「オペレーション・パシフィック」、大平洋機動作戦最終日です。
「サンダー」は偽装船との衝突で通信装置が壊れてしまい、
そのため消息が絶たれてしまいました。
ハワイの艦隊司令部には、その知らせを聞きつけて
元妻というだけで今は無関係の関係であるMSがやってきました。
この4年間、別れた夫の艦がどこにいても関心も持たず、
他の男とデートとかしてたのに、急にどうしたというんでしょうか(棒)
そもそも副長の別れた妻というだけの、しかも一介の看護師中尉が
司令部のプロッティングルームに入るなど普通は許されるはずがありません。
しかし「サンダー」は無事に真珠湾に到着しました。
士官室では一連の破損などについての事情聴取が行われ、
艦長の死など、原因の全てが魚雷の不調にあるという結論に達します。
下艦した乗員たちは誰いうともなく教会に集まりました。哨戒中に失った艦長始め戦死者の霊に祈りを捧げるためです。
ギフォード少佐は水葬の際に捧げられる海軍の祈りの言葉を唱えました。
「私たちは、その魂を神に委ね、その身体を深みに委ねます。
それは、イエス・キリストによる永遠のいのちへの復活を、
こころより、そして確実に願ってのことですが、
そのイエス・キリストが世を裁くために再びよみがえるとき、
海はその死者を放棄するでしょう」
ペリー艦長の弟、ボブは兄の死の責任がギフォードにあると考えます。
戦闘ではなく、副長の潜水命令が彼を死に至らしめたというのです。
副長として乗員全員の命に責任を持っていたから潜航した、と彼を庇うMSに、
ボブは、それならなぜ緊急潜水してすぐ戦うために浮上したのか、と反撃します。
「かばうのはよせ、彼は英雄になりたかっただけなんだ」
そこに現れたデュークに、ボブは冷たく「あなたは兄を見殺しにした」と言い捨て、去っていきました。
どちらにもいい顔をしたいMSは、デュークに
「彼もいつかはあなたを恨まなくなるわ」
辛ければわたしを頼って、などというのですが、
デュークは冷たく、
「潜航は自分ではなく艦長が自らを犠牲にして下した命令だ。
誰にも恨まれる筋合いはない」
正論ですが、自分を無視されてカチンときた彼女は、スティール師長中佐に、
「自分の立場がよくわかった気がします!」
といい、荒々しく部屋をあとにします。わかったなら、今後はあまり出しゃばらない方がいいと思うね。
さて、このへんでどうしても書いておかなくてはならないことがあります。
当作品制作にあたり、朝鮮戦争の関係で日本人侮蔑表現はやめよう、
ということに決まったといいながら、
透けて見えるこの映画の拭い難い差別表現についてです。
当たり前の話ですが、潜水艦というのは、
基本的に敵の船に奇襲をかけて彼らを殺すのが仕事です。
それは戦争であるから仕方がないことでもあるのに、あえて
映画はアメリカ側の殺戮の正当性をサブリミナル的に盛り込んできます。
この映画の戦闘相手は軍艦のみならず、民間船のこともあり、
そこには当然生きた人間が乗っているわけです。
しかるに、この映画で日本人が乗った船が破壊されて沈められる時、
画面にはただ「記号のような」撃沈シーンが繰り返されます。
魚雷で吹き飛び、沈んでいく船には人っ子ひとり乗っていないような描き方です。
ところが、今回の戦闘シーンのように、撃沈しようとした民間船が武器をとり、
反撃してきたというシチュエーションにおいて、彼ら日本人は卑怯にも
白旗の偽装をし武器を偽装し、艦長を撃ち殺すという「色付け」がされます。
つまりこのことによって、見ている方は意識するしないにかかわらず、
「こんな卑怯なことをされたら殺しても仕方ない(構わない)」
という我が方の民間人殺戮に対する「言い訳」を植え付けられることになります。
この人種差別的な「死の分類」により、この映画による戦争では
二種類の死しか起こらなかったように見えます。
一つは、「悪い日本人が奇襲攻撃をしたことによるアメリカ人の死」
そしてもう一つは、
「善良なアメリカ人が奇襲攻撃に対して自衛的に対処したことによる日本人の死」。
さて、本国での休暇命令をあえて断り、ギフォード少佐は、
ペリー艦長が行うはずだった魚雷の不具合の原因究明に乗り出しました。
信管の問題なのに、技術者でもない彼に何ができるのかという気もしますが。
これらの映像は海軍工廠の魚雷組み立て中の本物です。
こちらは海軍工廠でロケさせてもらったらしい映像。
工廠で仕上がった魚雷には信管に問題はないのに、なぜ?
