さて、しばらくご紹介してきたウェストポイント軍事博物館シリーズ、
最終回は、今までご紹介に漏れた展示を挙げていきます。
シッティング・ブルのライフマスク
シッティング・ブルことタタンカ・イヨタケ(1831ー1890)は、
ネイティブアメリカンのスー族の戦士であり呪術師です
イヨタケさん
アメリカ大陸の先住民族であるインディアン部族は、白人の西進に伴って
開拓の障害として駆除され、隔離され、その領土が強奪されていきました。
戦士であったシッティング・ブルの部族は彼らを皆殺しにすることを
政策に掲げる合衆国の侵略に立ち向かい、そのため一族は
絶滅対象部族
の指定を受けることになります。
しかし、先頭に立って戦う勇士シッティング・ブルの姿は、部族員だけでなく
いつの間にか白人たちからも一目置かれるようになっていきました。
白人との戦いの中でカナダに亡命するも、寒さと飢えに耐えきれず、
アメリカ合衆国に投降し、保留地で捕虜になってからは、
有名人ゆえに興行師に騙されて見せ物になるなどの辱めを受け、
最終的には保留地で難癖をつけられて射殺されました。
享年59歳。
ライフマスクが取られたのはシッティング・ブル49歳の時です。
ベトナム戦争
ベトナム戦争のコーナーより。
黒丸が(ほとんど沿岸沿い)アメリカ軍のベースだったところ、
赤丸が北ベトナム軍基地、薄赤で塗られたのがベトコンの潜んでいた地域で、
赤い線は敵(アメリカの)の補給ルートとなっていました。
M21スナイパー・ウェポンシステムです。
精度を考慮して作られたライフルで、ベトナム戦争中は陸軍のスナイパーのために
昼用スコープ、夜用ナイトビジョンのスコープがついていました。
ステン短機関銃MkII
なぜここ(ベトナム戦争コーナー)にあるのかわかりませんが、
この「ステン・ガン」は、第二次世界大戦中のイギリスで生産されました。
銃床が極力省略されたデザインが目を引きます。
低コストで大量生産されたMkIIは、その軽さ、組み立て式であることから
粗製濫造ともなりました。
英軍将兵からは「ステンチ(悪臭)ガン」とか「パイプガン」と呼ばれたそうです。
ウェストポイント1965年卒のロバート・ジョーンズ大佐が
ベトナムで捕虜になっていたときに着用していたシャツ。
囚人にストライプの衣装を着せるという習慣がここにも。
なんだかラグビーのユニフォームみたいですね。
ヘリ部隊が夕暮れのベトナム上空を飛行している写真には、
「チャーリー・アルファ」という題が付いています。
チャーリー=C、アルファ=Aというフォネティックコードですが、
CAつまりCombat Assault、強襲攻撃と訳せばいいでしょうか。
ベトナム戦争の間、第1機甲部隊(空中機動部隊)は、ヒューイ、
HU-1ヘリコプターを使って様々な任務に当たったことで有名になりました。
その任務の一つが「チャーリーアルファ」、空挺強襲でした
Charlie Alpha: A Helicopter-borne Combat Assault in Vietnam
武器兵器展示場
歴史的資料のケース展示を見終わったところに、武器兵器だけを集めた
アメリカ最古の武器展示コーナーがあります。
当軍事博物館の創始は、ウェストポイント開校とほぼ同時に
収集されてきた「トロフィー」やこれらの武器の展示が元になっています。
もちろん、ここもじっくり見れば大変興味深い軍事資料の宝庫なのですが、
いかんせん、わたしたちが参加した学内ツァーはその日の最終出発で、
閉館の時間が迫っていた上、体力を使い果たしてヘロヘロだったため、
一番最後のパートであったこの部分はほぼ駆け足で通り過ぎてしまいました。
今にして思えば残念ですが、また次の機会があることを祈りましょう。
その中からかろうじて撮ったごく一部の写真をご紹介します。
右から;
第二次世界大戦中のドイツ軍士官用サーベル
ヨーロッパのアーヘンで降参したドイツ軍部隊の司令官、
ゲルハルト・ヴィルック少佐佩用のもので、戦利品として
アメリカ軍が持ち帰ったものです。
真ん中二振りの刀;
1900年、中国で採取されたもの。
左;
オスマントルコ帝国、ヤタガン(Yataghan)
この形の刀はフランス軍、イギリス軍を始めとして全世界に広がリ、
銃剣の他に砲兵刀(砲兵が装備した、近接戦闘用の大型の戦闘用ナイフ)
として用いられるほど影響力がありました。
幕末の日本にも各種の小銃と共に伝来し、明治期初期の日本陸軍でも、
“ヤタガン形銃剣”、“ヤタガン式銃剣”等として使用されていました。
下;
1810年、ハノーヴァーで使われていた将官用軍刀
速射兵器を設計する試みは16世紀に始まりましたが、
ジェームズプッケの1718年の銃の前に建造されたことを示唆する証拠はありません。
この英国の発明は完全に手作業、シリンダーはロックを解除し、
回転させ、それから再びロックし、独立してコックしなければなりませんでした。
そのため、銃弾を装填するマスケット銃を使用する熟練した銃士よりも、
振る舞いの速度がはるかに大きくなることはありませんでした。
パーカッションシステムの開発後、実用的な迅速な消防銃が
現実の可能性になりました。
ボレー銃と連続式消防銃は1850年代から1860年代初頭に製造されましたが、
