この日の太陽が空を茜色に染めつつ落ちていくころ、艦内には
自衛艦旗降下が行われるということが一般客に向けてアナウンスされます。

「海上自衛隊では毎日日の出と共に自衛艦旗を掲揚し、日没と同時に降下する
『自衛艦旗降下』を行います」

練習艦隊の自衛艦旗降下と違って、「うらが」の甲板は広く、
しかもこの日はそれほどたくさんの人がいなかったせいで
旗降下を見守る役の士官もいつもの位置に立っています。

写真を撮る人は周りに集まりましたが、横須賀や神戸の
練習艦隊のときより参加者に元自衛官が多かったせいか、
周りが人だかりになったりすることはありませんでした。

「うらが」の向こう側に係留してある掃海艇「つのしま」は、阪神基地隊、
「みやじま」は呉からやってきました。

高松での追悼式に伴う自主広報の一環で、毎年掃海艇(感)が来航し、
追悼式翌日の日曜日、午前午後一回ずつ体験航海を行なっています。

毎年800名程度が体験航海に参加しているそうで、わたしも一度だけ、
二年前に乗せていただいたことがありますが、1時間で帰ってくるクルーズなので、
全くの「遊覧コース」という感じになります。

地元地本としては、自衛隊入隊を考えている人たちを対象にした広報活動、
と位置付けていますから、そういう青少年や子どもたちを取り込みたいところです。

 

余談ですが、今年行われる予定の海自観艦式が、招待者を絞って、入隊志望者を優先し、
つまり自衛隊広報の本来の姿に立ち返るらしい、と最近聞き及んだところです。

確かに近年の自衛隊イベントの人気は過熱の傾向にあり、広報という点では
喜ばしいことなのですが、その弊害として、いつも同じ常連のマニアが跋扈したり、
チケットが高額でオークション取引されるという憂慮すべき状態を生んでおり、
しかもその割に、人気が自衛官の増加につながっていないという厳しい現実があります。

あれだけの大々的なイベントを、何の事故もなく運営することができる
海上自衛隊の組織力とそのスキルには感嘆するしかありませんが、
それはもう十分に世間に知らしめることができたと考えれば、そろそろ
悪しき傾向に「歯止め」をかけるときにきているのではないでしょうか。

ついでに(これは単なる個人的な予想なの聞き流して欲しいのですが)
今年の観艦式は、皇室行事の影響で、例年より早めに行われるかもしれませんね。
第二週の予行で本番がその週末、という線ではないかとわたしは思っていますが、
さて、どうなることやら。

自衛艦旗降下を行う当直士官たちが、不動の姿勢で時間を待つ間、
太陽の縁が山の端に消えていくのが見えました。
完全に沈み切った瞬間が、すなわちこの日の日没時間です。

今か今かと待っていると、

「10秒前」「気をつけ!」
ラッパ「♪ドッソッドッドミソ〜♪」

この写真は電飾の灯りが灯った瞬間で、発令より一瞬早かったようです。

 「時間」

これを「うらが」では「じかん!」と短くコールしていましたが、
中には「じか〜ん」と延ばしていっている艦もあります。

人によって言い方に癖があったりするんでしょうね。

向こう側の掃海艇の艦首旗は、「時間」の瞬間姿を消しました。


次第に闇が濃くなっていく高松港に浮かんだ「うらが」甲板には、
いつしか軽快な音楽隊の演奏するジャズやボサノバなどが格納庫から流れて、
華やいだ空気の中で人々がレセプションのひと時を思いおもいに過ごしています。

いろんな場所で自衛隊の艦上レセプションに参加してきたわたしですが、
ここ高松港での掃海母艦甲板でのそれが一番好きかもしれません。

昼間の熱を払って甲板に吹き渡る五月の夜風の匂い、
掃海母艦ならではの広々とした甲板で眺める海軍伝統の自衛艦旗降下の儀式。
そして、心締め付けられるような瀬戸内の夕焼けの色がここにはあるからです。

 

続く。


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