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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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ゴールデンゲートブリッジの「飛び込み防止策(柵)」〜サンフランシスコ滞在

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毎年のようにアメリカに来ていますが、来るたびに、
いわゆるLGBTQいろいろの配慮がすごくなっているのを感じます。

広告を見ていても、今時白人の家族だけが出てくるものは稀で、
ほとんどが黒人、たまにヒスパニック系、まれにアジア系。
アメリカにはアフリカ系しかいないのかと思えるほどです。



バンドエイドの世界すらこんな配慮をしていました。
肌の黒い人って、バンドエイドの色が気になるものなのか?

それとも、このあたりに配慮していると言う企業のアピール?


人種や肌の色はもちろん、最近はエイジズムとかルッキズムとか、
一昔前は誰も使わなかった言葉にも市民権が与えられているわけですが、
スーパーの洋服売り場は、年齢はもちろんいかなる体型も差別許すまじ、
ということなのか、大きなサイズの売り場が年々拡張しています。

品揃えもアメリカ人の標準体型がボリュームゾーンとなるので、
彼女らに比べるとスリムな日本人女性の選択肢はますます狭まるばかり。


昔は細身の健康的なモデルさんを使っていた(に違いない)店内ポスターも、
太った人、アフリカ系太った人、痩せた人が各人種取り揃えて
みんなでにっこりと仲良さそうに並んでいる写真が主流となっています。

ほとんどのアメリカ人はそのうちのどれかに自分が当てはまるので、
企業がこうやって肯定してくれれば、太り過ぎや年齢を恥じることなく、
安心して商品を買うだろうと言う戦略なんだと思います。


しかしそれにしても、このモデルさんのカテゴリは何だろう。
・・・これって白斑ですよね?
これも「個性」と捉えてのことなのか?
■ フォートポイント


一度ゴールデンゲートブリッジの袂から、アルカトラズを眺める海岸線、
クリッシーフィールドに歩きに行きました。

ここに来るのは一年ぶりですが、前にはなかった看板があります。

砦を守る 

1850 年代、アメリカ陸軍は、この露出し、風が強く、
波に洗われる地点を、サンフランシスコ湾を守る主要な要塞として
理想的な場所としてランク付けしていました。

南北戦争時代、要塞は敵の砲火にさらされることはありませんでしたが、
現在は海面の上昇とより大きな嵐の波による攻撃にさらされています。

地球の温度上昇は、主に化石燃料の燃焼など人間の行為によって引き起こされ、
氷河を溶かし、海水を膨張させ、嵐の強度を増大させています。
海面上昇に直面しているわたしたちは、海岸を守るという軍の伝統を
どのようにして受け継いでいったらいいでしょうか?

なんと、エコ啓発でしたか。
そして、あなたの今立っているところは、海面上昇によって
嵐が来たらそのときは飲み込まれてしまうでしょう、とあります。

具体的に陸軍の時代より海面が上昇したという数字が全くなく、
単に「海面上昇したらここは無くなってしまうかも」という、
まあいうたら脅かしのためだけに設置された看板のようです。


■ ゴールデンゲートブリッジの「自殺防止対策」

昔、「橋から飛ぶ人々」とかいう題で、当ブログでも
なぜか多くの自殺志願者を惹きつけてやまない?
自殺の名所ゴールデンゲートブリッジについてお話ししたことがあります。


今回訪ねてみたら、ブリッジは対策工事の真っ最中でした。


現地にあった説明によると。
”物理的な”自殺抑止システム

橋の西側と東側に自殺抑止システムが設置されています。
命を救うためのシステムは、ゴールデンゲートブリッジ構造に接続された、
スチールストラットで支えられた水平ステンレス鋼ネットです。

ネットは歩道の約20フィート下、橋から約20フィート水平に伸びています。
サウスアプローチ高架橋、フォートポイントアーチ、吊り橋、
ノースアプローチ高架橋には、この保護バリアが取り付けられます。

橋の北端にあるコンクリート橋の手すりの上に設置された
高さ12フィートのピケットフェンスによって、さらなる保護を試みます。


こうやって物理的に阻止されたとしても、その意思さえあれば、
柵の端に行けば簡単に目的は達せられるんだがなあ・・・。


まあ、ボランティアがパトロールして、それらしい人を見たら声をかけ、
話を聞くという活動だけでも、少なくない人が思いとどまるらしいので、
この柵によって出鼻をくじくことにも一定の効果があるのかもしれません。

工事は現在も継続中です。


■ 陸軍飛行場時代のクリッシーフィールド


これはその途中にある休憩所兼お土産店の内部の写真ですが、
今回来てみたら内部が改装されていました。


そして天井側の壁には、ここが軍使用されていた頃の写真が、
ちょっとした説明と共に展示されていました。
太平洋への玄関口

サンフランシスコのプレシディオは、スペインによって、
1776年に設立されたのが始まりです。

その後、1847年、それはアメリカ陸軍の前哨基地となりました。
第二次世界大戦が始まるとここでの活動はピークに達し、
何千人もの兵士が門を通り抜け、太平洋戦域に向かいました。

かつて飛行機の滑走路だったフィールドは、今草地になっており、
人々の憩いの場所として手付かずの状態で保存されています。

この写真で後ろに写っている建物は全て現存します。



ゴールデンゲートブリッジをバックに、
ここクリッシーフィールドを行進する女性部隊の写真。


WACS(陸軍女性部隊)のステップアップ

男性兵士の不足は、1942年に女性陸軍部隊の創設につながりました。
1944年にプレシディオに最初に配属されたWACは、
医療技術者、メカニック、ドライバーなどの任務についていました。
1978年、WAC部隊は正規軍に統合されました。



