1942年度イギリス作品、「スピットファイア」、
原題「The First of the Few」続きです。
今日は、ミッチェルの時代、実在し、実際に
彼の仕事に関わりを与えた二人の人物が登場します。
■レディ・ヒューストン
1929年、イギリスで行われたシュナイダートロフィーレースで
前回に引き続きイギリスは、スーパーマリンの
S.6による優勝を果たし、関係者による祝賀会が行われていました。
真ん中に置いてある物体は、シュナイダートロフィーです。
西風の神ゼフィルスが波頭にキスしているというモチーフで、
この巨大なトロフィーは毎年優勝国が預かりますが、
3回連続で優勝した国には永久保持の権利が与えられることになっています。
実際は1919年、20年、21年と連続でイタリアが優勝したのですが、
イタリアは、「他の国の準備が整っていなかった」として
紳士的に3回優勝にも関わらず権利を放棄していました。
イングランドはこれで2回連続で優勝を果たしたことになり、
あと一回で永年トロフィー保持の栄誉を手に入れます。
パーティ参加者が、祝賀会会場から見える個人所有の船舶に
「政府を倒せ」「目覚めよイングランド」
などとアジテーションを電光掲示しているのを見つけ騒ぎ出しました。
船は有名な富豪で慈善家、政治活動家(反共産主義者)、参政権論者、
船主で馬主で強烈な愛国者である、
レディ・ヒューストン
Dame Fanny Lucy Houston
Lady Houston
Baroness Byron DBE
(1857 – 1936)
のものでした。
彼女は一般家庭の出で、若い頃はプロダンサー、コーラスガールでしたが、
16歳の時に歳上の愛人が残した巨額の遺産を手にいれます。
その後夢だった舞台に女優として立ったものの、3週間目に
男爵の息子と駆け落ちして全てほっぽらかして遁走。
結婚したものの、うまくいかずに別居生活を経て離婚。
6年後にはバイロン男爵という人に自分からプロポーズして再婚。
これだけ見るとなんともガツガツした上昇志向の強い女性ですが、
普通の成り上がりと彼女が違っていたのは、彼女がその地位と
財産を自らが信じる「国のため」に盛大に散財したことです。
夫が亡くなり、自分の意思で財産を自由にできるようになった彼女は第一次世界大戦中には前線の兵士に物資を送り、
西部戦線に従軍する看護婦のための保養所をポンと寄付。
ついに大英帝国勲章デイムコマンダー(DBE)を叙勲されるまでになります。
1929年というと、彼女は7年間追いかけ回して捕まえた3度目の夫、
海運王のロバート・ヒューストン男爵を3年前に亡くし、
夫の残した550万ポンドの遺産を手に入れて、いまや
イングランドで2番目に裕福な女性といわれていたころになります。
祝賀会会場にやってきた彼女は、辺りを睥睨しながら、
船のサインを笑う人々に向かって、
「笑うがいいわ。政府は嫌いでもわたしは国を愛してるの」
などと言い放ちます。
ミッチェルが電光掲示板を一人で眺めているとやってきたレディ、
「ハッロー?以前どこかでお見かけしたわ」
ミッチが、あなたの船のメッセージを見ていた、というと、
「笑われようと何を言われようと、皆に危機感を持たせるのが私の役目よ。
私には見える。イギリスに危機が迫っているのが。
強くならねばいけない。陸と海で」
思わずミッチ、
「そして空でも」
「飛行機?速く飛ぶ以外に何ができるの?鳥と同じよ」
「あなただって魚でもないのになぜ船に乗るんです?」
「なんか失礼ね・・不愉快だから帰る」
そういいながらレディ、ミッチの顔を見ながら
「お若い人、あなたを覚えておくわ」
ここはイギリス国会。
あと一回の優勝でイギリスはシュナイダートロフィーレースで
永久勝者となるところまで来ていましたが、
そのチャンスとなる自国開催に暗雲が立ち込めました。
当時のマクドナルド労働党政権は、このレースについて、
まずイギリス空軍からの参加を経済危機を理由に阻止してきたのです。
そしてレースの主催本体となるロイヤル・エアロ・クラブが
