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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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ウィンチェスターミステリーハウスの”真実”〜西海岸生活

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これが最後のアメリカ西海岸からの報告となります。
アメリカでの滞在を終え、先日無事に帰ってまいりました。
そして今、わたし史上初というくらいの酷い時差ボケに苦しんでいます。


今回は羽田着を選んだ関係で、出発が夜中の1時過ぎになりました。
空港到着が10時、出発時刻はもういつもなら寝ている時間です。



暦は9月になっていたので、シートのスクリーンはお月見モード。
水平飛行に入るまで、映画「ホエール」を観ていましたが、登場してすぐ機内用の寝巻きに着替えて歯磨きも済ませていたので、
シートベルト着用サインが消えると同時に寝る体勢に入りました。



目が覚めると、着陸2時間前。
少し早めでしたが、このとき日本の近くは台風のせいで風が強く、
揺れが予想されるということで早めに朝食をいただきました。


時間は遡って出発前。
最後に、MKの大学寮にあるカフェ&バーで食べてみることにしました。

部屋から下を見ると、ちょうど来年度からの住人の引越し時期で、
そのせいか芝生の真ん中に学校のマークが描かれていました。
芝生に水性ペンキでペイントしてあるそうです。


大学院寮のなかの施設なので、営業は週二日木金のみ。
金夜などは関係者が団体で盛り上がっている様子がよくみられます。


バーにはカウンターも、自動演奏のピアノもあり。
この窓の中にあるのは、音楽に合わせていろんな色を発光する謎のオブジェ。



オーダーは備え付けの画面から行い、横にある受信機をとって待ち、
発信があれば取りにいくというシステム。



バーと言いながら、日本だとランチにするしかないバーガー系のみ。
わたしはMKのおすすめによりフィッシュバーガーにしました。
アボカドとか目玉焼きはオプションで付けられます。


美味しいコーヒーを求めて、最後の週末、
サンタクララ大学の周辺エリアに行ってみました。

VoyagerCraft コーヒーはサンタクララ中心に数店舗展開している、
ローカルな本格コーヒーショップです。



フレーバーコーヒーが売りで、その名前も
「バリ」「バレンシア」「サンティアゴ」「マニラ」
など、それぞれの都市のイメージの味というのが人気。

この日わたしはミルクをオーツに変え、ブラウンシュガーを抜いた
「トーキョー」(エスプレッソ、お好みのミルク、自家製バニラ、
チェリーブロッサムウォーター) を頼んでみました。

MKは「レキシントン」(エスプレッソ、お好みのミルク、
自家製バーボンリダクション、自家製バニラ)です。

■ ウィンチェスター・ミステリーハウス


最後の週末、コメント欄でおすすめされたこともあって、
車で7分のところにあるウィンチェスターミステリーハウスに行きました。

銃器王といわれたウィリアム・ウィンチェスターの未亡人、
サラ・ウィンチェスターの邸宅だったこの広大な屋敷は、その規模と
奇妙な建築のせいで1922年、サラの死後すぐに観光地となりました。

ちなみに、わたしの今日に至るまでの当地に対する知識は、

「ウィンチェスター銃の犠牲者の呪いのせいで、家族を失った、
と信じる未亡人が、占い師に騙されて死ぬまで建築を続けたせいで
奇妙なミステリーハウスになってしまった」

という程度の、ごく一般的に信じられている噂に留まります。
別にその実態を確かめたいとか、そういう意図はありませんでしたが、
単に近くにいるから一度行ってみようか、程度の気軽さで申し込みました。


チケット売り場の建物は、本館に似せてありますが、後から作ったもの。
前日ネットでチケットを購入しましたが、前売りなのに大人一人41ドル。
学生割引もなく、思わず「高いなあ」と文句が出ます。

チケット売り場には列ができていましたが、これは当日申し込む人のため。
購入が済んでいる人は中に入って待つだけです。
ちなみにゲートの蜘蛛の巣のような模様ですが、
屋敷内にもあしらわれた当時流行りの意匠です。

しかし、「ミステリーハウス」にぴったりな趣味ともいえます。



待っている間の時間潰しにどうぞ。
というわけで、シューティングゲームコーナー。
きっと備え付けの銃はウィンチェスター銃のモデルなのでしょう。



ウィンチェスター本人っぽい(さすがに本人のではない)写真を加工して
白目を剥いたおそろしい写真が飾ってあったりして、なかなか悪趣味です。

このように、ウィンチェスターの屋敷は、女主人の死後、
観光名所の宣伝として、「幽霊屋敷」のレッテルが貼られてきました。
全て「ミステリーハウス」に対する大衆の興味を掻き立てるのが目的です。
■ ミステリーハウスの「虚構」



