令和4年度に掲載した映画紹介ブログをタイトル絵で振り返るシリーズ、
二日目です。
■ 「水兵さん」
海軍省検閲済みの海兵団リクルート映画
前編「入団」
日本の戦況が目に見えて不利になっていた昭和19年5月、
海軍は戦地に送り込む対象年齢をさらに引き下げるため、
海兵団への志願者を増やすための国策宣伝映画を松竹に作らせました。
30年後となる昭和の時代、この映画をベースにして、
「水兵さん」のその後の運命を描いた作品が
東宝映画の「海軍特別年少兵」であることを、
わたしはこの作品を取り上げることによって初めて知りました。
海兵団に入団者を増やすためのリクルート映画ですから、
基本募集側の都合の悪いことは書かれませんし、
最初から最後まで作り物の綺麗事に終始するわけです。
わたしはこのような映画をみると、たとえばあの
映画「ハワイ・マレー沖海戦」に主演した若い俳優が、その後、
実際に出征して戦地で命を落としたと知った時に感じたような
なんとも言えないやるせなさを持たずにいられないのですが、
幸か不幸か?本作に出演する少年たちは、
当時海兵団に入団資格があるような若年層ばかりなので、
実際に年少兵になるようなことでもなければ、
戦地にやられるという事態にはならなかったはずです。
映画のストーリーは、海兵団に入りたい少年が、まず父親の反対を押し切り、
試験を受け、近所の人や幼なじみに応援されながら入団を果たす。
その後、海兵団での彼らの生活と訓練が紹介され、
仲間の失敗に連帯責任を取らされたり、病気の団友を気遣ったりしながら
最後には海兵団の課程を修了して卒団するところで終わります。
「卒団」
1972年制作の「海軍特別年少兵」と同じく、この映画は
海兵団の水兵に無名の少年たちを起用している代わりに、
彼らを取り囲む軍人に有名俳優を登場させます。
海兵団員を直接指導する鈴木教範長に、小沢栄太郎。
小沢栄太郎というと、こんなイメージしかありません。
この映画の35歳のときの小沢は、随分と丸顔の小太りで、
映画のクレジットを見るまで全く気がつきませんでした。
でね。
この教範長というのが、不気味なくらい優しいんですよ。
安全装置をかけ忘れたまま銃を収納してしまった訓練生を
殴りつけるでもなく、道場に二人で正座し、
「お前の不注意は俺の教育が足りなかったためなんだ!俺の責任だ」
なんていうわけです。
その他、海兵団の分隊長で、出征し海戦で赫赫たる戦果を挙げる、
山口中尉役に原保美。
この人が歌人原阿佐緒の息子だったことを知ったのが
この映画を取り上げたことの成果の一つでしたが、この俳優、戦後は
「聞けわだつみの声」で、学徒士官を虐める悪士官を演じたりしています。
そして、山口中尉が出征した後の、後任の分隊長が笠智衆という具合です。
当時の横須賀(当時の『三笠』の姿も見られる)の様子や、
陸戦訓練をする辻堂の風景、父親が働くようになった
海軍工廠の様子などを見ることができますし、なんといっても、
この映画のシチュエーションをほとんど流用して作られた、戦後の
「海軍特別年少兵」と比べて鑑賞されるのもまた一興かもしれません。
■ 「ビロウ」Below
潜水艦ホラー
「呪いの潜水艦」
2022年の夏、わたしのアメリカにおける最も重要なイベントは
シカゴ空港から目的のピッツバーグまで車で移動しながら
途中の、主に五大湖沿いにある海軍遺跡を訪ねることでした。
そして、何を隠そうその壮挙を思いついたきっかけは、
他ならぬこの二流ホラー潜水艦映画を観たことに始まります。
映画に使われたのが、ミシガン湖沿いに展示されている
第二次世界大戦のガトー級潜水艦「シルバーサイズ」であると知り、
ピッツバーグに縁があるうちにチャンスがあればそれを観てみたい、
ついでに五大湖の海軍博物館をしらみつぶしに訪ねたい、
とひそかに野望をつのらせていたところ、願いが聞き届けられたのか、
夏の渡米のとき、シカゴからピッツバーグまでの便が取れなくなりました。
これはもう、五大湖ネイバルミュージアム巡りをせよという、
東郷平八郎閣下のお告げに違いない。
その結果、思ったよりたくさんの博物艦をめぐることができ、
わたしはそのアイデアをくれたこの映画には感謝しています。
ストーリーは、病院船をドイツ軍艦と間違えて撃沈してしまった
アメリカ海軍の潜水艦幹部が、その事実を隠すために
よりによって艦長を亡き者にしてしまうのですが、
病院船の生存者である女性看護師とイギリス人船員、そして
病院船に乗っていたドイツ兵士を救出し乗艦させたときから
不思議な霊的現象が相次ぎ、幹部が一人ずつ謎の死を遂げていく中、
潜水艦は撃沈した病院船の沈没地点に引き戻されていくというものです。
「見える敵と、見えない敵」
主人公のオデール少尉は、潜水艦の幹部たちが艦長を殺害した経緯を
哨戒に最初から乗っていたはずなのに全く知らないという設定で、
このプロットの穴はいくらなんでも変すぎないか、と
わたしは非情にもブログで突っ込みまくりました。
アメリカ海軍の当時の潜水艦の哨戒について知識があれば、
艦長が死亡したのに潜水艦が帰投せず平常任務を続けるのも、
ましてや哨戒途中で少尉だけが乗り込んでくるばかりか、
艦長の死亡についてなにも聞いていない、
