U-505の展示されているところにたどり着くまでに
見学者は知識を積み重ねるための展示を見ながら進んでいきますが、
前回のハンターキラーの結成とその成果についての展示がすむと、
そこから一階地下に移動することになります。
さすがのアメリカ人もほとんどが階段を使って降ります。
通路にはこの部分を利用した展示WAVESに関するポスターが。
この海軍に女性兵士を募集するリクルートポスターには、
「これは女性の戦争でもある!」
”It's a woman's war too!”
と書かれ、通信任務に就くWAVESが描かれています。
「何の気なしの不注意な会話が
敵のピースを完成させる」(意訳)
ナチスの指輪をはめた手がはめたピースで、
「護送船団の 英国への出航は
今夜である」
という情報(パズル)が完成しております。
防諜、当ブログでも日本の戦時中の防諜啓蒙映画、
「間諜未だ死せず」をご紹介したことがありますが、
どこの国にとってもこれは国民にあまねく注意喚起すべき重大事でした。
このポスターは以前も紹介したことがあります。
「不注意な言葉が・・・
・・・不必要な沈没に」
荷物を担いだ水兵さんが爽やかに笑っていますが、
これも防諜ポスターです。
「もし彼がどこに行くのかしゃべったら・・・
彼はそこに着くことはないかもしれません!」
これは、WAVESリクルート目的のポスターで、
「彼をできるだけ早く故郷に帰すために
WAVESに入隊しましょう」
映画「陸軍の美人トリオ」では、三人の美女のうちひとりが
出征した夫をすこしでも支援できればと思って入隊したという設定でした。
陸軍の場合は女性隊および女性兵士をWACと言いますが、海軍は
the Women Accepted for Volunteer Emergency Service
の頭をとってWAVESであるということは何度か説明しています。
第二次世界大戦時に設立した海軍予備役の女性部門で、設立するとき、
徴兵制ではなく自発的な奉仕活動であることを明確にするため
「アクセプテッド」「ボランティア」
という文字を海の波を表すことばに組み立てて名付けられました。
「エマージェンシー」が入っているのは、戦争中ということで
一時的な危機のための結成ということにしておけば、
女性の採用に眉を顰めがちな年配の提督たちを
納得させやすいかも?と考えたからだそうです。
ジョゼフィン・ストーヴァル・オグドン・フォレスタル
そして、ニューヨークのファッションブランドが、
海軍次官補ジェームズ・フォレスタルの妻でありながら
「ヴォーグ」のエディターだったジョー・フォレスタル
(あれ?この名前・・)の協力を仰ぎ、それはそれはオシャレな制服を作り、
素敵なポスターでWAVESを大々的に勧誘した結果、
1942年末の時点で、WAVESには770人の将校と3,109人の下士官がおり、
終戦の頃にはその数は86,291人に増え、その内訳は将校8,475人、
下士官73,816人、訓練生約4,000人になっていました。
面白いのが、WAVESの出身地で特に数が多かったのが、
ニューヨーク、カリフォルニア、ペンシルバニア、イリノイ、
マサチューセッツ、オハイオという、大都市を有する州だったことです。
訓練をする場所も、ハーバード大学、コロラド大学、MIT、
カリフォルニア大学、シカゴ大学などのキャンパスで行われました。
共学が基本だったそうですから、応募が増えたのも当然かもしれません。
将校の訓練カリキュラムには、通信、補給、気象学、工学はもちろん、
日本語のコースもありました。
戦争になったら敵の言葉を禁じていたどこかの国とは
戦略的なものの考え方が根本で違っていると感じさせますね。
そして、WAVESという「時代遅れの」頭字語ですが、
WAVESが存在しなくなっても1970年代までは使用されていました。
現在はそもそも、女性兵士を括る部隊が存在しないので、
その名称も公式には存在していません。
女性軍人を「WAVES」と呼ぶこともなくなりました。
ところが、我が海上自衛隊では女性自衛官のことを
なぜかS抜きで「WAVE」とよんでいる(いた?)模様。
今でもそうなのか、それとも今では用いられないのかわかりませんが、
これが一体何の略なのかご存知の方おられますか?
ただなんとなくアメリカ海軍の用語を輸入したのかな。
こちらも超有名なWAVESリクルートポスター。
「男性を海で戦わせるために解き放ちましょう」
つまり、WAVESの存在意義とは、後方支援に就いて
陸上基地の男性人員を海上勤務に置き換えることでした。
しかしこのことは「解き放たれたいと思っていない」すなわち
海上勤務に就きたくないと思っている男性からは
敵意を持たれるという一面もあったということになります。
あるWAVESは、上司になる男性士官に挨拶をしたところ、
あからさまに必要とされていないと思い知らされ、さらに、下士官たちは
「送られてきた女性が仕事ができなければ、
男がその仕事を続けて海に送られるのを避けられる」
といって、女性には無理そうなタイヤの運搬を命じたそうです。
(しかし彼女らは体力ではなく”頭”を使って滑車で全ての運搬を完了したとのこと)
パラシュートの糸の管理をしているWAVES。
「このような重要な仕事をするために必要な資質を持っていますか?」
これは、あれだね。
こんな仕事なら男性より女性が向いているでしょ、と言いたげ。
「あなたの海軍には、あなたのために
『男性サイズ』の仕事があります」
どれもこれも、後方で行う男性の仕事を置き換える気満々です。
まあ、後方支援のままいけるなら、できれば戦地に送られたくない、
と内心思っている男性軍人なら、WAVESに八つ当たりしたくなっても
仕方がなかった?かもしれません。しらんけど。
さて、ここまでは「防諜」と「WAVES募集」できたわけですが、
女性軍人がその力を真に発揮し、実際に戦果に寄与したとすれば、
それはインテリジェンスの分野だったかもしれません。
Uボートの捕獲がタスクグループに命じられた、
というところまで、前回の展示は説明してきたのですが、
ここにあるということは、おそらくインテリジェンスが
そのミッションに大きな力を貸したというところかもしれません。
ということで、このゲートの上には
F-21 SUBMARINE TRACKING ROOM
WASHINGTON, D.C.
