サンディエゴのフライング・レザーネック航空博物館には
ほとんどが有名でどこかで見たことのある航空機ばかりですが、
たまーに、ここにしかないようなレアな機体が展示されています。
そのひとつがこれ。
■ ノースアメリカン・ロックウェル
OV-10ブロンコ Bronco
そもそもノースアメリカン・ロックウェルという会社名を聞くのも初めてです><
前半はあのノースアメリカンで間違いありませんが、
後半のロックウェルというと、おそらく
ロックウェル・インターナショナルのことではないかと思われます。
OV-10ブロンコは、ここにあってそのフワフワした
パステル調のペイントである意味異質な外貌が目立っています。
運用は1969年から1995年の間で、デビュー時期を考えると
ベトナム戦争のために設計されたことは明らかです。
現地の説明には「ミッション」として、
「Light Armed Reconnaissance」(軽武装偵察)
とあります。
OV-10ブロンコは、対反乱戦に特化して設計されており、
ベトナムでの戦闘条件に最適の飛行機とされていました。
空軍と海兵隊は、武力偵察、ヘリコプターの護衛、近接航空支援、
前方航空管制、死傷者の救出、落下傘降下などの任務に運用しました。
双発のプロペラ機で小型なので、位置づけは
ヘリコプターとジェット機の間のギャップを埋めるいいとこ取りの存在?
つまりどちらの役割も果たす、多機能性を備えた機体でした。
着陸が簡易なので、ヘリコプターのように遠隔地で複数の任務をこなす一方、
多種多様な武器や装備を搭載でき、活動場所を選ばない設計。
着陸が簡単な理由は、ジェット機とは異なり、
「ジョインテッドな」着陸装置を備えているためだと書いてあるのですが、
おそらくこれは固定式「引き込み式ではない」という意味でしょう。
格納式の膠着装置は、格納するための機構に重量がかかるうえ、
メインテナンスの作業も必要になってきます。
ときとして故障や出し忘れなどの操作ミスで事故となる可能性もあるため、
空気抵抗にある程度目を瞑るならば、固定式のギアの方が
軽量で頑丈で、荒れた土地や軟弱な土地でも
短時間で離着陸(STOL)することができるというメリットがあります。
その点ブロンコはスキッドを出しっぱなしのヘリに近いわけですが、
ヘリコプターよりも速く、ジェット機よりも小回りが効くと言う利点があります。
引き込み脚がないというだけでもメンテナンスは簡単になりますが、
特にブロンコの場合、メンテナンスそのものが驚くほど簡単です。
たとえば燃料など、なんなら自動車用でも機能するといいますし、修理も普通のハンドツールでできてしまうというくらい単純なのだとか。
航空戦術に前方航空管制というものがあります。
Forward Air Control(FAC)は、戦線付近で行われる航空管制のことで、
近接航空支援や航空阻止など、戦術爆撃作戦の一環として用いられます。
【前方航空管制機としてのOV-10ブロンコ】
目的は攻撃機を適切に統制することで誤爆を防ぎ、
最前線で活動する味方地上部隊の安全を確保することです。
前線航空管制官が航空機に搭乗して活動するのですが、
ブロンコは、ベトナム戦争時代、前方航空管制機(FAC)用に設計された
最初の航空機であり、その開発の重要な一歩となりました。
ただし、一般的なFAC任務は、ほぼ非武装で敵の上空を低空飛行するため、
常に撃墜の危険性にさらされる任務であり、現実にベトナム戦争では
FAC任務による多数の犠牲者が出ており、多くの機体が失われました。
それでは具体的な前方航空管制機の任務について説明しておきます。
FACは地上攻撃機のために攻撃目標を見つけてマーキングし、
周辺の友軍と間違えず確実に攻撃するよう地上攻撃機を誘導します。
そのため前方航空管制官は、敵陣の上を低空でゆっくりと飛行します。
先ほど言ったように、この時が地上から攻撃され、
実際も犠牲を生むことになった、最大の危険な時間でした。
ブロンコ以前にFACと呼ばれる任務を行なったのは
セスナL-19バードドッグという民間機ベースの機体でしたが、
民間機であったため、武装も防御もありませんでした。
O-1バードドッグ
どう見てもセスナですが、ちゃんと陸軍マークが入っています。
こちらは一応全金属製にして安全性と防御に気を遣っています。