しかし、そんなイメージをより裏付けるファクトとして、
あきらかに必要のなさそうな工事が行われていたり、
工事を行った理由が全く不明な構造物があります。

ツァーが始まってガイドが入り口のドアを開けると、そこは壁。



異常に低い段差(ほぼスロープ)でできた異常に狭い階段。
こんなのがあっちこっちにあります。



しかし一見不思議なこの階段には少なくともちゃんとした理由がありました。
マークが指を指したところは女主人サラの身長である4フィート10インチ。
つまり146㎝しかなかったことと、関節リューマチを患っていたことから、
彼女には段差が少なく、バリアフリーに近い階段が必要だったのです。


この44段の階段を使って移動できるのはわずか3メートル。
階段を上るのがつらければ、金持ちはエレベーターを設置しますが、
サラが屋敷を建てた頃は家庭に設置するようなタイプはなかったようです。
ただし、1916年にはエレベーターの設置が行われています。



他にもこんな階段がありましたが、これはどうみても
サラ生前のオリジナルではなく、後から設置されたものです。

事実、サラが死んですぐに投資家によって物件が購入され、
賃貸人として済んだジョンとメイミー・ブラウンなる夫妻は、
すぐさまここをアトラクションとして見せ物にし始め、
意図的に「不可解」な追加建築やオリジナル削除が加えられました。

より一層「ミステリー」な家にするための、演出といったところです。

ベッドルームはそれこそいくつもあります。
まあ、これもアメリカの豪邸なら当たり前。部屋の数は全部で160あるとか。


サラはこの寝室で亡くなったとされます。
ということは、このベッドでということになるのでしょうか。
そもそもここにまつわる噂は、夫と生後ヶ月の娘を立て続けに病気で失い、
そのことを彼女がボストンの男性霊能者に相談したところ、この人が

「彼女と家族はウィンチェスター銃で殺された人々に呪われている。
その霊を慰めるために西に家を建てなければならない。
そして決してその計画を完了してはいけない」
と言ったので、彼女はわざわざ大陸を横断して西海岸に行き、
それで家を24時間建て続け(させ)たというものです。
なんで霊を慰める手段が家の増築なんだ、と突っ込みたいところですが、

ご安心ください。
これは1967年になって作家がでっち上げた嘘とわかっています。

そんな霊媒師は、調べたところ実在すらしておらず、
サラが西海岸に行ったのも、おそらくは健康上の理由で医師が勧めたから、
そして夫とのサンフランシスコ旅行が楽しかったからだそうです。
しかも、伝説が生まれるきっかけは、地元紙のゴシップ記事でした。


この武器商人の未亡人がサンノゼに豪邸を建て始めたとき、
世間は好奇心からあれこれと彼女について憶測を逞しくしましたが、
後述の理由により10年経ってもその建設が終わらないことから、

「この家の所有者は、この邸宅が完全に完成すると
自分は死ぬと信じているらしい」
とサンノゼデイリーニュースがおそらく揶揄半分で書いた記事が、
いつの間にか事実として流布されたと言うのです。


迷信深くて病的で、怪しげな霊媒師の言うことを真に受けて、
有り余る財産を無駄な工事に使い続けた愚かな女性。

後世のミステリーハウスにまつわる物語は、サラ・ウィンチェスターを
このように決めつけるものといっても過言ではありません。

しかし、噂、誇張、嘘、神話を剥ぎ取ったところにある彼女の実像は
健康上の理由で世間から身を隠すようにしていたものの、
会社の財務と投資ポートフォリオの構築も抜かりなく行う実業家でした。

そしてそれらの作業はこの机などで行われたのだろうと想像されます。


バスルームは13あったそうです。
トイレはあちこちにありますが、それも部屋からあまり遠いと
特に彼女のような健康状態にはつらいでしょうし、当然かと。


屋内の植物室?は床が斜めになっていて、
余分な水は外に出され、外の植物に水を供給するパイプもありました。



ジャパニズムを思いっきり取り入れた部屋もあり。
天井とタンスには竹をあしらっているように見えます。


この部屋に入った時、ピアノによるBGMが流れていました。
ガイドが操作すると、それが地震で建物が崩壊する音に変わりました。

この部屋は、地震の被害に遭った後、修復しない当時のまま残されました。


サンフランシスコ地震が起こったのは1906年のことです。

彼女が死ぬのを恐れて工事を続けたと言う噂がデマであったことは、
地震以降彼女は住居をたくさんある別邸のうち一つのアサートンに移し、
瓦礫の撤去とエレベーターの設置以外行わなかったことでも明らかです。



しかしこの地震のせいで、より一層屋敷は不可解なものになりました。

たとえばこのドアは「開けると空間しかない2階のドア」とされますが、
外にあったバルコニーが地震で崩落してそうなったと言うだけのもの。

他にも、階段で繋がっていた上層階が地震で取り払われたため、
「天井に向かっていきなり終わる階段」が出現したりしました。



それではそもそもなぜ彼女は建設チームを常駐させてまで、
家の建築を長期間続けていたのか。
それは一言で言うと、
建築が彼女の飽く無き「趣味」だったからでした。

まだ夫が存命中、東海岸で夫妻は当時別邸の増改築を行いました。
その際二人は建築とインテリアデザインに興味を持っただけでなく、
それが高じて、自分たちだけで全部設計建築を手掛けはじめます。

