何度も書いていますが、スミソニアン航空宇宙博物館に足を踏み入れると、
歴史的なマイルストーンとなる航空機が最初に現れます。
リンドバーグが大陸間横断の偉業を打ち立てた、
「スピリット・オブ・セントルイス」号とわずかな空間を隔てたところに
スペースシップ・ワンはあります。
この民間の有人航空機は、宇宙に飛び立ち、到達し、
そして無事に帰還して商用宇宙飛行の未来の嚆矢となりました。
したから見ただけでは全く全体像の掴めないこの機体には、
いかにもお役所仕様ではない遊び心が溢れすぎてダダ漏れのデザイン。
アナログなおっさん二人がグーグルのインターンシップに紛れ込み、
最後に入社の栄光を勝ち取るという映画「インターンシップ」で、
グーグル本社の映像にこれが映っていたのにはちょっと驚きましたが。
わたしがスミソニアン博物館を訪れたのは2018年でしたが、
その前に撮られた写真に撮られた写真では、こんな展示となっています。
定期的に展示の態勢を変えていろんなポーズを見せる心配りかもしれません。
で結局どんな形なのかというとこれなんです。
いやこれは新しいわ。
従来の航空機のどれにも似ていない斬新なシェイプをしております。
■ 初めての民間宇宙船
2004年、スペースシップ・ワンは、3人を乗せて軌道下で宇宙飛行を行い、
最初の民間開発宇宙船アンサリXプライズで1000万ドルを得ました。
アンサリXプライズというのは、Xプライズ財団によって運営され、
そのものズバリの有人弾道宇宙飛行を競うコンテストのことです。
スペースシップ・ワンはその受賞対象である、
1、宇宙空間(高度100 km以上)に到達する
2、乗員3名(操縦者1名と乗員2名分のバラスト)相当を打ち上げる3、2週間以内に同一機体を再使用し、宇宙空間に再度到達する
という三つの受賞条件を満たしたというわけで、
言わば鳥人間コンテストの大規模なものみたいな感じだと思います。
ところで、この三つの条件の3番目の意味がよくわからんのですが、
1回成功してもまぐれかもしれないから、ってことなんでしょうか。
スペースシップ・ワンは、2週間以内に見事おなじ弾道飛行に成功し、
受賞対象になって賞金を獲得したということになります。
ところで、このスペースシップ・ワンの出資者、誰だと思います?
ポール・アレン。
言わずと知れたマイクロソフトの共同創業者ですね。
2018年10月といいますから、わたしがスミソニアンで
スペースシップワンを見た2ヶ月後にリンパ腫で亡くなっておられます。
マイクロソフトを退社してからは慈善事業に参入し、
このスペースシップ・ワンへの出資もその一環だったそうです。
余談ですが、彼は第二次世界大戦時の兵器に造詣が深く、マスタングや
シャーマン戦車、なんなら一式戦闘機「隼」までコレクションしていました。
深海調査船で「武蔵」「インディアナポリス」などの
軍艦の沈没地点を明らかにしていたのも記憶に新しいところです。
アンサリXプライズについても話しておきます。
アメリカの起業家、ピーター・ディアマンディス(Peter Diamandhis)は、
1995年Xプライズ財団を設立しました。
スミソニアンでスペースシップワンの隣に展示されていた
「スピリット・オブ・セントルイス」で大西洋横断を行ったリンドバーグが
1927年に受賞したオルティーグ・プライズの、
「ニューヨーク市からパリまで、またはその逆のコースを
無着陸で飛んだ最初の連合国側の飛行士に対して与えられる」
という条件を満たすためにその壮挙を成功させた例に倣い、
