仲良く並んで紹介されていたアメリカ陸軍とルフトバッフェの飛行服を
前回紹介しましたので、続いて各国のパイロットの装備と参ります。
イタリア王国
イタリア王立空軍 Regia Aeronautica Italiana
飛行服(合服)
単なる印象かもしれませんが、さすが国土が長靴の形だけあって
イタリア軍の飛行装備はブーツとか手袋の革製品の色が洒落てます。
しかし、ここでの説明によると、第二次世界大戦中、
イタリア空軍の搭乗員装備は、他国の空軍に比べると
標準化されてはいなかったようです。
飛行服はツーピースになっており、裏地のウールは取り外しが可能で、
気温が低いときの任務には重ねて着用することができました。
ヘルメットはドイツのジーメンス社のデザインに似ています。
イヤフォンとスロートマイクが内蔵されているというのも全く同じです。
スーツは他国と同様電気加熱式ですが、ミトンは絶縁されているので
スーツとは切り離して単体で使うことができます。
救命胴衣はイタリア空軍が頻繁に飛行しなければいけなかった
海上での任務には必須の装備でした。
この展示は足元にパラシュートのバックパックが置かれていませんが、
本体は標準的なタイプの降下スーツを装着しています。
上の写真で目を引く胴回りの金属の梯子のようなベルトは
パラシュートのハーネスを連結するためのものです。
🇯🇵 大日本帝国
日本陸軍航空隊搭乗員飛行服(冬用)
先日ご紹介したこのコーナーの「エース編」において、
どういうわけか全く日本陸軍のエースがないことになっていて、
それはもしかしたら陸軍エースの主な活躍が
中国大陸で英米とは馴染みがなかったから?
と解釈していたわけですが、ここ飛行服と制服のコーナーにおいては、
展示されているのは陸軍のだけで、逆に海軍がないことになっております。
これは深い考えがあってのことではなく、単に展示スペースの関係で
各国1〜2体ずつしかマネキンを置くことができなかったせいでしょう。
ヘルメットは毛皮で裏打ちされており、
イヤフォンの有無にかかわらず使用できます。
酸素マスクは第二次世界大戦中に日本で使用された品種の一つ、
としか書かれておらず、型番などについては
どうやらスミソニアンもわからなかった模様。
酸素マスクの素材は写真ではよくわかりませんが、
マスク部分はゴムのようです。
スミソニアンによると、日本の飛行服は大変作り込まれていて、
それはほとんどの部分を手作業で行っているから、ということです。
いくらなんでもさすがにミシンは使っていたと思うので、
何をもってスミソニアンが「手作業」というのかわかりませんが、
まあ、日本人の手先の器用さを称賛してくれている、
と無理やり考えることにします。
使い回しをしていたのか、飛行服には名札がなく、ただスーツの内側に
パイロットが自分で名前を書く欄があるということでした。
救命胴衣は他国とちがってフライトスーツと一体型に見えます。
救命胴衣には「カポックが詰められている」とあります。
カポックはカポックノキの果皮の内側に生じる軟毛で、
詰め物に使うものを指します。
自衛隊では(アメリカでも)救命胴衣のことをカポックと呼んでいます。
これは第二次世界大戦ごろまで救命胴衣に
カポックが内容物として使われていたからなのです。
わたしなど、カポックというと観葉植物をまず思い浮かべますが。
そしてパラシュートのハーネスですが、
これが世界的にみるとなかなか「独創的」なのだとか。
英語で言うと「クイックリリース・ハーネス・デバイス」で、
要は簡易着脱式なのですが、残念ながら
どう独創的なのかまではわかりませんでした。
足元に置かれた落下傘のバックパック(スミソニアンHPより)。
製造年月日は昭和18年8月18日、製造所は
藤倉航空工業株式会社
です。
同社は現在も藤倉航装株式会社として陸自の空挺隊装備を供給しているほか、
救命装備などの供給を行なっています。
型式は
「同乗者用落下傘九二式」
となっています。
ソビエト連邦
ソビエト連邦人民空軍 搭乗員飛行服(冬用)
お分かりのように、写真大失敗しましたので、
スミソニアンのHPの写真で説明します<(_ _)>
ソビエトのパイロットは、極寒の天候下での作戦のために
飛行スーツは断熱であることが必須条件でした。
なぜならば、当時のソ連の飛行機は無線がないだけでなく、
コクピットがオープンだったからです。((((;゚Д゚)))))))寒
1941年配備されたこのワンピースのカバーオールは、
