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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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日系人執事タガ・テイキチ〜ファイロリガーデン・サンフランシスコ

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今回は当初の予定を途中で大幅に変更したため、6月に日本を出発して
帰国が10月という異例の長さになりました。
ビザで海外滞在できるギリギリまで海外にいたことになります。

今いるのは最終地のニューヨークで、来週には帰国しますが、こちらは
先週まで日中は暑かったのに、雨が振ってからは急に気温が下がり、
日本のクリスマスくらいの寒さになって、風邪をひいてしまいました。

幸いこちらの薬はドラッグストアで買えるものでも大変強力なので、
二日でなんとか直し、観艦式に臨む予定です。


というわけで今となっては遥か昔のことのような気がしますが、
サンフランシスコでの出来事をご報告します。

今回はアメリカでの宿泊先を全てAirbnbで調達しました。
特にサンフランシスコは最近ホテル代がとんでもなく値上がりし、
キッチン付きというだけでオンボロホテルでも一泊200ドル近く取るので、
比較的短い滞在期間でも泊まれる部屋を探したら、これが大当たり。

サンフランシスコ空港に近い閑静な住宅街の一軒家の
独立した一室が借りられることになったのです。

冒頭写真は今回借りた家の全景ですが、借りた部屋には、右側のドアから入り、
中庭に面したところにある専用のドアから入室します。

オーナーの家とはテラスを通じて隣り合っているので、顔を合わせるのが嫌、
という人には向きませんが、向こうも気を遣って全く干渉してきません。

Airbnbのプロフィールによるとオーナーは若い女性でしたが、到着した時に迎えてくれ、
その後のケアをしてくれたのは彼女のお母さんでした。

彼女は英語にヒスパニック系の移民らしい訛りがある美人で、そういう人が
ベイエリアでも屈指の高級住宅街のプール付きの家の主になっていることは
わたしにいろんな人生のストーリーを想像させました。

今まで、このような地域を通過するたび、立ち並ぶ家の中はどんなのだろう、
と想像していただけだったので、今回その一つに泊まれたのは
わたしのアメリカ体験でも特記すべき出来事の一つになりました。

サンフランシスコといっても空港近くのバーリンゲームという街は、
市内のように霧で寒いということもなく、普通にカリフォルニアです。

しかし気候的には今年はいつもより暑く、アリがキッチンに出没するので
ごめんなさいね、とオーナーは最初に済まなそうに言いました。

予想外の単語を出された時に、英語の苦手な人は聞き取れないのが常で、
わたしはこの時彼女の「ants」(しかも発音が’エアンツ’でなく”アンツ”)
が理解できず、なんども聞き返してしまいました(´・ω・`)

アメリカの豪邸に欠かせないのがプール。
アメリカ人の豊かさの象徴みたいなもので、広い敷地があればアメリカ人は
庭園ではなく、プールを作るのがデフォです。

このお宅はプールサイドのパティオに大画面の薄型テレビまで設置してあります。
水面は使っていない時には全面的にカバーしていますが、この日は週末で
息子さんがパーティをするからということでお母さんが掃除をしていました。

「今日パーティをするのでもしうるさかったらごめんなさい」

彼女はそういっていましたが、パーティといってもその日のは
プールサイドでバーベキューをしてビールを飲むという定番のもので、
はしゃいで泳いだりしている人はいなかったようです。

アメリカ人にとっての自宅のプールは、あくまでも「舞台装置」で
真面目に泳ぐものではないのかもしれません。

着いた次の日、アメリカ在住の友人と連絡が取れたので部屋に来てもらい、
どこかに行くことになったので彼女が知らなかったという
「FAILOLIガーデン」に連れて行きました。

前にもここで紹介したファイロリは、金鉱の持ち主である大金持ちが
ちょうど第一次世界大戦の頃建設した庭園付きの豪邸です。
その後売却され、今では国の史跡に制定されているということです。