この目的ありきの賞が、リンドバーグの時航空業界に拍車をかけたように、
アンサリXプライズによって宇宙開発に刺激を与えることが目的でした。
賞のアンサリという名前は、イラン系アメリカ人であるビジネスパートナー、
アヌーシャ(Anousheh)とアミール(Amir)・アンサリから取られています。
左から:ハミッド・アンサリ、パイロットのブライアン・ビニー、
プライズ出資者アヌーシャ・アンサリ、設立者ピーター・ディアマンディス、
そして出資者のアミール・アンサリ。
アンサリ何人いるんだよっていう。
出資者のアンサリーズは賞金の1000万ドルを出資しています。
このアヌーシャは2006年に、スペースアドベンチャーズ社が仲介して、
ロシアのソユーズ宇宙船でのプライベートトリップに加わり、
国際宇宙ステーションに宇宙飛行士として飛びました。
彼女は宇宙旅行者としては女性初めて、そして
イラン系初のイスラム教徒の女性として宇宙へ行った人物となりました。
ちなみに彼女は10代でイランから米国に移住したイラン系アメリカ人で、
先ほどの写真のうち夫はハミド、アミールは義弟だそうです。
事業で成功した彼らは、宇宙事業に出資して
念願のアンサリX賞を設立したというわけです。
宇宙に対して早くから関心を持っていた彼女は、ロシアで訓練を開始し、
当初は、日本の実業家、榎本大輔氏のバックアップとして参加しましたが、
榎本が健康上の理由で宇宙飛行を断念したため、
彼の代わりにソユーズTMA-9のフライトクルーとなり、
打ち上げ後、国際宇宙ステーションで8日間を過ごしました。
左から:
バージン・ギャラクティックのオーナー、サー・リチャード・ブランソン
スペースシップ・ワンの設計デザイナー、バート・ルータン
スポンサー、ポール・アレン
まさに今飛び立つスペースシップ・ワンを見ています。
全員が指差し確認している状態って、なんなんだ。
やっぱりついついこのポーズをやっちゃうのでしょうかね。
バージン・ギャラクティックというのはご想像の通り、
バージン・アトランティックのバージングループの傘下にあり、
会長のリチャード・ブランソンが設立した宇宙旅行ビジネスを行う会社です。
(ちなみに今現在従業員は30名)
スケールド・コンポジッツ社より技術提供を受け、
宇宙船「スペースシップツー」を開発した会社で、
米国ニューメキシコ州とスウェーデンに「スペースポート」を持っています。
昨年12月、日本の実業家、前澤友作氏が100億だかなんだか払って
ソユーズで宇宙に行きましたが(一応話題になってましたかね)今後もヴァージン・ギャラクティック社は、
年500人の観光客を一人当たり25万ドル(2885万円くらい)の料金で
宇宙へ送る計画を立てています。
ただし前澤氏のような宇宙ステーションまでというプランではなく、弾道飛行で、大気圏と宇宙のおおよその境界とされる
地上100kmを若干超える高さに到達するだけということになります。
それでも完全な無重力になる時間はおよそ6分間あるそうなので、
それくらいなら一度くらい経験してみたいと思う人もいるかもしれません。
同社はその後、「スペースシップツー」を開発し、
(その間事故などにも見舞われたようですが)2021年7月11日、
創業者のリチャード・ブランソンら6人が搭乗して
高度80kmに到達し、3分間の無重力体験を行ったのち、
1時間後に無事帰還することに成功しました。
■” あなたもスペースシップ・ワンで宇宙へ”
The story behind Virgin Galactic - SpaceShipOne to ...
