先日、またもや防大生のご父兄からコメントを頂きました。
当日開校記念祭にわざわざ遠隔地から来ておられたそうです。
このグラウンドにいる人々の少なくない人々が防大生の父兄である、
というのは、わたしも現地に座っていて周りの様子からわかりましたが、
実にこの日、我が子、孫の成長を見るために全国津々浦々から肉親が
小原台にやってきていたのだということを改めて実感しました。
わたしは勿論そういう親御さんたちの気持ちを推し量るしかない立場ですが、
国防の第一線に立つ我が子のためにも、この社会が平和裏に安定し、
自衛隊が盾となるも決して戦火を交えるようなことが起こらないように
心から祈り、願っているのは誰よりもまずこの人たちではないかと思います。
「軍人ほど戦争が嫌いな人種はいません」
わたしの知るある将校が講演で述べられた一言ですが、その軍人の家族もまた、
—普通大学に学ぶ子を持つ親とは比べ物にならないくらい—
我が国の政治、何より国際情勢、近隣諸国とのあれこれについて関心を寄せ、
子を案じるが故にその行方を注視して見守り、この国の安寧を願っているのではないでしょうか。
さて、閑話休題、本日は棒倒しの最終回の予定です。
周りに詰めかけた肉親たちも、さすがにこのマスク着用した集団の中から
我が子を見つけることは不可能だったのではないかと思いますが、
せめて息子の所属する大隊に声援を送り、勝ったら喜び、負ければ残念がる、
というように試合を観戦されたのではないでしょうか。
ところで前回、前々回と「優勝するのはどの大隊か!」
などと行きがかり上アオってみたわけですが、実際の話、
棒倒しでどこの大隊が優勝するかなどということは、
縁もゆかりもない第三者にとって、紅白歌合戦でどちらが勝つかくらい
どうでもいいことかもしれませんね。
どうでもいいと言えば、去年、わたしがこの防大祭に来るきっかけとなったのは、
前校長の五百籏頭真氏の講演を聴きに来たことでした。
その講演については、かなーり批判的に(笑)エントリにアップしております。
防大校長五百籏頭真とシビリアンコントロール
五百籏頭真と防大生の士気
この人物の、わたし的には突っ込みどころ満載の講演の内容は、
防衛大学の歴史的成り立ちと世相との関係についてでしたが、
その中でついでに言ってみた風の、
「明日は棒倒しがありますね。どの大隊が優勝するのか楽しみですね」
という一言が、ほんっっっっとうに口先だけ、って感じがしましたね。
まあ、第三者ならどこが勝利してもどうでもいい話ですから、
いかに氏が防大や自衛隊に冷淡だったとはいえ、
この発言までを責めるのは「坊主憎けりゃ袈裟まで」かもしれませんが。
決勝戦の第一対第二大隊の熱戦は続いています。
ご覧のように、第二大隊は隊舎で目撃した「特訓」にも窺えるような、
「助走付けてジャンプしサークル中央に取り付く」
という作戦を律儀に実行しているように見えます。
ちょうど両袖が引っ張られ、シャツを脱がされてしまった人。
ここでチラ見えしていますが、彼らの下着って、こんな濃色なんすね。
これも官給品なんですか?
