皆さんに、これをお見せしてしまいます。
警備とか、そういったことに関わってくることでもあるので、
拡大しても字が読めないようにしたものですが、これは
今回わたしがこの演奏会にご招待いただくにあたって
「少しでもよく見える席奪取作戦」
の作戦資料として送っていただいた、自衛隊内の資料です。
これを見て驚いたのですが、全席には細かく区分けがなされ、
その区分けごとに「統幕管理(予備自)」「統幕管理(武官団)」とか、
あるいは「内局分」「統幕長分」「大臣招待」などと割り振ってあります。
しかし、これはそのブロック全てが関係者席という意味ではなく、
そこに若干の指定席があって、それ以外は列を作って並んだ一般客が
入場順に埋めて行くという意味らしいです。
因みにわたしは一回目の公演では統幕管理(記者・オピニオン)席、
二回目は大臣招待席の区画で鑑賞しました。
二回目の席です。
卒塔婆のように?制服が階段に立ち並んでいますが、実はここは大臣VIP席。
「よい席作戦」は、作戦司令が本物の軍人であったこともあって、
これ以上望むべくもないベストの席を奪取し、見事状況制圧を果たしたわけです。
その大臣VIP席に一体誰が来るのか?と興味津々でウォッチしていたのですが、
開演前になっても一向に空き席が埋まる様子がない。
席の周りは卒塔婆がガードしていて、誰か座っていたとしても全く見ることはできません。
防衛省としては、各大臣とかに招待状を送らないわけにはいかないけど、
激務であればあるほど、このような催しに大臣が来る可能性は低く、
しかし、来ないと判断して席を埋めてしまったところ始まってから遅れて来てしまった、
などということになったら、大臣担当官の首が飛ぶので、空席にしておくしかないんですね。
(たぶん)
さて、一回目の公演が終わったとき、観客が武道館を出ると、
そこにはずらりと制服の自衛官が直立しており、
一人一人に「ありがとうございました」と声をかけています。
入場のときに手荷物検査とボディチェックをしていた隊員たちは、
演奏会の二時間の間公演を見ることは勿論なく、外で待機して警備にあたり、
そして出てくる観客にこうやって挨拶を送っているのです。
自衛隊に理解がある、あるいは身内であるということもありますが、
挨拶を受けた人たちはほとんどがそれに挨拶を返していました。
いつも思っていたのですが、こういう自衛官たちはどこの隊から集められるのか。
この答えを元自衛官の方に伺ったところ、
「一つの部隊ではなく、いろんなところから少しずつ出されます。
一つの部隊を全部出してしまうとそこが機能停止してしまうので」
というごもっともな返事でした。
会場内では、至る所に整理係の自衛官が立って、離れて二つ空いている席を
人をつめさせて二人用に確保したり、離れたところから空き席かどうか確認し、
「あそこが空いていますよ」
などと誘導するなどして混乱にならないように務めていました。
ところで、一回目公演の後、息子を外まで送ったときに、
ここ北の丸公演内に、こんな石碑を見つけました。
近衛歩兵第一連隊跡記念碑。
近衛兵というと、その末裔はこの演奏会にも出演した第302保安警務中隊なのでしょうか。
それから、吉田茂のブロンズ像も。
アメリカに行く前にはこの比較的近くに住んでおり、TOの職場も近いので、
この公園には赤子だった息子を連れてよく遊びに来ていたし、その後も
コンサートで何度となく訪れていたのに、この碑と銅像の前を通ったのは初めてです。
単に今までは気づかなかっただけなのかもしれませんが。
さて、実際のところわたしは事前に
「走りやすい靴で行った方がいい」とか
「(席を取るために)放り投げられるバッグで行った方がいい」
「修羅場を見るかもしれない」
などと、経験者から思わず不安になるような前知識を得ていたのですが、
場内では言ったように整理係があれこれと目を配り、
場内アナウンスではしょっちゅう「危ないので走らないように」などと、
注意を喚起していたせいか、場内は至極粛々としたものでした。
しかし、こういうときに「少しでも自分が損しないように」と焦る人というのはいて、
そう言う人の言動によって若干の不愉快な出来事もありました。
実は今回二回目の公演に関しては家族分のチケットをいただいていたのですが、
肝心のウチの家長は、地方出張の全国ツァー中で参加ができなかったので、
このプラチナチケットを、元自衛官の知人の方に譲り、行っていただくことにしました。
一回目の公演が終わってもう一度中に入る列に並ぶことになったとき、
わたしは一度目公演の会場の様子から、どの列に並べばいいのかを報告し、
情報をメールで送信しておいたのです。
そしてその方は二度目公演の列の第一集団に並ぶことに成功し、
わたしは、そこに合流するという運びになりました。
ここまではよかったのですが、最先端集団というのが、
すでに手荷物検査台の前に陣取る団子のようになった一団。
その一段の後ろに立って携帯で知人と連絡を取ったところ、
前方で手を振っておられます。
しかしそのカタマリの中へ、手刀と「すみません」で切り込もうとしたわたし、
たちどころに意気沮喪しました。
「知り合いがいるのですみません」
という言葉に無言で鋭い非難のまなざしを投げつけて来たり、
「なんなの?」と厳しい声で不服をいうおばさん。(おばさんなんですね必ず)
肩で行く手を阻まれたような気もしたり。
こういうとき非常に気弱になってしまうわたしは、それ以上切り込んで行く勇気が出ず、