適切な自吸式金属カートリッジが使用可能になった
1865年まで完全に成功しませんでした。
1890年までに、2つの企業が世界中で使用されている
ほとんどの高速消防銃を生産していました。
コルトファイアアームズは、リチャード・ジョーダンガトリングが設計した
回転式のマルチバレルモデルを製作しました。
これは、人間がクランクを回せる速度で発砲することができますが、
通常は1分間に300発未満です。
イギリスのMaxim-nordenfelt Companyは、スウェーデンのデザインした
マルチバレルボレーガンを製造しました。
一度に1つのバレルを発射するガトリングシステムとは異なり、
Nordenfeltはすべてのバレルを同時に発射するように調整でき、
Nordenfeltはすべてのバレルを同時に発射するように調整できます。
10バレルモデルでは、毎分1000発の発砲が可能です。1
910年までに、カートリッジから生成されたエネギーを動力源とする
単一のバレル自動機関銃は、筋肉動力の機関銃に取って代わりました。
小さく、軽く、より安く、1940年代に動作するために
必要な人間のエネルギーが少なかった。
1960年代に、回転機銃が再導入されました。
それとは異なり、それらは電気モーターによって駆動され、
1分あたりの回転数が可能でした。現在も使用されており、
口径によるとヴァルカンおよびモーンガンとして広く知られており、
実際には電気モーターを備えたガトリングガンです。
カルロス・ゴーンもびっくり、オレンジと緑のカラフルな戦車はルノー製。
FT軽戦車は、アメリカが最初に導入した戦車でした。
中身はこうなっています。
人類の戦争に初めて戦車が投入されたのは第一次世界大戦でしたが、
このルノーFT戦車も1918年に完成し、実用化されました。
終戦後は世界に輸出されていますが、我が帝国陸軍でも
二個戦車隊の数(はっきりとした数は不明)輸入して運用していました。
満州事変でも投入され、兵士からは「頼れる戦車」として人気があったそうです。
第二次世界大戦時に活躍した軍用ジープ。
装飾入りの曰くありげなピストルは、金メッキされており、
ナチ党のメンバーからヒトラーにプレゼントされたものです。
砲身に文字が刻まれており、(写真のものとは違うと思われ)
「共産党を赤い戦線からこちらに入れないように。
そしてわたしたちのヒトラー総統を護るために」
というものだそうです。
ただし、ヒトラーが自決したのはこのピストルではありません。
さて、これで残らず撮ってきた写真をご紹介し終わりました。
開館時間ギリギリまでいて、外に出るとこのようなベンチあり。
「WEST POINT MUSEUM」
と字が透かし彫りしてあります。
駐車場でカンカンに熱された車に乗り込み、わたしたちは
とりあえず何か食べようということになったのですが、
まず思い出したのは、この日学内ツァーで案内してくれたボランティアの男性が、
ウェストポイントの候補生は(多分先生も)これがないと生きていけない
と言っていた、学校の校門後近くに(本当に近い)ある
マクドナルドに行ってみることにしました。
どこにあるかというと・・・・ここです(笑)
学校の校門近くにあるのは日本では駄菓子兼文房具屋と決まっていますが、
アメリカではそれがマックなのです。
彼らはこっそりマックを夜にデリバリーして「人間らしさを取り戻す」
らしいのですが、そもそも軍学校にそんな宅配していいのか?
と心配になってしまいますよね。
でも、聞いているとマックの配達はどうもお目こぼしにあっているというか、
陸軍士官学校御用達マックとして、堂々とやっている節もあり。
今時のアメリカのマックですから、注文は入り口にあるモニターで行い、
(写真付きのメニューなので外国人とごちゃごちゃしなくていいので
従業員にとってもストレスフルなシステム)番号をもらって待っていると、
カウンターに用意されているというわけ。
日本であろうがアメリカであろうが、マクドナルドでバーガーを食べること自体
何年に一回というレベルであるわたしですが、ここで注文した
バッファローランチベーコン(チーズトッピング)はマジで美味しかったです。
アメリカのハンバーガーって、不思議にどこで食べても美味しいと感じます。
伊達に国民食を標榜していないなあと実感。
さて、食べ終わったところで家路に向かうことにしましょう。
ウェストポイントはほとんど山の中にあるので、
フリーウェイにたどり着くまでは延々とこんな景色が続きます。
ギリシャ神殿のような立派な学校ですが、これはニューヨークの
ニューバーグという街にあるブロードウェイスクールという
ミュージカル系の仕事を目指す本格的な学校らしいです。
ウェイトリミットは5トンです。(意味なし)
というわけでアメリカ合衆国陸軍士官学校ウェストポイントについて
見学してきたものを全てお伝えしました。
見学に予約は不要、その日に申し込めば学内ツァーに参加可能です。
わたしたちはショートツァーしか選択の余地がなかったのですが、
1日費やすつもりならばロングツァーに参加して、さらには
博物館も隅から隅まで見学するのがよいでしょう。
そうそう、帰りにはカデット御用達のマクドナルドに行くのをお忘れなく!
シリーズ終わり