「シルバーサイズ潜水艦博物館」の展示には
少しだけですが日本との戦争で兵士が持ち帰ったものがあります。
今日はそんな遺品から紹介します。
■ 兵士たちの「極東土産」
太平洋戦域に出征している間アメリカ軍の兵士たちは
現地でさまざまな記念品を手に入れ、持ち帰りました。
ミルトン・モッカーマンはUSS「スプリングフィールド」で
三等機械兵(Machinist's Mate 3)として勤務した人物です。
「スプリングフィールド」というと、あの
「シンプソンズ」を思い出す人もいるかもしれませんが(わたしだけ?)
イリノイ州の州都から取った伝統的な艦名であり、
この名前を持つ艦は、現在の原子力潜水艦を含めると4隻あります。
軽巡洋艦「スプリングフィールド」CL-66迷彩仕様
1944年に就役してから、戦争中のほとんどを太平洋で過ごした、
軽巡洋艦「スプリングフィールド」の経歴をざっと書いておきます。
1945年、西太平洋に向けて出発した「スプリングフィールド」は、
ウルシー環礁に到着し、高速機動部隊に加わります。
3月18日、19日と九州と本州を空襲した後、沖縄に上陸。
空母が沖縄の防衛力を弱めるために航空機による攻撃を行い、
その間軽巡も敵航空攻撃を阻止しようとしました。
1945年4月1日以降は沖縄攻撃を行う空母を支援。
頻繁に「ジェネラルクォーター!」(総員配置)のコールがかかり、
日本の「神風」がアメリカの戦闘航空隊と水上対空網に対し
自爆攻撃をかけてくるのを時には見守り、時にはそれと戦いました。
彼女自身は少なくとも3機の特攻機を破壊した、と記録されます。
例えば4月17日、特攻してきた日本軍機を1機撃墜した直後、
別の機体が「スプリングフィールド」に突撃を試みましたが、
多くの姉妹艦と同じ運命をたどることを、すんでのところで逃れています。
ラッキーだったのか、それとも操舵でそれを回避したのかはわかりませんが、
その神風特攻機はわずか40メートル先の海に墜落しました。
5月、「スプリングフィールド」はレイテ島に寄港し、
日本本土を攻撃する空母と共に東京を目指します。
そして7月13、14日、本州本部と北海道を目標とし、
17日からは東京と横浜を攻撃しました。
7月18日には戦艦「長門」と「榛名」を爆撃し、
7月24、25日(呉大空襲)には呉を、28日には神戸、
そして再び東京を攻撃しています。
終戦となってから「スプリングフィールド」は機動部隊と相模湾に入り、
その後1946年1月の上旬まで極東にとどまりました。
この3ヶ月間に、佐世保、横須賀、中国の上海、青島など、
そして朝鮮半島の仁川を訪問しています。
つまり、モッカーマン三等水兵は、戦地というより、
戦後の極東滞在期に手に入れたものを持って帰ったのでしょう。
そして、冒頭にある日の丸の旗です。
これは陸軍第43師団第103歩兵連隊に所属していた
デビッド・ケネディが持ち帰ったものです。
寄せ書きがない日の丸は、南方で戦死した日本兵から奪った、
というようなストーリーを感じさせないので、なんとなくホッとしますね。
そんなふうに感じるのは日本人だけだと思いますが。
現地の解説には、
「日本の国旗の中央にある赤い円は太陽を表しており、
日本の天皇は神道による伝説で太陽の女神天照の子孫である、
という信念のために重要なモチーフです」
と書かれています。
五重塔に大文字焼が描かれた絵葉書。
このことから、これらはいずれも京都で手に入れたものと考えられます。
で、手前の「優雅のみやこ」というのは、
もしかしたら何かの包装パッケージの一部だったのでは?
と考え、下にある絵の器に書かれている文字を解読したところ、
「二軒茶屋」
と読めました。
これ、八坂神社の二軒茶屋のことではないでしょうか。
この絵に描かれたものも、名物の田楽なのでは・・。
これのことね
↓
二軒茶屋HPより田楽豆腐
自分で言うのもなんですが、多分当たっていると思います。
現在も営業されているようなので、お店に教えてさしあげようかな。
これはどう見てもメイドインチャイナ。
いや、でも、刺繍が施されているのは米海軍縫製の水兵服じゃないですか?