というわけで落下実験が行われることになりました。
魚雷目線で見た地面の図。
クレーンの先にカメラをつけたんですね。
しかし10回にわたる実験を繰り返しその度に部品を変えてもダメ。
ちなみに映像は三回同じ実験を使い回ししています。
そこで撃針を軽いものから交換してみようということになり、
ようやく問題は解決されました。
ちなみに魚雷は設計や製品に不備があると、グッドヒット
(魚雷が目標の側面に対して垂直から約45度以内に当たること)
で誤作動するというのは本当ですが、同じ魚雷でもちゃんとしたものなら
下手な当たり方(船体側面に対して鋭角に当たる)でも確実に爆発します。
この問題は実際は映画のように潜水艦の乗組員によるものではありませんが、
米海軍では実際に同じような経緯を経てで発見され、解決されています。
魚雷の不具合も判明し、正式に「サンダーフィッシュ」の艦長になったデュークは
ご機嫌でMSをデートに誘いにきますが、こっぴどくはねつけられます。
彼女は自分がせっかく慰めているのに拒否されたことを怒っておるわけです。
「あの時もそうだった。夫婦は慰め合うものなのに、
あの子が死んだ時、あなたは自分の殻にとじこもるだけだったわ」
なるほどー、そこにもっていきますか。
その話を盗み聞きして一言言わずにはいられないのが
もはや単なるおせっかいおばさん、スティール中佐、
「自分以外を必要としていないなんて、あなたが彼によく言えたわね。
あんなことを言ったら彼は二度と帰ってこないわよ!」
(´・ω・`)
同時刻、「サンダー」が次の哨戒に出た太平洋のどこかの空母には、
ペリー弟のボブが、艦載パイロットとして乗り組んでいました。
どうやらこれから日本軍がレイテ島を奪還に来るようです。
(いいかげん情報)
実写
その頃「サンダー」は他の駆逐艦に洋上補給をおこないました。
故障したエンジンギアを送ったついでに、
こちらの見終わった映画「ジョージワシントンがここに泊まった」(コメディ)と、
向こうの持っていた「エキサイティングな潜水艦映画」を交換します。
早速その夜は映画上映会。
ケリー・グラントの潜水艦映画・・ということは、間違いなく
「デスティネーション・トーキョー」でしょう。
Destination Tokyo - Trailer
しかし本職にはやっぱりあまり受けないようで、チーフは居眠りするし、このナビゲーター士官ラリー中尉は、映画どうだったと聞かれて、
「まあ、ハリウッドの連中が潜水艦でなんかやってるってかんじですかね(笑)」
(Oh, all right I guess, sir... the things those Hollywood guys can do with a submarine.)
それはそうだがお前がいうな。
「あいつらはワシントンの映画、楽しんでるかな」
しかし次の日、彼らは海面の油膜の間に残骸とともに漂う
「ワシントン・・・」のリールボックスを見つけてしまいました。
そして彼らを撃沈したと思われる潜水艦の存在を感知します。
「艦影早見表」で彼らが見ているのは伊121〜124のデータです。潜望鏡で敵潜を確認しながら、あそこで何をしているんだろうと副長が呟くと、
ギフォード艦長は、こういいます。
「太陽で艦位を確認しているか、舌舐めずりしてるんだろう」
「ファイア!」
この時魚雷は水面をポーポイズ運動しながら進みますが、
潜水艦の発射した魚雷は決してこのような動きをしません。
魚雷は見事ヒット。コールドウェル少尉が、潜水艦の撃沈を初めて見た!とついはしゃぐと、
いきなり音楽が止まり、艦長が無言で彼を睨み付けていました。
「・・・・・・」
はしゃぐなよ、といったところでしょうか。
失われた命に対する最低限の敬意ってもんがあるだろ、的な?
