潜水艦「シルバーサイズ」の哨戒の履歴を
第1次から第5次までたどってみました。
6次からは、艦長がクリード・C・バーリンゲーム少佐から
ジョン・S・’ジャック’・コイ少佐に変わります。
この写真は、「シルバーサイズ」の艦長室なのですが、
さすがは潜水艦、どんなに頑張ってもこんな範囲しか写りません。
これならiPhoneの広角で撮るんだったと激しく後悔しています。
サンフランシスコに展示されていた潜水艦「パンパニート」などは、
乗員の部屋に女性のフォトフレームが置いてあったり、
大抵の水上艦の艦長室には制服がかけてあったりと、
それなりの演出がされているものですが、「シルバーサイズ」には
そういった名残を感じさせるものは一切ありません。
■ 新司令の元に(第6次からの哨戒)
5回のパトロールが終了しました。
バーリンゲーム艦長とダベンポート副長は移動で『シルバーサイズ』を去り、
我々は新しい艦長、ジョン・C・コイ少佐と
ボブ・ウォーシントン(Worthington)副長を迎えることになりました。
上の写真には、「勤務初日のコイ艦長」とキャプションがあります。
コイの名前は John S. "Jack" Coye, Jr.で、
我々には聞きなれない変わった苗字ですが、イギリス系の家系の名前です。
時々男子のファーストネームとして使用されることもありますが、
ファミリーネームとしてはイギリスでも珍しい名前だそうです。
ここで艦長は上下逆さまにした「戦利品」の旗を持っていますが、
おそらく漁船の船名であろうと思われる「徳島」が読み取れます。
(昔は旗の根元から右に向かって読んだため)
続きです。
ウォーシントン少佐は、下士官(junior officer)からスタートして
潜水艦副長にまでなった人です。
ジュニア・オフィサーは「尉官」と訳されることもありますが、
この場合は、ウォーシントンが下士官出身、旧海軍の特務士官、
世間で言うところの「叩き上げ」であると解釈すべきでしょう。
帝国海軍では歴然とした士官学校卒とそれ以外の「身分差」があり、
下士官からオフィサーになっても「特務士官」と色分けされましたが、
アメリカ海軍は、実力次第では(特に開戦以降の潜水艦は)
副長にもなれた、ということのようです。
そういえば、映画「ハンターキラー」でも、主人公の原潜艦長は
兵学校卒ではなく、叩き上げの下士官出身でしたっけ。
最初はずいぶん兵学校卒の副長に反発されていたようですが。
「コイ艦長は6次にわたる哨戒と、その間の
オーバーホールの期間を通じ、
我々を率いて、敵船14隻の撃沈スコアを挙げました」
■ 6回目の哨戒
「可愛い魚雷」が寝ております。
シュールですが、なかなかキッチュで和むデザインですね。
第6次哨戒では、魚雷を1発も発射しなかったってことでしょうか。
見ていきましょう。
🇺🇸
6回目の哨戒では、新任のジョン・S・"ジャック"・コイJr.中佐のもと、
7月21日から9月4日までソロモン諸島とカロライン諸島間をパトロールした。
魚雷の不調と目標の少なさに悩まされ、手ぶらでブリスベンに帰還した。
英語の記録ではこれだと攻撃を全くしなかったように書かれています。
ただ、これがわたしにはなぜなのか、ちょっとよくわからないのです。
なぜなら、日本側の記録によると、以下の通りだからです。
🇯🇵
7月21日、シルバーサイズは7回目の哨戒でビスマルク諸島方面に向かった。
8月2日朝、シルバーサイズは、北緯04度36分 東経149度20分の地点で、
13ノットから16ノットの速力で航行する神川丸級輸送船に対して
魚雷を4本発射し、次いで浮上して砲戦を行おうとしたが、
間もなくスコールが目標をかき消してしまった。
8月5日には、北緯01度53分 東経153度32分、
ラバウル北北東340海里の地点で敷設艦「津軽」を発見し、
艦尾発射管から魚雷を4本発射して2本を命中させ撃破する。
いや、これ・・・魚雷全く寝てないんですけど。
敷設艦「津軽」