なんてことあるはずないとわかるはずです。
この不思議な状況設定について、わたしは、
「外から乗り込んできた女性看護師だけでは主人公として弱い」
ことから、アメリカ軍側に「謎を解く係」としての主人公を
なんとしてでも一人据えたかったからだと決めつけてみました。
おそらくこれは当たっていると思います。
そして、潜水艦を病院船の沈没地に呼び寄せたのは、
果たして艦長の霊だったのか、ということについても考察してみました。
ちなみに本作をきっかけに見学を果たした「シルバーサイズ」シリーズは、
まだしばらく続きますので、どうぞお付き合いください。(宣伝)
■ 「世界大戦争」
日本版「渚にて」 核世界終末もの
「同盟軍対連合軍」
1961年(昭和36年)、当時冷戦から宇宙戦争へと緊張する米ソ間で
「U-2撃墜事件」などが起こり、核戦争への懸念が起こっていた頃、
その不安に乗じるように創作物を通して終末思想が語られました。
1960年にはオーストラリアを舞台とした「渚にて」がヒットしましたが、
この作品はその舞台を日本にしてもっと派手にやってみました風味です。
のみならず、当時の大手映画会社はこぞって似たような終末ものを製作し、
民心を不安で煽り立てるようなあざといマネをしていました。
本作では米ソと具体的な国名はなく、「連邦国」「同盟国」と称され、
わかりにくいのですが「連邦国」が西、「同盟国」が東側となります。
西側潜水艦が東側海域で哨戒中拿捕されたことをきっかけに、
地中海沿岸で両側の小さな衝突が頻発し、
それがどんどん拡大化してついには核戦争に・・という設定です。
戦後の混乱を逞しく生き抜いて、これから幸せを掴もうとする
運転手(フランキー堺)一家、その娘と彼女の婚約者である航海通信士、
彼の船の給仕長(笠智衆)の娘が保母を務める保育園の子供や関係者、
そんな市井の善男善女の日常を描きながら、その生活が
ある日終焉を迎えてしまうまでを描きます。
「開戦」
映画は軍事衝突にもリアリティを持たせるべく、
各方面の軍人たちがどのように最終衝突を回避するかを描きます。
二日目の挿絵では、皆瞬間しか登場しなかったものの、
展開を盛り上げた各国の軍人たちを描いてみました。
左から同盟国ミサイル基地司令、自衛隊司令、
左下西側国日本基地司令、在日ミサイル基地司令の面々です。
ざっと終末=人類滅亡に至るまでを箇条書きしておきます。
西側ミサイル潜水艦が東側海域で拿捕される
↓
地中海沿岸で軍事衝突が起こり軍用機が撃墜される
↓
西側ミサイル基地(在日本)に大陸間弾道ミサイルが導入される
↓
東側、偵察によってそれを察知、対抗するためミサイル発射準備
↓
西側基地で核ミサイル発射命令が降るが間違いとわかり寸前で中止
↓
朝鮮半島38度線で軍事衝突
↓
東側国、氷山で核弾頭実験していて雪崩でショートし、起爆装置稼働
↓
東側基地司令、命懸けで配線を遮断し発射を寸前で中止
↓
38度線で一旦停戦
↓
と思ったらベーリング海でF戦闘機とMok(MiGのこと)が交戦↓
世界各地でここぞと紛争が顕在化 おおごとに↓
いつのまにか世界中で核爆弾を発射する流れに
↓
東京の中心部にどこからか核ミサイルが飛んでくる
↓
核発射に対する報復が始まり、世界壊滅←いまここ
途中まではままあるというかいい線いっていたのに、
世界各地の暴動が起こった後、あっちこっちが核を発射する、
という流れがなんとも映画的かつ非現実的です。
それを決定する大元である国家の中枢部が日本国以外全く登場せず、
一体誰がいつどんな結論で核のボタンを押したのか、
説明されないままというのが、詰めの甘い脚本だとしか思えません。
まあしかし、それもこれも、映画ではとにかく
「地球最後の日の市民の姿」を描くことを目的としていたので、
その辺はむりやりそうなったことにしているわけですね。
「人類最後の日」
人類最後の日、運転手フランキー堺の高野家では
晴れ着を着てありったけのご馳走を作り、
日常をすごしながらその瞬間を迎えようとします。
最後まで「核を受けた唯一の国日本は核保有の反対を訴える」
とこの後に及んでそれしか結論が出なかった日本国政府の長、
総理大臣山村聡は、国会議事堂で一人閣議室の丸テーブルにに座っています。
笠智衆の娘の保育園長は、子供たちを寝かしつけ、
自衛隊のミサイル防御基地では、モニターを全員が凝視しながら
各々の配置についたまま、そして、
航海中だったため無事であった高野の娘の婚約者の船は、
(ちなみに船長は東野英治郎)壊滅した故郷、日本に向かいました。
家族と愛する人とともに、祖国の土になることだけを目的に。
このエントリ内でも、当時発生したばかりだったウクライナの戦争について
取り上げましたが、年を越した今現在も、それは終わっておりません。
映画では、全ての軍人たちが核戦争を回避するために
東西のいずれかにかかわらず努力をする姿が描かれており、
この世に戦争をしたい人などいないということを強調していましたが、
それでも起こってしまう戦争ってなんでしょう、
と当たり前の疑問をぶつけてみました。
ネットなどでは第三次世界大戦などという言葉が散見されますが、
それが絶対に起こり得ないことだと誰にも言えないのももどかしい現実です。
続く。