■窓猫コレクション
わたしたちが住んだ地域の住居には、思い出すだけで数匹の「窓猫」がいて、
住んでいる間にすっかり顔馴染みになったりしました。
この子は一度紹介していますが、着いて早々
AirbnbとMKの職場の中間地点で発見した
「リベラルキャット」。
飼い主は急進派リベラルらしく、猫ベッドの横に「堕胎禁止令反対!」
のアジビラを掲示していたことから。
猫を見る人はビラにも注目してくれるというわけです。
夜、近道をしようと思って細〜〜〜い道を通り抜けていたら、
夜なのに窓の外を見ている三毛猫がいました。
片側にびっしり駐車してあって、通り抜けるのも大変な道でしたが、
通り過ぎた後、わざわざ3mほど戻って写真を撮りました。
いつもスペースが空いている道路の前にお住まいの気品ある猫嬢。
極限の狭い道に縦列駐車していると、むっちゃこっちを見てきます。
あまりの気品に「其方は・・・」とか喋りそう、ということで、
名前が「そなた」になりました。
これも車でぐるぐる回っていると時々お見受けする角の窓猫。
毛がみっしりと密集している=denseから「でんすけ」。
別の日、でんすけの待機位置がいつもとちょっと違っていました。
窓枠に虫か何かを見つけたらしく、そちらを見てヒゲ袋を震わせる、
「かかか」鳴き=クラッキング(英語ではchatterling)の真っ最中でした。
クラッキングは獲物となるもの、例えば窓の外の小鳥や高い所の虫など、
何か気になるものが見えるけれど猫の手が届かないところにある時、
猫が例外なく行う鳴き方です。
最後にでんすけを見た時、彼は(多分彼)伸びの真っ最中で、
これまで見た猫史上初めてというくらい長く伸びていました。
1階の道路脇の窓にばかり注意が行きがちですが、たまに
2階の窓猫を発見することもあります。
鼻の模様から「コアラ」と名付けたこの猫は、
ご飯の後だったらしく、口を盛んにぺろぺろしています。
いつも散歩する公園で、初めて道路沿いに亀がいるのを見ました。
この亀は確かグランドラピッズで見たのと同じ、
アメリカ大陸に生息するニシキハコガメだと思われます。
今調べてびっくりしたのですが、日本ではペットとして売買されていて
ペットショップでは25〜50万円の値段がつくんだとか。
世の中にはこんなもの?にそんな大枚を叩く人がいるんですね。
まあもっとも、亀と同じくらいの値段がつけられたブランドバッグに対し、
たかが鞄にそんなの信じられない、という価値観だってあるわけですが。
公園で歩いていたら、右の茂みから道を横断しようとしていた鹿の一群。
大人の鹿はもう道を渡って反対側にいましたが、そこにわたしがきたので
この子鹿ちゃんは人間に対してビビりまくって固まってしまっています。
すると、後ろから来た若い鹿(多分お兄ちゃん)が、鼻の先っちょで
子鹿をちょんちょん、と突いて、渡ることを促していました。
「ここの人間は悪いことしないから、大丈夫、早くいきな」
といっているようでした。
■ アレゲニー墓地
ピッツバーグに来るようになって以来、何度かこの
アレゲニー墓地については(特に南北戦争関係の記事で)取り上げました。
今回泊まったアパートはこの近くだったので、
ある日思い切って墓地の中を車で通過し、その後、お天気の良い日に
中を散歩してみました。
お墓の中を歩くなんて、と日本人は思いがちですが、
アメリカで墓地はちょっと静かな公園のように認識されている節があり、
この日も歩道をジョギングする人や散歩する人、
ベンチで読書する人などの姿がところどころ見られました。
アレゲニー墓地(Allegheny Cemetery)は、ペンシルバニア州最古にして
最大の埋葬地で、創設は1844年です。
これは創設時当時のままの石造りの正門で、時代を表して
入り口は車がやっと1台通れるくらいの狭さなので、
実質車の出入りは建物の後ろに設けられた道路で行います。
建物左側は墓地の総合事務所となっていて、
これからの「死後の住処」を求める人のための手続きや、
お墓のメインテナンスなどを行っています。
1800年からある墓地に、土葬を新規で受け付けるほど場所があるのか?
とつい心配になりますが、少なくとも中を車で一周したところ、
まだまだスペースに余裕はあるように見受けられました。
とはいえ、墓地事務所としては、年々場所を売っていく関係で、
火葬を推奨する方向のようで、この写真の右側にもその宣伝があります。
あと、墓地を回ってみて、新しく入居する人たちのために、集団霊廟、
ちょっとお手頃な棺のアパートみたいなのがありました。
火葬はしたくないという人向けで、棺をそのアパートの外から
郵便受けのような感じで並べて差し込む形で埋葬?します。
もちろん霊廟の中にも名前があり、そこで死者を偲ぶこともできます。
棺の収まっているスペースに墓碑銘と生年月日、死亡月日が書かれますが、
よく見ると多くの人がまだ生きていることもわかります。
その人たちのほとんどは、連れ合いを亡くして葬り、その隣についでに?