開催資金の予算計上を要求していましたが、それも
航空省によって正式に却下となり、RAFのトレンチャード元帥は、
「英国が出場しようがしまいが、航空機の開発は続けられる。
この参加が航空界にとって及ぼす影響はないと考える」
と言い放ち、航空省は1929年度のレースに出場した航空機
(スーパーマリンからはS.6)の使用を禁じ、さらに
水上機の経験を持つ空軍パイロットの参加を禁じ、
1931年大会の海上警備は行わないと言明しました。
出るなとは言わんが前の飛行機は使わせない、パイロットも民間で用意、
その他費用は出さないからかってにやれということです。
この画面で困っているのは、ヴィッカースのマクリーン会長始め、
航空産業界の大物ですが、彼らにとってもここで
国の後押しがなければ航空産業の危機であるという焦りがあります。
与党労働党は、早い話、航空界の発展より
300万人の失業者対策に予算を当てるべきだという見解でした。
ある日、ロイヤルエアロクラブに、アポ無しで一人の男が訪ねてきます。
男はクラブに10万ポンドの小切手を持ってきたのでした。
添えられたメッセージには
「我々は陸と海と、そして空で強くならねばなりません。
ルーシー・ヒューストン」
実際にこのような経緯での寄付ではありませんでしたが、
レディ・ヒューストンはイギリスの航空界に惜しみなく支援をしています。
当時のイギリスメディアは野党だった保守党支持寄りだったため、
労働党のレースに対する予算拒否に不満を持っており、
ラムジー・マクドナルドの国民政府に圧力をかけていましたが、
ある新聞社がマクドナルド首相本人に電報で
「社会主義政府がスポーツさえも台無しにするのを防ぐため、
レディ・ヒューストンは、イギリスがシュナイダー・トロフィーレースに
参加できるよう、追加費用の全責任を持つ」
とフライングし、事実レディは10万ポンドをポント寄付したのです。
さらにメッセージの追伸として、
「お若い無礼な人、覚えておいたわよ」
三人は大喜びで、メッセンジャーを盛大にもてなすのでした。
この時、ミッチェル35歳、レディ73歳。
ミッチェルを「お若い人」と呼んだレディはこの6年後、
ミッチェルは7年後、わずか42歳で他界しています。
彼とレディが実際に面識があったかどうかの記録はありませんが、
巨額の寄付を受けたときに、邂逅していた可能性は高いでしょう。
レディ・ヒューストンの寄付のおかげで無事開催となった
1931年のレースは、スーパーマリンS.6Bで出場したイギリスチームが
見事新記録を出して優勝し、イギリスは永年トロフィーを獲得しました。
この時のイギリスチーム。
左から2番目に海軍航空隊の人がいますが、
全員がエンジニア含めRAFの軍人です。
ミッチェルはこの功績を認められ、大英帝国勲章、
コマンダーCBE(文民用)を叙勲されることになりました。
なお、ミッチェルの肩書にはこの他に
F.R.Ae.S.
という王立航空協会のフェローであるポストノータブルレターがつきます。
ちなみに、王立航空協会のメダル受賞者には、
1909年 ライト兄弟
2012年 イーロン・マスク
名誉フェローには
2002年 ジョン・トラボルタ
などがいます。
■ウィリー・メッサーシュミット
さて、その後あっという間に2年が経ちました。
映画では、ミッチェル夫妻はジョセフ・クリスプ
(いつの間にか空軍軍人になっている)に誘われて
ドイツに旅行に行ったということになっています。
1933年、ミッチェルが手術を受ける前の出来事とされていますが、
実際にはそのような事実はありませんでした。
なぜここで彼がドイツに行く設定になったのでしょうか。
ドイツのバンドが軽快な音楽を演奏する中、
一行はグライダークラブに招かれ、飛翔を見て楽しんでいました。
ドイツ人たちは彼らに友好的です。
しかし、ナチス式号令一下、行進するヒトラーユーゲントを見る
イギリス人たちの表情は微妙でした。
その晩、ドイツ軍主体の飛行クラブに招かれたミッチ一行。
