以前、スミソニアン航空宇宙博物館の第一次大戦の航空シリーズを終了しましたが、
この膨大な展示を誇るアメリカ随一の博物館については、
実はまだお話しすべきことのほんの一部しか語っていません。
その中でも、当ブログ的に大変取り上げ甲斐のあるテーマが、
本日よりシリーズとなる
Sea-Air Operations 海軍航空隊の行動展開
要するに航空博物館のフォーカスを当てたこの博物館が、総力を上げて取り組んだ
空母機動部隊を中心とする一連の展示と考えてくださって結構です。
わたし自身も大変興味を持って観覧し、そしてここでお話しするのを
楽しみにしてきたテーマですので、張り切って参りたいと思います。
このギャラリーエントランスに立ったとたん、展示内容をほぼ完全に理解したわたし、何者?
武漢肺炎前ということで、まだ見学者で賑わっているスミソニアンです。
今久しぶりにHPを見に行ったら、まったく再開の予定は立っていないようです。
観られる時に観ておいてよかった、と改めて思いました。
エントランスの前に立っただけでこれが空母の一部を象っているとわかったのは
全体的にも、そして細部にも海軍を想起させるものがあしらわれているからです。
たとえば、この写真の入り口上部の舫っぽい装飾とか。
このマクラメは海軍&海兵隊の退役軍人、ジョン・オーガスティン氏の手作りで
その作り方は第一次世界大戦中、彼が水兵時代に習ったものだそうです。
スミソニアン博物館に対して大変ありがたく思うのは、説明の各国語が、
英語のほかはスペイン、フランス、ドイツ、そして日本語であることです。
日本についてかつて干戈を交え空戦を戦った相手であるということ、
そして旧日本軍の機体がいくつも所蔵されているからかもしれませんが、
特に第二次世界大戦についての展示でなくとも日本語表示がありました。
これがいつの間にか中国語(しかも簡体字)にとって変わられるという
わりとアメリカではよくあることが、ここに今後起こらないことを祈ります。
エントランス全体を見ると、より空母らしさを感じていただけるでしょう。
「76」はつまり艦番号を表しているようですよ。
エントランスから内部に続くこの床にあるのも軍艦のデッキです。
壁の色も軍艦そのものですね。
いったいこれはどうなっているのでしょうか。
CVM-76 USS SMITHSONIAN
・・・・いかにも実際にありそうですが、まずCVは航空母艦の船体分類番号ですね。
アメリカの空母はCVに「役割」を意味する分類番号、たとえば
CVE=Escort carrier、護衛空母
CVN= Nuclear-Powered 、核動力空母
というのがありますが、それでいうと、
CVM=Museum carrier (博物館空母)
ではないか、とわたしは推察するものです。
しかし、どこを探してもその答えが見つかりませんでした。
おそらく間違ってないと思いますが、どなたか正解をご存知でしたら
是非教えていただきたく存じます。
さて、いかにも船上を思わせるラティスのデッキ風通路には、
Sea-Air Operations
USS SMITHSONIAN CVM-76
QUARTER DECK
という展示説明があります。
クォーターデッキというのは「後甲板」と訳していいと思います。
我々アメリカ海軍の艦船において、クォーターデッキは
公式の儀式が行われるメインデッキの一部分を指します。
訪問者と海軍の高官(dignitaries)はこの部分から乗艦します。
航空母艦のフライトデッキは標準的なドック施設からアクセスするには
高すぎるため、通常格納庫(ハンガーデッキ)のレベルから出入りするのです。
まあ、この辺りは一度でも空母や航空機搭載型護衛艦に乗ったことがあれば
子供でも知っている知識の第一歩ですね。
格納庫デッキは海上では通常の格納庫としての機能を果たしますが、
港にいる間は簡易的なバルクヘッドを追加して、左舷入口に隣接する部分を
クォーターデッキに変換します。
バルクヘッドは日本でもそのまま「バルクヘッド」と言っているかもしれませんが、
意味そのものは「隔壁」となっています。
アメリカは知りませんが、海自だとハンガーデッキで公式の行事を行うことは
普通に多かった気がします。
クォーターデッキのデザインは空母によってバリエーションがありますが、
必ず艦の徽章が掲げられていること、公式の入口であること、そして
そこで公式の行事が行われることだけは共通しています。
絵や置物などのアート、艦が獲得したトロフィー、時鐘、そしてその他の
例えば乗員の装具や携行品などもここにあるのがスタンダードです。
海軍の空母におけるクォーターデッキを再現しているので、このように
いちから説明をしてくれているわけですね。
さらにその横には、この展示に出資してくれた企業の名前がお礼方々書かれています。
飛行機を直接寄贈したボーイング、ニューポートニュース造船の他、ボーイング、
ジェネラルダイナミクス、GE、マクドネルダグラス、ノースロップ、レイセオン、
ロックウェル、ロールスロイス、ウェスティングハウスエレクトリック、
そして「スペシャルアシスタンス」を得たとして、アメリカ海軍と並んで
ソニーコーポレーションが名前を連ねていました。
(ははーん、日本語表記の理由はソニーかな?なんて)
さて、見学者が乗艦し、進んでいくと、そこはハンガーデッキ。
ハンガーデッキですから、当然そこには艦載機が格納してあるというわけです。
空母の中という設定なので、中は結構な暗さです。
ハンガーデッキの説明があるので、これも翻訳しておきましょう。
空母のハンガーデッキの本来の役目は航空機収納、保管、そしてメンテナンスのスペースです。
