恒例となった年忘れイラストギャラリーも最終日です。
これが終わると自動的に令和3年へと年が変わります。
それでは映画「Uボート」の続きからまいりましょう。
銀行マン出身の軽薄で皮肉屋の「次席士官」を描きました。
士官始め一人一人の乗員に語るべきキャラクターが与えられ、
その言動に感情移入せずにはいられないのもこの映画のいいところです。
そして、艦長が一人の艦長室で調音係にリクエストし、シャンソンの
”J'attendarai(待ちましょう)”を聴くシーンは、わたしの選ぶ
音楽を伴った戦争映画の最も感動的なシーンのひとつ
であることをここに熱く断言したいと思います。
四日目はUボートの攻撃によって燃え盛るイギリス商船をバックに
機関長を描きました。
シャバに戻ると嘘のように端正な好青年である機関長には、
美しい金髪の妻がいますが、この航海中に彼女が流産したことが
機関長の心を打ちのめしていました。
後半、敵に撃沈されたUボートの命運を握ったのは
彼の知識と問題対処能力、冷静さと諦めない心であったと言っていいでしょう。
艦を生還させる大きな力になった乗員は、機関長の他に
前半敵攻撃でパニクって艦長に銃を持ち出された機関室の「幽霊ヨハン」もいます。
”It's a long way to Tipperari"〜ティペラーリソング再び
原作では「乗員の嫌われ者」であるとされるヒトラーユーゲント上がりの先任。
この若さで先任にまでなっていることは、かれの出世の速さであり、
そのことについては同じ士官同士からも疎まれているというふうに描かれていました。
しかし、原作では映画と同じく語り手である同乗者のヴェルナー少尉が
そんな先任の人に見せない部分を垣間見て彼に共感を持つ、となっているように、
わたしもまた映画の鑑賞者として先任に大変好感を持ったことを告白します。
育ちの良さがある意味仇となって一種の頑迷固陋に陥り、その結果、
自分をその中に閉じ込めてしまい人々に誤解される不器用な人物。
どんな創作物でも主人公より脇役に入れ込んでしまう傾向のわたしには
こんなキャラクターに感情移入するという傾向がどうやらあるようです。
今年紹介した「眼下の敵」は、乗員が皆で駆逐艦に聞こえるように
「デッサウアー」を歌うという、
「ドイツ軍が歌って元気になるシリーズ」
の先駆けであったわけですが、この映画におけるそれが
出航してすぐに艦長がこの堅物の先任士官にレコードをかけさせて
皆で歌う「ティペラーリソング」なのです。
2度目の「ティペラーリソング」は、撃沈されて海底で動かなくなった艦を、
乗員たちの必死の努力と、おそらく偶然の力で浮上させ、故郷に帰る航行中、
喜びに沸く乗員たちによって歌われることになります。
そして、艦長もまた艦長室で一人、愛聴歌であるあの「待ちましょう」を聴くのでした。
この映画の「衝撃のラスト3分間」ですが、映画の煽り文句だけではなく
計ってみたらほんとうに3分間なのです。
3分で全てが変わってしまうのです。
航空攻撃というものが瞬間に終わる以上、これは当然のことですが、
Uボートの乗員たちにとってこれはあまりにも非情な運命の3分でした。
タイトルに入れた「大公アルブレヒト行進曲」は、Uボートが入港し
いわゆる凱旋行事のために埠頭にいた軍楽隊によって演奏された曲です。
この曲が終わらぬうちに、上空に敵機が現れ攻撃が始まるわけですが、
演奏していた軍楽隊のメンバーは楽器を持ったまま避難していました。
内容にももちろん力を入れましたが、本作の場合
各登場人物を描くのはとても楽しい作業でした。
♡ おすすめ どなたも一生に一度は是非見るべき映画
アップ前からこれはコメント欄がお節介船屋さんの解説で埋め尽くされるであろうと
うすうす(というよりはっきりと)予想していた海軍造船を主題にした映画です。
予想通り、アップされたと同時期に「蕨」が発見されたというニュースなど
多岐にわたって投稿いただき大いに勉強させていただきました。
