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MATCALS(海兵隊航空管制&着陸システム)〜フライングレザーネック航空博物館

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フライング・レザーネック航空博物館の展示紹介、いよいよ最終日になります。
最後に残ったのは航空博物館には非常に珍しいものなのですが、
その紹介の前に、この時滞在していたホテルからの
サンディエゴ軍港の眺めを貼っておきます。

ホテルはミッドウェイ博物艦から歩いて5分の距離でした。



このときはまだコロナ前で、普通にミッドウェイは観光客で賑わっています。

甲板の上に展示されている航空機も、名前がわかるくらいの近さです。


ミッドウェイの甲板の向こうには「カール・ヴィンソン」が。
この頃にはサンディエゴを母港として海自との合同訓練をしていました。
今年の夏から横須賀に来ており、10月には
日米英蘭加新共同訓練に空母「ロナルド・レーガン」などとともに参加し、
英海軍空母「クイーン・エリザベス」を中心とする空母打撃群CSG21、
海上自衛隊護衛艦「いせ」などと訓練を行っています。


手前から「ロナルド・レーガン」「クィーン・エリザベス」
「いせ」「カール・ヴィンソン」。
米英の巨大空母と比べるとなんて可愛らしいの、「いせ」。


隣で修復中?
「セオドア・ルーズヴェルト」。
やはりこのころ、日本海で日米共同訓練を終わって帰ってきたところです。

パンデミックでは結構えらい目にあったようです。

2020年3月24日、3人の水兵がCOVID-19に陽性反応を示し
その後数十人にまで感染は蔓延。
なんと「セオドア・ルーズベルト」は、洋上でCOVID-19が発生した
米海軍初の艦船に認定されてしまいました。

感染者が100人を超えたため、艦長のブレット・クロージャーは海軍に助けを求め、
上司である太平洋艦隊の提督・艦長10人にメールを送り、自艦の退避を要請。

それに対し、トーマス・モドリー海軍長官代理が、
「電子メールで支援要請を、しかも指揮系統上ではなく『幅広く』送った」
としてクロージャーの指揮権を剥奪し、さらに
その対応がプロらしくないと非難しました。
このあと乗員を前にした演説で前艦長のことを
「あまりにも愚か」と発言し、一部の乗員が罵声を浴びせた音声が流出し、
これが原因でモドリーは辞任しています。

その後乗員の陽性反応は585人に表れ、ついに一人が死亡。

隔離と検査を繰り返し、一旦は1000人近くが陽性反応だったのですが、
発生から1ヶ月半の5月21日に「セオドア」は海に戻りました。

クロージャー艦長は復職が期待されていましたが、
結局措置はそのままになりました。


ドーム状の建物の向こうには航空機が見えることから、
これは格納庫ではないかと思われます。


さて、余談はさておき、最後のFLAM展示はこれです。
迷彩柄にペイントされた巨大アンテナ付きのコンテナ。

これ関連の設備の配置図はご覧の通り。
レーダー付きのコンテナ、なしのコンテナ、
そして何かわからないもの。


この何かわからないものを横から眺めてみました。



プレートを読めば何か手掛かりが見つかるかな?


AN/TPS-73
AIR TRAFFIC CONTROL SUBSYSTEM
なるほど、こいつは海軍の宇宙海洋戦システム部門が開発したもので、
航空管制のサブシステムであるらしいことがわかりました。
AN/TPS-73は、完全なソリッドステート(SSD)の
一次監視用S-Band多機能レーダーの機種で、
長距離戦術航空管制レーダーとして、ギャップフィリング(間隙埋めって何)
や監視任務に使用することができます。

このシステムは、不明瞭なレーダースクリーンや電子対策が施された環境での監視、
検出、追跡、識別という航空管制上の要求を満たすように設計されています。

サバイバビリティ、軍事的優位性に必要な静音性に優れたレーダー特性を実現し、
監視領域全体で高い目標視認性が確保されるという優れものです。



アレーニア社製のオープンメッシュで先端を切り取ったパラボロイド・アンテナは、
クラッター性能を高めるためにデュアルビームで照射されます。

「AN/TPS-73は約3mのISOシェルターに格納されており、
アンテナ関係の部品を輸送中に保管することもでき、
陸、海、空(C-130、CH-53)で輸送が可能です」

とありますから、つまりこれそのものがシェルターで、
同時にアンテナ機器のコンテナであろうと思われます。

AN/TPS-73は、1990年に海兵隊が購入し、イラク戦争でも使用されました。

そして、TPS-73レーダーは、USMCの
Marine ATC And Landing System(MATCALS)
の一部ということになります。
ここにある三つの構造物がそのMATCALSで、
バリバリイラク帰りの退役装備なのです。