「バードドッグ」は「鳥撃ち猟の猟犬」の意味です。
戦後生まれて朝鮮戦争に投入され、FACと偵察に使われましたが、
エンジン出力が弱く武装が搭載できなかったうえ、
防弾装備が一切ないというご無体な仕様だったため、
空軍178機、海兵隊7機、陸軍その他で284機、計469機もが喪失しました。
こういう機体ですから、おそらく失われた人命も多かったのではないでしょうか。
我が日本国でも陸自が使っていたこともあります。
こちらは連絡機程度の使用だったのと、
わずか22機ライセンス製産しただけだったので、
目立った事故は起こさず、喪失数の記録も残されていません。
ブロンコは、武器のハードポイント(牽引設備)を備えているだけでなく、
セルフシール式の燃料タンク、高視認性のキャノピーも備えていました。
多くのバリエーションを持ち、ドイツ、タイ、ベネズエラ、インドネシアなど、
輸出用としていくつかのバリエーションが生産されました。
これらの仕様はOV-10Aと同じです。
次にアメリカで作られたのが、ここに展示してあるOV-10Dでした。
OV-10Dは、チャフ対策と赤外線抑制機能を搭載し、
OV-10Aの敵対者や対空砲火に脆弱という弱点を改善することができました。
さらに、エンジンの大型化、機首の延長、暗視装置、
プロペラの大型化、カメラの搭載などが行われます。
ここにあるブロンコは、ペイントのせいかずいぶんのどかな雰囲気です。
軽とはいえ、武装ヘリとしては「これ大丈夫か」感がうっすら漂うのですが、
この下のサイトに見えるまだ現役らしい機体は、なぜか鉄十字をつけていたり、
現役のUSAF仕様だったりで、ずいぶん猛々しい面持ちです。
North American Rockwell OV-10 Bronco
ところで偶然見つけたこのサイト、どういう人がやっているのか
なかなか面白いのでつい見入ってしまいました。
全くの寄り道ですが、先を急がないブログなので、ちょっと紹介しておきます。
記事の中では独自の視点で航空機を評価しています。
第二次世界大戦のドイツ戦闘機ベスト8
1.メッサーシュミット Messerschmitt Bf 1092.フォッケウルフ Focke-Wulf Fw 1903. ドルニエDornier Do 174. メッサーシュミットMesserschmitt Me 4105. Messerschmitt Bf 1106.ハインケル Heinkel He 1627. Messerschmitt Me 2628. Messerschmitt Me 163
まあ、これは順当というやつでしょう。
一番面白かったのが、
第二次世界大戦の戦闘機ワースト7
7. モラーヌ・ソルニエMorane-Saulnier M.S.406 フランス6. ハインケルHeinkel He162 ドイツ5.ラググ・トゥリー Lavochkin-Gorbunov-Gudkov LaGG-3 ソ連4.メッサーシュミットコメット Messerschmitt Me 163 Komet ドイツ3. メッサーシュミットMesserschmitt Me 210 ドイツ2. ブリュースターBrewster F2A Buffalo アメリカ1.ブラックバーン Blackburn Roc イギリス
やっぱりコメットと樽(ブリュースター)が入賞したか・・・。(納得感)
ちなみに、輝かしいワーストワンに選ばれたブラックバーンですが、
爆撃機や攻撃機を援護する艦隊防衛戦闘機として設計されたため、
4連装機銃塔をパイロットの後ろに設置し、
前部の銃を一切撤去した。
つい最近書いたばかりですが、前方が攻撃できないこの戦闘機、
このサイトでもそれが原因でワースト扱いされております。
おまけに速度が遅く、また機銃は
飛行機が直線的に飛行していないと正しく発射されない
という、前代未聞かつ不便なものになってしまったことが
史上最悪の戦闘機と呼ばれることになった原因、と厳しく断罪しています。
どんな素人でもこれくらいのことに気づきそうなものですが、
どうしてこんなものを導入してしまったのか、ロイヤルエアフォース。
というわけで、この機体、戦闘に参加することなく、第一線から退き、
曳航機や練習機に改造されたのですが、
セカンドラインとはいえ、戦闘群に配属された機体が、
1機撃墜を主張🎉
しており、さらにダンケルク脱出の際に
