スミソニアン博物館の「空母の戦争」シリーズが終わるまで待っていたら、
帰国報告が2ヶ月遅くなってしまいましたが、息抜きを兼ねて
アメリカ滞在と帰国のことを思いつくままにお話ししようと思います。
ピッツバーグに到着したのは、クリスマス直前でした。
コロナ下なので、クリスマスイブでさえ、バスが行先掲示のウィンドウに
「Stay Home」(家にいてください)
と表示して走り回るという異様な状態でしたが、それでも
街中や家々のクリスマスデコレーションは平常通りでした。
公園にあるもみの木にご覧の通り、勝手に飾りをつける人も・・・。
■ τβπ(タウ・ベータ・パイ)
ところで、今回のわたしの渡米目的はMKが学校指定のドームを退出し、
ここからは自分で選んだ住み家に引っ越しをしなければならないので、
退出日から入居日までの彼の身柄と荷物をホテルに預かり、
引越しとセッティングも手伝うというものでした。
彼の新しいアパートの部屋はここでも紹介しましたが、
驚くのがAmazon専用ロッカーが敷地内にあること。
ここに注文した時のURコードをピッとかざすと、瞬時に
たくさんあるロッカーのうち一つのドアが開き、中には
届いたAmazonの荷物が入っているというわけです。
アメリカにはこのようなAmazonロッカーが街角にあって、
指定すれば好きなロッカーに届けてくれるのです。
アメリカの配達人は不在でも持ち帰り・再配達をせず、留守なら
家のポーチやアパートのロビーにそのまま置いていったりするので、
盗難を避けたい人のために開発されたシステムです。
ところでいきなり親馬鹿自慢ですが、ちょっと嬉しかったので書いてしまうと、
MKが「τβπ、タウ・ベータ・パイ」(”食べたパイ”と覚える)に入会しました。
各大学にあるグリーククラブとは違い、こちらは向こうからのお誘いがないと入れません。
日本人であるわたしはもちろん知らなかったのですが、Wikiによると、
タウ・ベータ・パイ協会(通称:タウ・ベータ・パイ、ΤΒΠ、TBP)は、
米国で最も古い工学系名誉協会であり、大学では2番目に古い名誉協会です。
米国の大学で学ぶ工学系の学生のうち、学業成績が優秀で、
個人的にも職業的にも誠実であることを示した学生を表彰しています。
具体的には、「工学系の学生として優れた学問と模範的な人格を持ち、
または工学分野の卒業生として功績を残して母校に名誉を与えた者を
適切な方法で表彰し、工学系大学のリベラルな文化の精神を育成すること」
を目的として設立されました。
だそうで、ある日skypeでMKが
「τβπからインビテーションきたんだけど、入ったほうがいい?」
と聞いてきて初めて名前を聞いた次第です。
成績と社会貢献などの実績の審査を経て入会が決まるのですが、
1ヶ月経っても案の定何も言ってこないので、
「ところでτβπどうなったの」
と聞くと、
「入会したよ」
「オース(oath)とかした?」
「した」
「えー!やっぱりミリタリーみたいに手をあげたりするの?」
「オンラインで言われたことに”はい”とかいうだけ」
「なんだつまんない」
ちなみにτβπのメンバーには19人のノーベル賞受賞者のほか、
バズ・オルドリン(月面を歩いた2人目の宇宙飛行士
チャールズ・バックマン(コンピュータ科学者、データベース技術の先駆者
ジェフ・ベゾス(Amazon.com創業者
マイケル・ブルームバーグ(ブルームバーグL.P.の創業者、ニューヨーク市長
スティーブン・G・ボーウェン(宇宙飛行士
フォン・ブラウン(ロケット科学者)Wernher von Braun
フランク・キャプラ(映画監督
レオン・コルデロ(エクアドル元大統領
シーモア・クレイ(スーパーコンピュータの先駆者
フランシス・デスーザ(イルミナ社CEO
ドン・エイゼル(宇宙飛行士
トーマス・フランシス・ファレル(米国陸軍少将
C. ゴードン・フラートン(宇宙飛行士
フレッド・ハイズ(宇宙飛行士
リー・アイアコッカ(クライスラー元CEO
ケリー・ジョンソン(エンジニア)、米国のシステムエンジニア、航空分野の革新者
ドナルド・クヌース(コンピュータ科学者
バーナード・J・レヒナー(テレビ技術者、LCD発明者
カーティス・ルメイ(米国空軍大将
バージニア・シンク(化学エンジニア、クライスラー社初の女性自動車技術者
アポロ1号、スペースシャトル・チャレンジャー号、
スペースシャトル・コロンビア号で亡くなった7人の宇宙飛行士
ロジャー・B・チャフィー(アポロ1号
ガス・グリソム(アポロ1号
エド・ホワイト(アポロ1号
エリソン・オニヅカ(チャレンジャー号
ジュディス・レズニック(チャレンジャー号
がいるそうです。
ちょっと意外だったのは、外国人留学生でももらえるんだということ。
■ 雪の降る街
わたしが現地に到着してその冬初めてのスノウストームがありましたが、
その後はその雪が溶ける頃また大雪が降り、次の雪までにそれが溶けるという状態でした。
気温はだいたいマイナス8度から2度くらいをうろうろする感じです。
よくしたもので、寒さに全く耐性がないと思われた関西生まれのわたしも、
