ニューヨーク州グレンヴィルのスケネクタディにある
エンパイアステート航空科学博物館は、二棟からなる展示室、
公開されているハンガー、そしてエアフィールドの航空機展示から成ります。
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本館の外に軍用機が展示されているところは
アグネタ・エアパークと名前が付けられています。
看板が掲げられたこの構造物は、昔監視タワーか何かで、
上を切り取ってしまったものではないかと思われます。
上って行けないように階段に板が貼り付けてあります。
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それでは、何回かに分けて展示機をご紹介していきます。
ベルエアクラフト UH-1 イロコイ Iroquois (Huey)
日本でもこのタイプのヘリのあだ名は同じく「ヒューイ」です。
アメリカで運用された初期の偉大なヘリコプターで、
最初に陸軍に導入されたのは1959年のことでした。
生産は1976年に終了しましたが、それまでの間、
アメリカでは陸軍、海兵隊、空軍、海軍で採用され、
生産された1万6千機は、他国のエアフォースでも使われています。
多用途ヘリとしてありとあらゆる任務に投入され、
それだけに多種の使用目的に応じたバージョンが生まれました。
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搭載エンジンはライカミングT53ターボエンジン、
これは歴史的にも最初に製造されたターボエンジンの一つです。
ヒューイといえば、そのイメージは「ベトナム戦争」です。
ニュース映像や数知れないくらい多くの映画の画面、そして写真。
ベトナム戦争を描いたものでヒューイの姿を見ないことはなく、
それは名実ともに一つのベトナム戦争のアイコンになったと言えるでしょう。
戦争中、ヒューイは輸送機として(あだ名は”Slick”。巧みとかいう意味)、
攻撃ヘリとして(あだなは”Hog”、豚という意味)、そして
救難機として(あだ名は”Dustoff”負傷兵搬送というそのものの意味)
フルに活躍し、投入されたうち2,500機が戦闘や事故で失われました。
1980年代になってより大型で速くパワーのあるシコルスキーの
UH-60ブラックホークが現れるまで、UH-1は
真に航空機のレジェンドとして第一線で活躍を続けました。
アメリカでは近年(2008年)になって、残っていたバージョンのヒューイが、
空軍宇宙軍団 Air Force Space Command:AFSPC
で採用されることになってファンを喜ばせたそうです。
AFSPCは軍用機として戦闘機の類は保有せず、人員輸送のためだけに
ヘリを運用しているので、復活が実現したのでしょう。
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窓の外からコクピットを撮っておきました。
シートは破れて中身が露出しています。
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後部には一人用の小さな椅子がありました。
そうそう、宇宙軍団といえば、我が空自が
航空宇宙自衛隊
に名前を変えるとかなんとか、先日ニュースで見ましたが、
なんだかワクワクしますね。
ここにあるUH-1は、Hモデルで、1964年に生産され、
ベトナム戦争にも陸軍機として参加したものです。
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「ミッドウェイ」の飛行甲板に展示されていた同機について、
「イントルーダーのツノ」としてその給油プローブについて
熱く語ってみた(熱く語るな)ところの、
グラマンA-6E イントルーダー
基本的に艦載機は翼を畳んだ状態で展示されています。
イントルーダーは当時最も効果的な攻撃ヘリとして、長期にわたり
海軍で使用されてきた名機です。
1950年代の甲板からA-1スカイライダーと置き換えられる形で普及しました。
ツインエンジン、二人乗りで艦上爆撃機として海軍と海兵隊が
空母で運用するのに多用されています。
イントルーダーを最も特徴付けるのは、重量の大きな爆弾を搭載でき、
かつ航続距離が大変長いうえ、夜間もオッケーで全天候型、という
使い勝手の良さだったといえましょう。
製作はロングアイランドにあったグラマンの「アイアンワークス」が行い、
700機が1963年から海兵隊に配備され始めました。