今回は裏から入っていったので、キッチンから見学することになりました。

前回来た時と明らかに展示が変わっています。
サーバント、使用人の個室が公開されていました。

わたしたちが邸に入った時、ピアノの生演奏が聴こえていたのですが、
ピアニストはわたしたちが部屋に入った途端、演奏をさっさとやめて
部屋を出て行ってしまいました。

初老の白人女性で、最後に弾いていたのはキャッツの「メモリー」。
腕前からいってプロではなく、ボランティアではないかと思われました。

これも前回はなかった展示です。
籐でできた車椅子とナースの制服。
車椅子の座席には持ち主の愛読書がさりげなく置かれています。

当邸でナースをしていた人が紹介されていました。
1921年ごろ、脳卒中で歩行ができなくなった当主ウィリアム・ボーンは
フルタイムで勤務する看護師を二人雇いましたが、そのうち一人が
マリ・ダンレヴィというミズーリ出身の女性で、彼女は結局15年間ずっと
ボーン氏の看護をしていたことになります。

ボーン氏は大変プライドの高い人物で、ベッドや車椅子にいるところを親しい友人、
家族、そして看護師以外には見られるのを嫌がったので、フォーマルな席では
彼の腕の届く距離でスタッフがいつもスタンバイしていなくてはならなかったそうです。

ボーン氏が庭を見たいとなると、スタッフは彼を車椅子ごと庭に降ろし、
金属の鳥かごのようなものにネットを張ったものを彼の周りに置いて虫除けにしたそうです。

 

ボーンし、無理やり手を伸ばして犬の頭を触っているの図。

どうしてたくさんいたナースのうち彼女だけが紹介されているかというと、
ボーン氏の最後を看取った看護師の一人で、特に気に入られていたからでしょう。

彼女には、ボーン氏の遺言によって終生(彼女が死ぬまで)
年間600ドル(現在の9千ドルなので、100万円くらい?)
が支払われていたということです。

わたしはこの日本人バトラー、タガ・テイキチさんの説明には
日本人として無関心ではいられませんでした。

「テイキチ・タガは使用人というだけでなく、夫であり、父親であり、
日本人捕虜のサバイバー(生還者)となりました。
1906年、タガは日本からサンフランシスコに移民としてやってきて、
洗濯屋の仕事を始めます。」

「二つの祖国」の主人公の父(NHKでは三船敏郎が演じていた)もそうですが、
日本人移民の多くは手先の器用さとこまめさを活かせるクリーニングで生計を立てました。
そして丁寧で誠実な仕事ぶりがアメリカ人にも信頼されていたのです。

ちなみに現在のアメリカでコリアンのクリーニング屋が多いのは、このころの
日系人の評判をちゃっかり利用してきたということのようです。

 

「1912年、タガはマットソンーロス家に雇われ、彼らのために働きました」

「第二次世界大戦の間、米国政府は11万人もの日本人を
故郷から追放し、連行して強制収容所に収容しました。
二世、三世もその対象となったので、アメリカで生まれた彼の娘も対象となりました。

投獄されたときタガは62歳であり、マトソン・ローズ家のために20年間働いていました」

収容所から解放された後、タガ夫妻はロス家所有のサンフランシスコのアパートで
管理人の仕事をして暮らし、引退後にはゴールデンゲートパーク近くの家で
夫婦ともに余生を静かに過ごしたそうです」

収容所に送られる彼に対して何もできなかった雇い主でしたが、解放された後、
70近い老人にアパートの管理人という仕事を与え迎え入れたのです。

多くの日本人が同じ目にあったのですが、タガさんはその中でも
心のある主人に仕えられたわけで、非常に幸運だったと言えましょう。

   

東洋趣味の置物なども前回はなかった気がします。

友人は、

「お金があるのはわかったけど、なんだか成金って感じ」

とセンスを全く評価していない風でしたが、特にこの絵を見て、

「えらく美男美女に描かれてるけど・・あー、サージェントか」

わたしは前回サインをちゃんと見なかったので気づかなかったのですが、
なんとお金持ちだけあって、当時上流社会の人々の肖像画を描かせたら
当代一の人気画家だったサー・シンガー・サージェントに
増し増しで描かせた肖像画であったことがわかりました。