続いて大船団をレーダーで見つけた「サンダー」は、それが船団ではなく
聯合艦隊であり、しかも周りを360度包囲されていることに気づきました。
空母、戦艦、巡洋艦などが勢ぞろいです。
(音楽はラソラ〜ラソラ〜ラソラドラソラ〜♪みたいなアジアンテイスト)
先ほどのラリー中尉は、思わず呟きます。
「今後ハリウッドの戦争映画ぜってー馬鹿にしないわ、おれ」
ギフォード艦長は、爆雷に耐え、ありったけの魚雷をぶっ放し、
混乱させてここから脱出すると指令を下しました。
「ファイア!」「ファイア!」「ファイア!」
連続して放った6本の魚雷は敵艦に大当たり。(画像省略)
そしてその後雨霰のように爆雷が降ってきます。
レギュレーターや排気管なども各種破損し発射管室も浸水。
駆逐艦を撃破し、他の艦隊も去った海域に、空母が残っています。
しかもよく見ると航行しています。なぜに?
実際は故障した程度の空母を駆逐艦が護衛しないというのはあり得ません。もし損傷が酷かったとすれば、艦隊は自らの手で撃沈してから海域を去るはずです。
しかしまあこれは映画なので、艦長は当然この空母の攻撃を命じます。空母一隻撃沈をスコアに加えるため、そして「艦長の仇を取るため」に。
その頃、ルソン沖に達した先ほどの艦隊を攻撃するために、
ボブ・ペリーの所属する航空隊が空母から出撃していました。
実写映像
「サンダー」はパイロットの海域での救助を命じられ、急行します。
そして航空機から連絡を受け(これは技術的にあり得ない)救助に向かうと
なんと要救助者はボブ・ペリー中尉その人でした。
イッツアスモールワールド。
そこに日の丸をつけたT-6テキサンが例のアジアンメロディとともにやってきます。
8機撃墜した零戦の「エース」という設定です。
機銃でボートが転覆し乗員が投げ出されたのを見て、
艦長は自ら海に飛び込みました。
生存者二人(ボブとコールドウェル少尉)を収容した時、機銃で艦長は負傷。
先任伍長とアラバマ出身の海軍ファミリー出身水兵は亡くなりました。
しかし、零戦は機関銃で海に叩き込んでやりました。(ストック映像による)
艦長は下っ端の少尉に対してもちゃんと労をねぎらいます。
「ミスター・コールドウェル、ありがとう」
そして救助した恋敵、ペリー中尉の枕元でタバコを吸いながら、
(そういう時代です)
「どうだ様子は」
「礼を言わなくてはいけませんね」
「私たちは7人搭乗員を助けた。君はその一人さ」
「この間はひどいことを言ってすみません」
「身内を亡くしたら誰でもああいうさ」
「広い太平洋であなたの近くに落ちて、またあなたを英雄にしてしまった」
そのときヘリがやってきて、ペリー中尉は搬送されることになりました。
その頭をぽんぽん(というかどう見てもバシバシ)叩くデューク。
「・・・なんです?」
「なんでもない」
なんでもないじゃないだろ?
ボブが動けない&立場上怒れないのをいいことに子供扱いって・・。
しかもボブは、別に助けてもらったからって、MSを諦めたなんて
一言も言ってないよね?
無事帰国すると、埠頭にはメアリー・スチュアートが待ち構えていました。
そして二人は駆け寄り、出撃前の問題が何も解決しておらず、
ボブ・ペリーとの関係も何も変わっていないというのに、
何もなかったかのように熱い抱擁をかわすのでした。
それから二人で一緒に手を取り合って歩いて行きます。彼らの行き先は病院。
ジャングルから連れ帰った赤ちゃん「ブッチ」を彼らの養子に迎えるためです。
潜水艦と陸で連絡が取れなかったはずなのにいつの間にこんな話になっているのか。
それに、そもそも二人の問題の根源だった「夫の不在」という点で言うなら、
ギフォードが潜水艦艦長となった今後の方が、いろいろと見通し暗くない?