当ブログで何度か取り扱った黒人だけの部隊、
「バッファローソルジャーズ」です。



バッファロー・ソルジャーズ

1900年代初頭、黒人ばかりの部隊、第24歩兵連隊と第9騎兵隊の有名な
「バッファロー兵士」がプレシディオに駐屯していました。

夏の間、彼らはシエラネバダの国立公園を保護し、
私たちの国の最初のパークレンジャーの一部として機能していました。




フィールドに整列した自動車部隊。


説明はありませんでしたが、ここには
日系人からなる諜報部隊がありました。
写真のデイブ・オオクボ陸軍上等兵(そんな名前だと思う)もその一人です。
■ フォートポイント



ゴールデンゲートブリッジがまだなかった時代に、
フォートポイント基地はここにあり、ここから海上に向けて
ずらりと並んだ砲口が海からの敵を迎え撃つ用意をしていました。
バーベットティアの歩哨
ちなみにフォートポイントの屋根は
Barbette Tier「バーベット・ティア(層)」
と呼ばれていました。
バーベットという言葉に聞き覚えがあると思ったら、
軍艦搭載用の砲台構造のことを指す用語でしたよね。

具体的には上甲板に突き出した円筒形の装甲部のことで、
その頂部に火砲が設置されるようになっています。

当時、陸または海からの攻撃から守るために、
ここに取り付けられた21の大砲に兵が配置されるようになっていました。

これらのキャノンマウント「En barbette」は
厚さ7フィートの外壁を打ち破るだけの破壊力を持っており、
木造船ならゴールデンゲートに入る前に撃沈することができました。

「かつてここを敵の船が通過できたことはなかった」

ここにはそう書かれています。

折に触れてご紹介しているように、この一帯には、
ゴールデンゲートから敵を侵入させないためのフォートがいくつもあり、
海上に向けた砲台でハリネズミのように守られています。

前回訪れた時には目にしなかった新しい説明板がありました。

昨日、ハワイ諸島のエマ女王御一行が港の要塞を訪れました。
訪問者は埠頭に着陸し、徹底的に検査されたフォートポイントまで歩きました。
第2砲兵隊の素晴らしいバンドは絶妙な音楽を奏でていました。

視察の後、御一行はバーベットバッテリーから演習を観覧しました。
ターゲットはライムポイントの根本です。

発射は絶妙で、すべてラインショットであり、
ターゲットの東端で1つの砲弾が爆発しました。

アルタ・カリフォルニア

1866年10月4日
エマ女王(Queen Emma of Hawaii、1836- 1885)は、
ハワイ王国の国王カメハメハ4世の妻で、王妃です。

こちら側の窓は太平洋側に向いていませんが、それでも
一つ一つの窓に銃が設置できるような作りになっています。


経年劣化で元々の金網が破れてしまったので、
侵入禁止のため外側も新たに金網で覆っています。


この日はフォートの内部に入ることができました。
散歩の途中でしたがちょっと立ち寄ってみることに。

前にもここで紹介したことがあるかと思いますが、
入り口を入ってすぐのところに、旧監房の窓があります。

オールド・ジェイル(旧監房)

ここには3部屋の監房があり、ここでの勤務中、
軍規に違反した(主に反逆)兵士を収監するためのものでした。

写真に写っているのはそのうちの独房です。この地域の寒さは半端ないので、暖房なしの個室に入れられただけでも
かなり肉体的に辛い「懲罰」となったことでしょう。


フォートの中庭を囲む周りには武器が展示されています。
ちょうどこのとき、星条旗の飾ってあるベンチの置かれたところで、
説明が始まるというアナウンスがありました。

一瞬心が動いたのですが、それを押し留めたのがあまりの寒さ。

ご存知のようにここは海流が冷たい空気を運んできて
夏でも強風と霧で震え上がるほどの寒さになります。

ただ海岸沿いを歩くだけと思ってパーカーしか着ていなかったので、
諦めてフォートを後にしました。


フォートポイント横のブリッジ真下を望む場所は立ち入り禁止。
金網にいつしか出現した両手のシルエット(犬用も下にある)を、
わたしは今回まで「折り返しにタッチしてねというお茶目なサイン」
だと思っていたのですが、これが全く違いました。

このサインは「ホッパーの手」と名付けられており、
橋梁の鉄工であり、自殺者救助のボランティアであった
故・ケン・ホッパーの手のシルエットをかたどっています。

自殺者救助のボランティアに参加した鉄工職人、ケン・ホッパーは、
行き止まりのこの場所でジョギングやウォーキングをする人たちが、
フェンスに触れてから引き返すのを発見した後、橋の看板塗装工に
2つの手の指紋のシルエットが描かれた看板を作るよう依頼したのです。

この手には、その後亡くなったホッパーの遺志が込められているのだとか。

しかしながら、その同じ金網には、
死者に捧げる花束や花を活けるための小さな瓶、
そして「ジャンプ」した誰かの写真までが「お供え」されているのでした。
これってどうなんだろう。
うまく言えませんが、ここを自殺者の追悼の場として聖地化することは
おそらく一人でもそういった人を救うために奔走していた
ホッパー氏の遺志には微妙に添っていないのではないかという気もします。


続く。

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