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ファントムII のレディルーム#6〜空母「ミッドウェイ」博物館

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朝一番に切符を買い、その日一番のアイランドツァーに参加し、
フライトデッキの新しくなった展示の写真を撮って「ミートボール」まで来た時、
わたしはキャットウォークに降りていくことができるのに気がつきました。

この階段を降りたところは、かつてのレディルーム、搭乗員控え室に繋がっているのです。

一人乗りのボートが「ミッドウェイ」の左舷後方すぐ横を走って行きます。
わたしがもしここでボートに乗るなら、同じコースを航走してみるでしょう。

中に入っていくと、まずメイルボックスが現れました。

「郵便物のピックアップは入港時 0730と1800

海上では通知のあった時に行われる」

ポストのあるホールの右側にはレディルームのドアがあります。
ドアのポスターには

「注意 ここからは戦闘機の領分(カントリー)です」

入ってすぐ左はまっすぐ艦体を左舷から右舷に抜けられる通路となっています。
突き当たりに見えるのが右舷側の区画というわけ。

レディルームは、左側に偉い人の机やロッカーのあるコンパートメントがあります。

角にあるデスクは置いてある帽子から推察してシーマン、右側は
士官が使用しているとわかります。
ダイヤルキー付きの金庫状のもの、書類ロッカーなども。

どの椅子にも占有者の上着がかけてあるのがいかにも使用中って感じ。

士官の机の上にはパイロットを象ったブロンズ像、そして
洗面器のような

「1975年 ミグ撃墜アワード(MIG KILLERS)」

のカップが。
以前、「ミッドウェイ」艦載機部隊が撃墜したミグについて、
いかにそれがずば抜けていたか実際の数字をあげてお話ししたことがあります。

ミッドウェイ戦闘機隊 vs.MiG〜空母「ミッドウェイ」博物館

1975年というのはベトナム戦争終結の年ですから、
戦争が終わって、もっともミグを撃墜した艦載機部隊に
このカップが授与されたということなのでしょう。

さらにその横には着艦信号士官(LSO)の白いベストとゴーグル、
そしてヘッドフォンとヘルメットなどの装備一式が展示されていました。

このレディルームすぐ上にあった「ボール」または「ミートボール」こと
光学着艦装置と無線を駆使して、白いベストを着た着艦信号士官(LSO)たちが
全ての艦載機の着艦をモニターし、着艦しようとする機の各パイロットに
進入角度や速度が適正であるかどうかなどの指示を送ります。

無事に着艦させればそれでおしまいというわけではなく、LSOは着艦を評価し、
フライトオペレーション終了後にパイロットにブリーフィングで
よかった点や改善点をしっかりと確認するのです。

そんなLSOは、飛行隊に所属する現役のパイロットでもあります。
LSOになるには、パイロットとしてすぐれているのはもちろん、
指導者としての資質も要求されることになります。

なるほど、レディルームにLSOの「シマ」があるのは、つまりここで
パイロット達にアフターブリーフィングを行う必要性があるからなんですね。

  ところで在日米海軍のツィッターに書いてあった情報で驚いたのは、
艦載機パイロットには常に「空母に着艦する資格の更新」というのが必要で、
それも、最後に着艦してから29日経つと、自動的に消滅してしまうということ。 昔から、そして今でもそうですが、空母の着艦には高度な技術が必要なので、
29日経つともう腕が鈍るという理由からです。   着艦資格を得るには陸上で模擬空母に着艦する試験を受けますが、
それを採点するのも、この着艦信号士官、LSOなのです。   LSOはもうお判りのように、Lはランディング、Sはシグナルの意味ですね。

レディルームを前に立って全体を眺めたところ。
男の子とそのお母さんを案内してきたのはボランティアの元軍人。

もしかしたら自分のこの日のエスコートが、将来、有望な
海軍軍人を一人増やすことになるかもしれないわけですから、
説明に力も入ろうというものです。

この部屋は「レディルーム#6」といい、かつてあった
F-4 ファントムII戦闘機隊の控え室を再現したものです。
ここにある金色のプレートには、レストアに当たって寄付をしてくれた人の
名前や団体名、家族名が刻まれています。