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船舶用語で、船の造波抵抗を打ち消すために、喫水線下の船首に
設けた球状の突起のことを
「バルバス・バウ」
という、という話を以前ここでもしたことがありますが、
このイントルーダーのインテイクを備えたノーズのようなのも、
「バルバス・ノーズ」
といい、この場合は空気抵抗を打ち消すためのものです。
タフなだけでなく、トラッキングレーダーと、レーダー高度計、
ナビケーション内蔵、ジャミング装置と盛り沢山に搭載し、
A-6は当時運用されていた航空機の中で最も高価だったといわれます。
機体は改良を重ねられ、1970年にグラマンが導入したA-6Eになると、
その信頼性は一層増し、整備にかかる時間も縮小されるようになりました。
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ところで、この空の色と雲を見ていただければおわかりでしょうが、
この日のスケネクタディはとにかく猛烈に暑かったです。
日差しが強いというわけではなかったのですが、
外で写真を撮って歩く時間はまるで我慢大会さながらでした。
見学者もいないわけではありませんでしたが、少なくとも
わたしたちが外にいる時間、他の人は一人も見ていません。
A-6は誕生するなりベトナム戦争に導入され、戦争中ずっと
特に北ベトナムでは夜間の要所攻撃に出撃しました。
1968年にF-111が登場するまで、世界唯一の全天候型攻撃機、
という地位にあったのです。
最後の頃は1991年から始まった湾岸戦争にも参加しています。
プラットアンドホイットニーのJ52ターボジェットという
パワフルな動力を備えたA-6は、典型的な攻撃ミッションでは
二つの増槽をフルにして、さらに6,000ー12,000lbsの楽団を搭載し、
何度となく空母艦上から空対地爆撃に出撃するのがデフォでした。
やっとのことで引退したのは1997年。
F/A−18ホーネットの誕生で後を譲ることになったのです。
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このA-6hは1967年製造、Eタイプのスタンダードバージョンで、
92年に退役するまでずっと空母勤務を「エンジョイして」いました。
その空母とはUSS「アメリカ」「ニミッツ」「サラトガ」、そして
あの火災で有名な「フォレスタル」だそうです。
機体のマークは、最後のサービスを行った「フォレスタル」の
第176攻撃中隊のものがそのまま残されています。
あと、給油プローブに鳥が止まらないように、
これでもかと針が仕込んであるのには個人的にウケました。
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ノースアメリカンT-2 バックアイ(Buckeye )
当たり前の話なんですが、航空機の名称で最初に「T」がついていれば
それは「トレーニング」なので、当然練習機です。
航空機に詳しい方なら当たり前の知識ですが、当ブログは
そうでない人に向けてお話しすることも重視しているので
(何しろブログ主の知識があやふやなことが多いため)
ここでアメリカ軍用機の記号規則の表をあげておきます。
A:Attack - 攻撃
C:Cargo - 輸送
D:Director - 指揮(無人航空機管制)
E:Special Electronic Installation - 特殊電子装備
F:Fighter - 戦闘
H:Search and Rescue/Medevac - 捜索・救難 / MEDEVAC
Help aircraft
K:Tanker - 空中給油
L:Cold Weather - 寒冷地仕様
M:Multimission - 多用途
O:Observation - 観測
P:Patrol - 哨戒
Q:Drone - ドローン(無人)
R:Reconnaissance - 偵察
S:Antisubmarine - 対潜 Surface warfare
T:Trainer - 練習
U:Utility - 汎用
V:VIP transport - 要人輸送
W:Weather - 気象観測
タンカーがKなのは、Tが練習機と重なるので、
Tanker のKなのだと思われます。
バックアイは中間ー高等練習機で、ジェット機の操縦訓練、
とくに艦載機として航空母艦の離発艦の練習に使われました。
航空自衛隊の練習機T-4はその機体の丸みから
「ドルフィン」というあだ名がありますが、シェイプから言うと
こちらのバックアイの方が丸っこくてイルカ感満載です。
続きます。