MATCALS(マトカルズ)の正式名称は、
Marine Air Traffic Control & Landing System
(海兵隊航空管制&着陸システム)

となります。


装備のセッティング例。



イラクでの使用例。

左にさきほどのTPNー22レーダーがあります。
このレーダー、つまりPrecision Approach Radar(PAR)ですね。

航空機のパイロットが着陸する際に、着陸しきい値に達するまで、
横方向と縦方向の誘導を行うためのレーダー誘導システムの一種です。

PARのディスプレイを監視しているコントローラは、
各航空機の位置を確認し、最終接近時に航空機が
コースとグライドパスを維持するようパイロットに指示を出します。


これにより、このパラボラアンテナが付いた装備を

TPS-73
AIRPORT SURVELLANCE RADAR(ASR)
(エアポート・サーヴェイランス・レーダー)
と呼ぶことがわかりました。


空港監視レーダー(ASR)は、空港で使用されるレーダーシステムで、
空港周辺空域の航空機の存在と位置を検出して表示する機能を持ちます。

一般の空港においても主要な航空管制システムで、大規模空港だと
安全性のため、一次監視レーダーと二次監視レーダーで二重に構成されています。


アンテナのついていないコンテナもあります。


土方セットは砂漠では必需品なのかも。
どういう場合に使うのかはっきりわかりませんでしたが、
もしかしたら砂でドアが開かなくなったりするのでしょうか。入り口にあるからには、しょっちゅう使う事情があったものと思われます。


ドアには内部の見取り図が貼ってあります。
この猫の額のようなコンテナに入っていて非常口がわからなくなる事態とは一体。

右下は室内の脱出口が記されています。
ファーストエイドキットにカンテラランプ。
もしかしたらこれ、外側からの救出なんて事態もあるかもってことかしら。



任務中ずっとここに立って戸を締め切って機械に囲まれる生活。
一歩外に出ればそこは灼熱の砂漠。
これはなかなか辛いものがあるかもしれません。
何人でオペレートするのか知りませんが、一人だったら寂しいだろうし、
気の合わない人や嫌な上司と一緒だったらもはやそこは地獄。

そしてこのモニターをずっと監視しているわけですねわかります。



レーダー、アンテナなどの操作パネルですが、
さりげなくもう昔の機器という感じの佇まいです。

赤いパネルには、

危険!
フレームや露出した金属部分がすべて接地されていない状態で、
この機器を使用しないでください

とかかれています。
金属部分が全て設置されていない=アースがされてない
ってことかな。

展示のために、表面はすべてアクリルガラスで覆われていました。


これは発電のための電池群だと思われ。
一つの大きな電源でなく小さいのがたくさん、というのは
リスク回避のためでしょうか。


ん?こんなところに落書き?と思ったら・・・、



なんか重要なことなのでマジックで直接書いたようです。
アメリカ人、こういう数字の書き方する人多いですよね。
4だか9だかわからないこともあるんだこれが。



機器のステータスボードですね。
ラジオ、電話、インターコムと全てボタン式なのが時代を感じさせます。


ボードのラック



建物上部には空調のファンが見えます。
「一般目的コンピュータ」「特別目的コンピュータ」と分かれており、
これ全体がモニタとなっているようです。


これらのシステムは全部で18台が米軍に納入されたといいますから、
その数少ないうちの一台がここにあるというわけです。

製造はパラマックス社(ユニシス)、その後、ニューヨークの
ロッキード・マーチン・タクティカル・ディフェンス・システムズ社と
イタリア・ローマのアレニア・SpA社が製造を手掛けました。

現在は、多機能レーダーAN/TPS-80「G/ATOR」に置き換えられています。

レーダー単体はアレニア社(現レオナルド社)がライセンス生産し、
「Argos(アルゴス) 73」の名称で販売されていました。



イラクに展開していたMATCALSサイトの様子です。

どういう勤務体系で、つまりコンテナには何人が入り、
何時間交代で、その間彼らはどういう風に任務をおこなっていたのか、
そういったことについての情報は、残念ながら見つかりませんでした。
決して楽な任務ではなかったという気はします。


ただ、狭いながらにカウンターらしきものが辛うじてあったので、
ここにきっとコーヒーメーカーくらいはあったと思うのです。

アメリカ人の職場にコーヒーがないなんてとても考えられませんから。
それがたとえアラスカでも、イラクの砂漠でも。

というわけで、フライングレアーネック航空博物館の紹介を終わります。この「海軍の街」サンディエゴにいつかまた行ける日が来るのを願いつつ。


フライング・レザーネック航空博物館シリーズ終わり



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