時間的にも、生存率の点でも。
最後に、わたしの感想に最も近いと思われたレビューを一つ紹介します。
第二次世界大戦中やその直後に作られた映画には、50年以上経った今となっては、
時代遅れのステレオタイプとしか思えないようなものも多いが、それでも、
国民全体(その世代の人々)をそのように行動させ、
感じさせた理想や価値観が反映されている。
戦時中、海軍に所属していた私の父は、ジョン・ウェインの大ファンだった。
ウェインは、父が少年時代や軍人時代に受け入れた価値観と
同じものを体現していたのだろう。
このことは、私にとっていくつかの妥当性と展望を与えてくれる。
この映画がウェインの最高の戦争映画とはみなされていないことは承知しているが、
彼の戦争映画がなぜ人気があったのか、
そして今もあるのかを示す良い例だと確信している。
終わり。
「サンダー」は偽装船との衝突で通信装置が壊れてしまい、
そのため消息が絶たれてしまいました。
ハワイの艦隊司令部には、その知らせを聞きつけて
元妻というだけで今は無関係の関係であるMSがやってきました。
この4年間、別れた夫の艦がどこにいても関心も持たず、
他の男とデートとかしてたのに、急にどうしたというんでしょうか(棒)
そもそも副長の別れた妻というだけの、しかも一介の看護師中尉が
司令部のプロッティングルームに入るなど普通は許されるはずがありません。
しかし「サンダー」は無事に真珠湾に到着しました。
士官室では一連の破損などについての事情聴取が行われ、
艦長の死など、原因の全てが魚雷の不調にあるという結論に達します。
下艦した乗員たちは誰いうともなく教会に集まりました。哨戒中に失った艦長始め戦死者の霊に祈りを捧げるためです。
ギフォード少佐は水葬の際に捧げられる海軍の祈りの言葉を唱えました。
「私たちは、その魂を神に委ね、その身体を深みに委ねます。
それは、イエス・キリストによる永遠のいのちへの復活を、
こころより、そして確実に願ってのことですが、
そのイエス・キリストが世を裁くために再びよみがえるとき、
海はその死者を放棄するでしょう」
ペリー艦長の弟、ボブは兄の死の責任がギフォードにあると考えます。
戦闘ではなく、副長の潜水命令が彼を死に至らしめたというのです。
副長として乗員全員の命に責任を持っていたから潜航した、と彼を庇うMSに、
ボブは、それならなぜ緊急潜水してすぐ戦うために浮上したのか、と反撃します。
「かばうのはよせ、彼は英雄になりたかっただけなんだ」
そこに現れたデュークに、ボブは冷たく「あなたは兄を見殺しにした」と言い捨て、去っていきました。
どちらにもいい顔をしたいMSは、デュークに
「彼もいつかはあなたを恨まなくなるわ」
辛ければわたしを頼って、などというのですが、
デュークは冷たく、
「潜航は自分ではなく艦長が自らを犠牲にして下した命令だ。
誰にも恨まれる筋合いはない」
正論ですが、自分を無視されてカチンときた彼女は、スティール師長中佐に、
「自分の立場がよくわかった気がします!」
といい、荒々しく部屋をあとにします。わかったなら、今後はあまり出しゃばらない方がいいと思うね。
さて、このへんでどうしても書いておかなくてはならないことがあります。
当作品制作にあたり、朝鮮戦争の関係で日本人侮蔑表現はやめよう、
ということに決まったといいながら、
透けて見えるこの映画の拭い難い差別表現についてです。
当たり前の話ですが、潜水艦というのは、
基本的に敵の船に奇襲をかけて彼らを殺すのが仕事です。
それは戦争であるから仕方がないことでもあるのに、あえて
映画はアメリカ側の殺戮の正当性をサブリミナル的に盛り込んできます。
この映画の戦闘相手は軍艦のみならず、民間船のこともあり、
そこには当然生きた人間が乗っているわけです。
しかるに、この映画で日本人が乗った船が破壊されて沈められる時、
画面にはただ「記号のような」撃沈シーンが繰り返されます。
魚雷で吹き飛び、沈んでいく船には人っ子ひとり乗っていないような描き方です。
ところが、今回の戦闘シーンのように、撃沈しようとした民間船が武器をとり、
反撃してきたというシチュエーションにおいて、彼ら日本人は卑怯にも
白旗の偽装をし武器を偽装し、艦長を撃ち殺すという「色付け」がされます。
つまりこのことによって、見ている方は意識するしないにかかわらず、
「こんな卑怯なことをされたら殺しても仕方ない(構わない)」
という我が方の民間人殺戮に対する「言い訳」を植え付けられることになります。
この人種差別的な「死の分類」により、この映画による戦争では
二種類の死しか起こらなかったように見えます。
一つは、「悪い日本人が奇襲攻撃をしたことによるアメリカ人の死」
そしてもう一つは、
「善良なアメリカ人が奇襲攻撃に対して自衛的に対処したことによる日本人の死」。
さて、本国での休暇命令をあえて断り、ギフォード少佐は、
ペリー艦長が行うはずだった魚雷の不具合の原因究明に乗り出しました。
信管の問題なのに、技術者でもない彼に何ができるのかという気もしますが。
これらの映像は海軍工廠の魚雷組み立て中の本物です。
こちらは海軍工廠でロケさせてもらったらしい映像。
工廠で仕上がった魚雷には信管に問題はないのに、なぜ?