ということで、説明によると、これは現地で刺繍してもらったのだそうです。
中国に上陸すると、モッカーマンとその仲間たちは、
衣服にドラゴンを刺繍して欲しくてたまらず、
請け負ってくれる現地の女性を熱心に探しました。
制服にエキゾチックなドラゴンの刺繍。
誰かが始めたこのおしゃれが、当時極東にいた水兵さんの間で流行って、
現地の中国人もいい商売にしていたのでしょう。
海軍の上の方は、この「流行」を苦々しく思い、
こんなことに浮き身をやつす水兵たちに不満だったらしいのですが、
彼らはそんなおっさんたちの文句は聞き流し、
最終的にドラゴンを制服に刺繍することに成功しました。
まあ、それもこれも戦争が終わっていたからこそ。
上もなまじ彼らが激しい戦闘を耐えぬき生きてここにいる、
と思ってそれくらい大目に見よう、となったのに違いありません。
ピンクの扇子も、デビッド・ケネディが持ち帰ったものです。
5円、10銭、50銭の日本札が並んでいますが。
これは強襲揚陸隊のメンバーで、第二次世界大戦中太平洋戦線で勤務した
ポール・エーブリー・ニールセンが帰還時に故郷に持ち帰ったものです。
軍事円は香港やフィリピンなどの占領地で使用されました。
占領時に、被占領地は通貨を軍事円に交換することを余儀なくされました。
残念なことに戦後日本の軍円は全く価値がないとみなされ、
全ての軍円は破棄することが推奨されました。
現在は香港賠償協会という団体が、
かつて保有した軍円の補償を求めて戦っているそうです。
■ TBTターゲット方位送信機
ターゲット・ベアリング・トランスミッター
Target Bearing Transmitter、通称TBT。
この機器が活躍したのは主に夜間の水上攻撃のときです。
TBTは通常各艦船に2基装備されており、一つがブリッジの前部、
もう一つはブリッジ後部のシガレットデッキに装着されていました。
この「シガレットデッキ」と言う名称を聞いたことがなかったのですが、
乗員がタバコを吸ってもいいデッキということでしょうか。
■ 潜水艦と禁煙
ここでタバコがでてきたので、ちょっと寄り道して喫煙の話をします。
世の中の公式な場所はほとんどスモークフリーが進んでも、
「兵の士気」にタバコが欠かせなかった軍隊では
世間一般よりもその動きは鈍かったといえます。
しかしそんなアメリカ海軍でも、ついに潜水艦の喫煙が禁止されました。
とはいえ、これはすでに10年以上前の話となります。
「2010年、海軍は受動喫煙の害についての医学的テストを受け、
潜水艦が水面下に展開されている間は艦内での喫煙を禁止するとした」
いや、逆に驚いてしまったのですが、
それまで艦内での喫煙はそれまで許されていたってこと?
ディーゼル艦では何度も潜航中の煙草は禁じられていた、
と書いたものですが、原子力潜水艦になってから
艦内の換気に気を配る必要がなくなったので、
こんな最近まで艦内喫煙が許されていたんですね。
しかし、この措置をよしと思わないアメリカ人も(当時は)いて、
「この決定は第二次世界大戦時の映画で超クールに描かれた、
海上での厳しい一日の後にタバコを吸う乗員のイメージを崩しかねない」
という意見もあったようです。
イメージ重視か。
前述のように、喫煙は長い間、海軍(他の軍隊も)文化の定番でしたし、
何十年もの間、救命ボートに積まれた非常食の中には、
食料や水と一緒にタバコも入っていました。
ノーフォークの海軍潜水艦部隊司令官、マーク・ジョーンズ中佐によると、
世がいかにスモークフリーの動きを見せても、海軍ではそうではなく、
実に潜水艦乗員の約40パーセントがこの時点で喫煙者だったとか。
第二次世界大戦中が95%だとすれば、もちろんこの数字は
世間の趨勢を受けて激減していたということなんでしょうけど、
それでも40%は多いですよね。
サブマリナーに喫煙者が多い理由を、あるベテランは、
「ストレスに満ちた環境だから」と言います。
そんな彼らに、この決定は大きな変化を強いるものになるだろうとも。
この決定を知らされた喫煙派乗員の意見は、
「潜航したら、皆イライラして怒りっぽくなるかもしれない」
また逆に、22年間非喫煙者だった人は、
「いいことだと思う。何と言っても閉ざされた環境ですからね」
とまあ、当たり前のことを言っています。
しかし、これだと、原子力潜水艦は通常一度に60日間、
時にはもっと長い期間「パックアウト」するので、
喫煙者は何ヶ月もタバコを吸う機会がなくなります。
「シガレットデッキ」という名称が示すように、
昔は喫煙所は堂々と公的に存在しました。
2010年までは、潜水艦の喫煙所は艦長の裁量で指定されていました。
しかし、2006年、ついに副流煙の悪影響についての報告が上がってしまい、
海軍は独自の調査を依頼せざるを得なくなったのです。
その方法は、9隻の潜水艦で非喫煙の乗員を対象に医学的検査を行うもので、
やはり副流煙の医学的影響があるという結果が出たのです。
いや、原子力潜水艦は換気システム完備なのに?