とあります。
■ F-21潜水艦追跡室 ワシントンD.C.
インテリジェンスのパワー
”トップシークレット 第10艦隊"
米海軍はUボートの捕獲には火力以上の力が必要だと知っていました。
そのミッションはインテリジェンスによって支えられなければならないと。
タスクグループ21.12が1944年4月、
二度目の対潜哨戒から戻った時、あのギャラリー大佐は
第10艦隊への入隊許可を得ました。
ここでギャラリーはドイツのUボートの内部構造に関する極秘情報を
彼に与えた司令官、ケネス・ノウルズに会いました。
ノウルズと彼の第10艦隊チームは、
1944年3月以来、ある一隻のUボートを追跡していました。
その潜水艦がフランスのブレストから出航し、
アフリカに向けて南に舵を切ったときです。
Uボートの正確な身元までは不明でしたが、
ノウルズはそれが海上で三か月の期間を過ごした
古い潜水艦である可能性が高いと判断しました。
タスクグループ22.3は5月末、つまり
Uボートが母港に帰る前に捕獲する必要がありました。
■インテリジェンス
”それは女の戦いでもあった”
1942年の夏、アメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトは
ついに正式にWAVESを設立しました。
そして、ドイツ海軍のエニグマコードを解読するため、
600名のWAVESに、121台の
”Bombe”暗号解読コンピュータ
を構築するという極秘任務が与えられます。
ミルドレッド・マカフィー
は1942年8月に海軍予備役中佐に就任し、
WAVESの局長に任命されたとき、
アメリカ海軍初の女性将校となりました。
彼女はのちに大佐に昇進しました。
マカフィーはシカゴ大学で修士号を取得し、
ウェルズリーカレッジの学長を務めました。
彼女のWAVES におけるリーダーシップにより、
彼女は米国海軍功労賞を女性として初めて授与されました。
Bombeは、連合国がドイツのエニグマを解読するために開発した
暗号解読機につけられた名称です。
初期の近代的なコンピューティングデバイスの一つと考えられ、
動作中に発生する大きなカチカチという音からその名が付きました。
ドイツはエニグマと呼ばれる精巧なコードを考案し、
暗号で情報を送信することができました。
エニグマはコード化されたメッセージを読み取って送信するために
マシンとセットアップ情報の両方が必要だったため、
コードを破るのが手強いシステムでした。
1943年の夏、アメリカの暗号解読者がBombeマシンを使用し、ドイツ海軍の
4ローター(M4)エニグマシステムをついに解読しました。
これにより、アメリカ海軍は海上でドイツ海軍司令部と
Uボート間の通信を読み取ることができるようになりました。
■ 第10艦隊潜水艦追跡室 ワシントンD.C.
第10艦隊、といっても実際の「艦隊」ではありません。
これは、知る人ぞ知る、ワシントンD.C.にある
最高機密の米国海軍対潜情報司令部のコードネームでした。
写真はF-21潜水艦追跡室でのWAVESが作業をしているところ。
Uボートや枢軸国の艦艇を探知し、
連合国の船舶を守るために必要な任務を遂行した女性たちです。
1942年1月、ワシントンDCのショッピングモールからすぐのところにある
海軍省ビル(通称「メインネイビー」)
1942年以降、第10艦隊は、第二次世界大戦中に
Uボートの脅威を破壊するためのアメリカの作戦の中心となりました。
そして「F-21」ですが、その第10艦隊の内部にある
米海軍潜水艦追跡室のコードネームでした。
そこではアメリカとイギリスの諜報機関が協力してUボートを追跡し、
連合軍の護送船団の経路を情報に応じて変更したり、
あるいはハンターキラータスクグループを攻撃に誘導したりしました。
対潜水艦情報司令部F-21の秘密対潜追跡室司令官
ケネス・ノウルズ中佐
「ハフダフ(Huff-Doff)座標」とBombe解読法を駆使して、
ノウルズはUボートの位置情報を、
ギャラリー大佐率いるタスクグループに毎日送信し続けていました。
そして、ギャラリー大佐はこの情報を使用して、
西アフリカ沖にいると思われたUボートを探索したのです。
「ハフダフ(Huff-Doff)」
とは、高周波方向探知機を意味するHF/DFを音読みしたものです。
連合国がこのレーダー技術を使用し始めたそのとき、
Uボートとの戦いにおける大きなブレークスルーがもたらされました。
大西洋のハフダフ聴取局により、連合国は
無線信号の強度を測定することで、
水面に浮上したUボートの大まかな位置を特定することができました。
ところで、この付近にあった、この日付です。
1944年6月1日。
この日が何を意味するのかは、この先の展示でわかるでしょう。続いて先に進んでいくことにします。
続く。