というわけで落下実験が行われることになりました。
魚雷目線で見た地面の図。
クレーンの先にカメラをつけたんですね。
しかし10回にわたる実験を繰り返しその度に部品を変えてもダメ。
ちなみに映像は三回同じ実験を使い回ししています。
そこで撃針を軽いものから交換してみようということになり、
ようやく問題は解決されました。
ちなみに魚雷は設計や製品に不備があると、グッドヒット
(魚雷が目標の側面に対して垂直から約45度以内に当たること)
で誤作動するというのは本当ですが、同じ魚雷でもちゃんとしたものなら
下手な当たり方(船体側面に対して鋭角に当たる)でも確実に爆発します。
この問題は実際は映画のように潜水艦の乗組員によるものではありませんが、
米海軍では実際に同じような経緯を経てで発見され、解決されています。
魚雷の不具合も判明し、正式に「サンダーフィッシュ」の艦長になったデュークは
ご機嫌でMSをデートに誘いにきますが、こっぴどくはねつけられます。
彼女は自分がせっかく慰めているのに拒否されたことを怒っておるわけです。
「あの時もそうだった。夫婦は慰め合うものなのに、
あの子が死んだ時、あなたは自分の殻にとじこもるだけだったわ」
なるほどー、そこにもっていきますか。
その話を盗み聞きして一言言わずにはいられないのが
もはや単なるおせっかいおばさん、スティール中佐、
「自分以外を必要としていないなんて、あなたが彼によく言えたわね。
あんなことを言ったら彼は二度と帰ってこないわよ!」
(´・ω・`)
同時刻、「サンダー」が次の哨戒に出た太平洋のどこかの空母には、
ペリー弟のボブが、艦載パイロットとして乗り組んでいました。
どうやらこれから日本軍がレイテ島を奪還に来るようです。
(いいかげん情報)
実写
その頃「サンダー」は他の駆逐艦に洋上補給をおこないました。
故障したエンジンギアを送ったついでに、
こちらの見終わった映画「ジョージワシントンがここに泊まった」(コメディ)と、
向こうの持っていた「エキサイティングな潜水艦映画」を交換します。
早速その夜は映画上映会。
ケリー・グラントの潜水艦映画・・ということは、間違いなく
「デスティネーション・トーキョー」でしょう。
Destination Tokyo - Trailer
しかし本職にはやっぱりあまり受けないようで、チーフは居眠りするし、このナビゲーター士官ラリー中尉は、映画どうだったと聞かれて、
「まあ、ハリウッドの連中が潜水艦でなんかやってるってかんじですかね(笑)」
(Oh, all right I guess, sir... the things those Hollywood guys can do with a submarine.)
それはそうだがお前がいうな。
「あいつらはワシントンの映画、楽しんでるかな」
しかし次の日、彼らは海面の油膜の間に残骸とともに漂う
「ワシントン・・・」のリールボックスを見つけてしまいました。
そして彼らを撃沈したと思われる潜水艦の存在を感知します。
「艦影早見表」で彼らが見ているのは伊121〜124のデータです。潜望鏡で敵潜を確認しながら、あそこで何をしているんだろうと副長が呟くと、
ギフォード艦長は、こういいます。
「太陽で艦位を確認しているか、舌舐めずりしてるんだろう」
「ファイア!」
この時魚雷は水面をポーポイズ運動しながら進みますが、
潜水艦の発射した魚雷は決してこのような動きをしません。
魚雷は見事ヒット。コールドウェル少尉が、潜水艦の撃沈を初めて見た!とついはしゃぐと、
いきなり音楽が止まり、艦長が無言で彼を睨み付けていました。
「・・・・・・」
はしゃぐなよ、といったところでしょうか。
失われた命に対する最低限の敬意ってもんがあるだろ、的な?
