Quantcast
Channel: ネイビーブルーに恋をして
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2815

”エンリステッド・バーシング”〜空母「ミッドウェイ」博物館

$
0
0

また久しぶりに空母「ミッドウェイ」の話題に戻ります。


「ミッドウェイ」博物館、ハンガーデッキから入館して右手に向かって進んでいくと、

「ミッドウェイ・ユニバーシティ」

と書かれた階下に続くハッチが開いているコーナーがあります。

これはCOXという私企業がスポンサーになっている教育センターで、
アメリカでは6月から9月までの間、ちゃんと数学、理科、社会科、歴史など、
授業をしてくれるサマースクール(小2〜中2対象)が運営されたり、
週末のお泊まりプログラムを企画したり(対象は家族やグループ)、
また、学校の先生に勉強してもらうためのセミナーも開いているようです。

こういうのを普通に軍艦でやってしまえるあたりが羨ましいですね。
まあ、日本の場合そもそも軍艦というレガシーがほとんど残っていないので、
横須賀の戦艦「三笠」の館内がセミナーなどに貸し出されるくらいですが。

レガシーといえば、「レガシーの始まり」として、「ミッドウェイ」が
爆誕した時の写真がパネルにしてありました。

このパネルを読んでちょっと驚いたのは、1945年3月20日、
進水式の際にシャンパン瓶を割る儀式を行なったバーバラ・コックス嬢は
先ほどの企業COXの創立者の娘であったということです。

コックスは現在でも、自動車、そしてメディアに進出している
アメリカのコングロマリット企業です。

彼女の右側に立っている軍人はジョージ・ゲイ海軍大尉、
1942年のミッドウェイ海戦で全滅した部隊の唯一の生還者です。

第二次世界大戦の太平洋戦線における重要な勝敗逆転のきっかけとなった
ミッドウェイの名を受け継いだこの新鋭空母は、しかしながら
デビューから一週間前にその戦争が終わってしまいました。

そこで何をいうのかと思ったら、

「コックス社はミッドウェイととも国家に対する奉仕を行い
伝説を作ってきました」

つまりコックス社の宣伝だったんかい。

しかし、よく考えたら「ミッドウェイ」、そのサービスのほとんどを
かつての宿敵日本で過ごすことになり、その艦体は「ほぼ日本製」というくらい
どっぷりと染まって、ついでにたくさんのアメリカ軍人が
日本から妻を娶って帰っていったわけですから、縁は異なものです。

さらに進んでいくと、ハンガーデッキ中央に、艦名の元となった
ミッドウェイ海戦を解説するムービーが観られるシアターが現れます。

入り口には当時の戦闘機などを配し、ついでにミッドウェイ海戦時の
帝国海軍航空隊の搭乗員の実物大人形などを飾っておりますが、
この搭乗員、日本人から見ても

「どうしてこの人なの」

と言いたくなるような微妙な風貌なのがモヤっとします。
アメリカでよく知られている坂井三郎氏のイメージかもしれません。

このシアターで終日繰り返し放映されている映画

「ボイス・オブ・ミッドウェイ」

は、ほぼ全部youtubeで閲覧することができます。

Voices From Midway, Destination Point Luck (Pt 1 of 9)

日本からの見学客が来ることも考えてか、決して「アメリカ万歳」的、
かつ敵国を貶めるようなものになっていないのが評価できます。

日本軍のあまり知られていない映像を観ることもできて、大変興味深いものです。

 

ミッドウェイ海戦に投入されたSBDドーントレスが、

「四隻の日本の空母を沈めた航空機」

として展示されています。
翼の下のパンチング穴がいまいちラグジュアリー感がありませんが、
これは、鈍足のドーントレスが精強なダイビングを行うための

「ダイブブレーキ」

だと現地では説明されていました。
この反対側にはF4Fワイルドキャットがいます。

 

さて、シアターを左に見ながら右舷側に沿って艦首に向かって進んでいきますと、
前回お話ししたカタパルトの動力を作る蒸気アキュムレーターのタンクが現れ、
続いてクルーのバンクなどがある階におりて行く階段があります。

そこにあるのが売店。
営業は年中無休で、1100から1300まで、1600から2000までと
乗員の勤務時間を考慮しているのか、実に変則的です。

にこやかに接客をしているのはトンプソンさん。

ここに売っているのは、レジスターの後ろにもあるような石鹸や髭剃り、
櫛や靴墨、咳止めドロップなどの日常トイレタリーなどはもちろん、
ちょっとしたスナックやタバコ、時計なども買えたりします。

もちろんアメリカ人には必須のチューインガムもね。

それから、昔は今と違って女性乗員はいなかったので、男性御用達の
写真多めな雑誌なら買えたそうです。

それから、ここには在庫はないようですが、テレビやステレオなどの
家電製品も買うことができたようです。
(テレビなんか買ってどこで見るんだろう)

彼の後ろには「インディアナ・ジョーンズ」の第二作目、「魔宮の伝説」
(1984年公開)のポスターが見えます。

おそらく売店はレンタルビデオ屋も兼ねていたのではないでしょうか。
当時主流だったVHSビデオが棚に並んでいますね。

ポスターも貼ってあるコメディ映画、

「裸の銃を持つ男」

の他には、

「ホットショット」「フットルース」「シャレード」「ポリスアカデミー」
「ロクサーヌ」「The Story Of Jazz」「クリスマスストーリー」
「007ダイヤモンドは永遠に」「ドクター・ノオ」「ボディ・ダブル」
「007は2度死ぬ」「ミックスドナッツ」(クリスマス映画)

「ミッドウェイ」クルーは007がお気に入り?