そう言えば防大生は、制服以外での外出を認められていないそうですね。
海軍兵学校のように、入校第一日目、バスに入って「娑婆っ気を落とし」、
そのあと軍服に着替えて私服を故郷に送り返してしまう、なんてことはしないのかな。
例えば帰郷するとき、彼らはやはり制服で交通機関を利用するのでしょうか。
こちらは第二大隊の陣地。
第一大隊の攻撃法は第二大隊のそれとは少し違うようです。
防御のサークルが手に手に持っている大隊カラーの紐は、
これを見ると分かるように、左手と胴に巻き付けて結束するためのもののようです。
サークルが崩されないように縛り付けてしまっているんですね。
これも写真を見て初めて知りました。
真ん中で右手を上げている人が見栄を切っているみたいですが、
空いた右手で攻撃してくる敵と戦うということらしいですね。
棒の左にいる人のシャツが裂けています。
第二大隊陣地の場外。
破られた人あり、全部脱がされた人あり。
上半身裸でもなお突進して行くこの意気を見よ。
後ろで見ている、どう見ても防大生のお母さま方らしい一団が、
「あらあらー///」
って感じでどよめいています。
しかし何も着ずに敵中突進して大丈夫なのか君。
かと思えば、ズボンがまくり上がって太腿があらわになった人あり。
左では青シャツがヘッドロックかけてます。
脚を取られたのか、それともケリが決まったのか。
審判は手を上げていますが、あまり過激だと指導がはいるんでしょうか。
ここもヘッドロック。
「ぐ、ぐるじいはなせ」
でも、なんだかちょっと仲良さそうに見えますね。
オレンジの審判員の向こうにいる人は、
すっかりシャツを破られてしまったようです。
しかしすごいなあ。
よくこれで皆怪我しないものです。
動物同士の喧嘩と一緒で、こう見えても、「酷く傷つけないように」
という配慮が自然と働くのかもしれません。
そういう「さじ加減」を学ぶのも、この棒倒しの教育効果でしょうか。
しかし、ヘッドギアと呼ばれるプロテクターマスクをつけるのは、
その「無意識の手加減」に、ブレーキがかかりすぎないように、という効果もあるようです。
つまり、手加減さじ加減が覇気を奪ってしまうことのないようにってことですね。
勿論「不慮の事故」防止というのが主目的なのだとは思いますが。
兵学校でも予科練でも、棒倒し中の事故で重傷を負ったり亡くなる事故はありました。
たとえば予科練の死亡事故は、棒を支えていた支柱の学生
(当時は二人が下に座って棒を抱えた)が圧死したというものでした。
当時でも大問題になったのですから、防大でそんなことがあったらおそらく大変なことになります。
連綿と続いて来た棒倒し競技が廃止になるのは勿論のこと、
学校の管理体制や日頃の指導についても責任が問われることになるかもしれません。
ご存知のように、自衛隊という組織は何かと世論を先読み深読みして、
突っ込まれる前にその芽を摘んでしまおうという「要らん配慮」が、
そのあちらこちらに散見されるわけですが、それというのも、
自衛隊という組織に自分たちが生まれてもいない70年前の旧軍を重ね合わせ、
その痕跡らしきものを鵜の目鷹の目で見つけ出しては大騒ぎする、
まるでお隣の国(笑)の国民のようなメンタリティの人たちの執拗な攻撃に
組織そのものが萎縮したまま今日まで来てしまったということが原因でしょう。
防衛大学校という組織はそんな中にあって、わたしなどつい感心してしまうくらい、
旧軍の海軍兵学校の行事やしきたりを受け継いでいるものだと思います。
しかし、実は当の防衛大学校の学生ですら、戦後はいわゆる
「旧軍パージ」「旧軍バッシング」の洗礼を受けたともいえる
「ニュータイプ」が、伝統に反発するという出来事もあったようです。
「今こそ知りたい 江田島海軍兵学校」(新人物往来社)には、元防大教授、
平間洋一氏がこのようなエピソードを書いています。
●海上自衛隊を担う新しい幹部は、とりあえず兵学校の卒業生に呼びかけて確保した(中略)
●海上自衛隊の幹部候補生学校が認可されたのは陸自より三年遅れの昭和32年、
しかも32年度概算要求の復活段階で認められるほどの難産で、
開校も4月1日には間に合わず、開校式典が五月にずれ込むなど波高き開校であった。
●翌33年4月には兵学校の生徒館( 通称・赤煉瓦)が第一術科学校から
幹部候補生学校に引き渡されm兵学校出身の教官は張り切ったが、
防衛大一期生は冷たいもので、
「新しい海軍は俺たちで作る。敗軍の将、兵を語るなかれ」
と無視、棒倒しを強制されると
「帝国海軍は棒倒しで負けた、俺たちは棒起こしをしよう」
などと、『幹部候補生学生新聞』に書いて
教官を烈火の如く怒らせていた。
自衛官には実は左翼思想を持つ人物が多(かったらし)い、ということと、
この「旧軍への反発」は、どこかでつながっているものでしょうか。
いずれにせよ、ニュータイプが反発したにもかかわらず、
「棒倒し」は、その後「棒起こし」になることもなくいつの間にか復活し、
伝統行事として、今日も防大生の間で熱〜く行われているというわけです。
さて。
こうなると自分でも呆れてしまいますが、またしても最後までたどり着きませんでした。
次こそ本当に最終回です。
今年、棒倒し優勝の栄光を勝ち取るのはどの隊なのか!
おそらくその勝敗に部外者は誰も興味はないし、
そもそも興味のある人はもう知っているとは思うが、
取りあえず待て次号!