令和3年1月15日には、海上自衛隊東京音楽隊の
第61回定期演奏会が行われました。
これをご覧の方の中にも貴重な演奏を聴くことができた
ラッキーな方がおられるかもしれません。
去年のチャイナウィルパンデミックが発生して以降、
さまざまな行事が自粛によって中止されてきたわけですが、
なかでも個人的に最も残念だったのは東京オリンピックでした。
はっきりいってオリンピックというものになんの幻想も抱いていないわたしは
商業イベントの一つが消しとんだくらいの感覚しかないのですが、ただ、
陸海空自衛隊音楽隊がセレモニーで演奏することだけを楽しみにしていたので。
秋の大イベント、自衛隊記念日の観閲式も音楽まつりもなくなり、
音楽隊の隊員の皆さんはどのようにモチベーションを保っているのか、
と折に触れては心を痛めていたわけですが、アメリカに来てから
東京音楽隊定演の招待状を頂いたことを知らされ歓喜しました。
そして、喜び勇んで返事をどうするか聞かれてろくに日付も確かめずに
行くから出席で返事出しておいて、と一旦返事したのですが、
よくよく見ると、演奏会は帰国の1ヶ月前ということがわかりました。
こちらには家庭の事情&飛行機便数の激減で帰国が後ろにずれ込み、
2月半ばまで帰れないという状況なので、話にもなりません。
というわけで無念さに涙を呑みながらも、定期演奏会が再開されたことを
心から喜び、その成功を遠いアメリカから祈る次第です。
さて、こちらですが、大雪が降ったのは到着した次の日だけで、
案外積雪はない地域なのだとあらためて知りました。
夏の間散歩していたシェンリー公園ですが、雪が溶けた後、
この池に全て水が流れ込み、水嵩が増えて大変なことに。
池の周りの遊歩道が全て水没してしまっていました。
夏でも滅多に人とすれ違うことのない散歩道は、冬なのでこの通り。
本当にアメリカに来てからは、お店とホテルのフロントくらいしか
人と接触することはないので、少なくとも感染リスクは大変低いです。
雪が降っていた頃はまるでスキー場のようだったゴルフ場。
なんか有名なゴルファーの名前が冠されているそうですが、
夏からめっきり人を見なくなっていました。
この日はプレイに来る客がいたようです。
考えたらゴルフって三密を避けるにはもってこいのスポーツですよね。
1月15日、MKが学校でコロナ検査(唾採取型)を受けた時、
わたしもキャンパスに行ってみましたが、ご覧の通り。
授業の正式な開始は2月1日からで、もちろんオンライン授業が主体です。
夏の間授業がなくても営業していたデリ&カフェ「エントロピー」(笑)も
硬く扉を閉じて、というか建物自体施錠されてしまっていました。
これはアメリカの大学には大変珍しい事態です。
今回アメリカに来て、街中に出ている人が本当にいないのに驚愕しています。
飲食店はほぼ全部ダインインは中止してテイクアウト営業のみ、
衣料を扱うデパートなどは開けていますが、今回は夏以上に人がいません。
お洒落をして出かける機会もないのにファッションなんて、という空気が蔓延し、
人々の購買意欲も駄々下がりしているように思われました。
ただ、ホールフーズなどの食料品店は順調すぎるくらい人が来ています。
カートを消毒し、店内の人数を制限するという措置を取っているので、
クリスマスイブの日は外で2〜30分並んで待たされました。
こちらにわたしが来た最大の目的は冬休み中のMKの身柄確保と、
引越し荷物全ての引き取り、そして新学期から移るアパートへの引っ越しの手伝い。
ここがしばらく入居する民間のアパートです。築100年越えの当たり前な
この辺のアパートの中では異様なくらい?新しい物件。
延々と続く廊下の突き当たりが割り当てられた(自分で選べない)部屋でした。
まず居住する個室ですが、ちょうど日本のホテルの一人部屋より一回り広い感じです。
ベッドと机は最初からついていて、ベッドのマットレスはなぜかテンピュール。
初日は荷物を入れて左側の家具を買ってきて組み立てたりしていました。
必要な家具などを調達するためにはアイケア(IKEA)へ。
IKEAに行くことなど久しぶりでワクワクしてしまったのですが、
キッズケアルームはもちろんカフェも営業していませんでした。
皆粛々と通路を通り、買うものを買ってセルフレジでお勘定をして出ていくという感じ。
せっかくなのでデリで久しぶりにスウェーデン肉団子を買って車で食べました。
クランベリージャムが合うんだよね。
彼の部屋からの窓の眺めは東向きでこんな感じ。
部屋のタイプは二人部屋でルームメイトがいます。
当初、MKは自分の知り合いとルームシェアをするつもりで申し込んだのですが、
部屋が空いておらず、見知らぬインド人と同室になりました。
インド人はMKと同じ大学の院生だそうで、このアパートの先住民なので
すでにリビングの前の部屋を陣取り、リビングルームにものを並べまくり、
冷蔵庫にいろいろ貼りまくっていてわたしは思わずムカっとしたのですが(笑)
