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オフィサーズ・デッキ〜戦車揚陸艦 US「LST393」

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ミシガン州マスキーゴンに展示されている
第二次世界大戦時の戦車揚陸艦、US「LST-393」を紹介しています。



かつては戦車、戦後はフェリーとして車を乗せてミシガン湖を航行した
展示艦の、車両を搭載する艦首扉から入場し、
そこからギャレーを見ながら、まさにこの地図の
You are hereのところにやってきたと思ってください。



You are hereから通路はいきなり舷側に出ました。
というわけで今日はオフィサーズ・デッキを見ていきます。


LST393は、展示艦になってから1945年のカモフラージュ塗装にされ、
それを塗り替えながら展示されていましたが、2014年、
Dデイ当時の塗装に変えるプロジェクトによって、現在の灰色になりました。

ここが湖沿いで、海水による侵食がないせいで、6年経ったこの日も
LST393の艦壁のグレーのペイントは比較的きれいなままでしたが、
通路は長らく手入れされたようにはとても見えません。

ご予算の関係?でデッキは展示艦になった当時のままなのかもしれません。


オフィサーズ・ステートルーム(執務室)の一つに到着しました。
上部構造物に位置するため、カーテン付きの舷窓があり、
これが潜水艦ばかり見てきた目には
普通の船っぽくて、ちょっと新鮮な感じがします。

「393」兵員たちの生活する場所は、冬にも暖房がなくても大丈夫なくらい
熱気が充満して、そのせいで熱帯では大変でしたが、
(ノルマンディ上陸作戦の後、対日作戦の支援で太平洋に進出した)
ここオフィサーズステートルームは、日光が直射で夏は暑く、
しかも冬は吹きっさらしで、死ぬほど寒くなるところです。
下の階で説明されていたように、LST393は艦内に7つ設置されていた
ベンチレーションブロワーによって送られてくる艦内の熱気を
暖房として利用していたので、それがここにも送られ、
写真の右側に見える暖房器具から排出されていたと思われます。


オフィサー・ステートルーム2、2つめの士官寝室です。
縦も横も広くてマットもちゃんとしたものが用意されています。

上の段が高すぎていくらアメリカ人でも脚が上がるんだろうか、
と心配になる程ですが、軍艦にはベッドの梯子など存在しませんから、
おそらく、両手を上の段にかけ、よっこらせと体を持ち上げてから
片足をかけて上ったのに違いありません。

もちろん靴は履いたままだっただろうな。
ご存知のようにほとんどのアメリカ人は家の中を外で履いた靴で歩きます。
その「外」というのが、基本的に猛烈に汚いところが多く、
映画などを見ていると、下手したら靴のままベッドに寝転んだりしてますが、
これは日本人にとっては生理的になかなか受け入れられません。



ベッド脇に貼ってあるのは、クルーナンバー(ちなみに17)、
レーティング(階級)、任務などで、火災や非常時、
そして総員退艦のときの信号の発信法が書かれています。

ベッド横にあっていつも目にすることで記憶に刻み込み、
危急の際に行動することができます。



潜水艦と違って、二人で一部屋という贅沢な環境です。
電話は部屋に一台。



次にキャプテンズ・クォーターズ、艦長室です。
さすが艦長の部屋だけあって、応接室&ダイニングと寝室が別。

空母の艦長室などとは大いに雰囲気が違いますが、
戦車揚陸艦なので、まあこんなものでしょう。

ノルマンディ上陸作戦時、LST339の副長(Executive Officer)だった、

ベン・オーウェン少佐 Ben Owen

の着用していた制服が飾ってあります。

オーウェン少佐は戦後予備役になっていましたが、朝鮮戦争が始まると
軍役に復帰し、今度は艦長としてLST803に乗務しました。
駆逐艦や戦艦、巡洋艦などと違い、揚陸艦は数が少なく特殊なので
副長が艦長になって同じ艦に乗り組むということもあるのでしょう。


どの軍艦でも、個室で一人で寝られるのは艦長だけです。
艦長が自分の艦に着任してベッドに初めて寝るときには
俺もようやくここまで・・・と感慨に耽るものではないでしょうか。

艦長用シャワールーム。

上にあるのはシャワーではなくスプリンクラー(最新式)です。
これがシャワーよりいいかどうかは大いに疑問ではありますが、
とにかく、脱衣所には暖房器具付きで至れり尽くせり。
ブース内には石鹸置き場まで完備しています。