動画の最初で大きな飛行機が宇宙船を運んでいるのがわかりますが、
これが「ホワイトナイト」(White Knight)と名付けられた母船です。
宇宙船がホワイトナイトからリリースされると、
スペースシップ・ワンのロケットエンジンが点火されます。
その接合された翼は「feathered 」ポジションに回転し、
大気圏への飛行を安定させるのです。
人々は、宇宙旅行のチケットを購入するような日がやって来ることを
長い間夢見てきました。
1964年、パンアメリカンワールド・エアウェイズは、2000年から
軌道宇宙ステーションへの定期便飛行を開始するとして、
「ファーストムーンフライト」クラブ
の受付を開始しており、1964年以降、9万3000人が、
その順番待ちリストに名前を連ねました。
その会員証・会員ナンバー1043、ジェームズ・モンゴメリー様
これは1968年から1971年にかけて行われたパンナムの
まあ言えばマーケティング・キャンペーンに過ぎません。
ふざけていると考える人もいましたが、パンナムは大真面目だったようです。
この企画は、1964年、オーストリアの一人のジャーナリストが、
ウィーンの旅行代理店に月への飛行を依頼したのが始まりでした。
旅行代理店がパンナム航空とアエロフロート航空に依頼を出したところ、
パンナムは企画を立て、最初のフライトは2000年だと回答したのです。
このとき、SF映画「2001年宇宙の旅」が公開されたこと、
1968年にアポロ8号が成功したことで一層関心が高まりました。
パンナムがウェイトリストを保存していることがメディアに漏れると、
会社には問い合わせが殺到しました。
さらにはアポロ11号による人類初の月面着陸が成功し、
この夢のようなプランにお金を出す人は増加していきます。
このカードに記載されている名前のジェームズ・モンゴメリーとは
当時のパンナムの販売担当副社長でした。
カードの裏面には「スペースクリッパー」が描かれ、
順番待ちリストを示すシリアルナンバーが印刷されていました。
最終的には90カ国から93000人が申し込みをし、そのリストには
ロナルド・レーガン、バリー・ゴールドウォーター、
ウォルター・クロンカイト、ジョージ・シャピロなど、
(中にはシャレで申し込んだ人もいたかも)多くの公人が含まれました。
パンナムはもし計画が実行されたら何年後でもリストの順番は維持される、
と最後まで言っていたようですが、その後財政危機に陥ってしまい、
2000年までに破産して影も形も無くなってしまったのは皆様の知るとおり。
そして、リストに名前を連ねた人々のほとんどは、自動的に、そして確実に、
月ではない別のところに行ってしまったということになります。
ところで、その2001年宇宙の旅のプロモーションアートを手掛けた
「スペースアーティスト」のロバート・マッコールが描いた絵が、
ここボーイング・マイルストーンオブ・フライトホールに展示されています。
人々が宇宙旅行をすることのできる未来は案外近いのかもしれません。
ところで、さっきちらっと話が出た「日本人実業家榎本氏」ですが、
皆様この人のことご存知でした?
失礼ながらわたしは全く名前にも聞き覚えがなかったのですが。
氏は、前述の宇宙飛行士不適格事件で、料金の返還を求めて、
仲介を行ったSpace Adventures社を訴えた末和解しています、
医学上の問題で不適格と見做された場合は、代金の払い戻しは行なわれない、
という契約条項を氏は知った上で契約した、というのがSA社の主張ですが、
ご本人によると、それは法を盾に取った「言い訳」だそうです。
つまり、このとき、Space Adventures社は氏の代わりに搭乗した富裕な実業家女性アヌーシャ・アンサリ氏から
「別の投資」を受け取るために氏を追いやったのだと。
「医学的な問題」というのがどの程度交代に足る理由だったか、
ということが争点になったんだと思いますが、
どちらにしてもなんだかドロドロした話になっていたんですね。
ところで、前述の前澤氏が宇宙に行くことが決まった時、
わたしはメディア発表をアメリカにいるときに見ましたが、
現地報道の様子は「ふーん、で?」というような冷たいものでした。
前澤氏のプロフィールもその事業についてもほとんど触れられず、
肩書きも「日本のミリオネア」だけだった記憶があります。
前澤氏がアメリカ人だったら反応は違っていたのでしょうか。
一部の億万長者だけが宇宙旅行を経験できる現代ですが、
すでに利権やお金の絡んだ美しくない話も裏では起こりつつあるのでしょう。
これも人の世の常といったところです。
因みにリチャード・ブランソン氏は2005年にこんなことを言っています。
「手頃な価格のプライベート宇宙旅行は、
人類の歴史に新しい時代を開きます。
軌道に乗る、月にいく。
このビジネスには限界というものはないのです」
一般市民がその恩恵に与ることができるようになるのは何年後でしょうか。
続く。