他の皆様にもこの時代に「海軍いかづち部隊ーアメリカようそろ」なんて映画が撮影されていた、
などというトンデモ情報もお寄せいただいたり(笑)
あらためましてお節介船屋さん、他の投稿者の皆様がたにもお礼を申し上げる次第です。
さて、戦争映画数あれど、海軍の造船技術士官、しかも実在の人物を主人公にした作品は
これをおいて他にわたしは知りません。
もっと世間に膾炙してもいいと思うのですが、海軍省後援による
いわゆる「国策映画」にあたるため、戦後の日本ではほぼ無視されていた、
という事情が本作を無名にしているのだと思われました。
初日冒頭挿絵は、わたしには珍しく人物の象徴的なセリフも名前も書きませんでした。
このわけは今自分で考えても思い出せません。
まず真ん中が本編主人公である平賀譲海軍造船士官。
演じているのは大河内伝次郎で、このころ三十代という設定です。
右上と左下は同じく造船官で、右上は造船士官である谷(月田一郎)、
左下はこれもお節介船屋さんに教えていただいた「文官技師」の山岸。
山岸は「平賀と口角泡飛ばして大衝突をすることがあった」という
文官技師、土本宇之助をモデルにしていたのかもしれません。
なお、月田一郎は「燃ゆる大空」で戦死する行本生徒を演じていた人で、
山岸役の(おそらく)真木順という俳優は、「ハワイ・マレー沖海戦」で
乗員たちに敵艦のシルエットクイズをする田代兵曹長役です。
左上はご存知若き日の志村喬、そして右下は平賀家令嬢のみつ子さんです。
そういえば、「戦場に流れる歌」の主人公の恋人も美津子さんだったなあ。
上官に嫌がらせの罰則として、
「みつこさん、みつこさん、タタタタン、タタタタン」
と歌いながらドラムを叩かされていたシーンが印象的だったので覚えているのですが。
映画を通じて象徴的に現れるのが、このタイトル画で平賀が持っている
「土佐」廃艦記念に艦政本部に配られた土佐の文鎮です。
軍縮会議を受けて進水後廃止された「土佐」が
廃止の式典の直後に爆雷で沈められるという設定はあまりに映画的ですが、
この「土佐」の文鎮が造船官にとっての無念と臥薪嘗胆の象徴となって
折にふれ現れるのです。
映画では、設計に没頭すると周りのことが全く見えなくなり、
一人で明後日の方向に歩いて行ったり、タバコの灰をカップに落としたり、
という平賀伝説が随所に盛り込まれます。
コメント欄でお節介船屋さんが紹介してくださる平賀嬢の伝記、
「軍艦総長・平賀譲」によると、平賀先生はこの「夕張」設計に関して
ずいぶん逆風があり、それが実現したのは平賀の兄平賀徳太郎と、
安保清種の後押しによるものだったということらしいですね。
そして平賀がいかに周りと衝突したかも書かれている模様。
本作三日目に紹介したのは、艦政本部会議において、平賀が
志村喬演じる機関制作部門の責任者、高木少将と激しくぶつかるシーンです。
平賀は5000トン級の巡洋艦と同等の能力を如何にして3000トン級以下の船に持たせるか、
ということを考えているのですが、高木は機関を軽くするのは無理だ、
と主張し、二人の意見は平行線のまま終わりました。
仕事になると周りが見えなくなる平賀を家族も心配し、
娘のみつ子は父を強引に新響のコンサートに連れ出します。
そして設計に悩む平賀はそこにヒントを見出すという展開ですが、
わたしにとっては、この映画に若き日の指揮者山田一雄の指揮する姿が
克明に残されていたことは大変な驚きでありました。
映画が制作されたのは戦争中ですが、これを契機に調べてみたところ、
戦中少なくとも新交響楽団は演奏活動を普通に行っていました。
終戦後、演奏を再開したのはなんと九月からだったということもわかりました。
平賀はこの演奏会を抜け出して天啓のように閃いた新造艦のアイデアを
形にするため訪れた図書館で、高木少将と顔を合わせ和解します。
このあと艦政本部の部下に嬉々としてそのアイデアを披露するシーンで、
わたしがどうしても聞き取れなかった「か〇〇〇〇」という言葉が、
「軽目孔」だということもお節介船屋さんに教えていただきました。