シャワー室。



配管は古いですが、シャワー栓は新しいものです。
しかも、割と最近使ったらしい形跡が・・・。

もしかしたら泊まれるのかな。


もうひとつの士官寝室にも、カーキのサービスドレスが飾ってありました。
こちらは中佐の制服ですが、持ち主の名前は書かれていません。
オーウェン少佐が艦長になったときの制服かもしれません。



冬場、ここで書き物をするのはさぞ手がかじかんだことでしょう。


士官用洗面所です。
何度も言いますが、冬は寒かっただろうなー。



ワード・ルーム、オフィサーズ・メス、士官食堂です。
士官たちはここで食事を「提供され」ました。



担当スチュワード(下士官)は、まずこの緑の窓、
「ワードルーム・パントリー」に出来上がった料理を置き、
セッティングを完了してから、テーブルに座っている士官にサーブしました。

兵員たちの食事は、世界共通のあのアルミ皿一枚で足りますが、士官の場合は最初から最後まで、陶器で一品ずつサーブされます。(サーブする順番も階級順と決まっていました)


椅子が15脚見えますが、LST393時代、士官は多くて10名でしたから、
内部の様子は今とは少し違っていたかもしれません。

もちろん当時テレビはありませんでしたが、きっとその代わり
レコードプレーヤやラジオはあったはずです。

この艦にはめずらしく、木でできたドアです。
後から付け足したものかどうかはわかりません。



金色のプレートにはオフィサーズ・メスという表示と、
艦内の「アドレス」に当たる番号が刻印してありますから、
もしかしたらプレートだけは当時のものかもしれません。

キャビネットとクローゼットが見えますが、ここは
食器、テーブルカバー、スチュワードジャケットを保管する場所でした。



1944年当時のオフィサーズ・メスにおけるLST393士官のみなさん。
左手前から、

R.D. マクレー艦長
ポール・グラムシュ少尉
フランク・ミラー中尉
マシュー・ケニー中尉

右列奥から
ジョン・フェアバンク中尉
ハワード・ホイットモア少尉
ジョン・スパノ中尉
ジーン・ラヴェル少尉

なぜか、当時XOだった先ほどのベン・オーウェン大尉がおらず、
写真に写っているのは全員が中尉以下初級士官です。

手前の空席がオーウェン副長の席で、カメラのシャッターを押していたのは副長だったのかもしれません。


ところで、この区画を出たところにこんなプレートがありました。



テーブルの右奥に座っていたジョン・フェアバンク少尉は、
393ではおそらくナビゲーション士官だったと思われます。
その後彼はLST-212の副長になり、少佐で退役しました。


ST-212は、1943年7月6日に就役し、ヨーロッパ戦線では
393と同じ1944年6月のノルマンディーへの侵攻に参加しました。

1945年11月に退役、海軍名簿から抹消されて、
その後は商船用に改造されました。

こうしてみると、ほとんどの戦車揚陸艦はDデイのために建造され、
戦争が終わったらたちまち用がなくなって、民間船、
(ほとんどはフェリー)商用として余生を送ったらしいことがわかります。

ところで、このフェアバンク中佐のプレートがなぜあるのかはわかりません。
本人か家族が名前を残すために特別に寄付を行ったのかもしれません。



写真で士官たちが囲んでいるのはこのテーブルだと思われます。


これにテーブルクロスをかけ、写真は左側から撮ったんじゃないかな。



ワードルームパントリーの窓から覗くと、小さなキッチンと
コーヒーセットがありました。
イギリス人は「ティー」、アメリカ人はコーヒー。

というわけで、ここにも巨大なコーヒーサーバーが。
士官はせいぜい多くて十人だったというのに・・・・。


錨のマークの刻印入りのコーヒーカップとお皿。
今のアメリカ人なら皆マグを使っていそうです。



ところで、オフィサーズステートルームの一隅に
このようなコーナーがありました。
リユニオン(同窓会)の写真と、当時の戦闘日誌などのコピーが見られます。


当艦ではなく、LST308のものでした。
同じLSTつながりで、ここを同窓会に使ったのかもしれません。
1995年と2001年のもので、微妙に人数が減っているのが切ない・・・。

LST308も、サレルノ侵攻とノルマンディ上陸作戦に参加していますが、
艦体そのものは終戦後すぐ1946年に退役して廃艦処分となりました。



続く。

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