そんな厳しい条件下での任務をこなすパイロットのために作られたのです。
もちろん裏地は毛皮ですが・・・・剥き出しのコクピットに座るのだから、
全身皮のつなぎでもやりすぎと言うことはないと思います。
こんな見るからにペラッペラのスーツ、
いくらロシア人でも耐えられたんでしょうか。
さすがにヘルメットは革製で毛皮の裏張りが施されています。
全身写真に次いで頭部のアップも撮影失敗です。
どうしてソ連軍だけこんないい加減にシャッターを押したのかわたし。
疲れてたのかしら。
イタリア軍ならいざ知らず、オープンコクピットで「風を感じる」には
ロシアの気候はあまりに過酷です。
しかしなんでこんなクソ寒いところで風防を装備しなかったかと言うのも、
その件のイタリア軍がサエッタMC.200の風防を
開放式にしたのと同じ理由だそうですね。
「ヘタリア伝説」などで、その理由がパイロットの「風を感じられないから」
という要望だった、とされていますが、これは若干説明不足で、正式には
「風を感じないと速度の感覚が掴めないから」
というパイロットの切実な要求によるものだったのです。
(決して情緒的な欲求ではありません)
当時のガラスは品質が悪く、コクピットを覆ってしまうと視界が悪くなるし、
計器の精度も不確かとなれば、
パイロットは経験則に従って状況を判断するのが一番「安全」だった、
というのが本当のところなんですね。
そして、視界のよいアクリルガラスが作れなかったソ連も同じ理由で、
MiG-3やLaGG-3をオープンにするしかなかったということなのです。
というわけで、イタリアではどうしていたのか知りませんが、
ロシアの剥き出しコクピットでは
せめてこんなフルフェイスのマスクで顔を覆って寒さを凌ぎました。
ところで、こんなジェイソンみたいなマスクをつけながら
酸素マスクをどうやって併用できたのか。
皆さんもそんなことに気づかれたかと思いますが、ご安心ください。
ソ連空軍は基本的に酸素供給装置を必要としていませんでした。
というのも、ソ連空軍の主任務というのは主に地上部隊の支援であり、
高高度での空中戦になることなどほぼなかったのです。
低空飛行だけなら酸素マスク要りません、とこういうわけです。
🇬🇧大英帝国
イギリス王立空軍RAF 夏用搭乗員飛行服
ロイヤルエアフォースの航空搭乗員は、取り外し可能なフリースの襟を持つ
「シドコット(Sidcot)パターン」といわれる飛行服を着ていました。
「シドコット」は、シドニー・コットンという人名の短縮形です。
フレデリック・シドニー・コットンOBE(1894~1969)は、
発明家、写真家、航空・写真界のパイオニア。
日本では無名ですが、初期のカラーフィルムプロセスの開発・普及に貢献し、
第二次世界大戦前から戦時中にかけての写真偵察の発展に
大きく寄与した人物です。
シドニー・コットン
1917年、英国海軍航空局のシドニー・コットン飛行中尉は、
オープン・コックピットの航空機での飛行における過酷な環境や低温から
パイロットを守るための飛行服を開発しました。
これがシドコットタイプと呼ばれる飛行スーツで、その高機能ゆえ、
パイロットから非常に珍重される品となりました。
たとえばドイツ軍が英国人パイロットを捕虜にした際、
最初に「没収」したアイテムがこのシドコットスーツで、
たちまちドイツでもコピーが生産されるようになりました。
リヒトホーフェン男爵も撃墜されたときシドコットを着用していたそうです。
シドコットは1950年代までRAFなどの空軍で
改良を加えながら継続的に使用され、
今日の飛行服の「元祖」かつ「原型」となっています。
言うてはなんですが、やはり米英パイロットの装備は
ソ連のものとは随分出来が違う、という感を受けますね。
展示されているのヘルメットは「タイプC」で、イヤフォン内蔵。
酸素マスクは「タイプH」、こちらはマイク内蔵です。
(おそらく咽頭マイクでしょう)
マイク付きH型酸素マスクは緑色のゴム製で、黒色のゴムホース付き。
マイク用の接続線とオンオフスイッチまで装備しされています。
ゴーグルはMarkVIIIといいますから、
もうかなり改良が重ねられているということになります。
長手袋(ガントレットgauntlet)はウールの裏打ちがされており、
ライフベストは圧縮空気とカポックのフローティング機能搭載。
RAFはマーケット・ガーデン作戦で空挺部隊を出していますし、
パラシュートについては何か説明があるかと思ったのですが、
今回、どこを探してもこれらの説明はありませんでした。
続く。