時系列に沿って大河内伝次郎演じる平賀譲の絵を描いてきましたが、
32歳から死の直前である64歳まで、本当にそれなりに見えてくるから
役者というのはすごいものだと思わずにいられません。
最終部分では、ロンドン軍縮条約で敗北したことから自決した
草刈英雄少佐をモデルにした士官(右)は、平賀の知り合いだったという設定です。
左の少将は、死地に赴く前に平賀に挨拶に来るのですが、
かれは「死に逝くすべての海の武人」の象徴として描かれているように思います。
ところで、この映画は海軍省後援によって昭和19年5月に制作されました。
この頃この映画を制作することによって海軍は国民に何を訴えたかったのか、
何を宣伝したかったのかということについてあらためて考えさせられます。
♡ おすすめ 大河内伝次郎の平賀譲はたとえ艦これファンでなくとも一見の価値あり
ドイツ関係の調べ物をしていてたまたま引っかかってきた映画情報です。
拾った制服に身を包み、空軍大尉に成り済ました煙突掃除出身の兵隊が
すっかりその気になって身の毛も弥立つような戦争犯罪を繰り返す。
事実は小説よりも奇なりを時で行ったヴィリー・ヘロルトの実話を
映画に絡めるかたちで紹介してみました。
モデルにした実話がぶっ飛びすぎていて、映画そのものの評価しようがないというか、
本当にあったことを淡々と描写するだけで事足りてしまうという特殊例です。
それにしても19歳の小僧のなりすましをどうして誰も見抜けなかったのか、
ということは誰しも考えるところだと思うのですが、それもこれも
つまりはこれも「制服マジック」の一種というやつだったってことなんでしょうか。
♡ おすすめ 事実は映画より奇なりの再現を楽しみたい方に
「航空戦術の父」第一次世界大戦のエース オスヴァルト・ベルケ
映画以外で描いた唯一の絵は、第一次世界大戦時のエースであり、
航空機戦闘術の祖といわれるオスヴァルト・ベルケの肖像です。
ベルケという名前は航空戦術という分野に造詣のある人しか知らないのでは、
というくらい少なくとも我が国では有名ではないのですが、
初期の軍事航空シーンにおいて、パイロットという立場から戦術を体系化し、
さらに「ベルケ・ディクタ」という形で可視化した功績は偉大です。
彼は空戦時に味方との衝突によって亡くなったのですが、その葬儀には
かつての敵国のライバルや、捕虜となっていた英国人パイロットからも
その死を悼む弔辞が寄せられ、王立飛行隊の飛行機が葬儀会場に
花輪を投下して行ったというほど、敵味方を超えて尊敬されていた人物でした。
リヒトホーフェンのときもそうだったように、敵のパイロットが好敵手の死を悼み、
それを正式な弔いの言葉にするというこのころの美しい慣習は、
時代が進み戦闘が相手の顔の見えないものになっていった第二次世界大戦には
ごく一部の出来事を除いて、公式にはほぼ完全に消滅していきました。
ところで自分でもなぜ映画以外の挿絵をこのとき描こうと思ったのかわからないのですが、
おそらくこの頃絵画ソフトをCorelからiPadのプロクリエイトに変えたので
色々とツールを試してみたいお年頃だったからではないかと思われます。
Corelの方がツールが充実していたり画像加工のバリエーションも多く、
なんといっても長年使って慣れていたため、乗り換えには躊躇いがありましたが、
使い始めてしまうと、「画面に直接描ける」(Corelはパッドに描いたものが画面に現れる)
ことと、手軽にiPadだけあればコードをつながずにどこでも作業できるため、
すっかりこちらに馴染んでしまいました。
今年は驚天動地の流行病発生のため、外に出る機会がなくなってしまい、
結果的にステイホームで映画を紹介することが多くなったわけですが、
それもまたこのブログの使命(というものがあると仮定して)のひとつと考え、
有名無名を問わず、読者の皆様の興味を引きそうな隠れた作品を掘り起こし、
これからもここでご紹介していければいいなと考えています。
それではみなさま、良いお年をお迎えくださいますよう。