2月という通年を通して最も寒い時期を経験すると、最後の頃には
体が寒さにわりと慣れてきていました。
アメリカは全般的に建物の機密性が高いのか、部屋の中で
Tシャツで過ごせるくらい暖かい、というのもあります。
冬の日本で半袖で歩いているアメリカ人(なぜかそれは白人男性)を見て
驚いた経験のある人は多いと思いますが、たとえばこんなところと比べると、
日本の冬は「ちょっと涼しい程度」くらいにしか感じなくなるんだろうなと思います。
雪が降ってもほぼ毎日散歩をしました。
雪が降っている時はむしろ溶けかけより足元が安全です。
川沿いの遊歩道は何日かおきに除雪車がやってきて仕事をします。
そしてどんな天気の日にも走っている人が必ずいるのがアメリカ。
それどころか、この雪空にカヌーを漕いでいる老人がいるという・・。
装備を見るにどこかに用事で行くのではなく、エクササイズのようでした。
しかしこの人、万が一カヌーがひっくり返ったら、いろんな意味で終わると思われます。
一度だけ、ホテルの前を流れるオハイオ川が凍ったことがあります。
ここを根城にしているグースのカップルが、いつも通り着水しようとして、
氷の上をつーーーーーっと滑ってしまい、呆然としています。
雪が降り続いたあと、食べ物を探すのが大変な鳥たちにこんなプレゼントをした人がいました。
雪が溶けた後、川に住んでいるビーバーがなぜか土手の道に出てきていました。
かなり近づいて写真を撮ったのに、このビーバー氏、全く逃げません。
ビーバーは警戒心が強く、人が近づくと襲ってくることもあるそうですが、
この個体は何かの原因で弱っていたのかもしれません。
いつも歩きに行くシェンリー公園ですが・・・・。
謎の写真が。
アメリカ式雪うさぎ。
この公園も、雪が降ってすぐの場合はむしろ夏より歩きやすくなります。
夏場は滑り止めで撒いてある砂利で滑ったりするのですが、新雪だと
その上からフカフカの絨毯を敷いた状態になるからです。
ただし、その後晴天が続き、雪が溶け出して固まると、とくにゴム底の靴は
滑って全く歩けなくなります。
2度ほどそれで危険を感じて山に入るのを諦めました。
池は完全に凍ってしまいました。
歩いてみた勇者がいたらしく、足跡があります。
もっともここはせいぜい膝くらいの深さなので、もし割れてもあまり問題ないと思いますが。
■ グルメ
MKと一緒だとニュースは意見の食い違いから揉める原因となるので(笑)
料理番組ばかりやっているチャンネルしか観ません。
一番面白かったのは、「チョッパーズ」というシリーズで、
毎回各界の代表が専門家からなる審判団に素材を与えられ、
その場でコース料理を作って勝ち抜いていくという料理対決でした。
そしてわたし的にベストだったこの回は、
「アメリカ4軍対決」
すなわち、陸・海・海兵隊・沿岸警備隊出身シェフの対決です。
そのうちこの番組についてもご紹介することがあるかもしれません。
ピッツバーグでわたしが一番美味しいと思った(他で食べたことないですが)
バーガーのお店、「バーガトリー」は、テイクアウトやウーバーイーツで
結構繁盛しているようですが、イートインも開始しました。
店内のロゴがやたら凝っているバーガトリーですが、
”Thou shall not covet thy Neighbor’s shake. ”
(汝の隣人のシェイクを欲してはならぬ)
これは聖書の「出エジプト記」の、
Thou shalt not covet thy neighbour's house,
thou shalt not covet thy neighbour's wife, nor his manservant,
nor his maidservant, nor his ox, nor his ass,
nor any thing that is thy neighbour’s.
汝、隣人の家をむさぼってはならぬ
隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、また
すべて隣人のものをむさぼってはならぬ
アメリカ人ならほとんどがすぐにパロディだとわかるのね。
聖書の出典のパロディをやるだけあって、トレードマークに
天使の輪があしらわれ、バーガーのスティックが悪魔のフォーク。
ちなみに、ここにくるとつい頼んでしまうのが「Wagyu Burger」です。
ここのはどうだか知りませんが、アメリカのレストランでは、
必ずしも日本産でなくても「和牛」と呼んでいいようで、一度
「どこどこ(アメリカの都市)産のワギュウ」という説明を見たことがあります。
ピッツバーグを去る直前、最後にちょっと豪華ディナーを取ろうと、
この辺では割と有名らしいケーブルカーの終点の横にあるレストランに行きました。
その日は到着の日と同じくらいの激しいスノーストームが襲来し(涙)
高台に続く山道(もちろん初めて走る)を死ぬほど怖い思いをしてたどり着きました。
今度は吹雪でない日にぜひ来てみたいものです。
白身魚の(何だったか忘れた)ムニエルでございます。
料理はいわゆる創作アメリカン的な?