早々にそこから避退して、外からもう一度電話しました。
「あの・・・無理です。なんか顰蹙買うみたいなので、わたし外で待ちます」
すると、どうしてそういう発想が即座に出てくるのだろうと驚くほど言下に
その方は、
「後ろにセーラー服の自衛官がいるでしょう。
『前に連れがいるから』といって先導してもらって下さい」
おお。それはナイスアイデア。
厳しい視線と非難の一声も、この水兵さんを先に立てれば、
取りあえずは先にそっちに集中するに違いない。(笑)
水兵さんすみません。
しばし専守防衛の盾となり、殺気立った人々の悪意からわたしを守ってください。
「すみませ〜ん。
前にお連れさまがおられる方がいるので通して下さ〜い」
叫びつつ集団に突入して行く指揮官、じゃなくて自衛官。
ああ堂々の海上自衛隊(じえいたい)。
その意気や今(人)波を切って敢然とゆく。
彼の航跡に滑り込むように後について行きながら、
国民の自衛隊のありがたさに改めて感謝しました。
でも、やっぱりいるんだな。
先導してもらっていることをはっきりと咎める人(おばちゃん)が。
「いやっ!ちょっと、なんなん?」(大阪弁で)
だから自衛官がわざわざ状況説明しているんですがな。
どうしてそういう一言を言わずにはおれないかね、おばちゃんという人種は。
わたしも年齢的には立派なおばちゃんだけど、
こういう一言多いおばちゃんには決してなるまい。(自戒)
それにしても、トップ集団はざっと見たところ4〜50人。
そんなに押し合いへし合いしなくても、おそらくこの集団は最上席を
難なくゲットできるのは間違いないのに、なぜ皆こう苛立つ。
そして、ゲートがオープン、各馬一斉に・・・
走り出すには前が手荷物検査で詰まっているのですが、後ろからは
おかまいなしで人がじわりじわりと押してきます。
ああ押さないで・・・前は進んでないんだってば。
押されて右に右に流されて行くエリス中尉。
知人は左の手荷物検査場に進みます。
一緒の検査場に行こうと、左に身体を向けたのですが、
右と左を分ける鉄の柵にバッグが引っかかって進めません。
すると後ろのおばちゃんがまたもや
「ちょっと、急に向きを変えたら怖いわ!」
と大声で要らん一言。
急じゃないんですよ。さっきからずっとそうしたいんです。
でもバッグが、バッグがあああ。
バッグをフェンスに引っ掛けたまま人に押され、
ぐらりと上体のバランスを崩したわたしを、さすがは元自衛官、
知人の方は素早く支えてくれ、こと無きを得ました。
もしあそこで転んでいたら、大惨事の原因となってたかもしれません。
そんなことにでもなっていたら、自衛隊の応援団を自ら以て任ずるはずのこのわたしが、
その自衛隊に大変なご迷惑をかけてしまう。
いや、全く冷や汗ものでした。
しかし、戦いすんで陽が暮れて。
なんとかこのような席に座ることができたというわけです。
走ったりカバンを投げたりはなかったですが、それなりの修羅場でした。
もう一件は、第一回目公演のときのこと。
わたしの隣に座った男性は、来るなり荷物を二つの席に置き、
始まりまでその真ん中の席に座っていました。
空いていそうな席は、整理係の自衛官が必ず「空いていますか」と聴きますが、
大きなバックパックを置いているので、後から連れが二人来るのだろう、
と思われたのか・・・・・最後までそこは空いたままでした。
そのうち一つはわたしの横だったので、結果広々と座っていられたのはよかったですが、
(武道館の席は非常に狭い)後から考えると、その人はつまり、
ゆったり座るために「連れがいるふり」をしていたのかなあ、と・・・。
「あれ、どう思った?」
後で息子に聞くと、
「ペンフレンド二人にチケット送ったけど、二人とも来なかったんじゃね?」
そういやここは武道館。
「ぺンフレンドの 二人の恋は〜」
ところで、一回目公演が終わって、赤絨毯を片付けているのは、
迷彩服を着た陸自隊員たち。
彼らは、例えば空自の旗振りお嬢さんたちに旗を渡したり、
オープニングではこのようにステージを探照灯で照らす、
というような「下働き」でステージを支えて来ていました。
面白い効果だなあ、と思ってみていたのですが、
これはあえて陸自隊員に「目立つ」仕事をしてもらったという感じです。
最後にフィナーレのために赤絨毯を敷いて準備をし終わったとき、
アナウンスが彼らの紹介をしました。
華やかな音楽隊員たちのステージをこういう地味な任務で支える隊員たち、
という紹介であったかと思います。
隊長の敬礼。
皆惜しみない拍手を彼らに送りました。
陸海空、いずれ劣らぬレベルの高いステージを心行くまで満喫したこの日、
目に届かないところでも実に多くの隊員が、(警備や整理を含めて)
一つの演奏会を形にするために、自分たちの割り当てられた任務をこなしていました。
しかし、説明にもありましたが、こうしている間にも彼らの同僚自衛官は
災害地にあって被災者救出の任務にあたっているのです。
自衛隊という組織の大きさ、頼もしさ、そしてありがたさをあらためて知った一日。
音楽まつりが終わったあとには、始まる前より自衛隊が一層好きになっていたかもしれません。
興奮の余韻がまだ身体を満たしているままに武道館の外に出ると、
そこには一回目と同じく、ずらりと並んだ自衛官たちが全ての観客に向かって
「ありがとうございました」と丁寧に声をかけているのでした。
「本当にありがとうございましたと言いたいのはこちらですよ」
隣の方がつぶやき、わたしは深くその言葉に頷きました。