ミシガン州マスキーゴンに展示されている
第二次世界大戦中の戦車揚陸艦、US「LST-393」。
今日はブリッジの階の続きです。
このワードルームは、マスキーゴン出身で第二次世界大戦の陸軍退役軍人、
フランク・スプレイグ氏に敬意を表するため、
彼の息子であるレミントン・スプレイグ博士によって修復されました。
さて、ここはすでに丈夫構造物の甲板階となるのですが、
さらに上に上がっていくことにします。
ナヴィゲーティング・ブリッジがあるようです。
階段の上にはコンプレッサールームがありましたが、立ち入り禁止でした。
ナヴィゲーティングオフィサー、つまり先ほどの
フェアバンク中尉が勤務していたに違いないオフィスがあります。
ここはプロッティング・テーブルとされています。
信号早見表などが書かれた便利もの。
階段を登って右側にあるのがチャートルームとデスク。
他のディスプレイはいろんなところから集めてきた関係で
ほとんどが当時のものではありませんが、ここだけは
正真正銘どの機材も第二次世界大戦中使われていたものばかりだとか。
アメリカには第二次世界大戦中にすでにテプラがあったのか・・・。
謎の電気器具。
棚の上にある顔写真は、第二次世界大戦中、
戦車揚陸艦乗組の水兵で唯一名誉メダルを受賞した
ジョニー・ハッチンス
Johnnie David Hutchins
という人物です。
1943年9月、ニューギニア・ラエへの攻撃において、
ハッチンスの乗ったUSS「LST473」が、
日本軍の陸上砲台と空からの攻撃を受けながら敵地海岸に近づいたとき、
敵の魚雷が波間を突き破り、致命的な精度で船に襲い掛かりました。
操舵はミサイルを避けようとしましたが、次の瞬間
爆弾がパイロットハウスを襲ったため、操舵はその場から離れてしまいます。
そのときLST-473はなすすべもなく無防備な状態に置かれました。
そのときハッチンズは、爆発で致命傷を負っていましたが、
この危機的な状況を十分に理解し、すぐに舵を握り、
迫り来る魚雷から艦を守るために最後の力を振り絞りました。
彼の最後の力は艦を守るために、そして
最後の努力は任務の遂行に費やされ、
結果として、彼は国のために勇敢に命を捧げて亡くなりました。
ハッチンスを含め、7名が戦死し、14人が重傷を負っています。
その後彼の名前は
USS Johnnie Hutchins (DE-360)
として駆逐艦に遺されました。日本軍と戦って斃れた彼の名を負った駆逐艦は、
沖縄では航空救難艦として活動して終戦を迎えています。
チャートルームの反対側はホイールハウス、操舵室となります。
なんというか、普通の軍艦のブリッジとあまりに違う、
民間船舶のような佇まいにちょっと違和感を感じました。
今までアメリカで見てきた空母、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、
そのいずれの水上艦とも違いますし、自衛隊の艦とも全く違います。
民間転用のためにわざわざ操舵室を作り替えることはないでしょうし、
そもそも、戦車揚陸艦は戦闘艦ではなく輸送任務が主なので、
特に1942年当時の輸送艦はこれが標準仕様だったのかと思われます。
まず正面の舵輪はhelms、左のレーダーにRadar、
舵輪の向こうのビナクル(磁気コンパス)にMagnetic Compass、
と名称のシールが貼られています。
レーダーには
トランスミッター・レシーバー
と製造番号の書かれた当時のプレートがそのまま残っています。
手前にはエンジンテレグラフ。
奥のエアコン(いわゆるセントラルヒーティング式)の上には、
シップベル・コード
Codes for Ships Bells
として以下のように指示する一覧表があります。
1ホイッスル 或いは 1ベル・・・前進
1ホイッスル 或いは 1ベル・・・停止
2ホイッスル 或いは 2ベル・・・後進
3ホイッスル 或いは 3ベル・・・チェック