続いて大船団をレーダーで見つけた「サンダー」は、それが船団ではなく
聯合艦隊であり、しかも周りを360度包囲されていることに気づきました。
空母、戦艦、巡洋艦などが勢ぞろいです。
(音楽はラソラ〜ラソラ〜ラソラドラソラ〜♪みたいなアジアンテイスト)
先ほどのラリー中尉は、思わず呟きます。
「今後ハリウッドの戦争映画ぜってー馬鹿にしないわ、おれ」
ギフォード艦長は、爆雷に耐え、ありったけの魚雷をぶっ放し、
混乱させてここから脱出すると指令を下しました。
「ファイア!」「ファイア!」「ファイア!」
連続して放った6本の魚雷は敵艦に大当たり。(画像省略)
そしてその後雨霰のように爆雷が降ってきます。
レギュレーターや排気管なども各種破損し発射管室も浸水。
駆逐艦を撃破し、他の艦隊も去った海域に、空母が残っています。
しかもよく見ると航行しています。なぜに?
実際は故障した程度の空母を駆逐艦が護衛しないというのはあり得ません。もし損傷が酷かったとすれば、艦隊は自らの手で撃沈してから海域を去るはずです。
しかしまあこれは映画なので、艦長は当然この空母の攻撃を命じます。空母一隻撃沈をスコアに加えるため、そして「艦長の仇を取るため」に。
その頃、ルソン沖に達した先ほどの艦隊を攻撃するために、
ボブ・ペリーの所属する航空隊が空母から出撃していました。
実写映像
「サンダー」はパイロットの海域での救助を命じられ、急行します。
そして航空機から連絡を受け(これは技術的にあり得ない)救助に向かうと
なんと要救助者はボブ・ペリー中尉その人でした。
イッツアスモールワールド。
そこに日の丸をつけたT-6テキサンが例のアジアンメロディとともにやってきます。
8機撃墜した零戦の「エース」という設定です。
機銃でボートが転覆し乗員が投げ出されたのを見て、
艦長は自ら海に飛び込みました。
生存者二人(ボブとコールドウェル少尉)を収容した時、機銃で艦長は負傷。
先任伍長とアラバマ出身の海軍ファミリー出身水兵は亡くなりました。
しかし、零戦は機関銃で海に叩き込んでやりました。(ストック映像による)
艦長は下っ端の少尉に対してもちゃんと労をねぎらいます。
「ミスター・コールドウェル、ありがとう」
そして救助した恋敵、ペリー中尉の枕元でタバコを吸いながら、
(そういう時代です)
「どうだ様子は」
「礼を言わなくてはいけませんね」
「私たちは7人搭乗員を助けた。君はその一人さ」
「この間はひどいことを言ってすみません」
「身内を亡くしたら誰でもああいうさ」
「広い太平洋であなたの近くに落ちて、またあなたを英雄にしてしまった」
そのときヘリがやってきて、ペリー中尉は搬送されることになりました。
その頭をぽんぽん(というかどう見てもバシバシ)叩くデューク。
「・・・なんです?」
「なんでもない」
なんでもないじゃないだろ?
ボブが動けない&立場上怒れないのをいいことに子供扱いって・・。
しかもボブは、別に助けてもらったからって、MSを諦めたなんて
一言も言ってないよね?
無事帰国すると、埠頭にはメアリー・スチュアートが待ち構えていました。
そして二人は駆け寄り、出撃前の問題が何も解決しておらず、
ボブ・ペリーとの関係も何も変わっていないというのに、
何もなかったかのように熱い抱擁をかわすのでした。
それから二人で一緒に手を取り合って歩いて行きます。彼らの行き先は病院。
ジャングルから連れ帰った赤ちゃん「ブッチ」を彼らの養子に迎えるためです。
潜水艦と陸で連絡が取れなかったはずなのにいつの間にこんな話になっているのか。
それに、そもそも二人の問題の根源だった「夫の不在」という点で言うなら、
ギフォードが潜水艦艦長となった今後の方が、いろいろと見通し暗くない?
時間的にも、生存率の点でも。
最後に、わたしの感想に最も近いと思われたレビューを一つ紹介します。
第二次世界大戦中やその直後に作られた映画には、50年以上経った今となっては、
時代遅れのステレオタイプとしか思えないようなものも多いが、それでも、
国民全体(その世代の人々)をそのように行動させ、
感じさせた理想や価値観が反映されている。
戦時中、海軍に所属していた私の父は、ジョン・ウェインの大ファンだった。
ウェインは、父が少年時代や軍人時代に受け入れた価値観と
同じものを体現していたのだろう。
このことは、私にとっていくつかの妥当性と展望を与えてくれる。
この映画がウェインの最高の戦争映画とはみなされていないことは承知しているが、
彼の戦争映画がなぜ人気があったのか、
そして今もあるのかを示す良い例だと確信している。
終わり。