我々が荷物を入れた次の日には片付けてくれていました。
わたしならどんな事情でも赤の他人と同居などとても耐えられませんが、
MKはこれまでの学生生活でルームメイトとの付き合いには慣れています。
最初にリビングをのぞいて思わず声を上げてしまいました。
なんかまるでニューヨークのリッチな実業家の家みたいな窓です。
しかし、後から聞くと、これはたまたま割り当てられたのが角部屋だからで、
自分で好きな部屋を選べない以上、ただラッキーだっただけだと知りました。
二人部屋の全面積は80フィートスクエアで、大変広いわけですが家賃は1200ドル。
学生の下宿にしては高いとはいえ、日本で10万ちょっとの家賃で
こんなところに住めるかというと、かつて自分の住んでいたところを思い出してもありえません。
コロナのこともあるし、秋からは一人部屋を申し込みさせる予定なので
そうなればこんな眺めは望めませんが、この部屋が
夏まで楽しめるというのは羨ましい限りです。
ところでMKの学校に行ったら例の塗り替え柵が
「ブラックボーツマター」
になっていて、なんじゃこれ、と呆れました。
どこの国も大学生ってこんなですよね。
(実はリベラルvs保守的家庭内思想対立がうちでも親子であったりする)
ところで、年が明けてナイアガラ旅行の報告が終わってから、このブログのアップが
しばらくストップする事態になったのは、雑用が忙しいことに加え、
現在のアメリカの状況を追うのに毎日怒涛のような情報に目を通しているだけで、
他のことをする気力がなくなっているせいでもあります。
最初に書いたように、街の様子には何かが起こっているようなものは何もありません。
むしろ人々が外にいないことで死んだように鎮まりかえっているように見えますが、
実は、多くのアメリカ人が今息を凝らすようにして、アメリカという国の行方を
見守っているのではないかとわたしは思っています。
夏の選挙の頃から、住宅地に「売電・鉤素」の札を立てている家は
市内でよく目撃していましたが、「花札・ぺん酢」の札は見たことがありませんでした。
噂によると、もしそんな札を立てようものなら家が襲撃されかねないからだそうです。
しかし、郊外の一軒家は堂々と花札支持の札を立て、また、軍人の車は
それを表明した上で支持のプレートを貼って誇らしげに走っていました。
そして今回の選挙で実は売電より圧倒的に多かったといわれる一般の花札支持の人たちは
名前の札の代わりに家にアメリカ国旗を掲揚しているようです。
散歩に行く公園の近くは、「売電・鉤素」「BLM」「ボートブルー」などの札が多く、
一見密集地域のようですが、その一角に一件だけ、星条旗を揚げている家があります。
不思議なことに前者と星条旗は共存しないようなので、わたしは密かに
この家は花札支持なんだな、と思っています。
ところで、ネットの記事を追っておられる方ならご存知かと思いますが、
1月16日、前大統領小浜市について色々と「ゲート」が発表されるらしいですね。
わたしは小浜がいたというカリフォルニアのリベラルアーツ大学を
MKの大学選びのときに見たことがあるのですが、
そのときに飾ってあった彼の学生時代の写真を見て、なんとなく、
胡散臭いというか、世間で喧伝されているような清潔で清廉な人間の面影など
微塵も感じられず、心の警報機が「こいつは怪しい」鳴り響いた記憶があります。
色々総合して、あのときの自分の嗅覚は当たっていたかもと今思っています。
さて、ここで何度かお話ししているように、わたしは911のときアメリカにいました。
アメリカが変わる歴史的な瞬間にアメリカの中からそれを見ていたわけですが、
今回もたまたまアメリカの歴史が大きく動くかもしれない瞬間、
ここにいることになにか不思議なものを感じています。
911のあとの報道は凄まじいものでしたが、むしろ街は死んだように静まりかえり、
人々はその中でも普通に生活を営み、人生を続けていました。
今この瞬間も、人々の見かけの様子からは何も感じ取ることはできませんが、
今回は前回と違い、多くの人々がインターネット空間で声を上げ、気付き、
メディアが伝えない情報を共有しながら事態を見守っているのを感じます。
そういえば、1月16日、116を逆さまにすると「911」ですね。
これに意味があるのか、全く偶然なのかを我々は後から知ることになるのかもしれません。
ちなみに昨日、散歩のとき空に異様な形の機影を見つけ、目を凝らすと、
機体音痴のわたしにもそれが軍用輸送機であることがわかりました。
ワシントンに州兵を派遣しているという報道もありましたが、それが
どういう意味を持っているのかはもちろん全くわかりません。
しかし、いずれにしても今、何かがこの国に起こりつつあります。
この意味は、たとえこのまま不正な選挙で選ばれたいわれる大統領が
選択されても、たとえそうでないことが起こったとしても、
どちらにせよ、昨日までのアメリカとは違うアメリカになっていく瞬間に
わたしは立ち会っているのかもしれない、ということです。