とその結果に驚く人もいたかもしれません。
しかし、実際には、換気システムは副流煙を環境から取り除くのに
必ずしも有効ではなく、どうしても非喫煙者は
呼吸器感染症、心臓発作、癌のリスク増大の影響に曝されます。
また、潜水艦のような空間では、非喫煙者も、
「サード・ハンド・スモーク」と呼ばれるところの、
喫煙者の衣服に付着する微粒子状の煙の影響を受けるとされます。
狭い環境ではどうしても塵は時間とともに蓄積され、行き場がなくなります。
この後、海軍はニコチンパッチやガムを配布するとか、
禁煙外来を開設したりして禁煙したい人の支援を始めました。
■TBT=高性能双眼鏡
さて、TBTに話を戻します。
TBTが取り付けられているのは「ペロラス」というコンパスで、
ベースには電気送信機が組み込まれていました。
方位角360度回転することができ、
オペレーターが方位を読み取るためのスケールが装備されています。
目標の相対方位をコニングタワーにある
魚雷データ・コンピューター(TDC)に送信するのです。
双眼鏡は圧力硬化素材でできていて、潜水艦が潜航中も
取り付けたままにしておくことができました。
■リフレクター・テレスコープ(屈折望遠鏡)
屈折望遠鏡は、レンズを対物レンズとして使用し画像を取り込みます。
屈折望遠鏡の原理は元々スパイグラスや天体望遠鏡で使用されていましたが、
双眼鏡やカメラの望遠レンズなどのデバイスでも用いられます。
対物レンズと目に近い方の接眼レンズの組み合わせを使用して、
人間の目が単独で収集できるより多くの光を集め、
焦点を合わせて、より明るく、鮮明で拡大された画像を表示します。
屈折望遠鏡は光を屈折させ、それを利用して結像します。
この屈折により、平行光線は焦点に収束しますが、
平行でない光線は焦点面に収束します。
簡単にいうと、筒の先にある対物レンズの凸レンズでできた像を、
接眼レンズで拡大するという仕組みです。
■ ラジオ・トランスミッター
なんの説明もなく隅っこに置かれていました。
GE製のタイプQG-52241ラジオ・トランスミッター、
Model TAJ-18とあります。
信号を伝えるラジオシステムの1部分である送信機だそうです。
まさかと思って型番で検索してみると、
Preliminary Instruction Book for
Navy Model Taj-18 Radio Telegraph Transmitting Equipment.
(Manufactured by General Electric Company, Schenectady, N.Y.) U. S. NAVY DEPARTMENT. BUREAU OF SHIPS
海軍モデルTaj-18無線電信送信装置 予備 取扱説明書
(ニューヨーク州スケネクタディ ゼネラル・エレクトリック社製)。
アメリカ海軍船舶局
という本が話が日本の国会図書館で閲覧できることを知りました。
いやさすがのわたしもそこまではしませんけどね。
それより、アメリカ海軍の船舶局とやらが、博物館見学で行ったことがある
ニューヨーク州スケネクタディという変な名前の街にあったことが驚愕です。
■ 電話
今日最後にお見せする展示は電話です。
なんでここにあるのかはわかりませんが、潜水艦関係ありません。
中には昔のタイプの電話がありますが、貼り紙にはこうあります。
「このアンティーク電話ボックスは現在
清掃&改装実施中です。
今のところ、好きなだけご覧になっていただいて結構ですが、
どうかお手を触れずにお願いいたします」
なにを清掃&改装していたんだろう。
続く。