ノルウェー沖を飛行した機体もあったそうです。
よっぽど運のいいパイロットだったのか、というか
撃墜されたドイツ機はよっぽど運が悪かったんでしょう。
あと、わたしたち的に興味がある記事としては、
第二次世界大戦の優秀な日本の戦闘機
1.「 隼 」Nakajima Ki-43 Hayabusa2.「九七式」 Nakajima Ki-273.「雷電」 Mitsubishi J2M4. 「月光」 Nakajima J1N1 Gekko5. 「秋水」 Mitsubishi J8M16. 「零戦」 Mitsubishi A6M “Zero”7. 「疾風」Nakajima Ki-848. 「飛燕」Kawasaki Ki-61
はて、「秋水」って完成してましたっけね。
いったいどういう基準で「優秀」枠に選ばれたのか。
ちょっと説明文を見てみましょう。
「三菱J8M1は、日本海軍航空局と日本陸軍航空局の
共同プロジェクトとして開発された。
エンジンはヴァルターHWK509Aに若干の改良を加えたものを搭載していた。
三菱J8M1のもう一つの特徴は、その軽量な機体である。
400kgしかなく、驚くべきステルス性を発揮して任務を遂行することができた。
この未来的なグライダーの主柱は合板で作られており、
これがJ8M1という驚異的な機体の総重量の大幅な削減に貢献している。
垂直尾翼も同様の理由で木で作られている。
コックピットには防弾ガラスが採用された。
これは、J8M1をさらに軽量化するための工夫である。
また、燃料や弾薬の搭載量も少なくて済むように設計された。
J8M1は1944年から1945年の間に7機しか製造されず、
プロジェクトは正式に終了した。
しかし、J8M1にはMXY-9、MXY-8、Ku-13、Ki-13など、
少なくとも60種類の練習機が存在したのである。
これらの練習機は、前田、横須賀、横井などで開発された。
日本海軍航空隊は、この極めて獰猛な迎撃機を主に使用した」
え・・・・?(思考停止状態)
そ、そうだったんですか?(特に最後の一文な)
同じサイトで秋水の兄弟分であるコメットがワースト7に入っているのに?
だいたい、秋水があるのになんで紫電改がないのとか、
素人にもちょっとこのセレクトは不思議だったりしますよね。
まあいいや。
とにかくこのサイト、そういう意味でも(どういう意味だ)おすすめです。
飛行機好きの方、怖いもの見たさじゃなくて時間潰しにぜひどうぞ。
【FLAMのOV-10ブロンコ】
フライング・レザーネックのOV-10(BuNo.155494)は、
1969年1月16日に海兵隊に受け入れられ、18機のうちの1機として、
海軍の軽攻撃飛行隊(VAL-4)に貸与されました。
この飛行隊は、河川の巡視船を支援するための監視および攻撃活動を行うとともに、シールズや米陸海軍と南ベトナムの統合作戦のための航空支援を行い、
HA(L)-3ヒューイの活動を補完することを目的として設立されました。
1972年4月、VAL-4は解散し、帰国しています。
1972年9月、当機は海兵隊に戻され、ペンドルトンのVMO-2に配属され、
その後アトランタの海兵隊予備軍に送られます。
1990年8月、VMO-2は「砂漠の盾」作戦を支援するため、
6台のOV-10をサウジアラビアに向けて10,000マイルの旅に送りました。
このことは航空界のニュースとして報じられました。
1991年1月から始まった「砂漠の嵐」作戦では、
合計286の戦闘任務、900飛行時間をこなしました。
任務は紛争期間中、24時間体制で行われ、主に米軍と連合軍の大砲、
多数の攻撃機、海軍の砲撃をコントロールすることに集中し、
USS「ウィスコンシン」が朝鮮戦争以来初めて戦闘射撃を行うことになり、
その際の「スポッティング」も行いました。
この飛行隊は、94回以上もイラクの地対空ミサイル砲手に狙われ、
高射砲の大規模な集中を避けようとしながらも、
これらの厳しい重要な任務を遂行しました。
1991年5月、494号機はVMO-2とVMO-1の他のOV-10と共に
USS「ジュノー」Juneau (LPD 10)に搭載されて、サンディエゴに帰港。
1993年5月20日、VMO-2は解隊され、その4日後には所属機は
MCAS エルトロのFlying Leatherneck Aviation Museumに送られました。
続く。