新しい戦争形態である「ブリッツクリーク」への準備段階で、
ドイツ軍は陸軍部隊があまりにも速く前進するのに対し、
ケーブル式通信では間に合わず、その結果として、
短波の無線に頼らざるを得ないことを認識し始めました。
しかしその形では誰もが短波で送信されたモールス符号を聞くことができるため、
今度は情報の漏洩が懸念されるようになります。
そのため新しく完璧なコードシステムと送信する暗号機が開発されました。
それがエニグマ(Enigma)です。
1918年に特許が申請されて以来、軍が軍用エニグマを完成させ、
運用を開始したのが10年後の1926年のことです。
ドイツはエニグマ暗号機のシステムに絶対の自信を持っており、
それが決して破られることはないと終戦まで信じていました。
血の滲むような努力によって解読に成功したあとも、
連合国側は解読した事実をドイツ側に悟られないように、
ときには自軍の犠牲をもみて見ぬふりをするという徹底した方針をとり、
ドイツ側を安心させて使い続けさせていたのです。
基本的に、陸軍版エニグマには3つのローター(暗号円盤)があり、
これらのローターの順序は指示シートに従って毎日変更されました。
写真のエニグマは、ドイツ海軍で使用されていた4ローター式のエニグマで、
1942年まで使われていたタイプです。
ローターは奥に見えている4つのスロットに収まった歯車状のもので、
手前がキーボード、本体手前もまたキーボードです。
パソコンの単体キーボードのように使っていたのかもしれません。
これは予備の持ち運び用ケースに入ったローターです。
蓋についているコードについては後述します。
キーボードとローターの間にあるのが「ランプボード」で、
キーボードで平文の一文字を打ち込むと、ランプボードの一つが点灯し、
それが暗号文字として表示されます。
逆に暗号文を受け取った時も、キーボードで暗号文を打ち込むと、
あら不思議、ランプボードには平文の方が出てくるという仕組みです。
これさえあれば、全く頭を使わずに暗号の発信と受け取りができるというわけ。
一つのローターで、アルファベットの数26!の多表が得られるので、
3つのローターエニグマで可能な設定の数は、2 x 10から145の累乗となります。
エニグママシンは、極秘の指示シートに従って最初にセットアップする必要がありました。
この指示シートがエニグママシンと一緒敵の手に渡るとコードが危険にさらされるため、
(実際に撃沈したUボートの乗員のポケットからこれが見つかったことがある)
各メッセージに独自のコードが含まれるように、間違いのないシステムが考案されました。
それでは、エニグマの暗号の送り方を簡単に説明しておきましょう。
1、送信オペレーターはランダムな3つの文字を選択します。
2、続いてローターをそれらの文字に設定し、これらをモールス符号で
受信する側のエニグマオペレーターに送信します。
3、受け取ったオペレーターはローターをこれらの3文字に設定します。
4、送信者は先ほどと違う3つの新しいランダムな文字を選択し、
それらを自分のエニグマに入力して、3つのエンコードされた文字を得ます。
5、彼はこれらをもう一度無線で送信し、受信側のエニグマオペレーターは、
これらの3つのエンコードされた文字を自分のマシンに入力します。
6、受信側のエニグマオペレーターは、3つのローターを設定し、
送信側と受信側の両方で、マシンを同期させます。
これも後述しますが、このオペレーターが人間であるのが災い?し、
「癖」とか「手間省き」という慣れから来る運用の雑さがでることで、
連合国は解読の手がかりをつかんだという面もありました。
ドイツ軍人は、エニグマの機械が敵の手に落ちることを
決して許さないように厳しく指導されていました。
オペレーターは、敵軍に囲まれた場合、または艦艇や潜水艦の乗組員は、
艦が沈没することになれば、必ずエニグマを破壊して脱出しました。
(うっかりポケットに入れたままつかまってしまった人もいますが)
このエニグマは、どういう状況かまではわかりませんが、
ドイツ軍の手によって破壊されたものです。
ローター部分は持ち出して別に破壊したらしくその部分は空洞になっています。
このエニグマの前面には数字の打たれたプラグ穴がたくさん開いていますが、