そのために雇った専門の建築家二人は解雇されています。

建築が趣味、などという女性は当時アメリカでも稀だったと思いますが、
サラにはそれを実行できるだけのふんだんな財力がありました。

そんな彼女が未亡人となったとき、広い土地に移り、そこで自分の家を
ゼロから自分の設計で建ててみたい、と思ったとしても不思議ではありません。
いつまでも工事が終わらなかったのは、建築が趣味だったからで、
完成させることより作り続けることが目的だったからでしょう。
言うて素人ですから、全体的にまとまりがなくなり、
家の中は迷路化してしまいましたが、そんなことはいいのです。

だってここは彼女の遊び場、プレイランドだったのですから。
(彼女はアサートンなど他にも西海岸に普通の家を持っていた)
ある人の研究によると、彼女が家を建て続けた理由の一つに
労働者の雇用を維持し続けるため、というのもあったようです。
そして、これはわたしの想像ですが、建築を続けたのは、
夫と子供を失い、ひとりぼっちになった彼女が、何かを生み出すことで
生きる情熱と目的を維持するためだったと考えられないでしょうか。


ガイドの向こうにはサラに雇われていた建築チームが写っていますが、
彼らはサラが死ぬまで、ここで安定した雇用を得ていました。
彼女は遺言により、従業員全員を受益者として指名していました。


建築チームのチーフ(棟梁ですな)などは、敷地内に家を持ち、
ここで家族と住んでいたといいますから。


メインの食堂。
サラは社交的な夫人ではなく、健康状態が悪化した1900年以降は
公的な場に姿を現すこともあまりなかったため、
屋敷ではパーティなども大々的に行われなかったと見えて控えめです。


氷を入れる式の冷蔵庫ならぬ「冷蔵室」。
大きな氷を入れて冷蔵の必要な食料を保存していました。



美しいステンドグラスの嵌め込まれた窓。
サラは今後のため?と思ってか、大量にステンドグラスを購入しましたが、
結局それらのほとんどは、どこにも使われずに今日展示されています。


「幽霊のような音楽」が屋敷から聞こえてきた、という地元住民の噂は、
早くから音楽をよくし、楽器の演奏を趣味にしていたサラが、
眠れぬ夜などに弾いたこのパイプオルガンだったと種明かしされています。
夜中にパイプオルガンの音が聞こえてきたらそりゃ怖いわ。



もちろん居間にはピアノもありました。ケーブル(Cable)ピアノという、1930年代までシカゴに存在した
ピアノ製造業者の製品です。


スリラー映画『ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷』
と言う映画のロケがここで行われました。
そのときに使われた俳優の衣装が展示してあります。
YouTubeで見てください。

なんかひでえ・・・。


ハロウィーンには真夜中にツァーを行うなど、もう全面的に
そっち方面に振りまくっているここ「ミステリーハウス」。
ここのガイドは、わたしが今回したような「本当の」説明は一切行いません。

それどころか彼がガイドしているときに誰もいないのにドアが閉まった話を、
「これは本当の話です」などと大真面目で言って怖がらせにかかります。

仕方がありません。
ガイドは全員、捏造され不正確な噂を元にした、観光用の台本通り喋っていて
おそらく自分の意見(異論)を挟むことは許されていません。

それはほとんど、ディズニーシーの、今は無きアトラクション、
「ストームライダー」の前説係のようなものです。

そして、彼らが「個人的に」体験した「不思議な出来事」も、そのほとんどが
過去の噂と伝説からきた確証バイアスと暗示の結果だと言う説があります。

このように決めつけるのは、楽しみたい人たちには興醒めかもしれませんが、
ここはディズニーの作り物のアトラクションではないのです。

実際の誰かが住んでいた家をいつの間にか幽霊屋敷に仕立て上げ、
その主人を「おかしな人」「迷信的な人」とレッテル貼りをして、こんな形で物語を上塗りして商業的利益を得るって言うのもなんだかな。

少なくともわたしには、面白く興味深い建築ではありましたが、
幽霊やら怪奇現象と結びつける意味は全くないのではと感じました。



というわけで、1時間半のツァーを終えて外に出てきました。


庭園には変な噴水がありました。



どう言う状況?
ちなみに三方から、カエルも彼に水をかけにきています。


庭園の外側にも趣味の?建築が建ち並んでました。
大工の棟梁の家もそうですし、やたら広いガレージ、大工小屋、
これなど「果物をドライする(だけの)小屋」。

サラ・ウィンチェスターには、グッドジョブ、と言っておきたいところです。



最後のエスニック料理は、タイでした。
ここは大当たり!今までで一番美味しいパッタイが食べられました。



大好きなスティッキーライスのマンゴ乗せも。
ライスはお米の色のせいでブルーです。



そして、最後のお昼ご飯のためにパロアルトのユニバーシティ通りに行くと、
以前ケイリーグラントをやっていた映画館が、
「ヒッチコック フィルムフェスティバル」を開催していました。






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