寄付をした人の中には当然ですがパイロットもいるようで、
名前に

「ホークアイ」「コンドル」「キラー」「フィンガーズ」「10G」

などのかつてのタックネームを付け足しています。

そして壁にずらりと並んだ歴代航空隊のエンブレム。壮観です。

左から順番に

VF-14「トップハッターズ」、VF-21「フリーアンサーズ」、
VF-31「トムキャッターズ」、VF-32「スウォーズマンズ」、
VF-33「ターシャーズ」。

どれもF-4ファントムIIの部隊で、最後のTARSIERとは
「メガネザル」のことです。

右から

「ビジランティス」(自警団)「ブラックナイツ」
「チャージャーズ」「エーシズ」「サタンズ・キティーズ」

ここでなぜか「ブルーエンジェルス」が挟まって、

「レッドライティングス」「ブラックライオンズ」

ブルーエンジェルスも含め、全てファントムIIの部隊です。

右より、有名な

「ジョリーロジャース」、「シルバーキングス」
「ファイティング・ファルコンズ」「グリム・リーパーズ」
「ダイヤモンド・バックス」「スラッガーズ」、

そしてあの

 別名日の丸やっつけ隊、「サン・ダウナーズ」!

そして「ピースメーカーズ」。

一番左は戦闘機学校のマークです。
これら全てファントムII時代の部隊です。

この鐘とプラーク(銘板)は、フィリピンのバターンにあった
「キュビ・ポイント」士官クラブのバーに飾ってあったものだそうです。

第213戦闘機部隊「ブラックライオンズ」の初級士官たちが
1967〜8年の「ウェストパック・クルーズ」において、
当地に訪れた空母「キティホーク」に持ち帰ったもので、
祖国への任務に命を捧げたファントム機乗りたちの慰霊の鐘となっています。

「ファントムの真実」とは。

「マクドネル・ダグラスのF−4ファントムIIは20年以上にわたって
アメリカの戦闘機の第一線にありました」

はいそうですね。
もっと長く使っていた国も東洋にあるわけですが。

1957年から79年にかけて、5,057機が生産されました。

これは月平均にすると72機が生まれていたことになります。
ファントムはアメリカ海軍、海兵隊、空軍にも使用され、
同時に多くの同盟国でも活躍しました。

また、海軍の「ブルーエンジェルス」、空軍の「サンダーバーズ」など
アクロバット飛行部隊でも
この機体が使用されているのはよく知られるところです。

 

ファントムは高速かつ駆動性に優れているうえ大変丈夫でした。
攻撃型戦闘機としてだけでなく、大型の武器を搭載して敵地にやすやすと進入し、
目的を果たして帰還して来ることができました。

ベトナム戦争時代は海軍、海兵隊、空軍で同じファントムに乗っていましたが、
海軍の戦闘機隊は空母から発進し、トンキン湾においてキルレシオ13:1という
ダントツの記録を打ち立てています。

典型的な空母への着艦のパターンが図解で記されています。

黒いリボンの右側から空母の上を左旋回して、高度を落としながらアプローチ。
ここでフラップを下ろす、とか、ここでは高度600フィート、とか、
とにかく最後の瞬間まで細かく決められています。

もしウェイブオフやタッチアンドゴーの事態になったら(点線)
向こうまでまっすぐ行って、帰ってきてもう一度同じアプローチをするようです。

パイロット用の教材に書かれているような図解がパネルになっていました。

左はイジェクション・シート、脱出シートの詳細。
右側はファントムのコクピット周りの説明のようです。

我が航空自衛隊の現役パイロットには、今でもこれが
完璧に理解できる人がいっぱいいるはず。

「LOOSE DEUSE 」というのはチームでタッグを組む空戦のスタイルで、
そのマニューバだと思うのですが、どうも「タリホー」とか「ボギーズ」とか
「コブラ」とかの意味がわかりません。

説明を読む限り、「タリホー」はこれから交戦する、「ボギーズ」は敵、
「コブラ1」「コブラ2」はこちらの味方ではないかと(適当)

どなたかこの言葉についてご存知でしたら教えてください。

左は敵地に急降下爆撃を行う際のアプローチの仕方。
敵の防御ラインを突破し、的確に爆撃をおこなて離脱する方法が図解で示されています。

下に「RIO」とありますが二人乗りのファントムの「レーダー・インターセプト・オフィサー」、
つまり「ファントム無頼」でいうと栗原航空士のことです。

下の図のように急降下爆撃を行うときに航空士は的確な高度をモニターします。

右はミサイルなどを発射するときの角度などについて。(適当)

こちらも着艦のアプローチの方法だと思います。
巨大な扇風機が邪魔だったので説明はなしです。


続く。


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