自分の終の住処を用意した未亡人や残された夫でした。
名も無き一般市民の小さな墓石、たった一人の名前が刻まれた
豪壮な霊廟と、その佇まいはその人物が生きていた時の社会的地位を
そのまま表していて、なかなか感無量です。
中には、一族の霊を守護する天使の像を誂えてしまう人も。
ジェームズ B. ホッグの復活の天使
Angel of the Resurrection on James B. Hogg monument
ホッグ家はペンシルバニア州のいわゆる名家で、
ほとんどが銀行業や販売業、運輸、ガラス製造の会社を持っていました。
このジェームズというのは、ピッツバーグで企業をいくつも構えていた
ジョージ・ホッグという人物の息子ジョンの子供のようです。
ジョン・ホッグも第一国立銀行の創設者という人物ですが、
このジェームズに関しては情報がないだけでなく、
記念碑が建てられたのは父親のジョンが29歳の時なので、
もしかしたら、ジョージは幼くして死んだ子供であり、
その死を悲しんだ両親が、息子の霊を見守ってくれる天使の像を
高名な彫刻家に依頼したのではないかと思われます。
このエピソードを知って像を改めて見ると、天使は
地上を指差しているようですが、これはちょうど
そこにジョージが眠っているということなのかもしれません。
墓地は二つの大通りの間に挟まる形であり、
右手のペンアベニューから左手のバトラーストリートまで
中では結構ダイナミックな高低差の斜面になっています。
その中間地点くらいに、池がありました。
カモやリス、ガチョウ、うさぎなど、墓地の中は
動物たちにとっても安逸の得られる住処となっています。
中は普通に車道になっていて、夕方に門が閉められるまでは
中に誰でも自由に入っていくことができます。
YouTubeを検索すると、夜中の3時にガイガーカウンターみたいなのを持って
忍び込み、霊の存在を証明するようなことをしている人もいるようですが、
これは墓地に許可を取ってるんでしょうか。
これは最初に車で中を走ってみた時のもの。
どんよりとした曇天の墓石の間を何人かが走り回っていました。
中を歩いたときには、ふと傍の墓石に目が止まることがありますが、
小さいサイズの墓標により、そこにいるのが
1800年代にわずか6歳で亡くなった子供であることがわかったりします。
するとわたしは100年以上前、たった6年しかこの世にいなかった
アメリカ人の女の子のことについて、色々と考えずにはいられないのでした。
とまれ、墓地というのは、生きている人間に
生と死の彼我を考えさせる場所でもあります。
■グルメ
コロナ以降、テイクアウト中心の店がとても重宝がられて、
このサラダ専門店も、今年になって新しく3号店を構えました。
ここは周りをUPMC(ピッツバーグ大学医学部病院)の施設に囲まれていて、
ランチを食べにくる医療関係者の姿がいつも見られます。
右の女医さんは、製薬会社かおそらく保険関係のセールスの人と
ビジネスランチをしているところです。
わたしが頼んだのはEL JEFE(エル・へフェ)。
エルヘフェはスペイン語でシェフのことなので、おそらく
「メキシコ風シェフサラダ」だと思います。
そういえばシラントロやアボカドは標準装備でした。
カーネギー自然史&美術館併設の『The Café』は、
今年の5月にMKが学部の卒業式をした後お昼を食べに来ました。
ただのカフェではなく、もちろんサンドイッチやバーガーもありますが、
ここの得意はラージプレートやこんなスープなのです。
メニューにはちゃんとシェフの名前(女性だった)が記載されています。
これは、確かスイカのガスパッチョ。
珍しいタマリンドの実を使ったエビのソテー。
ソースはタマリンドの色をしており、赤いのはトマトではなくスイカです。
この昼食の後、わたしたちは兼ねてからここで公言していた、
カーネギー・サイエンスセンターのUSS「レクゥイン」の見学をしました。
色々問題のある見学でしたが、そんなこともまたここでご報告します。
MKの卒業した学校は、新しく校舎を増設する工事が進んでいます。
この時アパートからモニターを学校に持って行って、
彼はそれ以降IDを返却しましたから、これが建物内に入る最後になりました。
中を歩いていると、高校生らしい一団が、現役学生に連れられて
「学内ツァー」を行なっているのとすれ違いました。
アメリカでは国土が広いため、実際行ったことがない大学に願書を出し、
合格して初めてそこに行くという学生がいないわけではありません。
でも、夏休みを利用して志望大学のツァーに参加し、
それでアプライを決めるという普通のやり方で受ける人ももちろんいます。
MKはちなみにこの大学のツァーには参加せず合格した口です。
散歩に行く公園にはボブ・オコナーというゴルファーの名前がついた
ゴルフ場があり、この写真の後ろ側が全部その敷地です。
去年道路沿いの木は雷で倒されてしまったのですが、
今年行ってみたらハロウィーン仕様にデコレーションされていました。
ちなみにアメリカではまだ暑いというのに、
インテリアショップやデコレーショングッズを売る店はすでに
どこもハロウィーンの飾り付けが始まっています。
ピッツバーグ最後の外食は、タイ料理「プサディーズ・ガーデン」です。
最後に何が食べたいか?となった時、家族3人の意見が一致したのですが、
週末だったので予約が取れず、ウォークインで順番待ちをして入れました。
これは、おそらく「この世で一番美味しい」ロティ。
MKのノンアルカクテルの後ろにあるのはマンゴーのサラダです。
スティッキーライスのココナッツミルク掛けにマンゴーのデザート。
もう、これ以上ないほど大満足でした。
ただ、お勘定の時になって、TOが、
「UMIの一人分より、安い・・・」
といらんことを呟いたので、またしてもわたしたちは
あの悪夢のジャパニーズを思い出してしまったのですが。
続く。