相変わらずジェフは女好きの血が騒いで、
一人でいる美女とみればいきなり口説きにかかっています。
こんな血中ラテン濃度の高いイギリス人もいるんですね。
クラブの特別室ではナチスの偉い人tが
ミッチェルらのために歓迎会の席を設けていました。
「有名なミッチェル氏と、先の大戦でもお目にかかった
パイロットのクリスプ氏をお迎えできるのを嬉しく存じます」
そして乾杯と、座は和やかに進みます。
「健康で規律ある若者、平和的な人々、心からの歓待、
非常に感銘を受けました」
「乾杯!」
そこに、有名人のサインが満載のランプシェードが運ばれてきました。
空軍軍人のエアハルト・ミルヒ元帥、
第一次世界大戦のエース、エルンスト・ウーデット上級大将、
そしてご存じヘルマン・ゲーリングのサインもある、
と自慢のシェードに、ミッチェルは快く名を書きます。
宴もたけなわの頃、一人の人物が入ってきました。
「この方はあなたのコンペティター(ライバル)ですよ」
「ライバル?」
「メッサーシュミット博士です」
断言はしませんが、ミッチェルとメッサーシュミットが会ったことがある、
というのはおそらく映画だけの創作でしょう。
国策映画で、しかもこのときはすでにドイツと戦争中でしたから、
ドイツとドイツ人の表現も露骨で、本作におけるメッサーシュミットは、
ミッチェルに言葉の端々でマウントをとってきます。
「お忙しいでしょう」
「確かにそうですが、今は休暇中で」
「もしここが気に入られたら留まってはいかがですか?
よろしかったら興味のありそうなものをお見せしますよ」
「ありがたいですが、ただの休暇なので」
「もしよかったら特別にお見せしたいものも」
「もうグライダークラブを見せていただいたので」
(呆れたような笑いを浮かべて)
「グライダーですか・・ホッホッホ、娯楽にはいいかもですね」
そしてこの顔である
うーん・・。
別にわたしはメッサーシュミットの知り合いではないですが、
なんかこういう嫌味な人じゃなかった気がするんだよな。
実物の写真とか見た感じからも。
実際のミッチェルとこの映画のミッチェルくらい違いそうな気がする。
先ほどのドイツ美女をまた口説き始めたジェフですが、
いきなり横に怖い顔の軍人さんがやってきました
ドイツ語でべらべらっと厳しく来るので
「うっわ・・敵意丸出しだな」
と英語でいうと、軍人さん、
「マイネーム!」(名刺を出しながら)
「マイカルト!」(我が名刺)
「マイワイフ!」(我が妻)
「・・マイグッドネス・・僕どうしたらいい?」
「夫に私を返すだけじゃない?」
奥さん、あんたに問題はなかったとでも?紳士の彼は、彼女を夫の元に連れて行き、
「ユアワイフ」(返す)
「ユアカード」(返す)
「マイミステイク」(謝罪)
クリスプの一連の言動は、超女好きというキャラが
英国風ユーモアで包まれていて、下品さを感じさせません。
さて、ここからが問題のシーンです。
ミッチェルを囲む懇親会で、話題が彼の専門の飛行機になると、
次第にドイツ人たちの「地金」があらわになってきます。
「我々が作るのは商業用の飛行機だけじゃありませんよ」
「ベルサイユ条約はどうなったと思われますか?」
第一次世界大戦の後、ドイツは敗戦国として厳しい条項を飲みました。
なかでも航空機などの軍需物資の製造は、材料の輸入禁止、
兵器の貯蔵量の制限、連合国の許可を受ける、海軍艦艇の保有制限、
と植民地や財産を没収された上での締め付けです。
ヒトラーの台頭と国民の支持、ヨーロッパ各地への侵攻は
この締め付けが厳しすぎたせいというのは今や歴史の定説です。
そもそもヒトラーが政界でのしあがったのは、
「反ヴェルサイユ条約」を掲げていたからであり、ナチス党の結成以来、
軍事面での監視措置を堂々と破り、国際連盟から脱退し、
ドイツ再軍備宣言によって軍備制限条項の無効を宣言するに至りました。
こりゃちょっとやりすぎたわい、とイギリスさえもが、
一時英独海軍協定などで宥和傾向を見せたほどです。
さて、このシーンは、会話から、ドイツが締め付けに