この部分を「プラグボード」といい、後から追加されたシステムです。
プラグボードは野戦で使用される暗号機が盗まれたり鹵獲されたりする事態に備え
後期型に追加されたシステムで、ご覧のようにアルファベット26個分の
入出力端子がついていて、こんな使い方をします。
wiki
任意の二組のアルファベットを、ケーブルで繋ぐと、
文字を入れ替えることができる仕組みで、たとえばこれは
「A」と「J」、「S」と「O」を入れ替えている図です。
戦争中、エニグマのローターに対するオーダーとプラグボードの基本設定は、
8時間ごとに、その後1時間ごとに変更され、また、
ローター設定、個々の文字は、すべてのメッセージごとに変更されました。
これは展示されていたエニグマ。
プラグボードにあらん限りのコードを突っ込んでみましたの例。
ちなみにエニグマ本体の上に乗っているのは専用プリンターです。
このプリンターを載せることで、ダイレクトに紙テープにコードがプリントされました。
現存しているエニグマ用プリンターは世界でたった3機で、
ここにはそのうちの一つがあるというわけです。
関係各位の努力の結果、エニグマは初期型からすでに解読と、それを知った
ドイツ側がプラグボードなどの追加で暗号を強固にしていくという
いたちごっこと、波状攻撃の繰り返しが延々と行われました。
冒頭に挙げたこのエニグマ暗号機は、なんと10ローター式。
T-52というタイプで、ジーメンス社が制作を請け負いました。
使用者も軍の最高司令部とスウェーデン・スイスの大使館に限られていました。
ここにあるのは、世界で現存する5機の同タイプのうちの一つです。
ローターが3つ、及び4つのマシンで送信されたメッセージを
デコードするのにかかる平均時間は1時間でしたが、
このマシンで送られたメッセージのデコードには4日かかったそうです。
左は3ローターのエニグママシン。右は4ローター式です。
右の4ローター式は海軍で使用されていたものです。
さて、繰り返しますが、ナチスの絶対的な自信にもかかわらず、
イギリスは1941年にメッセージを解読することに成功しました。
これは、1932年に初期のエニグマ解読を行った若干27歳のポーランド人
数学者、マリアン・レイエフスキの貢献が大でした。
マリアンだけど男です
連合軍の指導者たちは、最終的にはイギリスのブレッチリーパークにあった
政府暗号学校(特にアラン・チューリング)の解読が
二次世界大戦の勝利に貢献したと信じています。
ドワイト・アイゼンハワー司令官は、エニグマ解読が勝利を決定づけたとし、
ウィンストン・チャーチルは、イギリスのシークレット・インテリジェンスサービス
(SIS、またはMI6)の責任者であるスチュワート・メンジーズを、
国王であるジョージ6世を紹介したとき、彼を自分の「秘密兵器」を紹介し、
エニグマ解読チームが「戦争に勝つためのツールだった」として賞賛しました。
ヒンズリー(左)
ブレッチリーパークでチューリングとともにコードブレークを行った
ハリー・ヒンズリー卿は、彼と自分の同僚が、戦争を
「2年以上、おそらく4年」短縮したと主張しています。
彼は、第二次世界大戦後、イギリスの諜報活動の歴史の専門家になりました。
戦争が終わったとき、連合軍が最も恐れたのは、ソ連がこちらより早く
エニグマの機械を捕獲し、中身を改良して利用することでした。
ですから彼らは、エニグマのマシン提供に7500ドルの報奨金を提供し、
博物館に寄贈される予定にないマシンのすべてを破壊したとされます。
ところで、エニグマが解読された理由やきっかけはいくつもありましたが、
その一つが先ほども述べたように
「エニグマ運用の際の心理」
を追求することによって突破口が開いた例でした。
特にドイツ側ではエニグマが決して破られることはないと安心していたため、
送信オペレーターは、ついつい油断して、これらすべてのランダムな文字を
毎回新しく設定する必要はないと考える傾向にありました。
彼らは、自分にとって日常的なルーチンをこなしているこの瞬間にも
暗号解読は試みられていることに気づいていなかったのです。
というわけで、ドイツの送信オペレーターが無意識に選んでいた
最も一般的な「ランダム」な6文字ベスト3はというと、
HITLER
BERLIN
LONDON
だったそうです。
全然ランダムじゃねーじゃん!