このとき撃破されたという「津軽」の艦歴を見てみましょう。
敷設艦「津軽」は、ラバウルで空襲を受け、
その修理を横須賀で行って、再びラバウル、ブイン、トラック泊地間で
魚雷輸送任務等に従事していました。
8月4日、トラック泊地を出撃してラバウルに向かったところ、
8月5日、米潜水艦「シルバーサイズ」から雷撃されて損傷し、
ラバウルで応急修理後、再び横須賀で修理と整備を実施しています。
「津軽」は機雷敷設艦ですが、ある時は航空隊の無線で
戦艦だと認識されていたことがわかっているくらい大型艦でした。
そこでさらに疑問が湧きます。
機雷敷設艦といえども、この大型艦に雷撃で損傷を与えたことは、
彼らにとって誇るべき記録のはずです。
なのになぜ、当時の「シルバーサイズ」は、魚雷を眠らせていたとし(笑)
さらに英語の記録でも、このことが全く書き残されていないのでしょうか。
「津軽」撃破後は、確かに不調だったようですが。
🇯🇵
「津軽」撃破後はなかなか攻撃の機会がなく、
8月21日に北緯05度00分 東経149度50分の地点で病院船
「ぶゑのすあいれす丸」(大阪商船、9,625トン)を確認した。
この時の「ぶゑのすあいれす丸」は、潜望鏡を通じて
このように写真が撮られています。
Periscope Photo
Hospital ship, that's safe,
cargo ship that wasn't
(病院船は見逃すが、貨物船はそうはいかない)
というキャプション、そして次のこの写真と共に。
貨物線ではなく漁船に見えますが
さて、この後も、日本側の記録は続きます。
🇯🇵
8月29日
北緯04度30分 東経150度48分地点で
9ノットで航行する輸送船を発見し、浮上して追跡を行う。
8月30日
日付が変わった未明、北緯02度40分 東経150度00分の地点で
「シルバーサイズ」は水上攻撃で魚雷を6本、20ミリ機銃による射撃を行う。
やがて5つの爆発音が轟き、間もなくレーダーの反応もなくなったが、
目標を沈めたとは判断されなかった。
うーん、おかしい。おかしすぎる。
これまでの戦歴では、もっと曖昧な確認でも「撃沈」「撃破」認定したはず。
なぜ今回はこんなに認定に慎重だったのでしょうか。
いずれにしても、結果的には目標と遭遇するチャンスがなく、
たまの機会もそもそも魚雷が不調だったりして、
「戦果はなし」と言わざるを得ない状態だったのは確かです。
実際そうだったかどうかはともかく、初代艦長のバーリンゲームは
初回哨戒から派手に戦果を上げたとされていたので、
後を引き継いで新しく艦長になったコイ少佐は、
内心プレッシャーを感じていたのは確かだと思います。
しかし、攻撃を仕掛け、爆発音を確認し、
レーダーから敵が消えたのにも関わらず、撃沈撃破としなかったのは、
この新艦長の慎重さと、自己評価に対する厳しさ、
あえて言うなら誠実とか正直と言った言葉を彷彿とさせる、
その人物像にもつながるのではないかと思うのですが、
果たして実際はどうだったのでしょうか。
9月12日、
「シルバーサイズ」は53日間の行動を終えてブリスベンに帰投しました。
■ 第7次哨戒
● TAIRIN MARU 7,600 TONS
● FREIGHTEN 7,000 TONS
●JOHORE MARU 6,182 TONS
● KAZAN MARU 7,000 TONS
● FREIGHTER 5,000 TONS
まず、第7次哨戒の英語Wikipediaは非常に淡々と記されておりますが、
判明している船名は一部正確で、艦内のペイントと一致します。
🇺🇸「シルバーサイズ」は10月5日に第7次哨戒に出航し、
ソロモン諸島からニューギニア沖にかけての海域で敵艦4隻を撃沈した。
10月18日には貨物船「タイリン丸」
10月24日には貨物船「テンナン丸」「フウリン丸」、
客船・貨物船「ジョホール丸」を相次いで沈没させる果敢な攻撃を行った。
艦内ペイントは「カザンマル」、戦後記録は「フウリンマル」・・・?