およそ8100平方メートル(なぜかm表記)の広さで、その幅は艦の幅であり、
長さは艦体のほぼ3分の2となります。
そのスペースは絶対的に艦のなかで大事な空間であり、そこに航空機は
翼を折りたたまれ、互いに数インチの隙間に膠着されて並べられます。
デッキのスペースは航空機のためだけではなく、そこには試験用器具、
メンテ用のパーツ、コンプレッサー、スペアのエンジンなどが所狭しと並びます。
全ての機器は高度で複雑な航空機と装備する武器システムのためにあるといってよく、
さらに作業場、倉庫、エンジンテスト設備、そして消火装備が周りを囲んでいます。
鉄扉が時々開き、運搬エレベーターが地下デッキにある厳重に保護された
弾薬庫から弾薬をこの階に配送します。
ハンガーデッキは各セクションやベイと呼ばれる区画と大きな可動式ドアで区切られており、
非常時や火災の際には遮断されるしくみになっています。
航空機はハンガーデッキとフライトデッキの間を専用のエレベーターで移動させます。
このエレベーターは往々にして艦のサイド部分を延長させるように付属しています。
フライトオペレーションとメインテナンスが行われている間、ハンガーデッキでは
集中的にアクディビティが行われます。
フライトデッキから下ろされてきた航空機は次のフライトスケジュールに合わせて
迅速に手入れなり修理なり点検なりのサービスが行われるのです。
深刻な不具合が認められる航空機は脇に避けられ、集中的な修理が行われます。
当博物館のキュレーターは、つまりその道の専門家でもありますから、
普通に著書などもあったりするわけです。
左から
First Flight Around The World Tim Grove
1924年に最初に世界一周を試みたアメリカ陸軍の八人の男たちの話。
ちょっと待って?ジョン・トラボルタなんてキュレーターいたの?
と思って調べたら、やっぱりあの人でした。
ジョン・トラボルタの「コックピットで」は、各方面のパイロットに
短いインタビューをしたものをあつめた本で、その中に
俳優のトラボルタもいる、ということのようです。
トラボルタは、少年時代に飛行に魅了され、1970年に「サタデーナイトフィーバー」で
稼いだお金で飛行訓練を受け始め、19歳のときにソロになりました。
飛行機を愛する彼はパトロンとしても航空大学に飛行機を寄贈したりしています。
彼は、ガルフストリーム、リア24、ホーカー1A、カナディアテブアン(スノーバード)、
デハビランドヴァンパイアジェットの副操縦士、
そしてボーイング707と747の副操縦士の資格を持っています。
著者兼編集者のDiFreezeは、10年近くにわたって多くの有名な飛行士にインタビューしました。
軍の英雄、有名人のパイロット、曲技飛行のパイロット、宇宙飛行士、慈善家、起業家などです。
(トラボルタがどこに入るのかはわからず・・・慈善家かな)
John Travolta: The AVIATOR
サタデーナイトフィーバーの後消えたと思っていたら
稼いだお金で飛行機に乗っていたのか・・・。
Carrier Warfare In The Pacific E.T. Woolgrigge
「日本の真珠湾攻撃は、戦艦の終焉であり
空母が艦隊の主役になる歴史の幕開けだった」
国立航空宇宙博物館のフェローであるウールドリッジが編集したこのオーラルヒストリーでは、
ジミードーリットル大佐、ジョン・S・サッチ提督などのインタビューを元に構成されました。
たとえばサッチは、彼の編み出した「サッチウィーブ」は、速度の遅いアメリカの飛行機が
速い日本のゼロ戦を同等の条件で戦うことを可能にした戦闘戦術だと言っています。
また「率直に」、ミッドウェイ海戦で、もしフレッチャーとスプルーアンスが空母提督だったら、
ヨークタウンは沈没しなかったであろうと非難しているということです。(読んでみたい)
また、フランクリンが800人の乗組員を失ったとき、神風特攻隊の破壊力を目の当たりにした人、
二つの台風によって破壊された艦隊に乗っていた人などからも話を聞いています。
人々はこうしてハンガーデッキにいる気分を味わえるわけですが、
これらの部分は、驚くなかれ、全て実際の空母の一部分だったものです。
壁も、装備も、デッキの鎖も全て!
そして、映し出されている海上の写真は、実際に空母「セオドア・ルーズベルト」の
艦内から撮影された「本物の乗員目線」です。
ということはこの海はサンディエゴ近海かな?
CVM(笑)スミソニアンが「コミッション」引き渡しされたのは1976年6月28日。
当時のアメリカ合衆国海軍長官(Secretary of the Navy)ウィリアム・ミッデンドルフは
委託式のとき、本式の「海軍用語」で
「床ではなくデッキ、壁はバルクヘッド、そして階段はラダーズ(ラッタル)と呼びます」
「Welcome Aboard!」
とあいさつしました。
そしてこれらの内装は、実際の空母で使われてきたものです。
5隻の除籍になったその空母とは以下の通り。
USS「エセックス」CVS-9
USS「イントレピッド」CV-11
USS「ランドルフ」CV-15
USS「ハンコック」CV-19
USS「シャングリラ」CVS-38
そして1975年に除籍になったいくつかの軍艦が、
これらの展示にその部分を提供することになりました。
階下に続くラッタルへのハッチ。
そしてハンガーデッキには必須の消火装備も。
これらの「本物」に囲まれて展示されているのは、
かつてアメリカ海軍で実際に空母のデッキから飛び立った
艦載機の数々です。
続きます。