とおそらく連合国のコードブレーカーは心の中でツッコんだことでしょう。
ある「怠け者の」オペレーターなど、よっぽど変えるのが面倒だったのか、
戦争中ずっと「TOMMIX」の六文字を一度も変えずにを使用していたそうです。
これ自分の名前からとった(トーマスとか)とかだったら笑うな。
クレジットカードは取得された時に備えて、暗証番号に
推測されやすい誕生日などを使っちゃダメ、と今でもいいますが、
こういうことなんですよね。
さて、話題を変えて、こんどは連合国軍側の暗号についてです。
ナチスに征服された国の一部の市民はその支配を受け入れましたが、
受け入れがたいとした人々は、占領者に抵抗するために
レジスタンスとなって大きな個人的リスクに身を置きました。
同盟国はさまざまな方法でこれらのレジスタンスグループと連携し、
彼らを外からサポートしようとしました。
イギリスの特殊作戦執行部(SOE)やアメリカの
戦略サービス局(OSS)などの諜報機関は、
秘密裏に支援をおこないつつ、敵に関する情報を密かに収集しました。
第二次世界大戦で戦った両陣営は互いに心理戦を行いましたが、
特にこの手の技術に優れていたのイギリスだったそうです。
彼らはあたかも本物のようなドイツの新聞、配給カードや文書を制作し、
敵を撹乱し騙すことにかけてはヨーロッパ一ともいわれていました。
さすがのちのスパイの本場です。
ところでこんな話をしていたらふと、
「ジェームスボンドになりたかった男・イアンフレミング」
をまた観たくなりました。
ヨーロッパ全土のレジスタンスグループは、BCRブロードキャストと
それらに含まれることがあるコード化されたメッセージを聞くために
MCR-1ラジオなるものを利用しました。
MCRラジオは特殊作戦執行部隊(SOE)のジョン・ブラウン大佐が開発した
秘密受信機です。
SOEと特殊部隊による使用を目的としており、水密に密封された
缶詰スチールビスケット缶で配布されたため、
「ビスケット缶レシーバー」というニックネームが付けられました。
信頼できる定期的なコミュニケーションを確立することは、
ドイツの占領に対するレジスタンス活動にとって不可欠だったので、
第二次世界大戦中、MCR-1は多くのヨーロッパ諸国で、
レジスタンスグループに非常に人気のある受信機になりました。
BBC放送の受信、英国首相のスピーチ、およびその他の国の首脳の言葉。
多くが占領下のヨーロッパに向けて密かに発信されました、
レジスタンスのためにメッセージをコード化して
放送中に紛れ込ませて伝えるということもありました。
たとえばVIPの到着や次の爆撃の確認などです。
有名な話では、1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦の際、
SOEがフランス各地のレジスタンスに工作命令を出すための暗号放送として、
ヴェルレーヌの「秋の歌」の冒頭が使われたというのがあります。
具体的には「秋の日の・・・」が何かの形で朗読されれば
「近いうちに連合軍の大規模な上陸作戦がある」
後半の「身にしみて・・・」なら、
「放送された瞬間から48時間以内に上陸作戦が行われる」。
そのことは前もってこのMCRラジオを通じて連絡されていました。
「秋の日の」は6月1日・2日・3日、それぞれ午後9時のBBCニュースの中で
「リスナーのおたより」として流され、「身にしみて」は
6月5日午後9時15分から数回にわたって放送されました。
こんなに何度も同じ詩のフレーズを短期間に紹介すれば気づかれるのでは?
しかも秋の日でもなんでもない6月に。
と思ったのはわたしだけではなく、もちろんドイツ側は暗号を解読しており、
ラジオをチェックしていた軍は上陸作戦の暗号だと察知しました。
しかし、詰めが甘いというのか、いくつかの部隊に連絡がついたものの、
肝心のノルマンディー地方にいた第7軍に連絡がつかず、
一番大事な警報が伝えられるべきところに伝えられなかったそうです。
・・・・・ドンマイ。
続く。