戦争ものは思ったよりも少なく、

「硫黄島の砂」(ジョン・ウェイン主演)

「ダウン・ペリスコープ(インザネイビー)」

「Men of the fighting lady」

くらいしか見当たりません。
ただなぜか

「パットン将軍」「グリーンベレー」

はあります。

インザネイビーはここでもお話ししたようにトンデモ映画ですが、
本職がみんなで観ながら

「こんなんねーよwww」

とか笑うのが正しい鑑賞法だったりしたんですよね。
最後の「ファイティングレディ」は、朝鮮戦争時代のF9Fの話のようです。

「ホットショット」は、優秀なパイロットだった主人公が、
父親に対する負い目と度重なる軍規違反で除隊処分となり、
とあるネイティブアメリカンの部落で静かに暮らしていたある日、
重要な作戦の為に軍への復帰を求められるが、
集められた他のメンバーは一癖もふた癖もある連中で・・・

という話なので、一応軍隊ものです。

「アンディフィーテッド」というタイトルがあったので戦争ものか?
と思ったら、アメリカンフットボールのノンフィクションだそうです。

タイプライターは軍仕様で重そうです。
壁にはタバコのポスターが各種。

タバコが悪とされているアメリカ社会では、喫煙率が自殺率にも関係する、
という調査が出て以来、軍の中での喫煙も減らして行く傾向にありますが、
「ミッドウェイ」全盛の頃はまだそこまでではありませんでした。

それどころか当時はフライトデッキ、ハンガーベイ、そして通路以外では
どこでもタバコを吸うことができたのです。

今でも禁止というわけではないと思いますが、士官は吸わない人の方が多そうです。

何度かご紹介していますが、バンクのある兵員用寝室です。
呉の「てつのくじら館」のあきしおのベッドより気持ち大きいかなという感じ?

体の大きなアメリカ人は、よくベッドから脚が丸ごとはみ出していたそうです。

バンクとバンクの隙間には、寝台に書かれているのと同じ番号の
ロッカーがあって、そこに私物をしまっておきます。
縦型ロッカーはハンガーになっていて、服をかけておくのですが、
この薄さなので、衣装持ちさんは入りきらずに困ったそうです。

たまにロッカーにエレキギターを内蔵している文字通り
「ロッカー」もいたそうですが、ギターを入れたとしたら、おそらく
他のものは全く収納できなかったのではないでしょうか。

向こう向きに寝ている人がいました( ˘ω˘ )

「ミッドウェイ」ではこの寝室区画を

「エンリステッド・バーシング」=Enlisted Berthing

別名「棺桶ロッカー」と呼んでいました。

自衛隊でもそうですが、カーテンを引いて眠ることができます。
自衛隊では、夜中のワッチ交代の時にカーテンに頭を突っ込んで

「ワッチでーす」

という人がいるそうですが、アメリカではどうなんでしょう(笑)

艦内では一人になれる場所というのがほぼトイレの個室以外皆無なので、
カーテンを閉めて「自分だけのスペース」ができると、クルー達にとっては
大変嬉しいものだったのだそうです。

手紙を書いたりヘッドフォンで音楽を聴いたり、それからポータブルDVDプレーヤーで
映画を観たりできましたが、ただし好きな姿勢でくつろぐのは
一番上のベッドの人の特権でした。

コンパートメントは基本食事時間以外は電気が消され暗くされていました。
赤色灯だけが点いていて、誰かが必ず寝ていたからです。

各コンパートメントにはテレビが設置されていましたが、
赤色灯が付くと同時に消されました。
ということは食事時間しかテレビは観られなかったってことですね。

ベッドの下は各自の収納庫にもなっています。
愛犬を抱いた写真はこのバンクの主でしょうか。
荷物が少ない割に、靴クリームが二個もあったりしますが、日本同様
アメリカ海軍では(というより世界中の海軍が基本そうかな)身だしなみ、
靴の磨き方に異様にうるさかったりするので、減りも早いのでしょう。

また、寝室にはいざという時に持ち出す

Emargency Escape Breathing Device (EEBD)

透明のフード付きで顔を覆うようになっていて、
15分間だけ酸素が吸える火災時の脱出用コートのようなものが
オレンジの箱に入れて人数分用意されていました。

潜水艦よりはマシですが、それでもやっぱり軍艦の内部は狭い。
こんな通路で人がすれ違うことはできませんし、起床時間など
皆どのようにして混乱を解消していたのでしょうか。

何しろ「ミッドウェイ」には同じ船の中で4500人が生活していたのです。

ところで今この写真を見ていて突如気がついたのですが、この兵員用バンク、
どこを見ても上に上がるためのはしご的なものがないのです。

考えられるのは、一番下のバンクにある吊り下げ型の赤い手すりのようなものに
第一歩目をのせ、しかるのち上のベッドの縁を掴んで体を持ち上げ、
さらに真ん中のバンク縁に設置された赤いところに2ステップ目を乗せ、
一番上に体を横たえるという方法です。

だいたいベッドの割り当ては、一番下は背の低い人、上は高い人、
となっていたそうですから、脚の長さ次第では上に登るのに
結構大変、というケースを考慮したものと思われます。

もちろん一番人気のあるのは真ん中の段だったそうです。

 

わたしが大変気になったのは、靴を寝るときだけ脱ぐ彼らが、
いつどこで靴を脱いでベッドに上がったかと、脱いだ後の靴は
持ち主が寝ている間どこにあったかです。

いくらアメリカ人でもベッドに靴のまま上がったとか・・・。

そうではなかったと言ってくれ。

 

続く。

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2815

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>