なぜここで武田信玄。
さて、それでは今のところ最も正確な(喪失した側ですのでそれも当然かと)
日本側の記録を見てみましょう。
🇯🇵
10月5日
「シルバーサイズ」は7回目の哨戒で
「バラオ」 (USS Balao, SS-285) とともにビスマルク諸島方面に向かった。
「バラオ」は「バラオ」級のネームシップです。
10月17日午後
「シルバーサイズ」は北緯00度23分 東経142度03分の地点で
5隻の輸送船と2隻の護衛艦からなるソ406船団を発見し、
「バラオ」と連携して船団の追跡を開始。
やがて「バラオ」が先に攻撃を仕掛けたらしく、
「シルバーサイズ」は爆雷攻撃の音を聴取します。
日没後浮上し、「バラオ」から船団の様子を聞いた上で追跡を再開。
10月18日
北緯00度20分 東経143度02分のアドミラルティ諸島北西300海里の地点で
船団に追いつき、魚雷を6本発射して2本が命中するのを確認。
この攻撃で陸軍船「大倫丸」(大洋海運、1,915トン)を撃沈する。
「シルバーサイズ」が撃沈地点付近を捜索すると
"TAIRIN MARU KOBE"
と記された浮遊物を発見します。
喜色満面で海から浮き輪を引き揚げる乗員
浮き輪から顔を出しているのは新艦長のコイ中佐。
この後も10月19日まで「バラオ」とともに船団追跡を行うが、
スコールや爆雷攻撃で時間を取られ、いつの間にか引き離される。
10月22日
夕刻、南緯00度10分 東経147度39分の地点で、
ラバウルからパラオに向かっていたオ006船団を発見し、
再び「バラオ」とともに追跡を開始する。
オ006船団に対する攻撃も「バラオ」が先に行うが、
船団を一時的に乱したものの駆潜艇の制圧で退散してしまう。
次いで「シルバーサイズ」が攻撃する番となり、
魚雷を4本発射して爆発音を聴取するが、
船団に変化はなく命中しなかったと判断された。
浮上して追跡を続けるが、そのうち「バラオ」とは離れてしまう。
10月23日深夜
レーダーによりオ005船団を再び探知し、魚雷を6本発射。
6つの激しい爆発音と物体の圧壊音、爆雷攻撃の音を同時に聴取した。
この攻撃により、
海軍徴傭タンカー「天南丸」(日本製鐵、5,407トン)を魚雷2本で撃沈、
陸軍船「華山丸」(関口汽船、1,888トン)、
陸軍船 「浄宝縷(じょほーる)丸」(南洋海運、6,182トン)撃破
あっ、「火山丸」じゃなくて「華山丸」だったのね。
風林火山じゃなかったのか。
攻撃を受けて撃破された陸軍船2隻は、最終的に自沈処分されたわけですが、
「シルバーサイズ」はどうやら一隻にとどめを刺したと見られます。
🇯🇵
爆雷攻撃の音が遠ざかり、潜望鏡深度に戻して観測すると、
航行不能状態で漂っていた「華山丸」と「浄宝縷丸」を発見。
「シルバーサイズ」が浮上して周囲を捜索すると、
「華山丸」の名が入った救命浮き輪を発見しました。
そのとき「華山丸」は「シルバーサイズ」から約1,400メートル離れた場所に
自沈処分されて浮いていましたが、間もなく沈没しました。
浮いていた「浄宝縷丸」に、「シルバーサイズ」が
4インチ砲と20ミリ機銃の射撃および1本の魚雷を撃ち、
北緯02度45分 東経140度41分の地点で沈没しました。
10月26日未明
「オ005船団の残党」と思しき輸送船団を発見し、
最初と二番目の目標に対して艦首発射管から4本、
船団最後尾の目標に対して艦尾発射管から2本と魚雷を計6本発射し、
爆発音と最後尾の目標から発せられる閃光を確認し、
魚雷は1本が命中したと推定された。
これが、「シルバーサイズ」のワードルーム戸棚に、
「貨物船」5,000トン、と書かれていた日本船のことです。
7回目の哨戒では魚雷が寝ていた(に等しい)と自己評価した
「シルバーサイズ」ですが、8回目になって大船団に出くわすといった
幸運に恵まれて、大がつくほどの戦果を挙げることに成功しました。
初の哨戒で不本意な結果に終わったコイ艦長は、
これでようやくプレッシャーから解き放たれたのではなかったでしょうか。
ちなみに、どの記録においてもニューギニア北方で雷撃により
撃沈されたことが一致している「大倫丸」ですが、
「シルバーサイズ」が7,600トンと認識しているのに対し、
実際は1,950トンとほぼその4分の1くらい小型となります。
何をどう勘違いしたらこんな誤認が起きるのでしょうか。
11月8日、「シルバーサイズ」は36日間の行動を終え、
主に改装のため真珠湾に帰港しました。
続く。