ブチギレ出している頃であり、ミッチェルが
スピットファイアの設計に取り掛かる前の出来事です。
ここにいるドイツ軍人たちはあからさまにイギリスの
ドイツに対する製造制限について当てこすってきます。
ところで気がついたのですが、この写真で
後ろにいるスーツ姿の男、この人は「潜水艦轟沈す」で
カナダを逃走するUボート乗員の一人じゃないかと思います。
(山小屋でレスリー・ハワードの所蔵する名画を燃やす)
ハワードプロダクションのお気に入りドイツ系俳優だったのかも。
軍人たちより、周りにいる民間人の方が抑えが効かないというか、
見かけ和やかに話を進めようとする軍人たちに対し、
この男はいきなりアドルフ・ヒトラーを称賛しだすのでした。
「歴史は過去だが歴史を作るのも人です。
我々は敗者の過去とは訣別して覇者になりますよ」
こんな物騒なことを言い出すのも、もう一人の民間人。
軍人のおじさんはやばい一般人とイギリス人賓客の顔を
落ち着きない目でうかがっております。
どこの国の軍人も、特にこういう席で政治的会話を
しないようにというプロトコルがありそうですね。
こちらも次第に顔がこわばってきてます。
「敗者の過去はともかく・・・覇者って飛躍しすぎじゃ」
すると即座に言い返してくるドイツ人。
「我々に”飛躍”の用意はできてます」
そこに軍人おじさんが割って入って、愛想笑いしながら
「あーー、もちろん、特に締め付けられたりしなければ、そんなことは・・」
そこでクリスプが、思わず
「上に立つということは、誰かが『負け犬』になるってことですよね?
じゃ、もしその犬がそれを嫌だと言ったら?
何が起こりますか?教えてください」
するとまた別の一般人(ナチス党員)。
「答えは三つあります。第一に、リーダー。
第二に、ドイツ国民がリーダーの後ろで団結していること。
第三に、指導者の背後にいる銃を持ったドイツ国民です。
銃は常に、最後の答えですよ。
それを忘れてしまった国は、滅びるでしょう!」
さらに、「潜水艦轟沈す」の水兵役だった人。
「リーダーと銃がモノを言えば、誰の反論も無意味です」
相手のマウントにイラついたクリスプが、
相手だって銃くらい持ってるでしょう、というと、ついにドイツ人、本音が。
「相手を上回る銃と、戦車、そして飛行機を装備すればいい」
ミッチェルは思わず
「飛行機・・?」
「ゲーリング元帥は、飛行機を5000機でも1万機でも、
2万機でも、いくらでも構わないとおっしゃっています!」
すると、軍人おじさんが、厳しい表情で
この男に対し、ピシリと低い声のドイツ語で何かを言いました。
言われた男は思わずそちらに体を向けて、
一瞬姿勢を正すようにし、沈黙しました。
かまわずクリスプが「2万機どまり?」とたたみかけると、
負けず嫌いらしいこの男が、(目がやばい)
「都市の一つくらいは数時間のうちに消してしまうほどの数ですよ」
偉い軍人おじさんは、取り繕うように微笑みを浮かべ、
「しかし、恐れる必要はありませんよ。ミッチェルさん。
イギリスは我々にとって敵ではなく我々を助けてくれる友人です」
しかし、せっかくこの軍人おじが場をとりつくろっているのに、
今度はしたたかに酔ったらしい別の民間人が、呵呵大笑して、
「共産主義が怖くて我々の際軍備を阻止できないのさ。
だからイギリスは金まで出してくれる・・笑えるよ」
なるほど、軍人おじさんが気を遣っているのは
このあたりにも理由がありそうですな。
軍おじはさすがに彼の無礼とあけすけに不愉快そうにし、
ミッチェルに謝罪しますが、彼の心の中には、すでに
ぬぐいようもないドイツへの不信が芽生えていました。
このままどうなってしまうん?
という場面を救ったのは、ドイツ人たちと交流して
すっかりご機嫌で部屋に飛び込んできた妻ダイアナでした。
「あーあなた、とっても楽しかったわ!
皆さん親切で、本当に全てが素敵ね!」
「・・・・・・・・」
帰り道、ミッチェルは思い詰めたようにつぶやきます。
「帰ってやることが見つかったよ」
続く。