正直ちょっと味が濃すぎて半分も食べないうちに飽きてしまいました。
ちなみにアメリカのレストランで出てくる料理はアメリカ人にとっても量が多く、
ほとんどの人がお店にパッケージをもらって持ち帰ります。
これをレフトオーバーというのですが、レフトオーバーは
次の日アレンジされて(あるいはそのまま)昼ごはんになったりします。
アメリカでも大正義の大衆料理の王様、チャイニーズですが、
これは飛び込みで入ってみた台湾料理の麻婆豆腐。
アメリカの日本料理はほとんどが中韓人の偽ジャパですが、
そのほかのエスニックはたいていその国の人が作っているのであまり外れません。
■ 野球場でワクチン注射大会
ある晩、夜にはほとんど車も通らないホテルの前の道に、長時間
ライトをつけて止まっている車があったので注意してみていたら、
いきなり中から男女二人が出てきてロケを始めました。
街角に立ってニュースを解説するアナウンサーと、それを撮影するカメラマンです。
何があるんだろうと思って調べてみると、これでした。
ホテルの隣にあるPNCパークで、週末を利用してコロナワクチン接種を行う、
ということを、夜間その球場の前に立ってお知らせしているのです。
AHNというのはアレゲニー郡ヘルスネットワークのことで、対象は
前もって予約した70歳以上の人ということでした。
んで次の日、コロナで夏の間全く利用されなかった球場の駐車場が、
関係者とワクチン摂取するお年寄りを連れてくる車でこの通り。
この週末、車で混雑する球場前という光景を初めて目撃しました。
球場だとテントを設営すれば密室での混雑を避けつつ人を集められます。
ニュースによると、この日はピッツバーグだけでなく、ボストンの
レッドソックスのホームグラウンドであるフェンウェイ球場などでも
同じようにワクチン摂取会場として球場が場所を提供していたそうです。
「わたしを野球に連れてって」
という歌がありますが、野球場も疫病流行以降無観客試合ばかりで、
久しぶりに連れていかれるのがボールゲームでなくワクチン接種でした、
なんてことになるのを一体誰が予想したでしょうか。
さて、とかなんとか言っている間に帰国が迫ってきました。
このとき初めて知ったのですが、アメリカでは搭乗時間までの48時間以内に
PCR検査を受けてその結果をカウンターに見せなければ乗せてもらえません。
で、どうするか調べてみたら、なんとウォルグリーンとかCVSとか、
どこにでもある大型ファーマシーのHPで予約して、その時間にドライブスルーで
専用窓口に行けば、向こうが注文を聞いてくれるので・・じゃなくて、
窓の向こうにいる人が、ポストの中に検査キットを入れてくれるので、
それを運転席に座ったまま取り出し、向こうから
「検査棒の入っている容器の端っこを折ってください」
「中の棒をどこにも触れずに取り出してください」
「ではそれを鼻に突っ込んでぐりぐりーっと回してください」
「30秒ぐらいですね」
「それではそれをもう一度中に戻して蓋を閉めて袋に入れて」
「できたらポストに入れてください」
と言われるがままにやって、あとはメールに結果が来るのを待つのみ。
二日後、ネガティブの結果が出ました。
PCR検査システムの会社は「イージス」という名前です。
「エスニシティ」でなぜわざわざ「ヒスパニックではない」としなければならないのか、
ちょっとわけわかりませんでしたが・・・。
あと驚いたのは、検査代が無料だったことです。
有料にすると、お金のない人が受けに来ないせいかな。
■ 帰国
帰国は最初に予約した便が欠航になり、色々あって予定は1ヶ月伸びました。
それなのに、シカゴからのANAはご覧の有り様。
このキャビンにはわたしと画面に写っている男性ふたりだけでした。
オヘア空港に着いて飛行機を降りたとき、あまりに寒いので驚いて
すぐにスマホを見たら、マイナス12度でした。
シカゴ恐るべし。
シカゴが実は五大湖のすぐ近くだと実感した瞬間。
地図を見たらほとんどミシガン湖畔の街なんですね。
よせばいいのにステーキなど頼んでしまい、猛烈に後悔しました。
理由は、おそらく画像を見てみなさんが予想したとおりの味だったから。
少しうとうとしてふと目を覚まし、窓を開けてみたらあまりのすごい光景に息を飲みました。
ちょうどFAが通りかかって、
「アラスカ上空です。ちょうどいいときにご覧になれましたね。
どうぞ眺めをお楽しみください」
と声をかけてくれました。
帰国して2週間の自宅待機期間、なんと居住地の保健所から
何日かおきに生存確認?メールがきて、それに1日経っても返事しないと、
なぜ返事ができないのか?みたいな詰問調のメールがくるという、
日本のお役所仕事の律儀さに舌を巻くような体験がありました。
「自宅待機継続中です。体調異常ありません」
こんなメールを毎日何十人となく点検する係の人も大変です。