「サージェント好きだけど・・・誰を描いても”サージェント風”だよね」

「その人をモデルにサージジェント風味に描きましたみたいな」

ちなみに彼女は絵本作家で、彼女の作品は日本でも輸入盤が売られており、
ついでながら夫は有名なゲームのビジュアルデザイナーです。

そんな彼女のいうことは、特に絵画関係に関してはわたしはいつも
「ははー」と意見を拝聴するのが常ですが、今回も彼女が、かねてからわたしが
散々心の中で貶しまくっていたこの部屋の暖炉の上の絵をちらっと見るなり、

「酷いね」

と言い放ったので安心しました。

「なんでこんなの飾ってるんだろう」

「孫がプレゼントで描いたとかじゃないの」

もう言いたい放題です。

 足元の犬も初めてお目見えします。
というか床全体がリニューアルされてないか?

スタインウェイのフルコンピアノが小さく見える大理石のステージ。
なんと今回、当家にはあのバデレフスキーが訪れていたことがわかりました。

IgnacyJanPaderewski.jpg

特に髪型が女性のハートを鷲掴みにし、当時アイドル並みの人気があった
イグナツィ・パデレフスキー(1860−1941)。

「パレデフスキーのメヌエット」という曲をご存知の方もおられるでしょうか。

ピアニストで有名になりながら政治活動に身を投じ、
第一次世界大戦終了後の1919年にはポーランドの初代首相になりました。

おそらくパデレフスキーもここで演奏をしたと思われます。
後、有名どころでは、あのアメリア・イヤハートも当家の客となっています。

時間が少しだけあったので、庭も見てみることにしました。

木の枝が傘のように全周囲に伸びて地面に垂れている木。
内側には写真の真っ黒黒助の色違いみたいなのが吊り下げられていました。

鳥が巣を作るために用意されたものでしょうか。

庭園の様式はイギリス風を取り入れた「アングロアメリカン」風だそうです。

「でもあまり洗練されてるって感じじゃないよね」

あくまでも辛辣なわたしたち。

その後庭を歩いていたら物陰に動くものが・・・。
ワイルドターキーです。

「庭園に孔雀じゃなくてワイルドターキーがいるあたりがアメリカだねえ」

その時反対側にやはり動くものを認め振り向くと、そこには鹿が。

猛烈にお食事中。
鹿って、今回思ったんですが、写真に撮ると可愛くないのね。

先ほどのワイルドターキーが飛び上がって柵の向こうに消えました。

のぞいてみてびっくり、そこにはワイルドターキーの大群が・・・。

ちなみに彼らの歩いている所の向こうからが敷地外になります。
カリフォルニアの気候では何も手入れをしなければ土地はこうなってしまいます、
という見本が見られるというわけです。

「こんな所にこんな庭園を作ること自体場違いだったのでは・・・・」

放っておいたらこうなるわけですから、この庭園を維持し続けるのが
いかに大変かがわかるというものです。

ところで、このワイルドターキーですが、ググると「七面鳥」となります。

Gall-dindi.jpg

七面鳥ってこれだろ?と思うでしょ?

今回ショックだったのは、これは七面鳥のオスが「ディスプレー」
しているところで、常態はここで見た皆さんと同じだと知ったことです。

今の今までワイルドターキーと七面鳥は別の種類だと思っていたぜ。

それともこれは全部メスだってこと?
扇子みたいに尾っぽを開いているのを見たことないんですけど・・・。

その日は友人と、海沿いのレストランで食事をしました。
彼女の提案で、何品か頼んで全てをシェアします、とオーダーすると、
スープは最初から二皿に分けて持ってきてくれました。

真ん中にあるのはカマンベールチーズのフライ、こちらがグリンピースのサラダ。
向こうは「テリヤキライス」なる謎の料理ですが、どれも美味しかったです。

 友人を連れてAirbnbの部屋に戻ると、オーナーの猫がお出迎え。
猫好きには最高のAirbnb体験でした。

 

 

 


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