4ホイッスル 或いは 4ベル・・・ストロング
4ホイッスル 或いは 4ベル・・・オールライト
「チェック」「ストロング」の意味と、
「ストロング」と「オールライト」の違いはどうやって見分けるのか、
部外者にはちょっとわからない点がありますが・・。
右手にはカーゴホールド(船艙)のライトスイッチがあります。
艦首はこの前にあるAmazonの建物の方向を向いています。
室内はグリーンに塗装されていますが、おそらくこれは
フェリー「ハイウェイ16」時代の名残りで、元はグレーだったと思われます。
そして、「ホイールハウス」と名称が示されているわけですが、
これも民間フェリーになってからの名称で、
LST396時代はもちろんここは「ブリッジ」と呼ばれていました。
フェリー時代の名残といえば、まだこんなディレクトリがありました。
ミシガン湖など五大湖を航行する船舶共通の交通ルールが書かれています。
真ん中は船同士が接近した時に衝突を回避する方法ですが、
最後の直角か斜めに交差する場合はどうするのでしょうか。
この状況では、2 隻の汽船が衝突の危険を伴う状況で
直角または斜めの角度で互いに接近している。
他の船を自分の左舷側に認めた場合、その船は、針路と速度を維持し、
他の汽船の方は、前者の船尾を横切ることによって避けなければならない。
その際、必要であれば速度を緩めるか停止するものとする。
なるほどー、何かの役に立つ日が来るかもしれないから覚えておこう。
さて、ここでパイロットハウスを出て甲板の前に立ってみましょう。
通常は甲板は立ち入り禁止ですが、イベントの際は一般公開されます。
Air Raid LST 393 on D-Day
Dデイの記念イベントでは、ストーリー仕立てで、
甲板の上で陸軍兵士たちが思い思いに過ごしているところ、
「ゼネラルクォーターズ、ゼネラルクォーターズ!
メン・オン・バトルステーション!」
とまず叫び声がかかり、陸軍兵と水兵が上空に飛来する
4機の敵機(さすがに塗装まではされていない)に攻撃を加えます。
薬莢が散らばっているので、空砲を本当に(?)撃っています。
4:35になると負傷者が出て、甲板に倒れたままの人や、
救護班に連れて行かれる人も出てきます。
うつ伏せで倒れている人はトリアージの結果後回しに(-人-)
8分くらいで攻撃は終了し、テープで仕切られた甲板の左舷側にいた客が
皆で拍手をして、Dデイショーはおしまいです。
しかし何がすごいって、第二次世界大戦中のレシプロエンジン機が
こういう時のために、いつでも飛ばせる状態にあるアメリカという国です、
また、甲板を使ったイベントとしては、コロナ蔓延中は中止していた "Movies On Deck"が復活しております。
参考までに、上映メニューは、
6月23日「トップガン」(オリジナル)
7月7日「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」
8月4日「ブルース・ブラザーズ」
上映開始時間は日没直後の夜10時。
入場料は無料で、椅子も自分で用意してねとのこと。
ポップコーンやスナックは販売しており、それとは別に
艦のメンテナンス費用やベテランへの寄付大歓迎、とのことです。
それにしても、ブルースブラザーズねえ・・・。
Dデイを描いた「プライベート・ライアン」とか有名どころの海軍ものは
もうやり尽くした後、ということでこのプログラムかもしれません。
WW2 Uniforms LST 393 on D-Day
また、デッキの上ではありませんが、艦前の広場で
Dデイには当時のユニフォームファッションショーも行われています。
(ちなみにBGMは、誰が選んだのか、
”Watch What Happens"何が起こるかみてみよう)
というわけでこういうことが起こったわけですが、
どうでもいいけど皆お腹が大きすぎ。
当時の軍人さんは、皆もう少しスマートだったと思うぞ。
外から見たブリッジ・・・いや、ホイールハウスです。
続く。